過去と今
「残念じゃよ。お主が裏切っていたとはな」
ダーラーンは、足下に転がる自らの弟子を失望のまなざしで見下ろす。
ダーラーンの側には、一人の銀髪の女性が控えていた。彼女もまた、シャルーナを冷めた視線で見下ろしていた。
「主よ。だから私は申したのです。このような者を信じるべきではないと。このような・・・」
――――ドガッ!
「・・・このような下賤な者など!」
ダーラーンを信奉する女性は、足下のシャルーナを蹴飛ばした。シャルーナは無力に『ゴロゴロ』と床を転がる。そして、壁にぶつかって止まった。
女はその様子を満足そうに見ると、拳を握った。
「主を裏切るなど万死に値する行為。主よ、どうか私がこの下賤な女を殺すことをお許しください」
女の拳から『ゴオオオオオ・・・』と言う音と共に、激しく炎が燃え上がった。女はその燃える拳で、シャルーナを殴ろうと近づく。しかし、ダーラーンはそれを止めた。
「よせリャンフィーネ。裏切ったとは言え、シャルーナはわしの弟子。殺すのは忍びない」
ダーラーンのそんな言葉に、倒れていたシャルーナは耳を疑った。しかしそれは、師匠が慈悲深くも自分を許してくれたからではなかった。
(・・・っ、リャンフィーネ!? まさか、伝説の『煉拳』!?)
『煉拳』とは、数年前に存在したある白金等級冒険者が持っていた二つ名だ。当時、帝国最強と呼ばれていた冒険者パーティー『白銀の大鷲』の一員で、そして、その最後の生き残りでもある。
シャルーナが聞いたところでは、ある仕事で人々を守るために『煉拳』以外の全員が死んだらしい。そして生き残った『煉拳』も、それを機に冒険者をやめたという話だ。
(そんな彼女が・・・何故こんな所に?)
しかし、そんなシャルーナの疑問に誰も答えてくれるはずもなく、ダーラーンとリャンフィーネは倒れたシャルーナを放ったまま、問答を繰り返していた。
「しかし、それでは信者達に示しがつきません。主の偉大さを示すためにも、この者は殺すべきです」
「そこまでする必要も無かろう? 地下牢にでも閉じ込めておけば良い。それに許しを与えることもまた、神たる者の勤めだ」
ダーラーンの慈悲深い考えに、リャンフィーネは「ああ、さすがは我らの神・・・」と恍惚の表情を浮かべた。
「主のお考え、よくわかりました。それならば私も、この下賤な女を許すことに致しましょう・・・」
「うむ。そうしてくれ」
そんな安っぽい演劇を繰り広げる二人の傍らに倒れたシャルーナは、歯ぎしりをして悔しさをにじませる。
(なにが・・・許しよ! 悪いのはあんた達の方でしょーが!)
シャルーナはそんな怒りをバネに、傷ついた体を起き上がらせた。そして、
「ライトニン・・・」
「麻痺電撃」
――――バチチッ!
「・・・っ、あああああ!」
シャルーナが『ライトニング』の魔法を発動するより前に、ダーラーンの『麻痺電撃』がシャルーナの体を襲った。
『麻痺電撃』は電撃の威力こそ小さいが容易に発動でき、敵を一時的に行動不能にすることが出来る。
「わしの下で修行をしていたときに教えていただろう? 『ライトニング』は発動までに時間がかかりすぎるから、『麻痺電撃』で敵を動けなくしてから使えとな」
ダーラーンは、再び地面に倒れ込んだシャルーナに告げた。シャルーナの体は、『ピクピク』と痙攣している。
しかし、それでもシャルーナは力を振り絞って、声をひねり出した。
「な・・・ぜ・・・こんなこと・・・を!?」
シャルーナが知る限り、ダーラーンは『目的のためならば手段を選ばない』という危険な考えは持っていた。このようなテロまがいのことを起こそうとするのは、おかしな話だが『師匠ならばやりかねない』と理解できた。
しかし『自分が神になろう』などという狂った考えを持つような人間ではなかったはずだ。そんな、頭がどうかしてしまった考えを抱くほど、バカではなかったはずだ。
にもかかわらず彼は今、自分を恥ずかしげも無く『神』と呼び、最強の兵器を使って世界を征服しようとしている。
そのことがどうしても、シャルーナには信じられなかった。
「なに・・・が・・・あったん・・・ですか!?」
シャルーナの問いに、ダーラーンは僅かに笑みを浮かべる。
「なにも特別なことはない。ただ『知った』だけじゃよ」
「知った・・・だけ・・・?」
「自分が神となるべき存在であることを、ある男から教えてもらった。ただそれだけじゃ」
ダーラーンの答えに、シャルーナの疑問はさらに深まる。
「ある男・・・?」
「そう、わしはその者の名前も、正体も知らん。だが、それでもこれだけは言える。あの男が言っていることは全てが正しいと」
誰かに『あなたは神になるべき人間だ』と言われただけで果たして、ここまでのことをしようとするだろうか? シャルーナはそんな思いを抱く。
少なくとも、彼女ならこんな事はしない。そして、彼女が知る師匠も、そんな言葉を信じたりはしなかったはずだ。
