殻の色
世界が穢れて見えるのはその見る眼が汚れているからだ。
誰かがそう言っていた気がする。そしてその考えを正しいと私は思う。
世界は美しい。
天高く昇り大地を明るくそして熱く照らす黄金色の太陽。
透き通る様に蒼く澄みきった空。
優しいそよ風を吹かせる広大な大地。
鏡のように蒼い空を反射させた海。
生きる上で当たり前のように見てきた、感じてきたこの現象を当たり前だと思わず大切なものだと受け入れる事が出来る、そんな人にはきっとこの世界は可能性に溢れ美しく見えるのだろう。
しかし汚れた眼をしているとこの現象すら眼に入ることは無い。それどころかその眼は美しいものが見えないからかそれを探そうとする。しかしその眼が写すのは美しいものではなく、それに不必要な穢れた現象。
だが実際には見えない訳ではない。見ないようにしているだけだ。なぜならその眼が美しいものを写してしまうようになると今まで見てきた、正しいと信じてきたことを否定されてしまうと思っているからだ。
見ていたものは偽りで、又それを正しいと信じていた自分が間違っていると否定されるのを恐れている。
私自身も綺麗な眼を持っている訳ではない。むしろ薄汚れた穢らわしい眼といえる。
しかし世界が穢れているとは思っていない。いや、正確には思っていた。
私は1度この世界に、生きることに絶望した。キッカケは単純で数年前から生まれたモノだった。
他人に裏切られ、心をへし折られ、そして自分自身の無力さを実感し絶望した。
1度死んでしまおうと考えたこともあった。しかしそれは失敗した。
理由は簡単だった。
絶望したと思っていた自分に未だ生への執着があったこと、まだ完全に絶望した訳ではなく僅かに残った未来への希望が自分の中で大きくなったこと、無力さを実感し自分自身に価値を持てなくなっていた私に人として生きる価値を教えられたこと。
そして私は死によって終わる人としての生の時間の終わりを先延ばしにし、未来への希望に手を伸ばした。
希望があるのは遥か先、いつ手が届くかは見当もつかない。
絶望は今も足元に蠢きいつでも私を呑み込もうとしている。
オマエハヒトリダ
オマエハムカチナニンゲンダ
オマエハアノヒシヌベキダッタ
絶望はそうやって私に囁きかけてくる。
振り返ればきっと呑まれてしまうだろう。
これから先希望に手を伸ばしていくより、すぐに終わりを迎えれば静かな世界がきっと私を迎えてくれるだろう。
それはきっと素敵な世界だと私は思う。
でも、そこにいく資格を私はまだ持ち合わせていない。
全ての義務を終え、手にした希望を別の誰かに託し、幸せだったと言える様に生ききらなければその世界にいくに値しない。
だから私は進むことにした。
振り向き足を止め絶望に浸るよりは、手を伸ばし希望というちっぽけな光を求めて喘ぐ方がよっぽどいい。
いつかは手放す光であっても、それが誰かの希望を更に輝かせるキッカケになる。
だから私は前を見る。
絶望の淵で項垂れていた自分を引っ張り挙げてくれたあの手に。
心の奥底で絶望に成り果て終わることを望んだ自分自身と戦う勇気をくれたあの声に。
優しくあってくれと望まれたように。
私はゆっくりと歩み始めた。
誰かがこんなことを言っていた気がする。
世界が美しく見えるのはその人の心が希望に満ち溢れているからだと。
確かに正しいな、と昔より色付き始めた世界を見て私は思った。




