第十話:特待クラス・中編
やって来たのは──男であった。
「よろしい既に席に着いているようだな」
ドアが横へとスライドし、長身が現れる。
だが──私は明確に口角を上げた。やって来たのは、ただの男ではなかったからだ。
モノクルを着けた、長身の男性。切れ長の目と逆立てた髪は攻撃的な印象を与え、それでいて落ち着いた雰囲気が冷静さを漂わせている。
外見で言えば、そんなものだ。が、それは表層だけの話。
なるほど、よく化けている。
人間界がやがて復活する魔王や、魔物の残滓に対抗するため作り出した学校──その特待クラスの教師が、まさか──『魔族』だとはな。
精神的には小物とは言え、実力で言えばガーディフは本物だ。奴が気づかんという事はない。となると、この男は自分の意志でここにいるのだろう。
「私はこの特待クラスを受け持つヴァレンス=アイヴォンという者だ。得意な魔術は闇の属性だが、お前達の授業は全て私が担当する事になる。何か疑問があれば、すぐに聞くが良い。お前達の力と実りになる事を約束しよう」
冷静で、冷たい印象を受ける声だが、敵意や見下したものは感じない。実力に裏打ちされた落ち着きと言ったところだろう。
実際に、その魔力はかなりのものだった。ガーディフには及ばないが、現時点ではアリエッタよりも上と言えるだろう。それはつまり、人間の社会では紛れもない最高クラス、こうして表の場に姿を表している者の中では両手の指に数えられるかもしれない。
私の見立てでは、ガーディフと同じくらいの年齢だろうか?
魔力というのは筋肉のように、使うほどにその量を増していくし、筋肉とは違って年齢に応じて劣化するという事はない。長く生きるというのはそれだけで有利なのが、魔術というものだ。
だからこそ、魔族というのはそれだけで有利に働く。魔族にも色々いるが、ヴァレンスという男は特に寿命が長い種族の出なのだろう。
しかし、それにしては随分と丸い性格の魔族も居たものだ。
私は人の心の機微には疎いが、それでもアリエッタと過ごしてなんとなく人の温かさというものは理解し始めている。
ものを教える立場に立った者としては、ヴァレンスの言葉には温かみを感じた。
「では、各々自己紹介をしていってもらおうか」
こうして、自己紹介など促すのもその良い証拠だ。私は人間社会で生きるための勉強はともかく、魔術を学ぶには良い師が一人いれば事足りると思っている。
生徒達のつながりを育もうとしているのは、この学園生活をより良く送ってもらいたいという思いがあるのだろう。
「一番。アリエッタ=ペルティア」
「はい」
と、色々と分析したがそれはどうでもいい。
自己紹介で一番を務めるのがアリエッタという事のほうが重要だ。
この子の心の強さは認めているが、既に奇異の視線で見られている中での自己紹介だ、緊張してもおかしくはないのだが──
「わたしは、アリエッタ=ペルティアと申します。趣味は魔術の修練、尊敬する人はわたしのお師匠さまです。どうか、仲良くしてくださいね」
好奇半分、畏敬が半分に僅かな嫉妬を交えた視線を受け止めて、毅然とそう言い放った。
……素晴らしい。緊張もしていないはずはないだろう、しかし淀みなく、物怖じせずに語る言葉の凛とした事。
この場にあってやや幼く見える顔立ちと、気高い心のギャップがなんとも可憐である。朗らかな笑みは清楚さを際立たせ、視線の棘を一瞬にして抜いてしまった。
どちらかと言えば敵意に寄った空気を味方に変えてしまったその簡潔な自己紹介は、見事という他なかった。
これで試験ではあれ程の実力を見せたのだ。男子はその可憐さにやられ、女子はもはや嫉妬する事さえ情けなく思うだろう──というのは、師匠としての贔屓目も入っているだろうか。
「うむ、ご苦労。では次の者」
