洗脳と幸せ
「がっ……はぁ……はぁ……クソッ……」
ウェルゴーナスは焼け焦げた脇腹を押さえ、壁にもたれていた。
彼の腹部からは、息をするたびに“ヒューヒュー”と空気が漏れ出していた。
「やは……り……無理があったな……」
ウェルゴーナスは目の前の、体中から血を流しながらも、それでも立ち続けるリャンフィーネを見ながらそう言った。
「……」
リャンフィーネは何も言わず、今まさに命を失おうとする男のことを見ていた。
「まったく……こんなところで……彼にはあわせる顔が無いな」
「……彼っていうのは、さっきアンタを見捨てて逃げていった男のこと?」
リャンフィーネは同情するかのように、ウェルゴーナスに尋ねた。しかしウェルゴーナスは、そんな同情を笑い飛ばす。
「はは……少し違うな……あの男は……見捨ててなどいないさ。きっと“君にはまだ役目がある”とかいって、俺を……決して死なせてはくれないだろう」
「……」
ウェルゴーナスは「ふぅ……」と息を吐くと、目をつむって天を見上げた。
「俺は……本当は死にたかった。このどうしようも無い世界から……逃げ出したかった。神様は…そんな俺の願いを叶えてくれたのか……俺に不治の病を与えてくれた」
「!」
ウェルゴーナスの告白に、リャンフィーネの後ろで息を切らせていたシャルーナは、今度はその息をのんだ。
「もう余命は幾ばくも無い……今も、お前達に与えられたダメージとは別に……病気の所為で死にそうだよ……」
「……そんな状況で」
シャルーナは、ウェルゴーナスは体調が万全でないにもかかわらず、自分とリャンフィーネを相手に互角に戦っていたと言う事実に驚きを隠せなかった。
しかし一方のリャンフィーネは、ようやく合点がいっていた。
と言うのも、リャンフィーネとシャルーナの二人がかりで戦ったとは言え、それでもウェルゴーナス相手に彼女たちが“二人とも生還”したのは明らかにおかしな事だったからだ。
元帝国戦士長であるウェルゴーナスの実力は、ただの冒険者と元冒険者風情の彼女たちが束になっても敵わない。それほどの実力差が、本来あるはずなのだ。
しかし病に冒されていたというのなら、それも頷けた。
いかに強者といえど、病に勝つことは出来ないのだから。
ウェルゴーナスはまるで遠い過去を懐かしむかのように、うつろな目で虚空を見た。
「今でも……思い出す。あの日……私の前に彼が現れた日のことは。私が“生きることを強いられた”日のことは」
「……」
「……ああ、まったく。これでやっと死ねる……彼には悪いが……俺はもう疲れた……もうそろそろ……休ませて……欲しい」
「……最後に聞かせなさい」
ゆっくり目を閉じようとしたウェルゴーナスに、リャンフィーネは言った。
「何だ? 俺はもう……話すのもキツいんだが……」
「あの男…アンタが“彼”と呼ぶあの男は、洗脳の能力を持っている。アンタは……操られていたの? 操られていたから……“死なせてもらえなかった”のか?」
「……さあな。今となっては……どうだったんだろうな。俺が死ねなかったのは単に“死ねない”と思ったからだ。何の理由も無く、死ねないと思っていたんだよ」
「……」
「それは彼にそう思わされていたのか、それとも俺が本心では“死にたくない”と思っていたからなのか……いや、どちらも違うな……」
ウェルゴーナスはそう言うと“ははっ”と静かに笑った。
「俺は……見てみたいと思ったんだ。彼の言う……真の平和というやつを。全てが平等になり、憎しみも…悲しみも…全て無くなった理想郷を……俺がかつて夢見た世界を……見たかった……だけ……だった……の……か……」
そう言い残すと、この世界の歪みに苦しみ続けた不運な男はついに、その苦しみから解放された。
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「なぜあんなことを聞いたの?」
ウェルゴーナスを倒したものの、深手を負ってしまったリャンフィーネの手当てをしながら、シャルーナはそう尋ねた。
「……あんなこと?」
「最期に……『操られていたから死ねなかったのか?』って聞いた事よ。なんであんなことを……?」
