44話 作戦決行の夜
「昔は図体のでかいガキだったくせに、いっちょまえに親の顔になったもんだなぁ。」
突然かけられたしみじみとした声に、俺もおやっさんもびっくりしてアネスト卿を見た。
アネスト卿は穏やかな顔をしながらしゃがみこみ、俺と目を合わせた。
「お嬢ちゃん、この男はね、小さいお嬢ちゃんが夜中に起きて、暗闇の中で上がる怒声や悲鳴、狼の鳴き 声なんかを聞かせたくないんだ。
それはお嬢ちゃんが考えているよりもひどい光景だよ。
お嬢ちゃんの心に傷を負わせるかもしれないぐらいにね。
親しいもの達が危険なときに、自分だけ安穏と眠っているなんて納得いかないだろうが、どうかこの爺 に免じて、この団長の親心を受け取ってやってくれんかね。」
そう言って片目を閉じて見せた。
おやっさんは幼女の中身がクラインと知っているのだから、アネスト卿の言うことは当てはまらないと思うが、何となく言いたいことはわかった。
「…わかりました。」
俺はしぶしぶながらだが、おやっさんにうなずいてみせた。
おやっさんは俺を見つめた後、少し考えてアネスト卿に声をかけた。
「…アネスト殿、今日はこのクランと一緒に、過ごしてはいただけませんか?」
え~おやっさん、俺ってそんなに信用ないかい?
アネスト卿も驚いてるじゃないか。
アネスト卿はなんだか複雑な表情でおやっさんを見たあと、静かにうなずき俺に微笑みかけた。
その顔は、初めて歳相応の、好々爺といった表情に見えた。
夕暮れ時に軽い夕飯と景気付けの振舞い酒が出され、だんだんと緊張は高まっていく。
その後、作戦に向かう連中を、俺とアネスト卿と館の使用人たちで見送った。
暗闇のなかに溶け込んでいく連中をいつまでも見つめていると、軽く肩に手を置かれアネスト卿に館に戻るよう促された。
俺がうなずいて返事をすると、アネスト卿は俺に手を差し出した。
俺がその手をとると、微笑んで屋敷に戻った。
「軽い夜食と、蜂蜜酒を薄めて持ってきてくれ。」
「かしこまりました。」
使用人に一言告げると、アネスト卿は手をつないだまま俺とともに、2階の部屋に入った。
その部屋は、渋い色合いに統一された家具とベッド、あとテーブルのある落ち着いた感じの部屋だった。
「ここはわしの部屋だよ。ここならテラスに出れば牧場の様子もわかるかもしれん。」
俺は思わずそばに立つアネスト卿の顔を見上げた。
アネスト卿はいたずら気な顔で微笑んでいた。
「ライオネルに見つからんようにせんとな。でも、わしがもう部屋に引っ込むように判断をした場合は、大人しく寝んねしてもらうぞ? いいかい。」
俺は激しく何度もうなずいた。
アネスト卿はそんな俺を見て微笑むと、俺をソファに座らせた。
ほどなくしてメイドのお姉ちゃんが、夜食と水差しを二つもってきた。
俺にヤギ乳を勧めてくれたメイドとは違ったが、ヤギ乳の威力はまんべんなく発揮されているようだった。
一礼して退室する見事なおっぱ…、メイドを見送っていると、俺を見つめているアネスト卿と目があった。
「あぁ、これは失礼。レディをあまり見るのは失礼だったね。クランちゃんだったかな?
君があまりにもわしの娘にそっくりだったものでね。つい見とれてしまったよ。」
「娘さんにですか?」
「あぁ、今は遠いところに嫁いでいってしまって、会えないんだがね。」
そう言って棚に飾ってあった、小さな額に入れてある絵を見せてくれた。
それは14、5歳くらいの少年と10歳くらいの少女が仲良く立っている肖像画だった。
少女は腰まである緩いウェーブの黒い髪の持ち主で、勝気そうな眉と瞳のなかなか可愛らしい女の子だった。
「う~ん、…似てますか?」
「あぁ、大人の言いつけも、自分の納得がいかなければ素直には聞かないお転婆なところとかね。」
「えぇ~!」
俺の抗議の声にアネスト卿はほがらかに笑った。
「ベランダに出て、様子を見てみようか?」
「はい!」
俺とアネスト卿は手をつないでベランダに出てみた。
どこもかしこも真っ暗で、何も見えなかった。
絶えず聞こえる虫の声と、ときたま思い出したように羊の鳴き声が聞こえるくらいだ。
この暗闇のなかに傭兵団の連中と、獲物を狙う狼が潜んでいるのだと思うと、自然身が引き締まる。
「クランちゃんの、お婆さまの名前を聞いてもいいかな?」
息をつめて闇を見詰めていた俺に、隣から静かな声がかけられた。
アネスト卿がまた俺の顔を見つめていたが、部屋の明かりでぼんやりと照らさせただけでよく見えなかった。
「…私は、両親の名前も顔も知らないんです。」
「…そうか、それはすまなかったね…。」
そのまましばらく二人とも黙って、何も見えない闇を見詰めていた。
「クランちゃん…。」
「はい。」
「もし…、君さえ良ければだが、館にいる間、私のことを『じぃじ』とでも呼んでくれんかな?」
「え…?」
アネスト卿の顔を見上げたが、やはりぼんやりとしか見えなかった。
「駄目かな?」
「…いえ、わかりました、じぃじ。」
何だか尋ねてくるその声が、とても切なく聞こえて、俺はそのまま受け入れた。
「ありがとう。」
礼を言う声は穏やかで、俺はなんだかほっとした。
しばらくベランダで過ごしたが、闇は静かなままだった。
「もう遅い、少し夜食をつまんで寝ようか。」
「…はい。」
正直俺も眠さの限界だったので、素直に部屋に戻った。
アルネスト卿が引いてくれた椅子に座ったが、もう何も口に入れる余裕もなく舟をこいでいた。
「ははっ、蜂蜜酒の出番もなかったな。よしよし、じぃじがベッドまで連れて行ってやろう。」
「…おねがいしまふ…」
アネスト卿が卓上の呼び鈴を鳴らすと、メイドさんが現われた。
「私が連れて行くから、客間まで案内してくれ。」
「かしこまりました。」
そのまんま俺はアネスト卿の腕の中で眠ってしまった。
「うひょほほぉぉぉぉおお! って、またかよ!」
俺は、ベッドの中で飛び起きたのだった。




