12:オアシスをください
しとしと、ザーザーと雨音がうるさい。
私は教室の窓際の席で、イライラとしていた。
雨のせいでここ二日程、中庭に行けないのだ。
ゲーム内での香波濠ハカナの出没ポイント第一位、それが中庭だ。
基本、一匹狼で人と関わらないハカナは、人のいない中庭でベンチに座り読書している事が多い。私の持っているハカナとしての記憶でもそうだ。後は図書館や、屋上などに出没していた。
一匹狼……と言えば聞こえはいい。つまり、ぶっちゃけて言うと、ぼっちなのだ私は。
梅雨のせいで中庭には行けないせいで、私は行き場を無くしていた。
梟首に遭遇しそうな図書館は論外。空き教室は白鳥先輩と遭遇しそうで危険。鶴織に遭遇しそうな保健室と食堂も却下。鷹宮寺の出没する場所は外が多いのであまり心配はいらない…と思う。
こうして教室の机でうだうだとしているのも授業の合間、合間の休みならいい。
しかし、この長い昼休みなどは、本当に困り果てていた。今まで雨の日は図書室に直行していた私が教室に居続ける事で、周囲にも変化があったのだ。
「あ、あの香波濠君……良かったらこれ食べて」
同じクラスの女子、前田さんが顔を赤らめて可愛らしい花柄の紙袋を手渡そうとしてくる。
そういえば、この子、ゲームでは主人公の友人キャラだった。遅れて学校にやって来た主人公に学園の事、学園で有名な攻略対象の説明、好感度を教えてくれる便利なサポートキャラという役回りだ。
「手作りのワッフルなの。今日、作りすぎちゃって」
「……悪いけど、あんまり食欲ないから」
「そっか、ごめんね」
前田さんは眉を下げて、悲しそうにしながら友達を待つ自分の席へと戻って行った。
昨日も似たようなやり取りをした。昨日は違う女子だったが、珍しく教室に居続ける私に彼女達は代わる代わる接触を持とうと近づいて来る。
いい加減うんざりしていた。
ゲームで知っていたが、香波濠ハカナは女子にモテる。
いや、このゲームの攻略対象全てが、学園の女子生徒にモテている設定だった。鷹宮寺や鶴織、白鳥先輩などにはファンクラブなんかあった気がする。
なぜか香波濠ハカナにはないのだが、ファンクラブがあったらもっと大変だったろうからなくて良かった。
「香波濠、ちょっといいか」
「あ、うん」
もう寝てしまおうかと思っていると、鴉渡が声を掛けてきた。
あのお姫様だっこのイベント以来、鴉渡は私の体調などを気遣ってくれる。ありがたいのだけど、攻略対象なのであまり近づきたくはない。しかし、あからさまに避けるのも難しい。同じクラスってこういう時不便だな。
あの噂せいかクラスの女子の一部は私と鴉渡が一緒だと嬉しそうだし、教師はクラスに馴染めない私を鴉渡が助けようとしている、と認識しているらしい。
困った。気付くと苗字呼び捨てにされてるし、こっちが「鴉渡くん」と呼ぶと呼び捨てでいいと言う。……前世オタクなせいか体育会系とは、温度差を感じる瞬間だ。
「先輩が呼んでる」
「え? 先輩?」
私に用のある先輩などいただろうか?
部活は帰宅部、委員会はやっていない。
心当たりがなくて、首を傾げると鴉渡が微かに眉を寄せた。早く行って来い、先輩待たせるなって事かな。さすが体育会系のサッカー部員、上下関係には厳しいんですね、解ります。
「……俺も、一緒にいていいか」
渋々立ち上がれば、鴉渡がこう聞いてきた。
「え?」
「ダメか?」
鴉渡がこちらをジッと見た。
あまり表情が変わっていない筈なのに、なぜか纏う空気がしょんぼりして見える。ストレスによる幻覚かな、また病院行きだろうか。
「別に、いいけど」
触らぬ攻略対象に祟りなし。
私が神妙に頷くと、鴉渡は私の前を歩き出す。そんなに、その先輩とやらと話たかったのだろうか。
教室の入り口から廊下に出ると、思いがけない人物が待っていた。
「やぁ、久しぶりだね」
マリーゴルド色の目が微笑み、細められた。私はその上品でおっとりとした貴公子とさえ評される顔を見上げて、目を瞬かせる。
なぜ、白鳥先輩が私を呼び出すんだ?
