私は悲劇が好きだ。
美学を考え直してみました。
正直に白状しよう。
私は悲劇が好きだ。
どうしようもない絶望の中に少し希望が垣間見えて儚く消える様には心の昂りを憶える。
そして同時に静かなエンディングが好きだ。
全てが救われなくとも、穏やかに収束していく最後には心が揺さぶられる。
それ故に主人公を殺すのだ。
主人公は死ぬのだ。
想い人のために。
家族のために。
仲間のために。
何かを守るべく戦いに身を投じ、
そして死んでゆく。
美しい死に様ではないか。
現実においてこんな死に方をすることはまずないだろう。
むしろ現実世界においての死はあまり綺麗でないものが多い。
それ故に、絵に描いたような死に憧れるのかもしれない。
誰かに描かれた死に見惚れるのかもしれない。
主人公を残して仲間たちが死んでいくのも芸術的だ。
悲しみや恨みの中で強くなっていく主人公は輝いて見える。
所謂「悲劇のヒロイン」も好みだ。
辛い過去を背負って生きているという背景にもまた、惚れ惚れする。
ここまで読んで、不謹慎だと思われる方もいるだろう。
それとも既に引き返したか。
だがそれと同時に共感してくれる方もいるのではないか。
絶望で塗りつぶしたキャンバスに、アクセントのように描き込まれた希望の美しさがわかる人が。
希望の鮮やかさを際立てるには絶望による塗りつぶしが不可欠だと気付いている人が。
私の周囲には価値観の合う人が多くない。
否、少ない。
中には、ただピンク一色の物語が好きだと言い出す奴までいる。
それが必ずしも悪いとは言わない。
だが抑揚のない物語に美しさはあるか?
どこも強調されていない作品のどこを見れば良い?
単調なものがただ淡々と続いているだけではないのか?
私にはわからない。
悲劇が嫌いだという人の言い分はよく分かる。
悲しい物語の中に明るい要素を入れることで残酷さが増すのも事実だ。
喜劇でも感動を生み出すことはできる。
しかし胸の内側が疼くような、
哀愁ともとれるような美しさは、
感じることができない。
だから、私は悲劇が好きだ。
残酷に描かれた絶望と希望の程よい|ブレンド(混ぜ合わせ)が好きだ。
明日はどんな悲劇を読もうか。
人の美学って難しいですね。