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16:勉強しようと思ったのに







 六月の終わり、梅雨も終わった日曜の昼下がり。

 期末テストがあと数日に迫っていたので、土日はしっかり勉強しようと思っていた私に一本の電話が掛かってきた。


「俺だ」


 名乗りもせずに静かに告げる低い声。百舌鳥だ。


「桑枝さん、どうも」


「これから迎えに行く。いつもの所で待っていろ」


 一方的に用件だけ告げると、電話は切れた。

 私は、思わずケイタイを壁に投げつけたい気分になったが、ため息と舌打ちを零し、財布とケイタイのみをジーンズのポケットへ入れ立ち上がる。

 どうせアイツの呼び出しなんて、碌な用事じゃない。

 なるべく早く終わりますようにと祈りながら、私は、気温が上がってきた寮の外へと足を踏み出した。





 学園を出て、近くの駅で電車に乗る。

電車に乗ってから二つ目の小さな駅で降りて、寂れた商店街の路地を脇に逸れる。その奥のひっそりと隠されたようにある神社。それがいつもの待ち合わせ場所だ。

ここなら、天翼学園の生徒も来ないし、人に見られる心配もない。

すっかり色あせ苔が生えた鳥居。ヒビが入っている狛犬。境内は雑草が多く蝉の声がうるさかった。その風景の中、一人の男が立っていた。

遠目からも解るスラリとした長身の体躯に、ラピスラズリ色の髪。斜めに流した長めの前髪が左目を隠している。隠されていない方の右目がギロリ、とこちらを睥睨した。


「遅い」


百舌鳥が私の姿を見つけると不機嫌そうに、そう零した。


「すいません」


 急だったのにそんなすぐ来れる訳がないじゃないか、と反論したいのを抑えつつ、謝る。


「行くぞ」


 歩き出した後を慌てて追う。

 休日のせいか、百舌鳥の服装はラフなシャツとチノパンだ。しばらくその大きな背中を眺めながら歩いていると、駐車場に辿り着いた。


「乗れ」


 一方的に言い捨てて、百舌鳥が三つ又の鉾マークがついた黒い車に乗り込む。私も後ろの席へと身を滑り込ませた。

 こうしてわざわざ連絡をして来て、どこかへ連れて行くという事は、私を手駒として使いたいのだろう。

 まぁ、大人しく使われてなんてあげないけどね。

 百舌鳥に協力するという事は即ち、理不尽な殺戮バットエンドへと事態を進めていく事だ。

ゲーム内で、誰のルートにも入らないと百舌鳥は学園内で禽の関係者を片っ端から殺していった。ゲーム内では唐突なそれは、小鳥が殺される時の百舌鳥と小鳥の会話で計画的なものだったと明かされている。

 学園内での計画、という事はそこに手駒だったハカナが使われるのは間違いない。ハカナの能力は物理的なモノではないから、きっと標的を精神的に弱らせたり、油断させる役目だったのだろう。

 そんなのはごめんだった。

 ゲーム内でのあの惨劇を思い出し、唇を噛んだ。

 百舌鳥は、一般生徒も禽の関係者も容赦なく殺していった。夕暮れの血に染まった教室に響いたひび割れたような低い笑い声。鷹宮寺の反撃で息絶えたハカナを踏みつけながら、小鳥へと歩み寄る百舌鳥の笑う右目。

 あんな惨劇に協力など、したくはない。

 しかし、今の香波濠ハカナが手駒として役に立たないと知られたら、最悪その場で殺されるかもしれない。それだけハカナは、百舌鳥が裏でやっている事を近くで見て手伝ってきた。

 

「着いたぞ」


 ルームミラー越しに、百舌鳥の右目がこちらを見る。鉛色の感情の読めない目だ。怜悧な印象さえ受ける顔立ちと相まって、本当に得体が知れない。

 私は、止まった車から降り立った。

 さて、どうやって百舌鳥の頼みという命令を上手く断ろうか。






 意外な事に私達を出迎えたのは、東雲先生だった。


「待ってたわ。さ、ハカナちゃんこっちに来て」


 先生は私の腕を取ると歩き出した。百舌鳥が後からついて来る。

 私達は白い大きな建物に入った。数人の看護師とすれ違う。どうやらここは病院のようだ。先生はズンズンとエレベーターに乗り込み、五階のボタンを押す。私は事態が全く呑み込めない。今日は検査などないし、第一ここは先生の病院ではない。


