裏切りの余波
「なあ、聞いたかよ? なんかフォートさん、ウチをやめてダリアに行っちまったらしいぜ?」
「ええ!? あの人やめたのか!?」
休憩室にいた2人のうち、コーヒーを片手に持っていた男は、驚きの余りそのコーヒーをこぼしそうになった。しかし「おっと……」と、何とかそれは防いだ。
「危ない危ない……いやいや、それよりも。その話ほんとかよ? あの人、今までこんなに貢献してきたんだぞ。大体、やめたってんなら、なんでやめちゃったんだよ?」
「なんか会長と一悶着あったらしいぞ。詳しくは知らないけどな」
「しっかしフォートさんが……やっぱり信じらんないな。そんな人には見えなかったんだけど」
「人は見た目じゃわからないってことさ。なんせあの人、ただミカエル商会をやめるだけじゃ飽きたらず、紙幣の設計図まで盗んで行っちゃったんだからな」
「なっ!? 大丈夫なのか!?」
「大丈夫なもんか。今は金融部門のやつら、休み無しで対応してるよ。まあそのかいあって、なんとか偽札への対応は出来たみたいだ」
「そうか……しかし、あの人が敵になるんなら、これから大変だな」
「全くだ。味方だったら心強い限りだが、敵になったら怖くてたまらない。はあ、こうなったら俺もダリアに転職しちまうかな?」
「バカ言え、お前なんか雇ってもらえるもんか」
「はは、確かにな。さてと、それじゃ転職も無理そうだし、今の仕事を頑張るとしますか」
二人はそんなやりとりを終えると、そのまま休憩室を後にした。
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「……と言うように、今月の売り上げは前月比-2%となっています。これはダリア商会の売り上げが大幅に増えたために、ミカエル商会の売り上げが減ったためだと考えられます」
耳が痛くなるような月末報告に、定例会議はシーンとしていた。
会長は「報告ご苦労」とナーベをねぎらうと、そのまま“はあ”とため息を漏らした。
「……さて諸君。気乗りはしないだろうが話し合うとしよう。なぜこのようなことになっているのか……ふっ、話し合うまでもないか」
会長はまるで自嘲するようにそう言った。会議室にいた誰も、その言葉を否定しようとはしなかった。
「フォート君……彼がいなくなった所為……いえ、彼が敵となってしまった所為ですね」
重苦しい雰囲気の中、ミザリナはそう言った。その言葉を聞き、全員が頷く。
「……悔しいがその通りだ。フォートがダリア商会へと心変わりしてしまったために、今のような状況になってしまった。敵になってようやく、アイツが我々にとってどれほどの存在だったかわかるとは、何とも皮肉だな」
会長の言葉を、やはり誰も否定しない。それはきっと、全員がそれを事実だと感じているからだろう。
「……そういえばターラちゃん、仕事の方に問題は無い?」
重苦しい静寂に耐えかねたのか、空気を変えるべくミザリナは隣のターラに尋ねた。
ターラが、幹部以上しか出席できないこの定例会議にいるのは、フォートがいなくなってしまったため、その後釜としてターラが魔法道具部門、そしてやめる直前までフォートが担当していた金融部門の総責任者となったからだ。
「はい……問題ありません。フォート様は……彼は私にやめることを告げに来るときに、仕事の引き継ぎを全部済ませてくださいましたから」
「裏切るとはいっても、さすがにそれくらいの“情け”はかけてくれたってわけか。ヤツの騎士道精神に感謝だな」
ゼータは嘲るように言った。その言葉を聞くと、ターラはうつむいた。
「……でも、意外だったよ。ターラちゃんがミカエル商会に残ってくれるなんて。俺はてっきり、ターラちゃんも行っちゃうと思っていたから」
「……はい、ドラガさんの言うとおり、私も始めはそのつもりでした。でも、やめました」
「……なんでだい?」
「フォート様は……今の彼は……私が好きだったフォート様じゃ……無かったから」
「……そっか」
「さあ、こんな話をしていても仕方ない。とりあえず、現状確認と行こう」
暗い雰囲気を吹き飛ばすように、会長はそう言った。
「とりあえずナーベ、いまわかっている情報をみんなに教えてくれ」
「はい会長」
ナーベはそう言うと、手に持った資料を全員に配り始めた。
「……今のところわかっている限りでは、ダリア商会は我々に倣って紙幣を発行し始めました。そして、私達よりも遙かに多くの特典を、紙幣につけています。そのために、これまでミカエル商会の紙幣を使っていた多くの人が、ダリア商会に流れる結果となりました」
「……なるほど。それは看過しがたい事だな……聞きたいのだが、我々もダリア商会と同じくらいの特典を紙幣につけることは可能か? そうすれば、利用者を取り戻すことは出来るだろう?」
「……残念ながらそれは不可能です。ダリア商会は我々よりも安く商品を仕入れるルートを持っているため、もし競争になってしまえば我々の敗北は目に見えています。勝ち目はありません」
「……そうか」
「では、次に移ります。皆さんもご存じとは思いますが、ダリア商会も紙幣を使って融資の大規模化を行い始めました。これについては、ダリア商会が行っている融資の方法は我々が取っている方法と殆ど同じ為、恐らく競合状態になると思われます。ただ一つだけ、ダリア商会が独自に行っていることがあります」
「独自に行っていること?」
「はい。私達は現在、工場や商人と言った、いわゆる“仕事関連”の業者にのみ、融資をしています。しかしダリア商会は一般人、つまり“生活に関連”した物事に関しても融資を行っています」
「……どういうことだ?」
「例えばこれは一例ですが、都市に出てきた労働者や、ギルドに加入したばかりの新人冒険者。彼らは仕事を始めるに伴って、準備金が必要となります。労働者なら、都市で暮らすための家、冒険者なら、武器や防具を準備するために。ダリア商会はそういった人達に、仕事を始めるための“準備金”や“生活費”として、融資を行っているんです」
ナーベの言葉に、会長は僅かに驚きの表情を見せた。
「……それは本当か?」
「はい、少なくとも情報では」
「……」
会長は腕を組んで唸った。その様子を見て、周りの者達は不思議そうにする。
全員を代表して、ドラガが尋ねた。
「どうかなされましたか会長?」
「……お前はどう思う、ドラガ?」
「……何のことです?」
「ダリア商会のやり方に対してだ。お前は一般人に融資をして、それを回収できると思うか?」
会長の問いに、ドラガは訳もわからず首をかしげた。
「……質問の意味がよくわからないのですが」
「……いや、悪い。忘れてくれ」
会長は疑念を振り払うようにそう言った。その様子を見ていたドラガ達周りの人間は、不思議そうにしていたが、しかしターラだけが、会長の考えと疑念を理解していた。




