僕は村人で英雄の主だった(らしい、いや信じられんけど)
僕には記憶がない。
目覚めた時、たまたま下流に流される体が蔦に絡まっていた。
どうやら自分が川に流されていて、そして何も覚えていないということに思い至った。
頭の鈍い痛みと全身の擦り傷をおしてなんとか川を抜け出して行くあてもない道をゆく。
身なりはいい。そして覚えてはいないが直感としてはまるで軍隊に属しているかのような服を纏っている。
自分の正体を明らかにするかもしれない証拠だったが、体温低下を防ぐために脱ぎ捨て最低限の衣服を纏い、また人を探して歩き出した。
足を引きずりながら歩き続けていると一軒だけポツンと木で作られた家が建っているのを見つけた。
僕は扉まで早足で近寄って助けを請うた。
それからのことはまるで夢のような日々だった。
そこの家に住んでいた家族は自分を暖かく招き入れてくれ、僕に居場所をくれた。
4年ほどそこで仕事を手伝いながら過ごしていたある日、僕は過去に捕まってしまった。
「ねぇお兄ちゃん!今日は遊べるでしょ!?」
お世話になっている家には小さい娘さんがいた、名前はライ二。
4年も経った今ではだいぶ打ち解けて懐かれてきている。
この体は手先も器用で力もあり大抵のことは難なくこなせるので全力で遊びに付き合う事で信頼を獲得していったのだ。
「今日はおじさんに付き合って、森に出て食事を確保しに行かないといけないんだ。ごめんねライニ」
「パパ一人で大丈夫だよ!パパは一人でも大丈夫だけど私は一人じゃ大丈夫じゃないもん!」
「そんなこと言わないで、ライニ。こんど近くの村にお客さんがたくさん来ることになって、食料を出さなくてはならないんだよ。聴いてただろ?」
戦争が終わって1年になる。
この家はラインネリア王国領に属すことになる、そして隣国のザルバ王国との国境近くの村の更に外れにあるらしい。
どちらの都からも遠いこの村ではどちらに勝ってほしいなども特になく、戦時法があるとはいえ、戦火に巻き込まれることが無いように震えていることしかできなかった。
戦争が終わり、新たな領地としてラインネリアが貴族を寄越してくるにあたり、村を視察するということで軍隊が動くことになる。
自分の食い物くらい自分たちで用意してくれよ…というのが本音なのだがそうも言っていられず、村人全員で負担することになっているのだ。
「ダアル、そろそろいくぞ」
名前が無いのも呼ぶ時に不便だ、と呼び名をつけてくれていた。ダアルという名は少し気に入っている。
おじさんが言ってきたため、ヘソを曲げているライニの頭を撫でながら言う。
「ごめんな、落ち着いたら存分に付き合うからさ、機嫌をなおしておくれよ」
「…ほんとに?」
「あぁほんとだ!」
なら、といった様子でなんとかご機嫌を取り家を出た。
軽々しく約束なんてするものじゃないと僕は今ならば思う。
時は流れ、村に軍人がやってきた。
その部隊は救国の英雄達として有名であるらしい。
中でも部隊長であるゼシカ・ウィル・ラインネリアはその活躍で王族の末席にすら至ったという話を事前に聞いていた。
実際にやって来たゼシカ何某を見て驚いた。
異常に美しいというのもあるが、なにせまだ少女といってもいい年頃の女性であったからだ。
直接応対するのは村長ぐらいのもので自分たち下々の村人は軍人さん達用の料理を作っていた。
やっと落ち着けたと思ったらもう夜になっていて、ライニと遊べるのはいつになるんだろう?とダアルは溜息をこぼしていた。
「こんなところで何をしてるんですか?」
あの家へ帰る途中でかの英雄に出会った。
暗闇からすっと現れて不意を突かれてしまった、何故気配を消していたのだろうか?
月明かりが照らす横顔は美しい。
彼女をみるとなぜか側頭部が痛むような鈍痛を訴えてくるためなるべく関わらないよう気をつけてはいたのだが…
なんだかこうして見られていると捕食される寸前のカエルみたいな気分になってくる。
なんだか凄く見られている…?
「いえ、僕は家に帰ろうとしていて…」
そうですか、と彼女はひとつ頷くとダアルに付いてくるようにと命じた。
「少し昔話をしてもいいですか?」
彼女はまるで逃がさない、とでもいうようにダアルの手を握って村に引き返しながら語り始めた。
「私は8年前に戦争で家族を失ってある人に拾われたの。
家族を失って泣いて泣いて、そんな私をあの人は辛抱強く励ましてくれて。あの人も軍人できっと罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。それでも私は救われたの。
そして私もあの人を失わないように守るため、早く戦争を終わらせるために軍人になりました」
「ちょ、どこ行くの?なんでそんな話を僕に?」
まるで聞こえていないようにゼシカは続ける。
「あの人は戦いの中消息が分からなくなってしまって、でも遺体も見つからなくて私はずっと諦めずにせめて遺体だけでもと思い探していました。
この村の視察に私自ら来たのもそのためだったんです」
なんかだんだん口調変わってない?
