56話 巨乳はお好き?
「おいで」
穏やかな声でアネスト卿が呼んだ。
俺はベッドに近づき、枕元においてある椅子に勧められて座った。
「ちゃんと夜は眠れているかね?」
「はい。アネスト卿はもうお加減はいいのですか?」
「あぁ、今すぐにでもお前と花畑を転がりまわりたい気分だよ。」
そして二人で軽く笑った。
アネスト卿は更に目を細めて、俺を見つめた。
「……正直なところ、とぎれとぎれしか覚えていなくてね…。いろいろと聞いていいかな?」
「…はい」
俺は静かに答えた。
「本当の名前はなんて言うのかな?」
「クラインです。」
「…クラインか。クランとあまり変わりないね。」
「なんもひねりもなくてお恥ずかしい限りです…」
アネスト卿は微笑んだ。
「いやいや、それだけ自分の名前を手放したくなかったということだろう、ちっとも恥ずかしいことではない。それより、その話し方が素なのかな?」
「あ、いえ…いつもの喋り方は、その、汚いもので…」
俺は言いよどんだ。
「今、この部屋にいるときだけは素のクラインの話し方で話してはくれんかな? 本当のお前を見てみたい。」
「…わかりました。でも、そう意識するとなんかやりづらいですね。」
そこで二人して笑った。
アネスト卿は、クラインとして俺がどんな幼少期を送ったか、また傭兵団に入ってからの俺の話などを聞いてきた。
「ふぅむ、副団長か。昔、新人兵を鍛えていた身としては、お前の実力を試してみたいものだ。」
「アネスト卿は今もやっぱり身体を鍛えてるんですよね? 俺、アネスト卿の鍛えられた肉体を見てみたいと思ってたんですよ!」
「クライン、わしのことは『じぃじ』か『おじいさま』か『おじいちゃま』と呼びなさい。」
「…んじゃあ、『じいちゃん』で。じいちゃんの鍛えられた身体を見てみたい!」
「……その姿で無邪気に言われると、何でもしてやりたくなるな…。お前、本当はいくつだったっけ?」
唐突に俺の頭の中で、いままでアネスト卿に見せてきた態度が走馬灯のように駆け抜けた。
……到底25の男のすることじゃない。
俺はどっと顔が熱くなるのを感じた。
「……25です…」
恥ずかしさのあまりうつむいた俺の頭を、アネスト卿はゆっくりと撫でた。
「そうか、よしよしクライン、何も恥ずかしがることはないぞ。人間とは、そのときどきの環境に合わせ順応できる賢い生き物だ。今までお前がとってきた行動は、その姿であるお前に一番適した行動だ。」
そしてアネスト卿はベッドから身を乗り出し、俺をそっと抱きしめた。
「今までよく頑張ったな、クライン。わしにとってはクランもクラインも、孫かひ孫かの違いしかない。存分に甘えなさい。」
「…じいちゃん…」
そのままの体勢でしばらく過ごした。
「…クライン」
先にアネスト卿が離れた。
俺は離れていく体温を寂しく思った。
「爺にこの体勢は腰にくる。わしの膝の上に座りなさい。」
「え゛」
25の男と告白したあとに、それはないんじゃないだろうか。
「25だろうが、男だろうが、血がつながっていてもいなくても、わしは出会ったときからお前を孫だと思っている。遠慮せんで甘えなさい。さぁ、おいで!」
「…じいちゃん、なんか吹っ切れてないか…?」
「あの世に行きかけた爺に怖いものなんてないぞ! いつ死んでも後悔しないように、やりたいことがあったら必ずするぞ?」
そう言い切りアネスト卿はほら、とかけ布団の上から自分の膝を叩いた。
気のせいか、青白かった顔が、活き活きとして見えた。
俺は何も言えず、「失礼しま~す」とベッドによじ登り膝の上に横座りになった。
アネスト卿はわしを背もたれにしなさいと言ったが、身体に障りそうだったので断った。
と言うか、膝に乗るのだって身体に十分障りそうなんだがな。
アネスト卿の膝に座った状態で、またたわいない話をした。
二人とも、娘さん夫婦の話は出さなかった。
本当に子どもかわからない俺が話していい内容ではないだろうし、アネスト卿も、事故の当事者かもしれないし違うかもしれない俺に話すには、心の傷がいえていないのかもしれない。
そろそろアネスト卿も横になったほうがいいだろうと、俺が話を切り上げようとしたときだった。
「クラインは、巨乳は好きかね?」
「ふおぉぉぉぉおおお!?」
突如アネスト卿が言った。
「な、な、な! 俺の頭の中を見たんですか!?」
俺は頭を両手で押さえながらわたわたした。
アネスト卿はそんな俺を見て、
「好きなんだな。」
とニヤリと笑った。
「わしがこの領地に来たときにだな、執務室にわしの荷物を運び込んでいたんだが…。」
前領主は不慮の事故で亡くなったのだから、荷物はそのままだっただろう…。
「執務室の本棚に、巨乳ものの本が結構置いてあってな…。そのままにしとくのもどうかと思って、一応人目につかんように倉庫にわしが運び込んだのだが。」
前領主さんよ、あんた、一番見られちゃいけない人にばれてるぞ…。
俺は前領主に同情するとともに、見られちゃまずいものはいつ何があってもいいようにしとかんといけないと学んだ。
「あの本、お前が受け取ってくれんか?」
「え? だけど故人のもの…」
「これも何かの縁だろう。お前がもらってくれることが、あいつの供養になるような気がしてな…」
もし俺が突然死んでしまったら…、『The 巨乳 愛蔵版』がいつまでも埃をかぶっているよりは、誰か大事にしてくれる人に渡っていつまでも読み続けられたほうが俺は嬉しい。
だが、果たして前領主はどうだろう…。
「あいつも、舅の手元に置いておくよりは、若いお前のところにあったほうが安心するだろうて。あいつの墓に供えるわけにもいかんしな…」
うん、そんな死人に鞭打つような行為は、全力でやめていただきたい。
「…わかりました。いただきます…」
俺は答えながらふと、もし俺が息子だったなら、これが親父の形見になるのか…と考えた。
…なんとも締まらねぇ…。




