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P6~P7 約3000文字 性格ってさあ、体の特徴の影響を超受けるじゃん? それって、ウケるぅ、じゃ、済まされなくね?の巻。

はい、早速行きます。


あ、その前に。


ごめんね、俺、前回で句点と読点を逆に書いちゃってた。「、」が読点、「。」が句点ね。


じゃあ、早速行っちゃうよ。


語り部が、自身の引っ込み思案の元となったとする身体的特徴について語っている。


そして、発見! あの文豪三島由紀夫が書いた金字塔、金閣寺において、なろうの小説の書き方エッセイでおなじみ、三点リーダーが使われていたのだっ!


って、いうほどテンションあがらなかったけど文末ではなくて文頭で使われていた。たぶん、語り部が、そこから先を言いよどむ、みたいな演出なのかなって思った。


あと、句点が使われたあとにも使われていた。今回もざっくり3000文字くらいだったんだけど二カ所も三点リーダーが使われていた。


俺はなろうエッセイで小説の書き方を勉強しているうちに、こういうの使って良いんだか悪いんだかわかんなくなっちゃってたんだよね。


まあ、なろうの読者を意識して、勝手に考えすぎて、書こうしてた物からだいぶズレたものしか書けなかった、っていう経験があるから、こういうのちょっと気になっちゃう。


内容で注目したのは語り部が自分の中と外が上手く繋がらないことを感じながら生きていたことと、その原因である吃り、それがいかにして人の内側と外側との間をふさいでしまうのかということを説明していた。


例として、吃りは扉の鍵と言い換えられていた。


あと、人称が、私ではなくて彼となる箇所があった。


「吃りが、最初の音を発するために焦りにあせっているあいだ、彼は内界の濃密な黐から身を引き離そうじたばたしている小鳥にも似ている」 ←引用


これって、語り部が自分を客観視できていることを読者に伝えているのかな? それとも吃りの人を一般化しているのか? 語り部のまわりに吃りの人がいたらそのことを書いてるはずだろうしね。


俺は、読者にある過去の時点、たとえば読者がじたばたもがいていた過去の自分を、思い出させて語り部に感情移入させるつもりなのかも、って思った。


時間的に離れれば過去の自分を客観視できる。だから、彼。


当たり前のことだけど金閣寺を読んでいるときの読者は読書をしている余裕があるわけだけど、思い返せばテンパってたこともあるでしょ? きっと。


そのときのことを読者に思い返してもらって、テンパリの根元への別のパターンの対処を見せてくれるのかな?っていう期待をさせたかったのかもね、・・・・・・なんて。


で、そこからこんな感じで続く。テンパってる間に、空気が変わっちゃって、ビミョーにタイミングのずれた現実を味わうことになってしまう。やっと自分の内側から外に届いた、って思ったのに、もたついてる間に外側が変わっちゃって腐った臭いがしやがる、的な表現をしている。


実際の文章には現実って言葉が多く使われている。文字通りリアルタイムのリアルとは関われない、なぜなら自分の中で「とりもち」っていうべたべたしてるものがあって、それに捕らえられてしたばたしているうちにみたいなものがあってじたばたしている間にビミョーにリアルが変わっちゃうから。その自分がもたついていることも含めた現実に。


バラエティ番組とかでもあるよね。芸人が体を張ったゲーム企画とかでさ、べたべたしてるものが敷き詰められたているところで相撲を取らされたりするっていうやつ。


笑いは時に残酷なのよね。


金閣寺に話を戻すけど、語り部の、こっちは必死なんだよ、でも、必死でなにかをやりとげたときにはもう遅いなんてあんまりじゃないかっ、おい、そこのお前、こんな俺を見て笑ってんじゃねえよっ! っていういらだちとかが反転して次の描写に続くのかな?


語り部は相反する二つの存在になることをよく空想していたのだ、と。一つはなにも言わないでも周りが自分の顔色を伺うような暴君。もう一つは諦めた見方ができる大芸術家。で、この結果、内側の世界は富んでいった、ということね。


現実世界で上手くやれないから空想の世界に逃げ込んでいたら空想の中はすごい豊かになっていった、ってことか。んで、そこからの。


「何か拭いがたい負け目を持った少年が、自分はひそかに選ばれた者だ、と考えるのは、当然ではあるまいか。」←引用


それから自分もまだ知らない使命が自分をどこかで待っている気がしてたという説明でこの部分は終わる。


俺も現実でうまくいかないのは俺が悪い、って考えちゃうことはあるし、空想に逃げ込んでいるうちに、あれ? 現実の方が本来あるべき現実とズレてるんじゃね?っていう感覚になることもある。


あと、自分には、今の仕事なんかじゃなくて、天職というものがきっとどこかにある、なんて空想、毎日してる。


冷静に考えると天職があるんじゃなくて、現在の仕事を天職と考えるかどうか、だけなんじゃねえの?と思うんだけどね。


まあ、なるほど。現在の現実に不満なら、ここではないどこか、に何かあるかも?って希望を持たないとやってらんねえーっていう感覚なのかな。俺的にも、とりあえずなんかのコンテンツで息継ぎしながら、なんとか生きながらえている、っていう感覚あるし。


語り部にとっては、それが、まだ見たことのない金閣寺の美しさ、だったのかもな。


・・・・・・こう思わさせれた時点で、俺は三島の手のひらの上なんだろうな。



追記

この文章を読み返してたら、シュレディンガーの猫を連想した。なんか、箱の中身はなんでしょか? じゃなくって、箱の中に猫を入れたら、箱の中を覗いて初めて、その猫は生きてるか死んでるかが決まる、みたいな訳わかんない奴。


他人から存在を知られることのない自分の中身というのは、他人に知られない限り何者でもない、みたいな捉え方をしてみたら似てるかも、なんてね。


今日はここまで。


そんじゃ、またね。

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