26:感謝はするけどヒーローなんて、思わない
「俺らぁ、連れの女の子とはぐれちゃって、困ってたんだよねぇ」
「君、可愛いね~」
「あっちで俺らと祭り回ろうよ」
三人の浴衣姿の男はヘラヘラと笑いながら、私の腕を掴んでこようとする。すぐ数歩退いた。
「悪いけど、他を当たって」
「わ~怒った顔も可愛いね」
「少しだけだから、イイじゃん?」
「祭りの後、ゴハン食べよーよ。モチロン奢るよ?」
私が何度も付き合う気はない、と言っても男達は聞いてくれない。ケラケラ笑う男達はどうやら酔っている様子だ。
またもや腕を伸ばして連れ去ろうとしてくるので、私は少しを距離を空けた。
「あ~ノリ悪いなぁ」
あ、なんか声が低くなってきた。危険な気配がヒシヒシとする。
周囲に人影はない。トイレに逃げたら袋の鼠だ。トイレの個室に籠る? ダメだ。すぐ上から侵入される。それに東雲先生まで危ない目に合う。
私は小走りで走り出す。男達も追って来た。
ヘラヘラ笑いながら追いかけてくる様子から、まだ本気ではないのだろう。遊びの延長として、獲物を追い詰めて楽しんでいる。
さて、どうやってこいつらを追い払おう。
履き慣れない下駄はとてつもなく走りずらい。その上、私の体力では小走りでも、すぐに体力切れが起こる。禽を呼び出し、感情介入をするにしても、一対一で目を見なければ無理だ。その間に他の二人に襲われるだろう。
追ってくる男達が本気を出したら、たちまち捕まる。そうなったらもう、力では叶わない。
私に出来るのは、男達が本気を出さない内に出来るだけ、人のいる方角へと逃げる事だ。例え、途中で捕まったとしても近場に誰かいれば叫び声ぐらいなら届く筈だ。それに賭けるしかない。
せめて、もう一つの能力が目覚めていればよかったのに。
香波濠ハカナは、百合の純愛ルートでのイベントで、二つ目の禽を覚醒させる。私自身はまだ、持っていない能力。あの力さえ、持っていれば……このくらいの危険など、どうとでも出来たのに。
唇を噛んで走っていると、何かに足を取られた。
「!!」
暗闇の中、前へと転ぶ。
後ろの気配が近づいて来る。遠くに聞こえる祭囃子の音に混じって響く、数人の足音。蒸れた空気に湿った土の匂い。ああ、ここは池のほとりか。
立ち上がろうとすれば、下駄が足から滑り落ちる。
薄闇の中で足元を見ると鼻緒の片側が切れて、ブランと宙ぶらりんに下駄が垂れ下がっていた。
「あれぇ~?」
「転んじゃったのかな」
「大丈夫ぅ?」
間近に迫った笑い声に背筋が粟立つ。
立ち上がろうとしてまた、転んだ。下駄が完全に足から離れて落ちた。ケイタイで警察を呼ぼうと思い直したが電源が切れたばかりなのを思い出す。
そうだ。悲鳴を、悲鳴を上げないと。
誰かに助けって、って。
「…ぁ……」
なんで。なんで。なんで。
喉が凍ったみたいに上手く動かせない。
嫌だ。こんなの、こんなのってない。
足音がすぐ真後ろにまで、来てしまった。
「――――何をしている」
私のすぐ後ろで響いた声は、低く落ち着いていた。
ぼんやりと潤んだ視界で振り返れば、薄闇の中でも目立つシャンパンゴールドの髪が見える。
鷹宮寺が私を庇うように、男達の前に立ち塞がった。
「ふん。下種が」
鷹宮寺は千鳥足で走り去る男達を見つめながら吐き捨てた。
私は未だ立ち上がる事も出来ず、それを茫然と眺めていた。
鷹宮寺が来てわずか数分で事態は収束した。突然現れた鷹宮寺に男達は喧嘩を売り、見事返り討ちにあった。それだけだ。
「あ、ありがとうございました」
どうにか震える足を鼓舞して立ち上がり、頭を下げる。
よく考えれば、これが初顔合わせだ。
一難去ったと思ったら、また一難。
そもそもどうしてここに鷹宮寺がいるんのだろう。一年の夏休みの鷹宮寺のイベントは公園だった筈だ。だから公園には近づかない様にしていたのに、なんという偶然! しかしこの偶然がなかったら、私はひどい目にあっていたからこれは幸運と捉えるべきなのか。うう、しかし、相手は最も蝙蝠を嫌う攻略対象だ。幸運だけど不運みたいな気分。
……会話をしただけでバレたりしないよね。
多分、この薄闇の中だから顔はしっかりと見られないだろうし、いつもとは姿も違うから大丈夫な筈だ。そもそも、いつもの姿さえ鷹宮寺は知らないだろうし。
「別に貴様の為じゃない。ああいう輩は不快だ」
ふいっと鷹宮寺が顔を背けてしまう。
セリフだけならツンデレか、と突っ込みを入れたい態度だがこれは礼を言われたのを照れている訳ではなく鷹宮寺の本心だろう。
「それより、いつまで裸足でいる気だ。見苦しい」
これは、いくらなんでも恐怖で震えている相手に掛ける言葉じゃないだろう。しかし、これが鷹宮寺という攻略対象だ。ゲームの主人公と触れ合うまでは、人の痛みに疎いのだ。
私は恐怖が収まり切らない内から、苛立ちを覚えつつ、ヨロヨロと近くに落ちていた下駄を拾い上げる。
「…鼻緒、切れてたんだった」
困った。これじゃ履けない。
私はどうにか鼻緒を直そうと悪戦苦闘するが、やった事がないせいか全く上手くいかない。
「愚図が」
「あっ!」
ひょいっと鷹宮寺が私から下駄を奪う。
鷹宮寺はスーツのポケットからハンカチを出し、それを引き裂くと手早くそれを下駄の鼻緒にしてしまった。
「履け」
「…こんな事までありがとうございます」
「貴様の不器用さが見てられなかっただけだ」
地面に無造作に放られた下駄に足を通す。
……足にちょうどいい。これなら歩いて戻っても大丈夫だろう。
くっ、頭のいい奴は手先も器用なのだろうか?