「あの…先生、今日はどういう…?」


「あら、百舌鳥はハカナちゃんに説明しなかったの」


「聞かれなかったのでな」


「そういうのは呼び出す時に言うもんでしょうが! もしかして今日も無理に連れ出したんじゃないでしょうね」


「そんな事は俺の自由だろう」


「あのね、そうやっていつまでもハカナちゃんをあんたの所有物扱いするなって、何度言ったら…」


 ピンポーン。

 東雲先生の小言がヒートアップする前に、エレベーターが五階に到着しドアが開いた。

 

「……行くわよ」


 病室の前に着いたら説明してあげるから、と先生は歩き出した。百舌鳥と私もそれに続く。

 五階の東の一番奥の病室。そのドアの前で先生が立ち止まった。病室の名札には「飯田結衣」と書かれている。名札にはそれ以外の名は無かった。個室みたいだ。

 

「ハカナちゃんには、ある女の子を救って欲しいの」


「女の子?」


「……目の前で、家族を殺された子なの」


 ドクン、と香波濠ハカナだった頃の私の感情がざわめく。

 メノマエデコロサレタ。

 カゾク。ミンナ。

 ソレヲミテイタ。ワタシ。

 いや、違う。私は、私だ。香波濠ハカナであるけれども、そうじゃない。持っている今世の記憶に引き摺られるな。復讐の先には、死か破滅しかないんだぞ。


「ハカナちゃん、大丈夫?」


 気づけば心配そうに東雲先生が私の顔を覗き込んでいた。慌てて頷く。


「それで、その子供をどうすればいいんだ?」


 腕を組んだ百舌鳥が、つまらなさそうにこちらを見下ろしている。東雲先生がそれを一睨みし、こちらに囁いた。


「この病室の子、結衣ちゃんはその事件があってから、全てを拒絶してしまったの……あの頃のあなたのように」


 香波濠ハカナは四歳で、両親、祖父母、親戚と一族全てを失った。

 目の前で起こった惨劇に、幼い自我は耐えきれず、世界の全てを拒絶してしまったのだ。話掛けても反応せず、いつも虚空を見つめている虚ろな瞳の子供となってしまった。泣く事さえ出来なかった。


「あなたが辛いのなら、無理とは言わないわ。でも、結衣ちゃんを救ってあげて欲しいの」


「救う、なんてそんな…」


「出来るわ。あなたの力なら」


 蝙蝠の能力は、人の心への介入。

 好きな物を嫌いに、嫌いな物を好きに、と思いのままに出来る。

 対象の元々持っている感情を消し去ったり、感情を増幅させたり、感情を向ける物や人を書き換えられるのだ。例えば嫌いという感情を消したり、小さかった殺意を増幅さえたり、好きな人物を変える事だって可能だ。優秀過ぎるカウンセラーのようなものだ。しかも、本人は感情をそちらへ誘導されたとは気づかず、すべて自分自身の本物(・・)の感情だと思い込む。

 その能力から別名、蝙蝠の囁き、蝙蝠の唆しなど呼ばれていた。

 好意の感情を消し去ったり、妬みの感情を大きくしたり、小さかった殺意を大きなものにしたり、とそんな仕事ばかりをしてきた。

 

「……私の、力」

 

 こんな使い方、考えた事もなかった。

 だって、ゲームでもこんな使い方は少しも出てこなかった。香波濠ハカナの記憶の中でも、蝙蝠の能力は他人を使い人を傷つけ陥れたり、嫌がる人の心を変化させ思い通りにする、などばかりだ。


