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小さな世界に僕しかいない

作者:
掲載日:2026/09/11

 規則的な電子音が、無機質な病室に響き続けている。


 ベッドの中央で眠る少年の頭部には、銀色に鈍く光るデバイスが装着されていた。


 最新鋭のブレイン・マシン・インターフェース。


 意識を取り戻さない昏睡患者の脳を直接ネットワークに接続し、仮想空間での生活を可能にする画期的な技術だった。


 しかし、少年の意識がその『空間』に現れることはなかった。


「……もう、手の打ちようがありません」


 白衣を着た医師が、重苦しい沈黙を破って告げた。


 あらゆる周波数帯を探り、最新のパッチを当て、システムの再構築すら試みた。


 だが、少年の意識データはどこにも接続されていない。


 まるで、暗闇の底へ沈み込んだまま、完全にロストしてしまったかのように。


「そんな……嘘ですよね? この装置があれば、あの子はまた目を覚ますって……」


 お母さんが縋り付くように泣き崩れる。


 お父さんもまた、血の滲むような力で拳を握りしめ、ただ立ち尽くすしかなかった。


 誰の声も届かない。


 少年はただ、静かな寝息を立てているだけだった。





 まぶたを開けると、視界のすべてが白に染まっていた。


 天井も、壁も、床もない。


 上も下もわからない、果てしなく続く純白の空間。


 僕はゆっくりと身を起こした。


 体が軽い。


 ずっと眠っていたはずなのに、どこにも痛みや気怠さはなかった。


 見渡しても、誰もいなかった。


 ただ一つ、僕から少し離れた場所に、黒い石柱のような端末がポツンと浮かんでいるだけだった。


「なんで誰もいないの?」


 僕がぽつりと呟いた、その時だった。


『みんな終わってしまったんだよ』


 耳からではなく、頭の中に直接、静かで透き通った声が響いた。


 驚いて端末を見つめるが、スピーカーらしきものはない。


 ただ、表面に微かな光の波紋が広がっているだけだった。


「君は一人?」


『私は人ではない。一人とは言わない』


 感情の起伏がない、凪いだ海のような声だった。


「ここは何?」


『彼らが作った世界』


「彼ら?」


『もういない』


「なんでいないの」


『それだけの時が過ぎた』


 僕の小さな問いに、声は淡々と答えていく。


 その言葉は僕の理解を超えていたが、なぜか不思議と怖さはなかった。


 端末の表面から、ふわりと光の球体が浮かび上がった。


 覗き込むと、その中には無数の星々が渦巻き、小さな星がゆっくりと回転しているのが見えた。


 広大な宇宙が、手のひらサイズの球体の中に収まっている。


『彼らが作った世界を、私はずっと見守っている』


「寂しくない?」


『そんなに時間はかからない』


 声は、やはり静かなまま答えた。


 僕はその意味を深くは追及しなかった。


「そっか」


 誰の悲しみも、誰の喜びも、すべてはこの小さな光の中にあるのだと、ぼんやりと思った。


「僕はお家に帰りたいな」


『どうして帰りたい』


「どうしてって、お父さんとお母さんが待ってるから」


『私は、その情報を保持していない』


「ほじって、なに」


『私に君の家はわからない』


 声がそう答えると、目の前の小さな宇宙が少しだけ大きくなった。


『探しなさい』


 僕が見たいと念じると、その場所が大きくズームアップされた。


 お父さんとお母さんの笑顔を思い出す。


 無数の星々を巡っていく。


 氷に閉ざされた星。


 激しい風が吹き荒れる星。


 乾いた岩ばかりの星。


 でも、人のいる星はどこにもない。


「僕の家はどこ? お父さんは? お母さんは?」


『高度な知的生命体が住む星は、そんなに多くない』


 宇宙が凄まじい速度で動き始め、そしてピタリと止まった。


 視界を大きくしてみる。


 そこには確かに生き物がいた。


 だけど、どう見ても人間には見えなかった。


「全然違う」


『そうか』


 また宇宙が動き始める。


 何度も、何度も繰り返した。


 そして、ようやく見つけた。


 家も、歩いている人も、僕と同じだ。


 でも、言葉も風景も外国みたいで、自分の住んでいた街ではなかった。