どうやらヴァレンスとやらは見た目よりも温和な人物のようだ。
感想は簡素ながらも、柔和な微笑みがアリエッタを称えていた。
そうして、自己紹介は進んでいく。
特待クラスと言うだけあって、中々に粒ぞろいだ。決定的な挫折さえなければ、誰もが魔術師として大成するだろう。
中でも──
「シュリオ=レントハイムっス! 結構気のいいヤツを自称してるんで、遠慮なく声かけてください! 趣味は音楽聞いたりとか、演劇も好きだな。機会があれば一緒に行こうな!」
どこか軽薄そうな印象を受ける、少年『シュリオ=レントハイム』と──
「シャーロット=ソーニッジ。名前を聞けば心当たりのある方もいるでしょうけど、ソーニッジ家の次女ですわ。どうぞよろしくおねがいします」
ふわふわとした金髪と、つり上がった瞳が印象的な、これまた小柄な少女『シャーロット=ソーニッジ』。この二人は特待クラスの中でも群を抜いていた。
特にシャーロットという少女の方は、中々に高名であるようだ。辺りの学友達のざわめきを聞くところ、家名の『ソーニッジ』というのは相当に優秀と有名な貴族の名であるらしい。
実のところアリエッタ以外に子供に興味を持つ事はないと思っていたのだが、これは予想外の結果だった。
『シュリオ』と『シャーロット』。仮にこの二人をうまく鍛えれば、相当面白い事になったろう。
まあ、アリエッタを弟子に持つ以上はそれももしもの話を出ないが。
「それでは次……テオドール=フラム」
と。
思わぬ掘り出し物に心を躍らせていると、私の番が来たようだ。
仮初の名を呼ぶ教師の声に席を立つ。
すると──
「ん……? なあッ!? き、貴様何故ここに……!?」
私の姿を目に入れた教師が、凄まじい勢いで後ずさり、黒板に頭を強打した。
だがそれでもヴァレンスは私から一瞬も目を離さない。最大限の警戒で、何時でもここら一帯を焦土に出来る魔力を構えている。
……ふむ?
「(『三界戦争』の関係者か? ……いや、貴様の面はどことなく見覚えがあるな)」
「(……念話! 貴様やはり『テオ=イルヴラム』だな!? 『天魔』がこの学園に何の用だ!)」
念話で語りかけてみると、ヴァレンスとやらは私の真名を思い浮かべて見せた。
『天魔』という肩書は何時のものかと考えてみると、どうやらやはり三界戦争の頃の人物で間違いないらしい。
よくよく思い出してみれば、そうだ。こやつ、当時のガーディフと戦っていた気がするな。あの頃の私が記憶に留める程度だ、それなりの実力は持っていたはず。
しかしそうなると参ったな。三界戦争といえば私が最も確かに姿を晒していた出来事だ。余計な事を言われると、いちいち記憶を消したりという処理が面倒である。
記憶処理などもアリエッタに直接作用する魔術はなるべく使用しないという『縛り』にも抵触する事だし、できれば穏便に済ませたいところだ。
「(魔術を収めろ。私の名を知っているのならばその程度の術が私に効かない事は承知だろう)」
「(ちっ……!)」
もはや、ヴァレンスの顔は魔族としての地肌が出たかというほどに青く染まっていた。奴が青い肌を持つ魔族かどうかはどうでもいいが、念で会話する私達が視線を合わせたまま黙っている事に怪訝な目を向ける生徒が増え始めたのは無視できない。
「(手短に言う。余計な事は言うな。私は弟子の成長を自らの目で確かめるためにここへ来ただけだ。邪魔さえしなければ、大人しくしておいてやる)」
「(フカしやがって! テメェが三界戦争で何をしたか、忘れたとは言わせねえぞ!)」
「(戦争を終わらせただけだろう。善良な行いだと思うが)」
「(百年以上も続いた戦争を三日で終わらせるような奴が、善良なんて言葉でくくれるかッ! その理由を聞きゃ、『いい加減鬱陶しい』だぞ! 気まぐれでそんな事する奴が信じられるワケねえだろう!)」
