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私は止まることなくフロアの中を何周もした。
確かに疲れきって、息が上がる頃には痛みの疼きすら消え去って、杖が邪魔になる。
こんな治療法は初めてだ。
いつまで歩き続ければいいのだろうかと思い始めた頃、診察室に来いとアナウンスが流れた。
スタッフの一人が私の方へ来て、診察室に案内をする。
「やあ、お加減はいかがかな?」
赤い目の男と同じ服に身を包んだ女性がソファから立ち上がる。
しかし、その目は鮮やかな緑色だった。
「下がれ」
私には笑顔を向けつつ、案内してくれたスタッフに女は冷たく言い放つ。
「どうぞ、座って」
私は促されるままに女がいる向かい側のソファに腰かけた。
「私はこのホテルクエンジーの専属医師、九炎寺イーニドです」
赤茶色の豊かなロングヘアーをかきあげ、九炎寺医師は微笑む。
歳の頃は私の母に近いかもしれない。
「まずは……これ、あなたの仮面を返すわ」
ソファの間に置かれた机の上の布を剥ぐと私の仮面があった。
「魔法は厄介よね。顔を晒しただけで呪えるんだから。あ、ここの人間はそんなことしないから、もちろん私も」
今さらながらに私は仮面をつけていないことに不安が押し寄せる。
戦場で治療する時は、患者の仮面は有無を言わさず剥いでいた。
顔色や目の焦点が合っているかなどを確かめるためだ。
さっきまで散々、素顔のままで歩き回った後ではこの不安もどうしようもない。
それに、今の今まで仮面をつけていないことを忘れていた。
ありえない……
「じゃあ、あなた楠瀬凛さんの病状の……」
「…なんで私の名前を……」
九炎寺医師はきょとんと目を丸くさせ、私をしばらく見つめていた。
「身分証などは持っていないのに、なぜ……」
医師免許や私個人のIDは全て本部に預けてある。
それには私の魔法がかかっており、私が死亡すると燃えるようになっている。
医師団である証明は、この黄色い目で充分だったのだ。
他人のために魔力を使う、特に治癒魔法は目の色素が何故か黄色に変色する。
私は元の目の色は父と同じ紫だった。
「その黄色い目から医者だとすぐにわかったわ」
「本部に連絡したんですか?」
「いえ、してない」
「なら、どうやって……」
「……あなた、出血死したのよ」
「…………」
「肩から動脈、静脈が断絶、脊髄神経も損傷、縫い物みたいな処置をしてたみたいだけど、そこからの感染症。さらに副作用の強烈な魔法細胞活性剤外用。治癒魔法も中途半端……まあ、無茶苦茶だわね……」
返す言葉もない。
「医師としての資質を疑いたいところだけど、あなた、なかなか経験を積んでるし、私の右腕にちょうどいいわ」
「ちょっ……さっき言ってた私が出血死したって嘘ですよね?こうして今生きてるじゃないですか。それに、右腕って……」
「……説明するの?意味ないわ」
九炎寺医師は退屈そうに足をくみ、ソファの背もたれに頭を預けた。
その態度にカチンとくる。
「意味ないって……ふざけないでよ!私は何がなんだかわかんない!私はこうして生きてるし!自分だけわかったような顔しないで、ちゃんと説明してよ!」
ここにきて私の感情が一気に吹き出した。
怒りに任せて言葉を吐くのは嫌いだ。
結局は整合性が取れない。
相手の言い分があればなおさら……
必ず後悔する。
それでも───
「あなた、死んだの。私に生かされてる」
九炎寺医師は立ち上がり、私を遥かに見下ろしてさらにこう付け加えた。
「私の命を共有してあげてるの。あなたの記憶、経験、感情、これからどんどん私のものになる。資料室で読んだ本にも書いてあったでしょ?あなたが予想した通りよ。ここまで言えばもういいでしょ?あなたの21グラムはすでに消滅してんだから」




