補填
「ふぅ、ここまで逃げればもう安心だね。お疲れウェル君」
謎の男はそう言うと、オットーフォンを背負って走り続けたウェルゴーナスをいたわった。しかしウェルゴーナスは、怪訝な顔をする。
「……この男を連れてくる必要はあったのか? 俺にはもう、この男は何も出来ない抜け殻のように思えるが……」
ウェルゴーナスはそう言うと、文字通り“抜け殻となった”オットーフォンを乱暴に投げ捨てた。
「商会長!」
倒れたオットーフォンにゲイナスが駆け寄り、抱きかかえる。
しかし抱きかかえられたオットーフォンの目には、かつてあったような覇気は一切宿って居なかった。
「全てを失い、屈辱的な敗北を味わった。もはやこの男には、何かを成せるような自信も、気概もない。こんな男に何を期待しているんだ?」
「そりゃ当然、期待はしていないよ。この状態の彼にはね。でも洗脳して、以前の彼に戻ってもらえればワンチャン……」
「……っ、お前ら……!」
自分勝手なことばかり言う二人を、ゲイナスは睨み付けた。
「お前ら……それ以上商会長のことを……」
「おぉ、怖い怖い。怖いなあ、もう。そんな怖い顔しないでさ、もっとスマイルスマイル!」
「……」
「あはは、全くスマイルしないねえ。まあいいや。それはともかくとして、とりあえずさっさと行こうか。休憩もすんだことだし、長居は無用だ」
謎の男はそう言うと、ウェルゴーナスにオットーフォンを再び担ぐよう合図した。
しかしゲイナスが、それを阻んだ。
「それよりもまず、先に答えろ。お前達……なぜ俺達を助けた?」
ゲイナスは敵意むき出しで尋ねる。
ウェルゴーナスの言うとおり、たしかにこの状態のオットーフォンと自分を助けたとしても、大きなメリットがあるとは思えない。
にもかかわらず、この男は自分たちを助けた。そこに自分の知らない、何らかの理由がある事は明白だ。
そして、その理由が自分にとって都合が良いものとは限らない。もしかしたら、命を脅かされるかも知れない。
『なぜ助けたのか?』それを知る必要があった。
「なぜ助けたか? 困っている人が居るのに、それを助けない理由ってある?」
ヘラヘラと笑って、男は言った。
「困っている人は助ける。常識だろ? 商会を失い騎士団に追われている、そんな困っている君たちを助けるのに、一体どんな理由が必要だというのでしょうか?」
「……冗談はよせ」
「……あっそ。じゃあ本当のことを言おっかなあ。俺達が助けたのは簡単で、君らに助けて欲しいからだよ」
「俺達に……助け?」
「そ。と言うのもさ、俺達って今合衆国を支配してるんだけど、それがまあ蝗害やらなんやらで経済が壊滅状態なわけ。ハッキリ言って、帝国と今戦争したら瞬殺されるレベルで。でも、それだと困るんだよ。もし合衆国が帝国に全く傷をつけられなかったら、その後の展開、つまり帝国と協商での戦争に発展しないからさ。だからそれを避けるために俺達は、経済を立て直すプロが欲しいんだよ」
「それを……俺達に?」
「まあ“君たち”と言うよりは、そこの廃人にだけどね」
「……」
「で? どうする? 事情を知ったうえで、それでもついてきてくれる?」
ゲイナスはしばし思考する。
この男が言う『経済再建のためにオットーフォンが必要』というのは、果たして本当なのか? それはわからない。
わからないが、一応理由としては筋が通る(そう見せかけるための”口からでまかせ”の可能性もあるが)
ただ、仮に嘘だったとしても、しかしゲイナスとオットーフォンには彼らに付いていく以外の選択肢がないのもまた、事実だった。
なにせもしこのまま帝国に居続ければ、いずれは必ず帝国騎士団に捕まり、死刑になるだろうから。
目の前の男のことは、決して信用できない。しかし信用できないからと言って、彼に付いていかない選択肢もない。
そんなどうしようもないジレンマの中に、ゲイナス達はいた。
しばらく思考した後、ゲイナスは覚悟を決めたように答えた。
「……ああ、付いていく。他に選択肢はないからな」
「そっか! それは良かった! それじゃあ、協力を祝して握手でも……」
――――ピッ…ピッ…ピッ…ピ…
「……? なあにこの音?」
「!」
「!?」
その場に居た四人の内、二人が知っていた。この音の正体を。この得体の知れない、機械音が何を示す物であるのかということを。
――――がっ!
ウェルゴーナスは謎の男の体を掴むと、そのまま走り出した。そしてすぐに、オットーフォンらから距離を取る。
一方のゲイナスは、音を頼りに“ソレ”を探した。
そして、すぐに見つけた。オットーフォンのポケットの中に入った、小さなそれに。
しかし、間に合わなかった。
――――ドンッ!
