15:鷹に空飛ぶ鼠
鷹宮寺の視点の話です。
薄汚い獲物が雨どいのパイプの中に潜り込んだ。
それを禽の視点で確認し、俺は禽の実体化を解除する。これ以上は追っても無駄だ。パイプをわざわざ壊すのもどうかと思った。
「……薄汚い空飛ぶ鼠め」
見るも聞くも汚らわしい、あの一族と同じ空飛ぶ鼠を見つけ、つい矢を放っていた。幸い近くには誰もいない。忌々しい事にあの鼠は矢を二度避けた。そのまま禽で追い掛ければ、逃げ切られた。
俺は、床に置いていた弓を拾い上げ仕舞い、道場の更衣室へと向かった。
「…気分が悪い」
嫌な物を見てしまった、と俺はため息を零し道着から制服へと着替える。
時刻はもう八時四十五分だ。
さすがに長引いてしまった。これも全てあの薄汚い鼠のせいだ。
部室と道場の戸締りをしようと、更衣室を出ると廊下に立っている人物がいた。
「遅いぞ。鷹宮寺」
「誰もお前に待っていろなど言っていない」
高木徹 がこちらに歩み寄ってくる。中等部からの外部生で、寮の部屋が隣で同じ弓道部だからと何かとうるさい奴だ。
「あのな、自主練もいいけど、そろそろテストも近いんだから勉強した方がいいんじゃねぇの」
「ふん。テストなど普段授業を受けていれば困りはしない」
「多分、この学園でそんな事言うのお前ぐらいだぞ」
高木の手には鞄以外に、参考書があった。俺を待っている間に読んでいたようだ。こいつも確かテストでは上位五位に入る実力者だった筈だが、意外に授業内容は頭に入っていなかったらしい。
職員室に鍵を返却に向かえば、高木も一緒について来た。こんな風に高木はいつも、いつの間にか俺の近くにいる事が多い。まぁ、あからさまな擦り寄りや媚を売りに来た連中よりは、よっぽどマシだが、いささか口うるさいのとよくこちらに興味を示してくるのが時に面倒だ。
「お前は先に帰っていろ」
「え~。寮の食堂で一人で夕飯食たべるのつまんないし、鷹宮寺と一緒でいいよ」
この時間なら寮の食堂は締まっている。
しかし、特別連絡がない限り寮の人数分の食事は用意してあるので、食べ損ねる心配はない。ただ、高木の言う通りに食堂はほぼ人気がないだろう。
一人で食べるのがつまらない、という高木の言い分はほとほと理解に苦しむが、奴の好きにさせた。
職員室のドアを開けば明かりが灯っている。
もう誰もいずに締まっているだろうと思われた職員室には、人影があった。
「おお、鷹宮寺に高木か。遅かったな」
「弓の手入れと自主練をしていたので」
「さすが部長だな。熱心だ。しかし根を入れ過ぎるのも良くないぞ。程ほどにな」
職員室には、こんな時間だというのに顧問の教師がいた。
「先生、もっと言ってやってくださいよ。鷹宮寺の奴、テスト勉強もしないで自主練ばっかしてるんですよ」
「だから、普段の授業をしていれば問題ないと言ってるだろう」
「学年一位のお前の頭ならそうだろうなぁ」
ハハハと顧問が笑う。どうやらこんな時間まで学校に残っていたのは、テストの準備の為らしい。乱雑に紙や本が散らばった机の上に、ノートパソコンを広がっていた。画面から作成中のテストの問題が丸見えだ。
「先生、テストの問題見えてますよ。隠したらどうですか」
「ああ? お前らは二年だろ。俺の担当は一年だから」
「そういえばそうでした。俺、去年先生に教わってたんだったわ」
「高木は勉強は出来るのにそういう所は、抜けてるなぁ」
高木と顧問が笑い合っている。が、学年が違えども一生徒がテスト問題を事前に見るというのは良くない。俺は高木に「行くぞ」と一声掛けた。
「それじゃ、俺らそろそろ行きますんで」
高木と俺は軽い挨拶をし、職員室から立ち去ろうと教師に背を向けた。
が、伝えておかなければならない事を思い出し、教師へと向き直る。
「……そういえば」
「なんだ?」
「部活棟の雨どいの中に、鼠か何かが住んでいるようです。駆除の業者を呼んだ方がいいですよ」
教師が頷いたのを見届けてから、職員室を後にした。校舎を出て、同じ学園内の寮へと歩き出す。外はもう真っ暗だった。
「なぁ、さっきの鼠って俺知らないんだけど」
静かだった高木がふいに訪ねてくる。本当に、こいつはいつもどうでもいい事ばかり気になる性質のようだ。
「言ってないから当然だな」
「……まぁ、いいけどさ」
隣を歩く高木がふぅと息を吐いた。
見上げれば、 忌々しい、あの空飛ぶ鼠に似た闇が空を染めている。
こんな闇の中、あの鼠はよく、矢を二度も避けられた物だ。それにチラチラと追っている禽を伺うあの視線。
……まさか、禽か?
一瞬、そんな疑念が浮かぶが振り払う。
あの一族は全て根絶やしにしてやった筈だ。
十一年前の戦いで、全て、息の根を止めた。まだ五歳だった俺の、最初に命じられた鷹としての仕事。その時に見ていた。あの一族が滅んだ時を。
それにあの長が、敵を一匹でも取り逃がすような温い真似をする筈がない。
「はっ。我ながら馬鹿馬鹿しい」
「んー? 何、何?」
思わず零してしまった自嘲に、高木が食いついてくる。
「何でもない」
俺はそう吐き捨て、寮の玄関へと足を踏み入れた。
害獣駆除の業者が来れば、あの薄汚い空飛ぶ鼠も学園内から一匹残らず駆除されるだろう。
嫌な物を見てしまったせいで下降した気分が、少し浮上した。
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高木徹
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