表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
腹切竹光  作者: R
4/4

終章 父と子と

 竹林にて一方的な果し合いを終えた吉之助と天膳。

 吉之助は何が足りなかったのか自問する。

 答えは分かっているだろうに。全てである。

 実力そのものがまるで追いついていなかったのだ。

 どうしたら鬼を討てる。

 衆道を使い枯らし果たすか、いや駄目だ。

 あくまで剣を持って討たねば父の名誉に繋がらぬ。

 不意をつくなど以ての外。

 兵法としては正しいであろうが、誇りとしては間違っている。

 あくまで真正面から挑み倒すことこそが目的。

 なれば稽古を重ね愚直に挑む以外に法は無い。

 もはや人里に戻る必要なし。

 こうして吉之助の戦いは始まった。

 

 一日の始まりは朝五つ。

 吉之助は天膳の住む小屋の前で正座にて待つ。

 天膳も初めの頃は面食らうが、一月もすれば鶏と変わらぬわと慣れてしまった。

 はてさてこれにて奇妙な縁が紡がれる。

 吉之助の全力を全て飄々とかわし一つ一つに指摘する。

 その様、まさに師弟なり。

 初めは馬鹿にするなと激昂するも、こちらも一月せぬうちに素直と聞くようになった。

 一月目は獣とやり合うが如し。

 二月目にして吉之助の剣より狂気が消える。

 半年もすれば正道の剣へと変わってしまった。純粋に鋭さも増している。

 これには天膳も苦笑する。

 自らの剣もまさに殺法。人を殺めるための剣。

 剣禅一助とは言うものの、元人斬りを師にここまで剣が変わるとは思わなんだ。

 するとこの身が振るう剣も正道か。

 いつしか自分の顔も穏やかに変わりつつあることに気づく天膳。

 ではそれが指導している相手はどうか。

 目に狂気なく、剣に殺気なく、感じるのは心地よい風のみ。

 いやいやそれだけでなく、むしろこの剣法遊びをただただ楽しんでいるだけのようにも見える。

 目の前の美童は何を持って復讐を成そうとしていたのかいよいよ分からなくなってしまう。

 

 元日の夜の事である。

 その日もいつものように剣法遊びを終え、今日の夕餉を作ろうかと思っていた時の事。

 吉之助は大の字に転がる。

 そろそろこの剣も鬼に近づいてきたかと手ごたえを感じ始めていた。

 では近づいてどうするのか。斬るのか。何故斬るのか。

 自問自答する。

 そもそもこの滑稽な復讐劇の始まりはただの八つ当たりである。

 仇討ちの相手は既に亡く、ただ感情をぶつける相手が欲しかっただけ。

 そのためだけに旅を始め、武芸者を糧にし、殺人剣を修めてきた。

 だがぶつけた相手は大きく、自分の全てを飲み込んでしまった。

 行き場のなかった感情を全て放出し、後に残ったのは年相応の子侍。

 天膳には何の咎はない。初めから分かっていた事だ。

 着物は既に泥だらけ、玉の汗と混じってみずぼらしくも見える。

 そんな格好だというのに何故か心は晴れやかであった。

「着ろ。」

 どこからか聞こえた言葉とともに、吉之助の顔に何かがかかる。

 くしゃりとそれを掴み取りまじまじと見るとそれは着物。

「これは何か。」

「今日は元日。少しは格好を気にせよ。」

 以前の自分であれば要らぬと投げ返しただろうが、今の自分では何故か素直に受け取れる。

 水浴びをしてからとその場を後にする吉之助。

 身を清め、出で立ちを新たにして戻ると天膳は焚き木をして待っていた。

「いくつになった。」

「今日で十五。」

「食え。」

 そっぽを向いたまま串に刺さった焼き魚を投げて渡す。

 吉之助は慌てることなくそれを見事に掴み取る。

「鯛とはいかぬが元服祝いよ。

 着物も泥まみれよりは幾分かいいだろう。

 世事には疎いゆえ作法は知らぬがな。」

 聞いて吉之助、静かに涙を流す。

 御家が無くなったときより元服祝いなど期待していなかった。

 それが自らの勝手により仇としてきた男に祝われる。

 もはや吉之助の中で天膳は仇でも鬼でもなかった。

 涙を流しつつ焼き魚を頬張る吉之助。

「美味しゅう、ございます……!」

「そうか。まだある。食え。」

 顎で今、焚き木で焼く魚を指す。

 無骨ながら面倒を見るこの態度。今は亡き父の生き写しであった。

 天におわす父よ、母よ。吉之助、十五にして新しき父ができました。

 

