48話 ごめんなさい…
「1匹抜けたぞっ!!」
そんな怒鳴り声が聞こえ、意味を理解する前にアネスト卿が俺に覆いかぶさってきた。
その直後に激しい衝撃がきたが、俺の視界はアネスト卿の服でいっぱいだったため、何が起きたのか理解できなかった。
いや、理解したくなかったのかもしれない。
耳元でうめき声が聞こえ、その後、数人が走ってくる足音と怒鳴り声、そして再度の衝撃が来た後、俺はアネスト卿の下から引っ張り出された。
「クラン、大丈夫か?」
俺を抱えて全身を確認しているのは、傭兵団の一人だった。
全身を血と泥で汚しているが、その動きから怪我はなさそうに見えた。
いや、それより一緒にいたアネスト卿の声が聞こえないのだが…。
俺は抱えられたまま首だけを動かし、背後を見た。
土や石の転がる地面に、血の海が見えた。
「おい! クラン、どうしたお前!!」
自分の体がガタガタと震えだしたのに気付いたが、必死で背後の状況を確認する。
血の海の中心に横たわっていたのは…………首のない狼だった。
2回目の衝撃は、この狼の首を切り落とした衝撃だったのだろうか。
そして血の海の横に、肩から血を流して膝をついているアネスト卿の姿があった。
「アネスト卿っっ!!」
俺の悲鳴にアネスト卿がゆっくりと顔を上げた。
「…大丈夫だ、爪がかすっただけだ。心配はいらない。…クランに怪我がなくて良かった。」
そう言って俺に微笑んでみせた。
「あぁぁっぁああああああ!! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃぃぃっ!! 俺のせいでぇぇぇっ!!」
俺が無謀なことをしたばっかりにアネスト卿が!!
俺を抱きかかえていた奴が、アネスト卿のそばに立たせてくれた。
だが後悔と絶望に打ちのめされて、俺はその場に崩れ落ちる。
「俺のせいで、…俺のせいでアネスト卿が…」
「いやいやクラン、それは違うぞ? お前があそこで飛び出さなければ、お前の仲間は背後から不意打ちを受けて何人か命を落としていたはずだ。
なぁ、ライオネル?」
アネスト卿は肩の傷に触らないように、ゆっくりとその場にあぐらをかいて座りなおした。
そうやって座っている姿を見ただけなら、大した怪我ではなさそうに見えるが…。
俺は鼻水と涙でボロボロの顔でおやっさんを見た。
激しくしゃくりあげるためになかなか息が吸えず、頭も身体もいろんなショックから抜け出せないままだ。
「アネスト卿の言うとおりだ。お前が教えてくれなかったら、死人が何人か出ただろう。
若い狼ってことで、正直油断していた。これは全て俺の責任だ、お前が気にする必要はねぇ…。」
おやっさんは苦々しい顔で、しぼりだすような声で言った。
「ほらね。さ、クランおいで。私よりお前のほうがひどい様子だよ。」
そう言って微笑みながらアネスト卿は俺に、怪我をしていないほうの腕を差し出した。
「…うっ、…ひっく…、うっ…ぐずっ…。」
俺はしゃくりあげながらゆっくりとアネスト卿に近づく。
そのまま身体を引き寄せられ、あぐらをかいたアネスト卿の膝の上に座らされた。
「あっはっはっは。クラン、ひどい顔だね。屋敷に戻って蜂蜜酒を飲んで、気を落ち着けようかね。」
「う゛~。」
ハンカチで涙と鼻水をぬぐわれた。
「アネスト卿、早く屋敷に戻って傷の手当てをしましょう。」
「うん、そうだな。
やれやれ、昔ならこんな傷ぐらい舐めときゃ治るとほったかされておったのに、じじぃになるとよろけて作ったかすり傷にも、大仰に消毒やらなんやらせにゃいかん。」
そう言ってアネスト卿は、俺に微笑みながら片目を閉じてみせた。
俺はしゃくりあげながら何も言えず、ただ抱きついて頭をすりつけた。
「こら、気持ちはわかるがそろそろ離れろ。」
俺はおやっさんに引き剥がされて、傭兵団の一人に渡され抱っこされた。
アネスト卿は屋敷から持ってきたシーツに乗せて運ばれた。
「おいおい、人を重病人にするんじゃない。クランが心配するだろうが。」
アネスト卿は運ばれながら明るい声で抗議していたが、おやっさんの表情は暗く、アネスト卿の状況が決して良いものではないことが察せられた。
屋敷の前まで戻ると、門の外で領地の民たちが集まって原っぱに大量の湯を沸かして待っていた。
アネスト卿は治療を受けるため、使用人たちによって屋敷の中に運ばれていった。
俺たちは屋敷に準備された風呂に入る前に、外で湯を浴びて血や泥を落とした。
俺はさっきに比べて少しは落ち着いたとはいえ、いまだしゃくりあげて頭がぼうっとしていたので、領民のおばちゃん達が服を脱がせて洗ってくれた。
おばちゃんたちが何か労わって声をかけてくれたが、俺はもう何を言われているのかわからなかった。
その後おやっさんに勧められて、俺だけ先に屋敷の風呂に入れさせてもらった。
野郎どもとおやっさんのほうが先か、一緒でいいと言ったんだが、連中が口をそろえて遠慮したので好意に甘えておいた。
風呂から上がった俺はすぐにでもアネスト卿の様子を見に行きたかったが、面会謝絶中といわれ広い応接間でただ一人ぼうとしていた。
メイドさんが暖めた牛乳や、薄めた蜂蜜酒を持ってきてくれたが、今は何も口に入れたくなかったので礼を言って置いていってもらった。
いくら時間が経ったかわからないが、さっぱりとしたおやっさんたちが応接間に帰ってきた。
「クラン、お前まだ起きてたのか。」
「……。」
俺はかけられた言葉に何か返事をしようとしたのだが、開いた口からは何も出てこなかった。




