73話 大きな流れ
額になにかが触れる感触で目が覚めた。
「…?」
目を開けるとおやっさんの顔があった。
「起きたか。朝礼になってもお前が出てこなかったから、様子を見に来たんだがな。」
おやっさんは椅子に座ってベッドに横たわる俺を覗き込んでいた。
部屋の中は日が差し込みとても明るかった。
もう昼前くらいだろうか。こんなに部屋が明るいのに目が覚めなかったなんて…。
おもわず額に手を当てると、濡れた布が手に当たった。
「だいぶ熱があるぞ。気分はどうだ?」
熱があるせいなのか、頭に霞がかかっているようですっきりしない。
「…ここは?」
「お前の部屋だ。」
おやっさんが俺の身体を軽く起こし、杯の水を飲ませてくれた。
一息ついて俺はまた横になった。
「…なんで俺、熱が…? なんか熱が出るようなことしましたっけ…?」
最近はだいぶ体力もついてきて、アネスト卿のとき以来熱を出すことはなかった。
キースとずぶ濡れになった後だって鼻水を垂らすことはあったが、熱を出すことはなかったのに。
「…そこの御仁に聞いたよ。」
おやっさんが視線を向けたほうを見ると、狭い部屋の壁際に一人の見知らぬ男が立っていた。
褐色の肌に銀色の長い髪を首の後ろで束ね、その切れ長の瞳は紫色で…。
「ん? リーシャちゃん?」
その男は特徴も、そして容姿もリーシャちゃんに似ていた。
男は神妙な面持ちでベッドに近づき、おやっさんと入れ替わって枕元に立った。
そのまま横たわっている俺の手をにぎり真剣な表情で俺を見つめてきた。
リーシャちゃんとよく似ている顔が、リーシャちゃんが見せない真剣な表情で俺を見つめるものだから、なんだか変な気分になって鼓動が早くなった。
「我が愚妹と、我が母なる者の非礼を詫びに参りました。」
その顔に似つかわしい、低く耳に心地よい声だった。
「妹の暴走もさることながら、まさかあの方があんな端的なことしか告げないなんて思いもしませんでした! おかげであなたをこんなに追い詰めることになってしまって…。本当に申し訳ありません!!」
「ちょ、ちょっと…」
男はせっかくのいい声で、切羽詰ったようにまくしたてる。
正直熱でふらふらしている俺にはとってもありがたくない。
お前が一番暴走してるだろ!と突っ込もうとしたところでおやっさんが男の肩をかるく叩いた。
「謝罪の言葉はまた落ち着いたときにして、とりあえず説明の補足をしたほうが…」
「そ、そうでした! すいません、つい!」
リーシャちゃんに似た神秘的な男の印象はガラガラと崩れ、俺の中で今では声と顔はいいのにいろいろと残念な男に成り下がっていた。
残念な男は胸に手をあてて、気を落ち着けるように何度か深呼吸をしている。
俺も熱で乱れている呼吸を整えようと大きく息を吸い込んだときだった。
「国家魔導所があなたを元に戻すことを誓います。」
「ぐっ、げほっ!」
いきなりの言葉におもわずむせ返った。
「大丈夫か、クライン!? 」
背を丸めて咳き込む俺の背中を、おやっさんが慌ててさすってくれる。
「孤児院であなたに接触された方は、国家魔導所の中枢にいらっしゃる方です。」
俺は喉に張り付いたような声で必死に男を見上げた。
「こ…国家魔導所…。あんた、国家魔導士なのか? 俺のことを知っていたのか?」
「私は国家魔導士ではありませんが、国家魔導所はあなたのことを当初から確認していました。」
「…そん…な…。」
俺は目の前が真っ暗になるのを感じた。
俺のことを察知されていた?
それならこの姿になってから俺が関わった人たちはどうなってしまうんだ?
俺を元に戻す? 人体実験でもして切り刻んで解明したあとか?
俺はどうなるんだ? 傭兵団は? おやっさんは?
あぁ、頭の中で誰かがずっとガンガンガンガンと鐘を叩き続けている。
やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ! 頭がわれるように痛い!!
誰か、誰かとめてくれ!
誰かっ、助けてくれぇっ!!
「おい、あんたがよけい追い詰めてるぞ。」
いつの間にか閉じていた目を開けると、おやっさんが男の肩をつかんでいた。
男もはっとした表情で俺を見て口をおさえた。
「あんたの話はまたクラインの熱が落ち着いたときに聞かせてやってくれ。今のコイツには刺激が強すぎる。」
「…本当に、申し訳ありません。」
まだ頭はガンガンと痛むが、男の沈んだ声に少し気を取り直す。
少なくともこの男は俺に危害を加えてくるつもりはなさそうで、うなだれている男の腕を気にするなとばかりに軽くたたいた。
しょげている男の顔は、リーシャちゃんよりもだいぶ幼く見えた。
なんていうか、リーシャちゃんが頼りにならないと言っていたのはこの男のことだろうか。
だとしたらリーシャちゃんを誤った性へ…道に押し出した重罪人じゃねえか!
俺は身体をむしばむ熱に負けじと身体をおこし、目の前の重罪人を糾弾しようとしたときだった。
おやっさんの落ち着いた声が俺の荒ぶる気を沈めるように静かにかけられた。
「この御仁が言いたかったのはだな、国家魔導所がお前の安全を保障するからもう何も心配する必要はないってことだ。」
おやっさんが男の肩を慰めるように何度も叩きながら教えてくれた。
よくわからないがおやっさんが心配ないと言うのだからそうなのだろう。
俺は熱で浅くなっていた呼吸を大きく吐き出すと、目を閉じた。
音で二人が部屋から出て行ったのがわかった。
大きな流れが俺を包み込もうとしている。
だから今は、今だけは何も考えずに眠ろう…。
そして身体と心を癒し、大きな流れに身を投じよう。
…。
……。
…あれ? 国家魔導所にばれてるってことは、サルバンの奴ってどうなるんだ?
ちらっと意識のすみに浮かび上がった疑問は、泡のごとくすぐにはじけて消え去った。
そして俺はそのまま深い眠りについた。