「わしはこの古代魔法が書かれた魔法書を手にするために、仲間を全員失った」
「!」
突然のダーラーンの告白に、シャルーナは驚く。
ダーラーンが元白金等級冒険者であることは知っていたが、彼に仲間がいたことは初耳だった。そして、仲間の全員が死んでしまっていたことも。
ダーラーンは、悲哀を感じさせるような声で話を続ける。
「・・・わしのミスじゃった。わしが注意を怠って、この魔法書を手に取ってしまったばかりに、ダンジョンは崩壊し、わし以外の全員が死んだのじゃ。そして、わしは全てを失った」
ダーラーンは、彼のもう動くことのない足を、まるで戒めるかのように『パンッ!』と叩く。
「瓦礫に潰され、わしは足の自由を失った。そのせいで冒険者をやめるほか無かった。仲間を失い、職すらも失ったわしに残されたのは、僅かばかりの金とこの魔法書だけだった」
そう言うと、大事そうに本をなでた。それはまるで、子供でも慈しむかのようだった。
「わしはすぐに、古代文字の解読に取りかかった。そうするしかなかった。この魔法書に、仲間も、地位も全てを失うだけの価値があると信じる以外には。しかし解読は難航し、すぐにわしが持っていた金は底をついた。だから解読の傍ら、子供達に魔法を教えるようになった」
シャルーナは『解読の傍ら』という言葉に、言いようのない悲しさを覚えた。
シャルーナがあれほど楽しく過ごしていたあの日々は、師匠にとっては金を得るための“ついで”でしかなかったのだと言うことが、苦しくさえ感じられた。
しかし、そんなシャルーナの思いなど知るよしもなく、師匠は話を続ける。
「20年の月日をかけて、ついにわしは解読に成功した。しかし、そこに書かれていたのは恐るべき魔法だった」
「・・・世界を・・・燃やし尽くす魔法」
ダーラーンは静かに頷いた。
「・・・わしは求めていたのじゃ。自分が払った犠牲に見合うだけの物が、魔法書に書かれていることを。多くの人を救うことが出来る魔法が、記されているはずだと。しかし、現実はそれとは反対だった。多くの命を奪うしか出来ない魔法が、書かれているだけだった」
そう言ったダーラーンの顔は、悲しげだった。それは、かつてシャルーナが見ていた師匠の姿だった。しかし、そんな姿はすぐに消し飛んだ。
ダーラーンが急に、顔に不気味な笑みを浮かばせたのだ。
「しかし! そこに彼が現れた! 黒いマントをかぶったあの男が! わしに、何をすべきかを教えてくれた男が!」
シャルーナは悪寒を覚える。彼女の前にいる師匠は、彼女が知るかつての優しかった師匠とは似ても似つかない、恐ろしげな笑顔をしていたから。
「彼は言った! 『力は選ばれし者にしか与えられない』のだと! わしこそが、選ばれし者なのだと! そして、『選ばれし者には力を行使する義務がある』と!」
「・・・っ!」
シャルーナは絶句する。ダーラーンの目はもはや、まともとは言えないほどに血走っていた。明らかに狂った表情で、彼は叫び続ける。
「わしは理解したのだ! わしこそが神となり、世界を支配しなければならないと! そうする以外で、世界中にいる迷える羊たちを救うことは出来ないのだと! そのために、わしに力が与えられたのだと!」
ダーラーンは演説を終えると「はぁ・・・はぁ・・・」と息を切らせた。そして、自らの弟子を見下ろす。
「わかっただろう? わしこそが選ばれし者なのだ。世界を支配する力を与えられた、救世主なのだ」
ダーラーンは「だから、わしに力を貸しておくれ」とシャルーナに言い聞かせるように言った。
しかし、シャルーナは唖然としていた。そして、彼女の口から言葉が漏れる。
「どうか・・・してる・・・」
――――ドガッ!
再び、リャンフィーネの強烈なキックがシャルーナを襲った。シャルーナは数メートル吹き飛び『ゲホッ! ゲホッ!』と、血を吐き出した。
「キサマ・・・深い御心でキサマを許してくださった主の行為に泥を塗るか!」
「よしなさい」
掴みかかろうとするリャンフィーネを、やはりダーラーンは止めた。
「しかし主よ・・・!」
「やめろと言っている」
「・・・っ!」
ダーラーンの剣幕に、リャンフィーネは思わず声を失う。そして、「出過ぎたマネをしました」と言って、一歩下がった。
ダーラーンは、血を吐き倒れるシャルーナの方を、悲しそうな目で見つめる。
「・・・本当に残念だ。お主ならば、理解してくれると思っていたのだがな」
「・・・っ、すいま・・・せんね」
ダーラーンを睨み付けながらそう言うシャルーナの顔を見て、ダーラーンは諦めたようにため息をついた。
そして、側に控えているリャンフィーネの方を見る。
「リャンフィーネ。我が愚かなる弟子を牢屋に・・・」
しかし、ダーラーンが言い終える前に、
――――バリンッ!
「・・・!」
「なっ・・・」
いきなり、窓ガラスをぶち破って、部屋の中に矢が飛び込んできた。そして、
――――キィィィィィィン!
激しい光と音が、辺りを包んだ。




