第一章 【昌子】
私は扉の鍵を開けて、図書室の中に入った。
私が二年前、初めてこの図書室を訪れた時、その所蔵している本の量や種類に驚かされたものだ。芥川龍之介等の文豪達の作品は勿論、最近出版されたばかりの本から、色々な意味で描写の激しい漫画本、果ては第二次世界大戦を引き起こしたドイツの独裁者の自伝まで置いてある。
私はいつもの席に座り、鞄の中から書きかけの小説の原稿を取り出した。
小説のタイトルは【最低な時間割】。とある有名進学校を謎の犯罪組織が占領し、その学校の生徒や教員達を次々と虐殺していくという内容のホラー小説である。
本当は、小説を書くのならば、ほのぼのとした恋愛小説を書きたいのだが、私がそういった血みどろの小説が好きなので仕方が無い。
…さて、この後の展開をどうしようか?
私は目を閉じて机に突っ伏した。いいアイデアが浮かんでこない時はこうやって気持ちを落ち着けるのである。そのまま寝てしまう事も多々あるのだが…
それにしても…私が二日前に助けたあの子は今、どうしているのだろうか?別れ際に私の名前を聞いてきたあの子は…
180cmはあると思われる背丈。少し茶色掛かった髪の毛。年頃の女の子が見たのならば少しは感じるであろう容貌…
私の頭の中は、いつの間にか小説のアイデアではなく、二日前に出会った少年の事で埋め尽くされていた。
ダメだ!今は彼の事は置いておいて、アイデアを考えなきゃ。
その時だった。
「昌子先輩」
「…はぴゅ!?」
私は、訳の分からない声を出して椅子と共に後ろへすっ飛んだ。気がつけば今、私が頭の中に描いていたあの少年が机を挟んで私の目の前に立っていたのである。しかし今度は野球部のユニフォームではなく、この学校の制服を着ていた。
「ハハハッ、そんなに驚く事は無いじゃないですか」
彼はそう言いながら二日前に私が彼にやった様なやり方で私を起こしてくれた。
「何しにここへ…」
「何しにって…あなたにこれを渡しに来たんですよ」
彼は胸のポケットから一枚の茶封筒を取り出して、机の上に置いた。
「これは…」
それは、入部届けだった。
「あなた…野球部はどうしたの?」
私がそれを聞くと、彼はムッと顔をしかめる。
「それなら、さっさと退部届けを出しちゃいましたよ。もう誰が行くか。あんな所…」
それが、彼が始めて私に見せた【怒り】だった。
「月に一度、一年生は上納金を上級生に払わなくちゃいけないそうです。それぞれに五千円ずつ。それを断ってしまいましたから…」
「この学校の野球部は、まるで暴力団の様だって世間から定評があるからね。事実、この辺りを活動範囲にしている暴力団の幹部達は皆、この学校の野球部のOBだそうだから」
私は入部届けの封を切ると、中身を取り出した。こういった物には、彼の名前もちゃんと記されているはずである。
「…霜田康時君でいいわね?あなたの名前は」
「ええ、ちょっと古臭い名前でしょう?」
「そんな事はないわ。いい名前じゃないの」
私がそう言うと、康時の頬がポッと赤くなった。
「でも…どう見ても体育会系のあなたがこんな文化部なんかに?他にもテニス部やサッカー部とか色々あるのに…」
「今日、学校の廊下を歩いていたら、掲示板に一際大きなポスターが貼ってあるのに気がつきましてね。ちょっと気になって見たら【文芸部部員募集!】って書いてあって、その下に僕を助けてくれたあなたの名前が書いてあったのが、この部活に入ろうと思った一番の動機ですね」
私の名前が書いてあったからって…私は彼の適当さに呆れると同時に、ちょっぴり胸が熱くなった。
「まぁ、それはそうとして…これで僕もこの部の部員です。これからも色々とよろしくお願いします。先輩」
彼は私にスッと手を差し出した。
「あっ…こちらこそ…」
私は慌てて彼の手を握り締めた。
皮手袋越しであったが、彼の手は強く、そして暖かかった…
「そうだ、それと…」
笑顔だった彼の表情が急に真剣になった。
「文芸部って…一体どんな活動をするんですか?」