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23:私が甘かった

 

 夏休み中、攻略対象は全員寮から実家へ帰る。

 そう思い込んでいた私は、甘かった。


「奇遇やな、香波濠ちゃん」


 ただいま寮のラウンジで、鶴織と遭遇してしまった。

 

「な、なんでいるんだ」


「俺は実家に帰らへんもん。それは香波濠ちゃんやって同じやろ」


 ゲーム内では、主人公は夏休みを実家で過ごしていた。夏休み中のイベントも海や避暑地と出先で攻略対象と遭遇して起こる物ばかりだ。だから、私は勝手に攻略対象は全て、寮から帰っていると思い込んでいた。

 私には帰る実家も特に用意されていないので、夏休み中は寮にいるから安心だな、なんてのほほんと思っていたのだ。なんて、甘いんだ。

 よくよく考えたら、実家内での確執がある鶴織が寮に残っても何の不思議はないのだ。


「なぁ、香波濠ちゃん。まだ抱き枕になってくれへんの」


 ラウンジのソファーに座っている鶴織がポンポン、と隣の空席を手で叩きながらこちらを見上げる。

 いや、座らないから。


「誰がそんな事するか」


 さっさとラウンジを通り過ぎようとすれば、鶴織に腕を掴まれソファへと座らされた。腕力に訴えるとは卑怯だな。


「僕はこれから出掛けるんだが」


 これから近くのコンビニにアイスを買いに行く予定だったのだ。

 寮の自室で夏休みの課題を片づけていたら、だいぶ時間が経っていた。そろそろ休憩しようかな、と思ったら急にアイスが食べたくなった。が、冷蔵庫にはない。暑い中買に行くのも面倒だ。いや、しかし食べたいと葛藤を十分繰り返し、寮を出ようとしたら、寮の玄関の横にあるラウンジでくつろいでいる鶴織と遭遇した、という訳だ。


「ええやん。少しくらい付き合ってくれたって」


「嫌だ」


 鶴織が私の腕を握ったまま、もう片方の腕を伸ばそうしてくる。

 どうやら、隙あらば抱き枕にするつもりらしい。

 私はその手を叩き落としながら、出来るだけ鶴織から体を離す。腕は掴まれたままだから、あまり距離は取れないが気持ちの問題だ。


「どこ行くん? 俺も一緒してええ?」


「離せ。手を伸ばすな。ついて来るな」


 パシ、パシ、と手を叩き落とすのも疲れてきた。

 鶴織は楽しそうに私に腕を伸ばそうとして来る。

 このままでは、ソファの上で抱き枕にされる。

 というか、ここは寮のラウンジだ。玄関のすぐ隣だ。

 夏休みだからといって、いつ誰が通りがかるかも解らない。寮に残っている生徒は少ないがいるのだ。

 もし、ここで抱き枕にされた上に、万が一鶴織が熟睡などしてしまったらとんでもない事になる。


「……一緒に来てもいいから、離せ」


 渋々頷けば、腕は簡単に解放された。

 

「で、どこ行くん?」


「すぐそこのコンビニ」


「何の用で行くん?」


 買い物だ、と答えれば何を買うのかと聞かれ、またもや渋々とアイスだと白状した。すると、鶴織は立ち上がり「ちょっと待っててな」と去って行く。

 待てと言われて待つ程素直ではない。

 これ幸いにラウンジのソファから立ち上がり掛けた所で、鶴織が走って戻って来た。


「ほら、香波濠ちゃん。どっちがええ?」


 鶴織の手には、カップのアイスが二つあった。

 私がたまにしか買わないちょっとお高いメーカーのアイスだ。しかもどちらも私の好きなバニラとストロベリー味である。


「じゃあ、こっちを」


「はい、どうぞ。たまたま俺の部屋にあってちょうどよかったわ」


 私は夏であろうと、断然アイスはミルク系が好きだ。氷菓子とアイスクリームだったら、断然後者を選ぶ。例外はかき氷だけである。

 鶴織から手渡されたプラスティックのスプーンで、ストロベリーのアイスを堪能する。この甘さと冷たさがたまらない。勉強で疲れていた体に糖分と乳脂肪が染み渡る。

 

「香波濠ちゃん、一口いる?」


 鶴織がバニラアイスをスプーンで一口掬ってこちらへと差し出す。白いアイスにバニラビーンズの黒い粒、そして溶けかけたとろりとした部分が私を誘惑する。

 しかし、私を思い留まらせる要因があった。

 スプーンだ。あのスプーンはさっき鶴織が使っていた。

 つまり、この誘惑に負ければ奴の使用済みスプーンに口をつける事になる。

 男装していて中身は前世オタクとはいえ、一応乙女心というものも所持している。さすがにこれは躊躇う。


「あ? いらへんの」


「じ、自分のスプーンで貰う」


 自分のスプーンでバニラアイスを貰う。鶴織も私のストロベリーアイスを一口スプーンで掬って食べた。


「ありがとう。おいしかった」


 アイスを食べ終え、鶴織に礼を言ったら、ニヤリとされた。


「食べたな?」


「ああ…」


「じゃあ、お礼に抱き枕になってや」


 親切にしてくれたと思ったら、これだ。

 仕方ないアイスの代金を払おう。

 コンビニでは電子マネーで買い物をするつもりだったので、今手持ちの現金はない。


「アイスはいくらだ。今すぐ部屋に行って財布を取っ…!?」


 呆れた気分で立ち上がり掛けると、またもや腕を引っ張られた。ドサリ、とソファの上に座り直される。

 まるで閉じ込めるように、私の両脇のソファに手を置いて鶴織が見下ろしてくる。


「他のもんでのお礼は受け取らへん」


「……こうだと知っていたら食べなかった」


「なぁ、お願いや。十分でもええんや」


 今度は泣き落としか、ちょっと情けない顔をして頼み込まれた。

 鶴織を押し返そうとしても、ソファを背にして腕の中に閉じ込められるようにされているか大した抵抗にならない。

 

