8:黒鳥と白鳥
白鳥視点の話です。
歩いていたら、あいつの意識が緩んだ。
俺が外に出るチャンスだ。
あいつの意識を眠らせて、俺が、外に出る。
「おい、今は何時だ?」
一緒に歩いていた生徒に聞くと、怪訝そうな顔をしながら昼の十二時十五分だと教えてくれた。
頷き歩き出す。なんかあいつの名前を呼んで引き止めようとしてたが、俺はあいつじゃないから止まってやる義理もない。
途中で声を掛けてくる奴らにテキトーに手を振って、四階の空き教室へ。
ドカッと床に腰を下ろして、手に持っていた弁当を広げる。
「……また和食かよ」
二段のお重に入った和食。よく解らん葉で飾られ、野菜なんかも綺麗な細工で切られている。
「たまにはジャンクなモン食わせろっつーの」
うんざりしつつも食う。
取りあえず食ってから、学園を抜け出してやろう。
この間みたいに絡んでくる奴らと喧嘩するのもいい。着ている制服が天翼学園の物だと解ると、金よこせってなんだあのバカども。
まぁ痛めつけてやったら最後はなんか、財布出して土下座してたけど。
「……窮屈だっつーの」
俺がこうして外に出られるのは、たった少しの時間だけ。
あいつの中に、俺という存在がいると知られた時、なんか胡散臭いババアに言われた。
『あなた、消されたくないんだったら鵠の邪魔になるような事しないで頂戴。もし、鵠を傷つけたりするようだったら……鶴の声を聴かせるわ』
不本意だが、俺はババアと約束をした。
学園内でのアイツの評判を落とすようなマネはしない事。アイツ自身を傷つけない事。その他の細かい事をいくつか。
つか、ババアも大概だよな。
アイツが壊れそうだったから俺、という存在が生まれたのに、それを消そうと脅すなんてな。
鶴の一族に頼んで、その一声を聞かせて俺を消すなんてしてみろ……それこそ、今度こそ、アイツはぶっ壊れる。
そしたら、次も、鶴の一声で完璧な操り人形にでもして貰うんだろうか。品行方正で、優等生で、いくら幻惑を使っても平気でいられる、白鳥一族に都合のいい白鳥鵠という人形に。
「くくく…ははっ」
笑える。今のアイツとあんま変わらねぇじゃねぇか。
優等生の仮面を被り、上の命令で幻惑を使い、あのババアにも唯々諾々と従う、操り人形だ。
俺はまだ死にたくねぇし、鶴の声で操り人形されるのもまっぴらだ。
けど、いつか、俺は自由になってやる。
アイツの影の部分なんかじゃなく、俺として生きてやる。
喰い終わったお重を蹴飛ばし、空き教室を出た。そのまま校舎を出ようと進むと、小柄な野郎の後姿が見える。
「ああ? お前、何してるんだ?」
こんな何もない廊下で突っ立ってるなんて、怪しいだろうが。
振り向いた野郎は、俺を見上げてわずかに目を瞠った。そいつの腕を掴んで、出てきたばかりの空き教室へと連れ込む。
「で、テメーなにこそこそ嗅ぎ回ってやがった?」
こいつは、あんな廊下で何かを伺うような素振りを見せていた。あの廊下にはこの空き教室以外には何もねぇ。って事は、俺を伺ってたと考えるのが妥当だ。
もしかしたら、この間、学園内で喧嘩した奴らの仲間か?
向こうから絡んできやがったし、ちょうど目撃者もいないから半殺しにしてやった。学園内だった が、アイツの評判を落としてねぇからババアとの約束も違えてねぇ筈だ。
「嗅ぎ回ってなどいない」
小柄な野郎は、そう答えた。
普通に考えて、嗅ぎ回ってた奴が「嗅ぎ回ってました」なんて答えるわけもねぇ。少し、ビビらすか。
俺は威嚇の為に、近くにあった机をガンッと蹴った。
野郎はビクリ、と肩を揺らす。
もっとビビらせた方が良かったか?