 探して、探して、探したけれど、見つからない。


「いない、いないよ」


『このタイプの生命体が住むのは、ここだけだ』


「僕のお家は探せないの?」


『探せる』


「え、それなら探してよ!」


『その情報探索は、新しくエネルギーを使用する』


「できないってこと?」


『できる。だが、推奨しない』


「すいしょう? よくわかんないけど、お願い、やってよ」


『わかった』


 光の宇宙が静止した。


『君の情報を取得した。検索を始める』


 宇宙が明滅を始める。


『この時代には存在しない。情報に基づき、過去へと遡る』


 宇宙が激しく動き始め、光の渦が逆流していく。


『確定した』


 宇宙がまたもとに戻り、一つの青い星が大きく映し出された。


「あ、僕の家だ!」


 見覚えのある家のドアが開き、中から人が出てくる。


「あ、お父さんだ。お母さんも……えっ、僕もいる」


『君がまだ存在している時間だ』


「僕はあそこに帰りたい」


『今はやるべきではない』


「どうして?」


『君がここに来る前の時間だから、上書きすることは推奨されない』


「僕は、帰れないの……?」


 もう一人の僕が車に乗り込み、どこかへ出かけていくのが見えた。


「あ!」


 交差点。


 大きなトラックが猛スピードで突っ込んできた。


 激しい衝突の衝撃。


 僕だけがフロントガラスを突き破り、車の外へと放り出される。


「僕は、死んだの?」


『正確には、君は生きている』


 星の時間が少しだけ早回しになる。


 たどり着いたのは、無機質な病室。


 たくさんの管や線に繋がれて、死んでいるように眠る僕自身がいた。


「生きてるの?」


『強制的に呼吸をさせて、生存を維持している』


「どういうこと……」


『生きている、ということだ』


「あそこに帰れる?」


『帰っても、もう意識は戻らない』


「じゃあ、やっぱり死んだんだ」


 涙が出そうになる。


『いずれ、全て死ぬ』


「それでも……帰りたい」


『時間を戻して、強制的に上書きすることはできる』


「じゃあ、それをやってよ!」


『やっても意味がない』


「お願い!」




 急に、白い空間が消え去った。


 気がつくと、僕は家から出たところだった。


 戻ったんだ。


「遊園地、楽しみか?」


 お父さんが笑いかけてくる。


 僕は嬉しそうに頷く。


「楽しみね」と、お母さんも声をあげる。


 僕は知っている。


 車に乗ってはいけないと。


 なのに、体は勝手に動いて、車に乗り込んでしまう。


『楽しみだな、遊園地!』


 ああ、だめなのに。


 僕の体は、何かに操られるように後部座席ではしゃいでいる。


 そうだ、せめてシートベルトをつけておけば。


 頭ではそう警告しているのに、僕はただ嬉しそうに話すだけだった。


 変えられない。




『やはり、意味がなかっただろう』


 気がつくと、またあの白い場所に立っていた。


「うん……変えられないの?」


『全て決まっている』


「僕は『乗っちゃだめだ』って考えたのに!」


『始まれば終わりは一つ、そう作られている』


「どういう意味?」


『変わらない、ということだ』


「じゃあ、僕はどうしたらいいの……」


『わからない』


 ふいに、純白だった空間が少し暗くなった。


「暗くなったよ?」


『もうエネルギーがない』


「なんで……」


『私の役目も終わりだ』


「待って!」


『終わらぬ文明も、上の世界も存在も確認できなか……』


 空間は、完全に漆黒へと染まった。


 僕は叫び、混乱し、泣き叫んだ。


 何もない空間を、あてどなく歩き回る。


 あの黒い石柱を探して、闇の中で手を伸ばした。


 でも、何も触れられなかった。


 そこでようやく分かった。


 僕には、体なんかなかったのだと。


 僕みたいに、誰かここに来ることがあるんだろうか。


 何もない闇の中に、ただ一つ。


 目の前でキラキラと光る、小さな星の球体だけが浮かんでいた。


 僕は静かに、その世界を見つめ続けた。


 黒く、果てしない空間の中で。




『小さな世界には僕しかいない』



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