「しつこい奴だな」


「そうや。俺ってしつこいんや。香波濠ちゃんがうん言うてくれるまでは、離さへん」


 本当に駄々っ子か、こいつは。

 私は思わず盛大にため息を吐いた。


「……わかった」


「え? ええの?」


 私は苛々と頷いた。

 駄々っ子相手だと思えば、対応を変えざる得ない。ダメだの嫌だの言うから、いけないのだ。だから鶴織が却って意地になっているのだ。ここはあっけなく頷いてやれば、興味を薄れさせる事も出来るだろう。

 それに、どうせ、私では鶴織は眠れない。

 前回眠れたのはイベントのせいだったから、今回無理に抱き枕にされても安眠効果はゼロだ。鶴織も私で眠れないと解れば、違う抱き枕を探すだろう。

 今のこの距離感も、ヤンデレ化していないかどうかの観察には打ってつけだが、こうも毎回抱き枕をせがまれるのもうんざりしてきた。

 それにいつ禽で操られるか、と怯えるのも胃に悪い。

 さっさと鶴織にはガッカリして貰って、違う抱き枕を探して貰おう。。


「ただし、ここじゃ人目が…っと、何をしてる?」


「膝を枕にしとるんやけど」


 人目のない場所に移動しようとする前に、膝に鶴織の頭が乗っていた。


「抱き枕じゃなくていいのか?」


「これがええ。香波濠ちゃんの気が変わる前に寝たいんや」


「ここじゃ人目につくから嫌だ」


「大丈夫や。今日は、寮に残った皆出とるから」


 寮に残っていた生徒全員が外出中?

 なぜ、鶴織がそんな事を知っているんだ。夏休み中に寮に残る生徒だって、少ないとはいえ一クラス分ぐらいの人数はいる筈だ。

 まさか、全員禽で操ったとかそういう事をしでかしたんじゃないだろうな。


「……なんで知ってるんだ?」


「さっき、管理人さんに会って聞いたんや。なんか近くで花火大会があるんで皆、そっち行ったんやて」


 鶴織の返答に私はホッとした。

 いや、だからと言ってラウンジでの膝枕はどうかと思う。必死で鶴織を引き剥がそうとすれば、両腕で腰をホールドされた。顔をお腹の方に向けないで欲しい。そして、すぐ離れて欲しい。

 しかし、体力勝負で根を上げたのはやはり私だった。


「はぁ、はぁ…」


「もう諦めたらどうや。なぁ」


 瞼を閉じた鶴織が口元を綻ばせて言う。私の抵抗を受けていたというのに随分余裕そうだ。もう寝る体勢に入っている。

 うぅ。少し休憩だ。私は抵抗を止め、体力の温存を最優先にする。このまま体力回復と共に反撃をしよう。

 そう計画した筈なのに、気づけば私の瞼もゆっくりと下がっていった。







 どこかで声がする。


「この…………なぁ………や」


 甘ったるくて優しい囁きは、聞いた事がある。


「………へん。……でも………………………のに」


 なんだっけ。眠い。もっと眠っていたい。寝返りを打とうとして、何かに阻まれる。なんだろう。

温かい。固いけど柔らかさもある。


「香波濠ちゃん、やっと起きたんか」


 目を開くと、私を見下ろす鶴織がいた。何が楽しいのかくすくすと笑っている。

 あれ、私、寝ていた?

 気づけばラウンジの照明がついている。窓から見える外は暗くなっていた。一体、何時間経過したんだ。

 起き上がろうと身を捩じり、異変に気付いた。


「なんで僕が膝枕されているんだ」


「んー? お返しにと思って」


「そんな気遣い結構だ」


 うっかり眠る前までは、鶴織に膝枕していた筈なのに、起きたら私が鶴織の膝を枕にして寝入っていた。なんだこれ。

 もしかして鶴織は結局、眠れなかったからその腹いせに私をからかおうと思ってこんな悪質な嫌がらせをしているのか。

 起き上がりながら、じろりと鶴織を睨むと微笑まれた。なぜだ。


「香波濠ちゃんのお蔭で、二時間も熟睡出来たんや。少しくらいお返しせんといかんと思ってなぁ」


 私で熟睡出来た、だと。

 思わず唖然とした私に構わずに鶴織は立ち上がった。


「それじゃ、おおきに」


 また次もよろしゅうな、と余計な一言までおまけして鶴織は寮の自室へと去って行った。

 取り残された私は、どういう事だろうとしばらく考え込んでいたが、結局答えは見つからずじまいだった。

 その内、どこか遠くから花火の音が聞こえ始める。私は一旦、思考の迷宮を打ち切り二人分のアイスのゴミを片づけると、花火を拝む為に自室のベランダへと出た。






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