○月×日後の世界で
〇月×日。世界は異形の魔物に襲われた。
魔物は人間を喰らい、世界を血に染め、多くの人類から大切なものを奪っていった。世の中の人間はただただ、これは悪夢だ、現実であるはずがないと繰り返す。
隣人が喰われ、世界が紅に染まっても、まるで壊れたレコードの様に、ずっと悪夢だと言い続けている。
私はそれを、くだらないと思った。全てが喰われて死に絶えるくらいならば、自分の体が朽ち果てるその時まで戦い抜きたい。そう決意した。
私の隣で、彼女が泣いている。顔が吹き飛んだ家族に対して、一心不乱に、なにか言葉を繰り返している。
死人は何も答えてはくれない。ただ、当たり前の幸せが消え去ってしまったという事実と、無情なる沈黙。そして、絶望を与えてくるだけだ。
泣き叫ぶ彼女を見て、私は力になりたいと一心に思った。この先、彼女は一人ぼっちだ。ずっと、こんな世界で一人で生きることになるのだ。
……守らなくてはいけない。この大切な、一人の少女を。
平和だった時から、私は彼女のことが好きだった。
孤児だった私を守り、庇い、そして親友同士になって、恋人のようなこともして。私には欠かすことができない存在となっていた。
そんな、彼女の力になれるのならば。私は命すら惜しくない。世界が狂っているというのなら、せめて、彼女だけは守り抜く。そう誓った。
〇月△日。私は改造手術を受けた。魔物に対抗する手段である、魔法を扱うことができる体にしてもらうのだ。彼女はそのことに対して、猛反対していた。そう反応されるのは分かっていた。私も、彼女が戦うと言い出したら、きっと反対するだろう。しかし、私は歩みを止めるわけにはいかない。
……別に、人類の希望なんてなろうとしているわけではない。ただ、一つだけある、大切なものが守りたいだけだ。私の命が犠牲になったとしても守りたい。
彼女は、虚ろな瞳で「どこにも行かないで」と訴える。私の右腕を強く握り、何度も言葉にしてくる。
……私は彼女だけの為に存在している。彼女を守る為ならば、私はどんな業を背負っても構わない。美しい瞳を、華奢な体を、大切な彼女を守れるのはもう、この世界には私しかいないのだから。
私の体が壊れてしまっても。彼女を守り抜く為に、一緒にどこまでも生きる為に。私は強くならないといけない。
決意を固め、彼女の手をそっと離し、手術台に赴く。私の命は、彼女の為に。
〇月□日。遂に実験は成功。私は魔法少女として、魔物を倒す力を得た。名前は魔法少女○□。どうやら、手術日によって付けられる魔法少女の名前が違うらしい。魔物が跋扈した世界に合わない、フリルが付いた白い服装をした魔法少女に私は変身した。彼女は魔法少女になった私を見て、可愛いって言ってくれた。複雑な表情をしていたけれども、似合っているかと聞いたら、そう答えてくれた。
その言葉だけでも、生きててよかったと感じる。手術中の苦しい記憶も痛さも気持ちの悪さも、その一言で全て吹き飛んだ。
私は今日から魔法少女として戦うのだ。
〇月□日の戦闘結果。魔物に腕を少し喰われた。えぐられるように、魔物に喰われた。しかし、魔法少女の再生能力は伊達ではないらしく、研究施設に戻ることには元通りに治っていた。
もしかすると、魔法少女という生き物は、もはや人間ではないのかもしれない。でも、それでもいい。彼女を守れるのならば、それでも構わない。返って好都合かもしれない。魔物を彼女から遠ざけられるならば、私の身体がどうなっても構わない。
研究施設に帰ってきて、無事に帰ったよと伝えて、彼女に抱きつこうとした時に「怖い」と言われてしまった。
……それは、彼女からの初めての拒絶の言葉だった。
その一言は、純粋に私を絶望に陥れた。
嘘だ、なんで、どうして。色んな感情が交錯する。腕も元通りになったのに、私は何か嫌がることをしてしまったのだろうか。もう、彼女と一緒にいてはいけないのか。
全てが不安になって、一人部屋に閉じこもり、思いっきり泣いた。
泣いて、泣いて、ふと自分の、魔法少女としての服に目がいった。
……白い魔法少女の服は赤い血に汚されていた。
それはまるで、平和な世界を喰らい尽くした紅色のように見えて、この世界がどれほど狂っているかを改めて実感した。
それでも、それでも、私は彼女のために戦うしかないのだ。
〇月〇日。彼女から謝られ、優しく抱きしめられた。やっぱり彼女の体はあったかい。こんなぐちゃぐちゃの世界のただ一つの道しるべだ。私は、彼女の為にまだ、倒れるわけにはいかない。
「絶対に、守るから」
一言告げて、今日も戦場に向かう。遠くなる彼女の顔を見るたびに苦しくなる。本当は、もっと二人きりになりたいのに。可愛いって誉められたいのに、ずっと一緒にいたいのに。
〇月〇日の戦闘結果。魔物が、幻覚を見せてきた。私の存在を拒絶する人間の声、地獄に落ちろと囁く怨念の叫び。そして、幻覚によって気が狂った人間が私に襲い掛かってきた。しかし、私は負けない。彼女の為に負けるわけにはいかない。
向かってきた人間を血に染めた。彼らにも大切なものがあったのかもしれない。しかし、精神を折られたものに語る正義などない。私は彼女の為だったらどんな罪も怖くない。そう叫びながら、切り裂いて、ひっさいて、壊して。私は勝利を掴んだ。