……いや、ビビらせた所で吐かない場合もあるか。
こいつ、見るからに小柄だし、あいつらにパシられてるのかもしれねー。で、この間の仕返しをする為に俺を探って来いとか言われて来てるとか。
その場合、ここで殴られても吐かないだろうな。普段からパシられてる相手の方が刷り込みで怖ええだろうし。
取りあえずもう少し、聞いてやるか。
「じゃあ、なんで、こんな空き教室しかねぇ廊下にいたんだぁ?」
「偶然だ」
素っ気なく答えた野郎が、まっすぐ俺を見た。
真っ黒な凛とした瞳、それがこちらを射抜くように見上げてくる。
「……テメー」
こんな風に凄んでいる時に、こんなまっすぐな視線を向けられるのは初めてだ。
怯みもせず、威嚇もしない不思議なまなざし。
けれども、こんなにも力強い。
「こないだボコった奴らの手下じゃねぇのかよ」
……こいつは違う。
あいつらのパシりなんかじゃねぇ。
こんな目をする奴がパシりなんかに甘んじてる訳がねぇ。
じゃあ、こいつは何なんだ。なぜ、ここにいる? なぜ、あんな廊下で何かを伺っていた?
俺を探っていたとしたら、やはり、アイツと俺についてだろう。
他の禽の一族が雇った人間か?
俺とアイツについて知ってるのは、禽の一族内でも一部だ。鷹の一族に次いで、禽の中で権力を握る白鳥の一族を引きずり落としたい一派の差し金だろう。
あ~、メンドくせぇ。
「まぁいいか。全部ボコっちまえば」
胸倉を掴み上げる。
誰の差し金か知らねぇが、しっかりダウンさせてやるよ。その上で、幻惑してテメーの証言なんか誰も信じねぇように、きっちり心も壊してやる。
「くっ…」
「こんな時も怯まねぇのか。なかなか肝の据わった奴だぜ」
すぐにも殴られる体勢。それなのに野郎は、こちらをまっすぐ見上げるだけだ。
―――こいつを壊すのは、惜しいな。
ふと、珍しくそう思った。
いつもは人を壊すのなんて何とも思わねぇし、アイツと違って苦しむ所か嬉々としてやってるっていうのに。
けど、壊さねぇと俺の立場も危なくなる。
やるか。
そう、腕を振り上げようとした時、頭の奥でひび割れる様な痛みが走った。
頭が痛い。
ぐるぐると頭の中を掻き回されているような違和感。それに、なんだか視界がはっきりしない。
「ぅ…ぐぅ…」
上手く立っていられない。膝を着き頭を抱える。
しばらくそうしていると、痛みが少し減ってきた。視界も段々明瞭になってくる。
ゆっくりと立ち上がってみる。
「はぁ、はぁ……こ、ここは?」
見覚えのない寂れた印象の教室。
おかしい。さっきまで昼食をとりに談話室にまで向かう途中だったのに。
どうしてこんな所にいるのか、まったく記憶にない。
「四階東の空き教室ですよ」
ふいに涼しげな声がする。そちらを見れば、後輩と思わしき生徒がいた。
小柄で黒髪黒瞳の色白な生徒だ。顔見知りではない。
「…君は?」
「通りすがりの一年です」
「…僕はどうしてここに?」
「廊下を歩いていたら、先輩が倒れていたので、通りすがりの数人で、この教室に運んで休ませました」
彼はすらすらと淀みなく答えた。
僕は自分が、どうしてここにいるか解って安堵する。
「それは、手間をかけさせたみたいだ。すまなかったね」
彼と他に数人いたとはいえ、僕を運ぶのは大変だったろう。せっかくの昼休みなのに、すまない事をしたなと思う。
あ、シャツのボタンが外れてる。息苦しかったから外してくれたのだろう。僕はそれを直す。よし、襟もきちんと直した。
「それじゃ、そろそろ行かなきゃならないので」
「ああ。本当にすまなかったね」
「いえ」
「後日に礼をしたい。クラスと名前は?」
「そんな事気にしないでください」
名前を聞けば、彼は首を振った。
しかし、それでは僕の気持ちがすまない。両親祖父母からも恩を受けたら、それに報いなさいと常々教わっているのだ。
どうにかして、彼にお礼を……。
「じゃ、急ぐので。後でちゃんと保健室行ってくださいね」
再び声を掛ける前に、彼は出て行ってしまう。
彼は急いでいたみたいだ。もしかして、彼は昼食を食べる前に僕を見つけて介抱し、お腹が空いていたのかもしれないな。
かえって無理に呼び止めなくてよかった。
さて、そろそろ僕も教室に戻ろう。
「ん?」
歩き出した右足が、何かを蹴った。
「これは……生徒手帳」
拾い上げる。開くと、先ほどの生徒の顔写真が貼ってあり、彼の名前が記されている。
一年B組 香波濠ハカナ。
それが彼のクラスと名前だった。
黒鳥先輩は自意識過剰で、なんかハカナに対してフィルターかかってますねww
まぁ、ハカナ視点だと焦ってたり怯えていたりしたんですけど
他人から見ると表情にそういうのは表れてなかった、という事です。