「やってやれ」


「ちょ、ちょっと百舌鳥」


「お前の力で、その子供を治してみろ」


 東雲先生が窘めるが百舌鳥は、真っ直ぐに私を見て言った。

 どういった狙いで、命じているのだろうか。注意深く観察するが、鉛色の右目には、何の感情も伺えない。


「……解りました」


 結局、私は頷いた。

 百舌鳥の手駒扱いは本意ではないが、今はまだ従っているフリをした方がいい。あの殺戮バットエンドの計画も、近くにいれば阻止や回避が行いやすいだろう。

 それに、私は、その由比という女の子を放って置けなかった。

 病室に三人で入る。由比という女の子は、ベッドに座って虚ろな瞳で虚空を見つめている。


「……事件の犯人を見ていたのはこの子だけなの」


 東雲先生が呟き、説明をしてくれる。

 今回のこの仕事は、どうやら警察関係からの経由らしい。多分、百舌鳥や東雲先生の協力者からの要望だと思われる。

 女の子は小学生低学年くらいに見える。ピンクのパジャマを着ていた。綺麗な栗毛色の髪はボサボサで、顔色が悪い。唇はガサガサとしていて、たまに噛みしめるのかちょっと切れていた。

 このまま普通の方法で立ち直おれたとしても、数か月、いや数年かかるだろう。その時に犯人が捕まっていなかったら、彼女は自身を責めるかもしれない。私がもっと早く立ち直っていれば、有力な証言が出来たのに、と。

 

「こんにちは」


 屈んで視線を合わせて挨拶をしてみる。返事はない。


「僕は、香波濠ハカナっていうんだ」


 女の子は瞬きさえしなかった。

 私は彼女の肩にソッと触れる。事件の後遺症で泣き叫ばれるかもしれない、と思ったがそれさえなかった。


「今から君の心に触るよ……ごめんね」


 彼女の肩に触れながら、心の中で「おいで」と自らの禽に囁きかける。スゥッと蝙蝠が創造されて、女の子の座る背後に姿を現した。

 彼女の死角に創造したのは、いくら世界を拒絶している状態だとしても、禽の存在を見られる訳にはいかない。そして、これから、彼女は一気に感情を取り戻す。その際に見られるのも、怯えられるのも避けたかったからだ。

 私は心の中で、禽に「囁け」と命じた。

 それを合図に、禽がその小さく真っ黒な翼を広げる。


「―――!!」


 女の子の瞳が見開かれる。

 私はその瞳をじっと覗き込む。

そのまま一気に、彼女の精神に介入した。

 恐怖は薄く、悲しみはそのままに、現実への拒絶を消去し、明日へ向かう気持ちを強く持たせるよう設定した。

 介入完了。


「え…、ぇ…」


 目に光を取り戻した女の子は、私の存在を認めるとビクリとした。私は慌てて手を離し、距離を取る。


「う、お母、さ…が、うぅ」


 ポロポロと泣き出した彼女に、東雲先生が近づいて行く。ここは先生に任せた方がいいだろう。

 私は百舌鳥に外に出ようと視線で頷き合い病室を出た。

 廊下を出ると、やっと泣けた少女の慟哭が聞こえた。





 私はふぅ、と百舌鳥の車の後部席に座り、病院のロビーで買った缶コーヒーを飲んだ。

 この能力を使ったのは、今の私になって初めてだった。

 正直、ちょっと不安だった。

香波濠ハカナの記憶でも、悩みながらこの能力を使用していた。人の感情、思考を勝手に変えてしまうなど、なんて下種で罪深い、奢り高ぶった能力なのだろう、と。

自身を責めながらも、ハカナは決して百舌鳥の命令に手を緩めなかったし、失敗もしなかった。鷹の一族への復讐と百舌鳥の役に立つのなら、ハカナは苦しみながらも進んでその能力を使い続けていた。

私が能力を使用した後、ハカナが感じていた罪悪感が一気に肩に押し寄せてくる。そう、予想していたのに、なぜだか、私は今、無性にやるせなかった。

きっと、私の中の香波濠ハカナが、あの女の子を本当の意味では救えていないのを知っているからだ。

あの女の子の心は、今日から再生してゆくだろう。

しかし、失ったものは還らないし、ふとした瞬間、それを痛い程感じるのだ。

 私は目を閉じて、ため息を零しコーヒーを呷った。


「…お前は」

 

