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30:白鳥の奏でる音色は

白鳥視点の話です。





 音楽室のあるフロアにいくつか点在する練習用の個室で、僕は今日もヴァイオリンのケースを開ける。

 弦のチューニングをし、弓に松脂を丁寧に塗り込む。楽譜台に楽譜を広げて、左の肩にヴァイオリンを置いた。

 指慣らしに基礎練習を一通り奏でてみる。調子は悪くない。

 僕は楽譜を変えて、夏の終わりにあるコンクール用の楽譜を広げ何度も何度も弾いた。

 ヴァイオリンが自分の体の一部になったかのような感覚だった。思い通りに動く左の指、まるで世界に楽譜と音しかないような、錯覚。

 気づくと、窓から差し込む光が弱いものになっていて、練習室のドアが開いた。


「調子がいいみたいだな、白鳥」


 絃楽部の顧問が立っていた。眼鏡の奥の瞳が楽しげに細められている。


「ええ……なぜだか、無性に弾き続けていたい気分で」


「あのコンサートから、お前の音が変わった」


「そう、ですか?」


「今までは優等生らしく、楽譜にただただ忠実であろうとした演奏だった、だが、今のお前のそれには色が加わった」


「色…ですか」


 僕自身はどう変わったのかはよく解らない。ただ、あのコンサートからヴァイオリンを奏でるのがより楽しくなかったのは確かだった。

 色とはなんだろう、と考え込む僕に、顧問は片唇を上げ「まぁ、頑張れ若者よ」と芝居臭い捨て台詞を残して去って行った。

 変わった事……それは一つだけ、思い当たる事がある。





 あの日、あのコンサートの日。

 しつこい勧誘から香波濠君を逃す為、飲み物を買いに行かせた。その後彼のを控室に戻らせる事なく客席に連れて行こうと、控室を出た時だった。

 廊下で母と出会った。


『鵠さん』


 久々に見る母は眉を顰めこちらを睥睨している。前回会った時もこういう顔で、僕にヴァイオリンを辞めるように命じてきたのだった。

 今日もそうなんだろうと解っていたが、なぜここにいるのかを問えばお決まりの台詞が返ってきた。


『決まっているでしょう。あなたを説得しに来たのよ』

 

『……せめて高校卒業までは部活を続けていきたいのですが』


『中学までは部活の一つくらい目を瞑って来たわ。けど、もうこれ以上は駄目よ。そんな時間があるなら、一族の為に己を磨くのに使いなさい』


『趣味さえ、持ってはいけないのですか』


『それが、何の役に立つというの?』


 母が鼻で笑う。

 確かにヴァイオリンなど、白鳥一族として生きていくのに必要はないだろう。どんなに美しい音色を奏でていたとしても、何の役にも立たない。それより毎日ヴァイオリンの練習に使う数時間を、禽の能力向上に励めという命令。この上ない正論だった。

 母は僕に白鳥一族の長の補佐の地位を望んでいる。

 その為には、禽の能力以外にも、禽の一族内での人脈や、人との交渉など学ばせたい事が幾多とあるのだろう。幼い頃から学ばされてきた事柄だが、ここの所はヴァイオリンに打ち込んでいて、あまり時間を取っていない。


『あなたは、一族の事だけを考えていればいいのよ』


 そう母が告げた時、急に頭の奥が痛んだ。酷い痛みだ。

 とっさに廊下の壁に寄り掛かり、目を瞑って痛みに耐えた。

 しばらくそうしていると、母は呆れたのか『行くわ』とだけ言い残して身を翻していった。その頃には、痛みは引いてきた。

 そういえば、香波濠君を探しに来たんだった。

 行かなきゃ、と思うのに歩き出す気がしない。

 母にヴァイオリンについて辞めるよう言われた後は、いつもこうだった。我ながら、いちいち凹むなんて 女々しいと思うが、何度言われても気分は沈む。

――そんなに悩むなら、ヴァイオリンなんて捨ててしまえばいいのに。

 そう思う事も何度もあった。

 けれども、白鳥一族の優秀な一員になる為に過ごしてきた日々の中で唯一、自ら望んで選んだのがこのヴァイオリンだった。

 これを弾いている間は、何もかも忘れられた。

 一族の事。優等生であれ、という親族の期待。自分の白鳥で犯してきた罪。

 目を瞑ったままでいると、香波濠君がやって来た。

 ハッとして慌てて普段通りの自分を繕うが、よっぽど見かねる顔をしていたのだろう。


『何を悩んでるか解らないですけど、あまり抱え込まないでくださいね』


 彼はそう言って僕にレモンティーを差し出した。普段は凛とした印象的な黒い瞳が、わずかに細められている。優しい眼差しだった。

 僕は、驚いた。

 見るからに悩んでいるという顔をしていた自分に。

 そして、あまりにも陳腐な台詞なのに、喜びを感じている自分に。

 香波濠君の言葉が、社交辞令でも構わない。

 普段から優等生として扱われ、悩みを相談される事はあっても、悩みがあるかなんて気遣われる事などなかった。誰も踏み込まないし、踏み込ませるつもりもない。それで問題なかったのに。

 彼は、たった一言で、どうしようもなく沈んでいた心を浮上させた。

――誰かに気遣われるのって、こんなに気持ちがいいモノだったんだ。

 飲み込んだレモンティーのように甘く、彼の一言が体に染み込んでいく様だった。



 その後、コンサートは大成功だった。

 今までは母と会った後の演奏にはムラやミスが起こりやすかったが、彼のお蔭か、とてもいいコンディションで演奏出来た。打ち上げに彼を呼んだら戸惑っていたが、なかなか楽しい時が過ごせた。

 小さな口で肉料理を頬ばる姿。女子生徒に絡まれて困惑した顔。隣で僕を見上げるあの可愛らしい瞳。

 どうも、あの日から僕はヴァイオリンを弾くか、彼の事を思い出すかばかりしている気がする。……気を引き締めなくてはコンクールは近いのだ。

 僕は再びヴァイオリンを弾く為、弓を構えた。





白鳥の中でハカナがちょっと気になる後輩から

かなり気になる後輩にランクアップwしました


どうにか三十話を達成しました!

が、まだまだ道は長いようです。








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