 そんな心温まる時間はあっという間に切り裂かれる。

 突如飛来する何か。

 殺気を感じ取り体を向ける二人であるが、気づくのが遅れた。

 天膳の喉元に刺さる一振りの短刀。

「油断したわ……」

 短刀を抜き取り投げ捨てる天膳。

 それを確認するや、奥より現れる一つの影。

「音に聞こえる天下無双の鬼よ。思ったほどでは無かったわ。」

 年にして三十は越えるであろう、一人の浪人者。

 ニヤニヤと笑みを浮かべながらこちらに歩み寄る。

 何が面白いか、この男。

 吉之助の頭は怒りで埋め尽くされていた。

「おのれ何者。」

「名乗るほどの名など今は無し。

 名が天下に轟くは天膳の首を取ってからよ。」

「名声欲しさの狼藉か。」

「鬼を殺したとあっては誰もが黙っておるまい。

 仕官も何も思うがままよ。」

 実はこういった輩はたびたび訪れる。

 別に吉之助が初めてではなかったのだ。

 二年に一か二か。こうして名声欲しさの自称達人が命を狙いに現れる。

 もちろんこういった不意打ちも度々あり、そのどれもを返り討ちにしてきた。

 では何故今回そうはいかなかったか。

 吉之助、であった。

 彼との出会いが鬼の心を弱くした。

 心休め、ぬくもりを知り、そして心の中で子を育てるように接した。

 天膳、生涯妻を持たず。ゆえに吉之助が唯一の子と言えたのだ。

 その一瞬のゆるみが致命傷を与えたのだ。

 そしてそれを誰よりも吉之助が知っていた。

 眉を上げ、怒りを心に宿しながら、しかして目に狂気なし。

 義憤により身を燃やす一人の武士がそこにいた。

 吉之助はゆらりと相手を見据えると、刀も持たず両の手を真横に突き出した。

 着物が揺れ、髪が踊り、その様まるで天女の如し。

 名も知らぬ浪人も一瞬それに目を奪われる。

「何のつもりだ。」

「なに、惚れた男の仇討ちよ。」

 ハッとして刀を抜き吉之助に斬りかかる浪人者。

 それをまるで舞うが如くかわすと、腰のものを抜き一閃。

 浪人者の体は二つに分かれ、血飛沫は月を断った。

 返り血が一粒、吉之助の目にかかる。

 つぅとそれは一筋の孤を描き、さながらそれは血の涙であった。

 

「さぁ、我の首を取れ。」

「出来ませぬ。」

 吉之助は鬼と呼ばれた剣客の体を抱きかかえ大きく首を振る。

 天膳は既に虫の息。いつ常世に発とうとおかしくはない。

 それを見て大粒の涙を流し続ける吉之助。

 負の感情はそこにない。あるのは熱き縁のみ。

「親を殺める子がどこにおりましょうや。」

「我を親と呼んでくれるか。」

 ニィと口角を上げて天膳は笑った。

 生涯で何よりも嬉しかった言葉だと心の中でつぶやいた。

「なればこそよ。親が子にしてやれる最後の事。

 我の首を取ればお前は名声を手に入れられる。」

「そのようなもの、要りませぬ。」

「なに、ほれ、遠慮はするな。元服祝いじゃ。」

 ふぅとため息ついたはどちらのほうか。

 天膳は軽く目を閉じると、更に言葉を紡いだ。

「顔をよく見せてくれ。」

 そっと吉之助の顔に手をやる天膳。

「息をするのも辛くなってきた。

 我はな、名も知らぬ誰ぞかに殺められるならお前に殺められたい。

 今生で、我が求める最後の望みよ。」

 それを聞いて吉之助は諦めたかのような顔をした。

 ぐぅと目を強く瞑り、唇をかみ締める。

 唇からは一筋の血。強くかみ締めたからである。

 吉之助は天膳を正座させ、自らの刀を振り上げる。

「吉之助。今日にて元服致しまする。

 よって幼名ではなく、これより諱を名乗ります。」

 きらりと月夜に煌く剣。さながら月が二つあるが如くである。

「この世に二人の父が有り。

 育ての父からは四条の性を。

 剣の父からは膳の一文字を貰い受けまする。

 よってこれよりこの名は四条主膳。」

 そうして元服した武士は刀を振り下ろした。

 

 

 最強の剣豪と聞いて誰を浮かべるか。

 ある者は柳生と言う。ある者は上泉。それとも宮元か塚原か。

 ではその上に「今代の」が付けばどうなるか。

 多くの者が四条主膳と口を揃えるであろう。

 眉目秀麗、振り返れば女人の如し。しかして剣は鬼をも越える。

 たちまちその名は天下に轟いた。

 浮世絵の題材にも使われ、女人の間にも名が知れ渡る。

 もはや四条を指して腹切竹光となじる者なし。

 

 雲は無く、日は照り、風は飄々地を駆ける。

 それは人里離れた山にも届く。

 山の頂上に墓石一つ。

 そこに刻まれるは簡素な文。

「我が父天膳、ここに眠る。」

 

 

 了。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