小さな、しかし人を殺すには十分すぎる爆発が起こった。
それは以前、エヴォルダ教の開祖ダーラーンが生み出した”超強力爆弾”を、フォートが実戦でも使いやすいように、軽量化低威力化した”小型爆弾”だった。
フォートは予測していたのだ。もしかしたら、オットーフォン達に逃げられるかも知れないと。だから、もし逃げられたときのために、このような保険をかけていた。
しかし悲しいことに、ここまで見通していたフォートでさえ、まさかこの日、彼にとって最も大切な者の一人だったミカエルを失うということまでは、予測することは出来なかったのだ。
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ダリア商会での騒動から数日後。
ミカエル商会の新会長となったドラガの手腕によって、なんとか経済の混乱だけは避けられていた。
事前に予定したとおり、ミカエル商会によってダリア商会は吸収され、その損失も補填された。
サブクレジットローンによって起きた、そして起きようとしていた巨大な混乱は避けられたのだ。
そして、ミカエル商会はダリア商会を吸収したことによって、かつて世界のどこにも存在し得なかったような、巨大な商会へと変貌していた。
商会だけで一国と同じレベルの影響力を持つ、超大な商会になったのだ。
そんな、一見順風満帆に見えるミカエル商会だったが、しかし現実は甘くはなかった。
ミカエル商会をここまで成長させた男、ミカエル・ビスマークの死。それはミカエル商会の成長を帳消しにしてなお余りあるほどの、計り知れない損失だった。
そして誰よりもその事実に苦しんでいたのは、他でもないフォートだった。
自分の目の前で、自分をかばって死んだ。
その事実は彼にとって、耐えがたい苦しみだった。
自分が勝手に計画し、そして実行したダリア商会壊滅計画。その無謀な作戦のために、会長という恩人を失ったのだ。
許せなかった。自分という人間が、どうしようもないマヌケのように思えてならなかった。
今思えば、きっと自分は調子に乗っていたのだろう。
この世界にやって来てから、自分が思ったとおりに事が運び、全てが上手くいった。いや、“上手くいってしまった”。
この世界での成功は全て、自分のしてきた努力のたまものだと、思い込んでいたのだ。そして自分ならば何でも出来るという、そんな勘違いをしてしまったのだ。
自分は……相談するべきだったのだ。どうすればいいのかを。レイを救うために何か出来ることはないか、誰か……いや会長に相談すべきだった。
そうすればもしかしたら……あの人を失わずにすんだかも知れないのに。
しかし彼は、そうしなかった。自分なら出来るという何の根拠もない自信によって、勝手に行動してしまったのだ。
もはや嘲笑すら出来ない。レイを救ったはいいが、会長という、レイと同じくらいに大切だった人を……失ったのだから。
――――コンコン……
「……」
部屋に閉じこもっていた彼は、扉を叩く音に反応しなかった。
毛布に包まれ、ただ呆然としていた。
「フォート君、いるか?」
扉の向こうから聞こえた声は、どうやらゼータのようだった。
会長が死んだ後、商会内では一時『ゼータとドラガ、どちらが会長になるべきか?』というイザコザが起きた。
しかしゼータが『会長なんて面倒くさいこと、誰がするか』と公言したために、商会は分裂することもなく、スムーズにドラガが会長となったのだった。
今思えば、ゼータが日頃から『会長になるつもりはない』と言っていたのは、こういう事態になったときに分裂を避けるためであったのかも知れない。
しかし恐らく、彼が本当に『面倒だから』と思っていたのも事実だろう。
だが何故、ゼータがこんな所に来たのだろう? ゼータは今――いくら会長にならなかったとは言え――会長の死によって引き起こされた問題の対処に追われていたはずだ。
にもかかわらず、そんな忙しい中何故にこんな所に来たのだろう?
「ターラに聞いたよ。もうずっと、閉じこもっているらしいな?」
「……」
「まあ仕方ないさ。君にとっては……それほどのことなんだからな」
「……何の用ですか?」
フォートは、泣き続けた所為で枯れてしまった声で、そう聞いた。
「……どんな様子だろうって思ってな。様子を見に来た」
「……ご覧の通りですよ。泣いて…泣いて…泣き続けて…もう涙も涸れました」
「……」
「ようやくわかりましたよ。僕は全然、特別じゃなかった。大切な人も守れない……そんなどうしようもないヤツだった」
「……そうか」
「会長はきっと……後悔してるでしょうね。命をかけて助けた僕が……こんなどうしようもない…部屋に閉じこもって何もしない……そんな役立たずだったんだから。きっとあの人は……」
フォートの自嘲を、ゼータは遮った。
「……それは違うぞ、フォート君。あの人はきっと、そんなくだらない後悔などしていないさ。君が生き残ったことに、きっと満足しているだろう」
「……どうでしょうかね」
「……まあいい。君がそう思っているのなら……何も言わない。ただ、今日俺は……君に伝えに来たのさ」
「……伝えに? 何を?」
「君が知るべき、そして知らされるべき事をだよ。会長について俺が知っている全てを。君が知るべきあの人の過去をだ」