内心悔しがっていると、鷹宮寺がこちらに背を向け池に向き直っていた。
そういえば、鷹宮寺はなぜこんな人気のない場所にいるんだろう。
祭りに遊びに来るってタイプでもないし、服装もスーツ姿で、とても祭りに来たとは考えられない。
「そろそろ、時刻か」
「…え?」
ぽつり、と鷹宮寺の呟きが聞こえたと思ったら、池の周辺に仄かな小さい光が無数に現れた。
黄緑色の小さい光達だ。
たくさんの蛍がふわふわと舞いながら、点滅している。
「綺麗…」
思わず漏らしてしまった一言を聞き取った鷹宮寺が、無表情にこちらを見やる。まるで、すぐにでも立ち去れと言わんばかりだ。
本当はもう少し、綺麗な蛍を見ていたかったけど、そろそろ戻らないと東雲先生も心配しているだろう。
まだ足が恐怖で萎えているけれども、歩き出す。
「待て」
五歩程進んだ所で、背後から冷ややかな声が掛けられドキリ、とする。
まさか、バレた?
いや、それはない。だって、鷹宮寺は香波濠ハカナを知らない。
では、禽の関係者だと、気づかれた?
たった数分のこの接触だけで、気づかれるなどあり得るのだろうか。
「髪と着物が酷い事になっている。見苦しい。すぐに直せ」
思わずギュウッと握り込んでいた拳を、脱力のあまりに開ききってしまいそうになる。慌てて手に握っていた巾着の紐を握り直す。
最後の最後で、この一言。
緊張した分だけ、イラッと来たので私は返事をせずに早足で歩き出す。
しかし足音が後ろがついて来た。
「!?」
驚いて振り向くと、鷹宮寺がこちらを追って歩いている。
「貴様は学習能力がないのか? こんな場所を一人で歩くなど、先ほどの二の舞だぞ」
「…っ」
カッとなって言い返しそうになったが、鷹宮寺の言う通りだった。こんな薄暗い人影のない場所を女性一人で歩くのは安全とは言い難い。さっきの男達だってまだその辺りにいるかもしれない。見つけたら今度こそ、ひどい目に合うだろう。
鷹宮寺と離れる事ばかりに気を捕られ過ぎていた。
「帰るついでだ。ついて来い」
鷹宮寺が私を追い越して、ズンズンと私が走って来た方角へと突き進む。私は慌てて歩調を速めた。くそぅ。頭のいい奴は歩くのも早いのか!?
ひたすら私達は無言で、歩き続ける。
池から少し離れた庭を通り抜けると、神社の石畳の通路に出た。その通路を人通りの多い表の方へと進むと、遠目に東雲先生が見えた。
どうやらずっと私を探していたらしい。
こちらに気付き、手を振り駆け寄って来る。
「これに懲りたら、人気のない場所に女一人で来るような愚かな真似はするな」
鷹宮寺は素っ気なく言い捨て、背を向けた。そのまま私達とは反対の薄暗い通路へと歩き出す。
「あ、ありがとう…」
私は慌ててその背中に礼を言ったが、聞こえていたのかいないのか、ズンズンと早い足取りは緩む事なく鷹宮寺は去って行く。そこから向き直り、私も東雲先生へと歩み寄った。
「どこに行ってたの!? 心配したんだからっ」
ケイタイを片手にしていた東雲先生が私へと抱き着いて来た。
「電話繋がらないし、何かに巻き込まれたのかと思ったわよ…」
私の肩に顔を埋めた先生の声は、涙声だった。そんな先生を抱き返し私は、心配させた事を詫びた。
私に妹を重ねている先生からしたら、今夜の事は過去の悪夢の再現の様に感じられただろう。まだ少し震えている。
「……いい歳なのに取り乱しちゃってごめんなさいね」
落ち着いてきた先生は、恥ずかしそうに言いながら私から離れた。
それから、私の惨状に仰天した。
「ハカナちゃん!? 帯やウィッグがすごい事になってるわっ」
事情を話せば先生は激怒し、私に抱き着いて泣いたり怒ったりと忙しかった。
その後、すぐに病院に戻りその日はそのまま解散となり、翌日、私は緊張や怒りや恐怖の心労からか知恵熱を出した。
夏祭り、浴衣、鼻緒、蛍、と
これだけのシチュエーションが揃っていても
甘くならないのは、鷹宮寺のせいですw




