始まりと覚悟
――――ギィィィ……
「!」
閉じられていた扉が僅かに開き、中からリンナが姿を現した。
「あの……」
――――ガッ!
リンナが何か言おうとした瞬間、ターラは扉の僅かな隙間から腕を突っ込み、彼女の服を掴んだ。そして、すぐさま引っ張り出してしまった。
「やっと出てきましたねこのトンチンカン! もう逃がしませんよ!」
「ちょちょ! ターラちゃんやめなよ!」
乱暴にリンナを引っ張り出したターラを、フォートは慌てて制止する。しかし、ターラは掴んだ手を放そうとしない。
「ダメですよ! また閉じこもられたらどうするんですか!?」
「いや、だからもう良いんだって。無理矢理させたいわけじゃないんだから……」
フォートはため息交じりにそう言った。しかしリンナは、彼らが予想もしていなかったことを言った。
「……大丈夫です。もう……覚悟を決めましたから」
ターラに服を掴まれたリンナが、静かにそう言ったのだ。二人は驚いて、先ほどまで部屋の中で籠城していた少女のことを見る。
「覚悟を決めたって……それは、今から舞台に立つって事?」
フォートの問いに、リンナは頷いた。
「すみませんでした……私が…間違ってました。こんなこと……やっぱりダメでした」
「……」
「……やります。私……演奏します」
「……いいよ、やらなくて」
フォートの答えに、リンナはさして驚きを見せない。そう言われるのを予想していたかのようにも見えた。
「……言ってるだろ? 無理をしてまで、しなくて良い。いや、僕は寧ろ君にそんな無理をさせたくない」
「……はい」
「嫌ならやめていい。無理にしなくて良いんだ。それでも君は……やるつもり?」
「……はい、やらせてください。いえ、やりたいんです。私は……私に……期待に応えるチャンスをください」
「……何度でも言うよ? しなくていい。無理をするな。期待になんか、応えなくていい」
「私は……フォートさんの期待に応えたいんです」
「……」
「フォートさんの……私を、何も出来ない私を、それでも大切だと言ってくれたあなたに……あなたのために……私は」
「……そっか」
「開演まであと5分です! 急いでください!」
廊下にいた三人の所に、慌てた様子の男がやって来た。風貌から見るに、恐らくコンサートの裏方だろう。
フォートは再びリンナの目を見る。そして、諦めたようにため息を吐いた。
「……わかりました。ちょうど今、準備が出来たところです。……それでいいんだよね?」
フォートにそう聞かれ、リンナは静かに頷いた。
「……じゃあ行きなよ。ま、いろいろ言いたいことはあるけど、それは全部終わった後だ。とりあえず、今は“頑張って”としか言えない」
「……はい」
「……じゃ、頑張って」
「……はい」
そんなやりとりを終えると、リンナは舞台へと走って行った。
その背中を見送ると、残された二人もまた、自分たちの居場所へと戻っていった。
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「それでは司会者の紹介が終わって、彼が舞台裏に戻ったら、でてください。よろしくお願いします」
「はい」
裏方の男からの最終確認に、リンナは頷いた。
心臓が破裂するほどに鼓動している。気分はとても悪い。出来ることなら、もうやめてしまいたい。
でも、それでも……
「……それでは、皆様お待ちかねのお時間です。ご紹介しましょう、クィーアント・リンナ! よろしくお願いします!」
司会者はそう言って、裏に姿を消した。それと同時、リンナの側にいた裏方の男が「行け行け!」と合図した。
「……ふぅ」
リンナは最期に深呼吸を一つすると、ゆっくりと歩き出した。
彼女が姿を現すと同時、会場全体から拍手が巻き起こる。しかし彼女が舞台の中心に立つと、会場は一瞬で静寂に包まれた。
「……!」
一万の観客の視線を向けられていながら、しかしリンナはすぐに、その視線に気がついた。特等席に座る、フォートの視線を。
彼はリンナが自分を見ていることに気がつくと、笑顔で手を振ってきた。その様子を見て、リンナの緊張は一気に解けた。
(……あぁ、もう……どうでもいいや)
リンナはそんなことを考える。
観客からの期待? 誰かを感動させる使命? そんなの知ったことか。
他のことはもう、どうでもいい。自分にとって大事なこと。自分が何としても応えないといけないこと。それがなんなのか、わかったのだから。
例え、観客を満足させることができなくても、感動させることが出来なくても、どうでもいい。あの人をまた、感動させることさえ出来るのなら、それだけでいい。彼を幸せに出来るのなら、他のことはもう知ったことじゃない。
自分はこれから、彼のためだけに演奏しよう。彼の為だけに、生きていこう。
その瞬間、自分に向けられていたたくさんの視線は、たった一つを除いて消え去った。
彼女にとってはもう、この広い会場は自分と彼だけの、二人っきりの空間となっていた。
(……聞いて。きっと私……あなたを……)
リンナは笛に口を近づけた。
この日、のちに伝説となる一人の少女が鮮烈にデビューを飾った。しかし彼女以外の誰も、全ての観客を感動させたこのコンサートが、たった一人の人物のために行われたことを知るよしもなかった。
これでアイドル編も終わりです。次からは紙幣製造編に入ります。
実はここだけの話、すでに紙幣製造編はほとんど書き終わっているので、かなりストックがあります。
なので今度からは、度々2話投稿をしていこうかと思っています(先に言うと、紙幣製造編が予想以上に長くなりました)
これからも楽しんで読んで頂けたら幸いです。