「この間は、本当に手間をかけさせてすまなかったね」
「い、いえ…」
まさか、あの後、お礼の為に私の事を探していたのだろうか。
確かこのキャラは、両親の言いつけで恩を受けたら返さないと気がすまない性格だった筈だ。親達としては、借りを作ったら足元を掬われるかもしれないから、すぐに返してしまえという意味で言っていたのだが、白鳥先輩には言葉そのままの意味で刷り込まれていたのだった。
「この間、とは?」
私と白鳥先輩の会話に、鴉渡が疑問を投げかけた。
白鳥先輩は、なぜここに鴉渡がいるのだろうとでも言いたげに目を瞬かせたが、何やら一人で納得したらしく頷いてから事情を説明した。
鴉渡が大方の事情を理解すると、白鳥先輩がブレザーからとある物を出した。
「実は、あの後これを拾ってね」
「!」
先輩が手渡してきたのは、生徒手帳だった。
受け取り開くと、私の物だと解った。そういえば、最近開いてないな程度にしか思ってなかった。
「これ、どこで…?」
「あの時の教室でね。床に落ちていたよ」
まさか、あの時か。
凶暴な人格の白鳥先輩に、胸倉を掴まれた時、ブレザーの内ポケットから落ちたんだ。
せっかく、名もクラスも教えずに立ち去ったのに、こんな落とし穴があるなんてあんまりだ。
いや、しかし、これは使えるかもしれない。
「どうもありがとうございます。無くて困っていたんです」
私は生徒手帳を両手で握り締め、深々と頭を下げた。
これで、あなたの借りはチャラですよ、というメッセージだ。もう十分、お礼して貰いました、という訳だ。
「……本当はもっと早く届けたかったが、部活や先生の手伝いで忙しくてね。遅くなってすまなかった」
「いいえ、本当にありがとうございました」
更に念押しでもう一回、お辞儀。
「そんなに、大切な物だったのか?」
鴉渡が興味深げな声色で聞いた。私は慌てて頷き生徒手帳をポケットへとしまう。
中にはゲームでのイベントの時期と場所が、単語だけとはいえ書かれている。拾ったのが白鳥先輩だから中身は読まれていないだろう。不幸中の幸いだ。
「…そっか。なら、よかった」
白鳥先輩がフフ、と微笑む。
ああ、なんか彼の周りにキラキラとしたオーラが見えるようだ。さすがは優等生枠の攻略対象。
私は、感心しつつ微かに唇に笑みを描いた。
キャラ的にあまり破顔したりはしないので、これが精一杯の愛想笑いだ。
鴉渡がやや目を瞠った。……そんなに驚く事だろうか。そもそも、鴉渡だって表情の固いキャラじゃないか。あ、ここでもキャラが被ってる。
仮面舞踏会ばりの愛想笑みで、互いに顔を合わせているとチャイムが鳴った。ナイス、チャイム!
「あ、そうだこれ。お礼になるか解らないけど…」
先輩が慌ててブレザーのポケットから、折りたたまれた紙を渡そうとしてくる。止めるんだ。金銭のやり取りはしないぞ。
「い、いえ、もう十分なんで」
「これを見て、興味があったら来てくれればいいから」
「あ、あのっ……行っちゃった」
強引に私の手に紙を握らせると、白鳥先輩は華麗なダッシュで去って行った。優等生が廊下を走るというのは如何な物だろう。
「何だったんだろう」
「それ、何?」
鴉渡の興味は、私の手の中の紙に移ったようだ。というか、今日はやけに色々な物に興味を示してくるな。
二人して、広げた紙を覗き込む。
「…コンサート?」
そこには【天翼学園絃楽部コンサートのご案内】と書かれていた。
どうやら夏休みに学園の近くの施設で、無料のコンサートを行うらしい。
「行くのか?」
「……いや、音楽には疎いから」
そういえば白鳥先輩は弦楽部に所属していたんだった。ヴァイオリンの演奏が得意で、国内外の学生向けのコンクールでも入賞経験があるのだ。凶暴な人格もその辺りは弁えていて喧嘩では拳は使わない設定だった。
確かゲームでの白鳥先輩ルートでは、小鳥がそのヴァイオリンの音にうっとりと聞き惚れるイベントがあった。
私だって、ゲーム内で素晴らしいと絶賛されていた音色が気にならない訳ではない。ああは言ったが、音楽も人並みに好きだ。
しかし、これに行ってしまったら、白鳥先輩との関わりが増しそうな予感がする。そりゃもう、ヒシヒシと感じる。俗に言う死亡フラグな気さえする。
先輩には悪いけれど、回避しよう。
貰った紙を畳んでいると、右の手首にソッと触れられた。
「え?」
「…傷、無くなったな」
「ああ、もうすっかり治った」
鴉渡が右の人差し指を見つめている。
あのお姫様ダッコの時の傷をまだ気にしていたらしい。
素っ気ない印象を抱かせやすい言動が多いが、言葉が足りないだけで律儀で純朴なのは、ゲームと同じだ。
鴉渡の手が離れていく。私は生徒手帳を入れたブレザーのポケットに貰った紙を押しこめ、教室へと戻った。