「……別にたいした意味は無い。ただ私は……あの男を逃がしたときのウェルゴーナスの顔を見て……気になっただけだ」
「……どういうこと?」
「……自らの死と引き換えに男を逃がしたとき、ウェルゴーナスは私と同じ顔をしていた。ダーラーン様を信じていた頃の私と同じ顔を」
「!」
「だからこそ気になった。他人のために命すら捨てることが出来たヤツもまた、私と同じで『騙されていたのか?』と。ヤツもまた、私と同じだったのかと」
「……」
「結局、わからずじまいだったがな。答えを知らぬまま、この男は死んでいった。こんなにも満足そうな顔で」
リャンフィーネはそう言って、すぐ側に横たわるウェルゴーナスの亡骸に目をやった。
ウェルゴーナスの顔は、先ほどまで病と傷に苦しんでいたとは思えない程に清々しく笑っていた。
「……私は、ほんの少しだけヤツが羨ましいよ。騙されていたとしても、それでも幸福の中で死ねたあの男が」
「……」
「私も出来ることなら……騙されたまま死にたかったな。真実を知らず、ダーラーンに心酔したまま死ねていたらどんなに……」
「……それは……違うと思う」
否定したシャルーナに、リャンフィーネは僅かに驚く。
「……なぜだ? なぜお前はそんなこと……」
「だってもしあなたが騙されたままだったとして、そのときあなたはどうなっていたと思う?」
「それは……」
「きっと、ダーラーンを殺した私を憎み、私と戦うことになっていた。違う?」
「……」
ダーラーンに心酔しきっていたリャンフィーネ。彼女がもしダーラーンを信奉したままだったなら、間違いなく二人は今、ここに味方として立っていなかっただろう。
そのことはリャンフィーネ自身が一番よくわかっていた。
「たぶん私達は、敵対していた。あなたが真実を知らなかったら。でも真実を知れたからこそ、私達は仲間になれた。違う?」
「……その通りだ」
「だとしたら、あなたが騙されていたと知ったのは、そんなに悪いことじゃなかったと思わない?」
「……」
「それに、騙されていたからってそれがどうしたのよ? 騙されようがそんなの気にせず、幸せになれば良いだけじゃ無い」
「……ふっ、お前にとっては簡単かもしれないが……私には難しいな」
「それなら私が手伝ってあげるわよ」
「……え?」
リャンフィーネは驚く。
「もしこれが終わって二人とも生きて帰れたら、あなたもう一度冒険者になるつもりは無い? 冒険者になって、私とパーティーを組むのよ」
平然と言ってのけたシャルーナに、リャンフィーネは驚きを見せたが、しかしすぐに顔を曇らせた。
「……悪いがそれは……断らせてもらおう」
「あら、なんで?」
「私は昔……仲間を失った。それが原因で冒険者をやめた」
「だから“また”仲間を失うのが怖い?」
「……」
リャンフィーネは黙って頷いた。それを見て、シャルーナはため息交じりに答えた。
「私も以前、仲間を全員失った」
「!」
「仲間を失ってすぐは、ずっと塞ぎ込んでいたわ。何もする気が起きなくて、冒険者もやめてやろうと思った。でも、やめなかった」
「……なぜだ?」
「死んでいった仲間が、それを望まないと思ったからよ。死んでいった彼らがもし生きて居たら、きっと私に『何やってんだ仕事しろ!』って怒鳴りつけるだろうなって思ったから、やめないことにしたの」
「……」
「大体、死んだ人達を“辞める理由”にするのって、ズルいと思わない? “死んだのが悪い”って責任を全部押しつけて、死人は喋れないのを良いことに、勝手に辞める理由にして……そんなことするくらいならもういっそ『死んだ仲間なんて知ったことか! 死んだ方が悪い!』って割り切った方が良いと思わない?」
さも当然のように言い放ったシャルーナを見て、リャンフィーネは思わず吹きだした。
「……ふふ、はははは……お前、すごいな」
「そうかしら? それはどうもありがとう」
ちょうど応急処置を終え、リャンフィーネは立ち上がった。
「……考えておくよ。冒険者に戻ることは。でも今は、こっちを解決する方が先だ」
「それは当然よ。さあ、急ぎましょう」
そう言うと二人は、長く続く廊下を走って行った。