部隊長用に用意された家の前まで連れてこられてしまった。
そして逃げる間もなく家の中まで連れていかれ誰の目も無くなったところで、
「…ずっと探していました、我が主。もう私を置いて行くことだけは無きよう…!」
ゼシカは大粒の涙を流しながら扉を背にして僕に跪いていた。
こいつさりげなく退路を塞いでやがる!
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それからあれよあれよとあらゆる手続きが行われ、僕の身柄は貴族としてのゼシカが預かるものとして引き渡されてしまった。
英雄様の強引な手段に抵抗できなかったが僕はいつかあの村に帰らなければ、まだライニとの約束が果たせていないのだ。
その為にもまずは自立してお金を稼がなくては!
彼はふかふかのベッドの中で目をカッと開きながらそう決意した。
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ダアルは、記憶を失う前はカラドという名であった、しかし衣食住には全く困っていない。
というのもそれは自称僕の部下のお陰である。
その部下の名前はゼシカ・ウィル・ラインネリア。
1年と半年程前に終わった戦争での英雄的な活躍から王家の末席にも加えられた傑物だ。
しかしそんなゼシカには慕っている主がいたらしく、それが僕だったらしい!知らん!覚えてない!
辺境の村で記憶が無い僕を拾ってくれた方々と暮らしていた僕を見つけるやいなや、すごいスピードで都まで連れて来てしまった。
ゼシカの屋敷でお世話になっている僕はもはや生活の全てを彼女に依存しているわけで…
申し訳ない気持ちと自立したいという気持ちで城下町の酒屋で働こうと思って話を切り出す。
「ゼシカさん、少し話が」
「私のことはゼシカと呼び捨てるように何度もお願いしたはずですが?」
怖っ
「ゼシカ、話したいことがあるんだ」
「どうしました?カラド様」
背筋を伸ばし慇懃無礼な態度で僕を見る。
話がそれるが、彼女が軍で部隊を指導しているところを、僕はここに来たばかりの頃に見たことがある。
悪魔だった。
可憐であどけない容姿からは想像もできないほど、苛烈に部下をしごいていた。
僕は吐いた。見てるだけなのに吐いた。
そんな僕の様子に気づいたゼシカさんが青い顔をして駆け寄って来て甲斐甲斐しく介抱しているのを見て、部下の方々はなにか信じられない気持ち悪いものを見るような目をしていた。
僕からしたらあんなゼシカさんが信じられなかった、絶対に粗相があってはいけない、殺される…!
「お世話になりっぱなしというのもあれだし、働いて自立していこうと思うんだ。ちょうど今城下町の酒屋の一つで人を募集していてね、」
カラド様、と一言言い僕の言葉を遮るゼシカ。
「主のために私がいるのです、お世話するのは当然です。もしそれで外に出てカラド様の身に何かあったら…、また私にあのような悲しみを与えるおつもりですか?」
「うん、気持ちはありがたいんだけどね…」
「もし何かあったら私は関係者を殺してしまうかもしれません、だから、ダメです。ここにいてください、私を置いていかないでください」
「え、冗談だよね?ハハッナイスジョーク!」
ジョーク?とばかりに首を捻っている彼女の様子を見て冷や汗を垂らす。
「やっぱりいい大人が他人のお金で生活するなんてダメだよ、僕も働かないと」
今度は正論で攻めてみる。
「私たちは他人じゃないです」
キッと目力を強くしてきた。
え?殺されるのかな?
「うん、他人じゃないよね(主人と捕虜だよね)、でも年下の女の子が働いて得たお金で養われていることにひどく違和感があるんだよ」
「いえ、敬愛するカラド様が毎日健やかに過ごしている姿を見るだけで私はすごく元気になります。その為なら全財産が惜しくありませんのでお気になさらず」
もうだめだ、この娘はやくなんとかしないと。
僕はこんな時の必勝法を見つけていた
「なぁ頼むよゼシカ、僕も君と同じで君のためにも働きたいんだ」
僕はゆっくりと(突然動くと刺されるかもしれないからね!)ゼシカさんに近づき頭を撫でながら目を合わせる。
そうするとこちらを見つめたままゼシカさんが震え始めた。
ずるいです、と呟き
「分かりました、しかしどこで働くかは私にも決めさせてください」
その後働く時間の制限や絶対に晩御飯の時間はゼシカ邸でとることを条件に合意に至った。
僕はいつかあの村に戻ってみせる!待っててねライニ!