思念で会話しているのに口調というのもおかしいが、ともあれそれが荒れてきた。
いや、こちらの方が『素』か。先程までの落ち着いた雰囲気は、教師としてのヴァレンスと言ったところだろう。が、まあそれもどうでもいい。
「(いいか、もう一度言うぞ。『余計な事は言うな』だ)」
「(……っ!)」
「(黙っていれば、学生の領分を超えた事はしないでおいてやる。どちらにせよお前はそれを信じる以上の事はできないのではないのか? ……アリエッタに危害が加わるなどしない場合に限り、私から動く事はない。だから黙って自己紹介をさせろ)」
より強く、今度は命じるようにそう伝える。
するとヴァレンスは、苦渋を飲み下す様な顔をした後、思い切り息を吐いた。
『緊張』していたようだ。
「先生、どうしたんですか?」
ついに疑問を抑えきれなくなった生徒の内一人が、問いかける。
ヴァレンスは私を一瞥した後、呼吸を整えてから、目を開いた。
「なにも、ない。テオドール=フラムが私の昔の知り合いに似ていたので、驚いただけだ」
その口調は、教師としてのヴァレンス=アイヴォンに戻っていた。
それでいい。魔族側として三界戦争に立っていたなら、私と事を構えるのは奴とて本意ではなかろう。
「でしたら、自己紹介を。私の名はテオドール=フラム。世間知らずではあるが、魔術の方にはそれなりには自信がある。好きなものは努力と創意工夫だ。よろしく」
心中で唾を吐くヴァレンスが見えたが、嘘は言っていない。
魔術には自信があるし、ここに至るまでには努力も創意工夫もあった。今ではアリエッタがするそれは何よりも好きだ。
ヴァレンスへ視線を送ると、顔面蒼白なまま座って良いとのお達しが出たので、言うとおりにする。
それから少しして、私が本当に動くつもりは無いとわかったのだろう。元の調子を取り戻したヴァレンスは、事務的にこれからの事を説明した。
この学園で習う事、利用できる学園内の施設、卒業までに取得できる資格等──それらは人の世で暮らすのならばなるほど、確かに役に立つのだろうというものばかりだ。
きっと、アリエッタがやりたい事を見つけた際に役立ってくれるだろう。この学校やヴァレンスに対しては、概ね満足と言えるが──
「……これで、一通り説明は終わりだ。今日はこれで解散とする──」
「(その前に、一つ聞きたい事がある)」
「(ええい、なんだ!)」
一つ、私には不満があった。
「(席替えはせんのか)」
「……」
それは、この席だ。
ここでは授業中、アリエッタを見る事が出来ない。
魔術師の目を飛ばせば話は別だが、いちいちそれをするのは面倒だったし、やはり肉眼で見てこそというものもある。
「……解散とするが、その前に席替えを行おうと思う」
「うおお! さっすが特待クラスの先生、分かってる!」
ヴァレンスの言葉に湧いたのは、先程のシュリオという少年だった。
少年らしい少年というか、この年頃の者達にとってはこういうのは楽しかろう。
言葉にはせずとも、教室内には張り詰めた空気に代わり明るい空気が満ち始めていた。
どうやら、これはヴァレンスの評判を上げるきっかけになったようだ。感謝してほしいくらいである。
「それでは、クジを作るので少し待っていろ……」
しかしヴァレンスは肩を下げる。
全く、ガーディフといい何故こいつらは私を悪者のように扱うのか。
だが奴と同じ調子ならば上手くやっていけそうだ。僅かではあるが、私もまた慣れぬ生活に憂慮していたので、こういう融通がきく存在はありがたい。
席替えによって私は無事授業中のアリエッタをよく見られる席を手に入れた。
なるほど、良いじゃないか学校生活。まだ見ぬ日々に、私は胸を躍らせた。