魔法少女の力によってバラバラになった魔物と人間を見ていると、私のやったことは本当に正しかったのかと不安になる。もしかしたら、助けられる命もあったのかもしれない。
本当の『魔法少女』なら。彼らを救えたのかもしれない。テレビアニメに出てくるような、奇跡を操るような魔法少女なら。しかし、現実はそうもいかない。全てが綺麗に終わるハッピーエンドなど、もうこの世界には存在しないのだ。
だからこそ、私は彼女の為に力を尽くし、戦う。それだけだ。
帰ってきた後に、彼女から言われたことは「もう、私の為に戦わなくていいんだよ」というものだった。彼女なりに心配しているのかもしれない。だが、私は静かに首を横に振った。ここで止まるわけにはいかないのだ。
「どうして」と、涙ながらに訴えてきた。彼女の表情を見ていると胸が苦しくなる。それでも、戦うしかできないのだ。
「私には、もうそれしか残っていないから」
この世界で下した私の決断だけは、もう変えることができない。彼女の言葉でさえも。
私の言葉を聞いた彼女は、もっと強く泣きしゃくり、私に抱き着いてきた。
張り裂けそうになる彼女の思いを感じながら、より、強く抱きしめた。暖かくて、どこか冷たくなってしまった私に、彼女の体温が届く。幸せだ。このまま時間が止まってくれれば良いのに。
それでも、ここで立ち止まってはいけない。まだ、私にはやるべきことが残っているのだから。
彼女さえいれば、死さえも怖くない。しかし、彼女を残して死んでしまうことだけは怖かった。
〇月△△日。私に寿命が告げられた。
分かっていた。その日が来るのも理解していた。しかし、震えが止まらない。考えないようにしていた。それでも、事実として伝えられるまで、受け止め切れなかった。
科学者は淡々と言葉を紡ぐ。
『君は屈強な精神力があったから、ここまで戦えた』
『他の魔法少女になった人は皆、魔物との戦いで気が狂って死んでしまった』
『最期の時くらい、彼女と一緒にいても、罪にはならない。僕はそう思う』
最期の時。その言葉にぞっとする。もう、彼女と一緒に歩けない。彼女に抱きしめることができない。彼女の笑顔も見れないまま、死ぬ。
私は、どうすればいい。このまま死んでゆくことしかできないのか。
一人で悩んでいる私の肩に、彼女の手がそっと添えられた。この体温ももう感じられなくなってしまう。そう考えると涙が止まらない。
彼女はただ、私に対して、ごめんなさいと繰り返す。そして、ゆっくりと添えた手をずらし、私の体を抱きしめていた。
強く、強く。彼女は強く私の体を抱きしめる。
ふと、私は普段から彼女が口にしていた言葉を思い出した。
『私も魔法少女になれたら。もっと、一緒にいれるのに』
その通りだとは思っていた。一緒にどこまでもいれたかもしれない。死ぬ時も一緒だったかもしれない。
しかしながら、彼女は魔法少女にはなれなかった。手術の適正に合わず、そもそも精神的ショックで死んでしまうと科学者に説明され、手術を受けることができなかった。
……でも、それで良かったのかもしれない。彼女への危険を最低限抑えることができたのであれば。彼女が背負う負担を全て私が請け負うことができたのであれば、それで。
ずっと続いてほしい時間というものは、そう長くは続かない。彼女と抱きしめあう時間はもう残り少ないというのに、警報は研究所に大量の魔物が攻め込んだことを、仰々しく報告していた。
……今の研究所で戦える魔法少女は私しかいない。ならば、ここが死に場所か。彼女のために死ねるなら、それでいいのかもしれない。
私の命は、彼女の為に。
〇月△△日の戦闘結果。
……魔法少女○□、死亡。
私のただ一人の想い人は死んでしまった。
研究所に襲い掛かる全ての魔物を全てなぎ倒し、血塗れになって、力尽きて死んでしまった。
魔物に想い人の手が喰いちぎられる度に泣き、全身に攻撃を受ける姿を見ては叫び、痛そうな傷を全身に受け、それでも立ち上がる姿を見て、喚き散らす。
結局、私は役立たずのままだった。
魔物がいなくなった後。想い人は最期に言い残して、私に倒れこんだ。
『最期になって、気がついたんだ』
『私は、貴女の優しさが大好きだったんだ』
『私は、その優しさに救われた』
『貴女に会えて良かった』
『大好き……』
ずっと、ずっと抱きしめていたいのに。想い人はその言葉を残して死んでしまった。体の体温も、心の温かさも消えてしまった。もう、会えない。
涙を流しても。どんなことをしても、消えてしまったものには会えない。もう亡くなってしまったのだから。
亡骸に抱きついても、あの暖かさは伝わってこない。どこまでも冷たいだけだ。この世界の残酷さを噛み締め、絶望的な孤独を感じた。
○月××日。
私はあの研究施設にもう一度立っていた。魔物の増援が出現したという情報も貰っている。後は、戦うのみだ。
失うものが無くなった私は、簡単に手術で魔法少女になれてしまった。精神的ショックなどもう感じなかった。この世界に恐れるものなど無い。全身が噛み千切られても構わない。
この両腕も、体も全て、血に染めてしまおう。あの日、怖いといってしまった魔物の血の色も、あの日の想い人の魔法少女服の色になるのであれば、悪くない。
「優しい魔法少女として、全てを守る為に」
紅色の歪んだ世界に立ち向かう。想い人が残してくれた言葉だけを頼りに。