 運転席で百舌鳥が急に呟いた。信号が赤になり車が交差点で停車する。ルームミラー越しに、鉛色の目と視線が交差する。


「なんだか、変わったな」


 ドキリ、と心臓が跳ねる。


「そんな事はないです…」


 もしかして、手駒として使われてやる気がない事を気づかれたのだろか。

 その上、奴の計画を阻止しようとしているなんて気づかれたら……すぐに殺される。

奴の能力、百舌鳥の速贄で串刺しにされる自分を想像してしまい、気分がより沈んだ。

私はそこで、ふと、思いついた。

いっそ、今日、ここで、百舌鳥の計画を打ち砕いてやろうか。

私には禽の能力がある。それを運転中の百舌鳥の死角で禽を呼び出せば、感情と思考の操作が出来る。

ここで、百舌鳥の持っている鷹の一族や他の禽の一族に対する敵意を消去する。その上で、百舌鳥の心に平和主義的な感情を設定すれば、理不尽な殺戮は回避出来るのではないか。

それに百舌鳥だけではない。攻略対象や私の死亡イベントを起こすキャラに対して、この能力を使えばいいのではないだろうか。ヤンデレ化した攻略対象の感情に介入し、心に平穏を取り戻す。周囲への殺意を消し去ってしまえば、私は無事平穏に生きていける。

いや、しかし現実的ではない。

ヤンデレ化した攻略対象と一対一になり、目を合わせ密かに禽を呼び出す。そんな事が可能だろうか? むしろ、私が禽を呼び出した時点で向こうも禽を呼び出している気がする。そうなると、能力の発動の速さが生死を分ける。速さなら、鷹や鴉が一番早い。感情の介入に入る前に殺される。

 でも、病む前なら……ダメだ。そもそも持っている感情にしか介入が出来ないのだ。ヤンデレ化していない攻略対象に感情介入したとして、意味はない。まだ芽生えてもいない感情を予防するなんて芸当は無理だ。

闇の中での一筋の光明に思えた案は、その場で却下された。

けれども、百舌鳥だけならば、いける。

彼の心には鷹の一族への敵意がある。それに介入さえ出来れば、とりあえず理不尽な殺戮バッドエンドだけは回避出来る。

一つ回避出来るだけでも、安心具合が段違いだ。

私は息を詰め、前を見た。

車は止まっている。今、声を掛ければ百舌鳥はルームミラー越しに私を見るだろう。

精神の介入は、対象者と視線を合わせなければ出来ないのだ。

百舌鳥の死角に禽を創造し、ミラー越しに視線を合わせる。

これで、いける。

私は今がチャンスだと確信した。


「ハカナ」


百舌鳥が、珍しく、私の名を呼んだ。

咄嗟に、返事が出来なかった。

信号が青になり、車が走り出す。 

 気づいたのだろうか、けれど、百舌鳥の声にはいつもとの違いはない。

 平坦で冷淡な印象さえある、しかし低くてよく響く美声。感情も憤りも何も感じられない。

 ああ、手足が冷える。上手く唾が呑み込めない。

 けれども、心臓だけが早く脈打っている。怖い。怖い。


「今日は見事だった。禽の腕を上げたな、今後もその調子で頼む」


「ぁ、は、はいっ」


 慌てて返事を返した後、脱力した。

 どうやら、今日の感情への介入を褒められたらしい。

 百舌鳥のハカナに掛ける言葉としては最上級の言葉だった。以前のハカナなら頬を染めて嬉しそうに頷いただろう。

 褒めるなら、何もこんなタイミングじゃなくてもいいのに。心臓に悪い。

 私は、冷や冷やしつつ、再度挑戦しようとして諦めた。

 車が駐車場に到着してしまったのだ。

タイムオーバーだ。まぁゲームオーバーより、よっぽどマシだけど。


「まっすぐ帰って、勉強しろ」


 百舌鳥はそれだけ呟いて、車で去って行った。

 勉強しろ、ってテスト前なのに連れ出したのはあなたですよね。と、言いたかった。

 が、私は言われた通りに寮に帰り真面目に勉学に勤しんだ。

 奴の担当教科で赤点を出し補習などごめんだったからだ。こうして私は、夜遅くまで英語の参考書と睨めっこをした。





やっと理不尽殺戮バッドエンドの担い手、百舌鳥が出てきました。




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