冷酷公爵は猫にだけ婚約者への恋心を話します。ただし、その猫は婚約者本人です
アルベルト・クロイツ公爵は、婚約者のエステルを見つめたまま言った。
「問題ない」
婚礼衣装の仮縫いを担当した仕立屋が、困ったように瞬きをする。
青い絹のドレスが似合うかと尋ねた答えが、それだけだったからだ。
エステルは鏡の中で微笑んだ。
「閣下は仕上がりに問題がないとおっしゃっています。私もこの青が気に入りました。こちらで進めてください」
大げさなくらいにっこりと笑いかけると、ようやく仕立屋はほっと肩を下ろした。王宮で「氷壁公爵」と呼ばれるアルベルトの無表情に怯えていたのだろう。
エステルは髪に飾られた銀の花へ触れた。
「髪飾りはいかがでしょう」
アルベルトの青灰色の目が、その指先を追う。
「派手すぎない。問題ない」
また、それだ。
胸の奥がちくりと痛む。
来月には夫婦になるというのに、彼から容姿を褒められたことは一度もない。二年前に両家が決めた婚約は、彼にとって領地を結ぶ契約でしかないのだろう。
「ありがとうございます」
エステルが笑うと、アルベルトはなぜか顔をそむけた。
◇
その夜、エステルは客室のカーテンが少し開いていることに気づかなかった。
雲間から現れた満月の光が右手に触れる。
「あ」
しまった、と言おうとしたときにはもう遅かった。
人間の声は出ず、代わりに指先から身体が熱くなり、視界が急激に低くなった。ドレスが床へ崩れ、その中から銀灰色の前足が現れる。
「にゃあ……」
うかつだった。
十歳のころに助けた月精霊から授かった、ありがたくも困った加護である。満月を含む三夜だけ、月光を浴びると猫になってしまうのだ。
昔は満月のたびに、猫の姿でこっそり屋敷を抜け出して夜の街を楽しんでいたが、もうエステルも落ち着きを覚える年だった。
厚い布で月を遮れば人間へ戻れる。事情を知る侍女のミーナが戻るまで待てばよかった。
ところが、衣服から抜け出した拍子に半開きの扉を押し、廊下へ転がり出た。
「あら、猫?」
通りかかった使用人が声を上げる。
外へ追い出されては困る。
何度も訪れているにもかかわらず、方向音痴なエステルは、いまだに公爵邸の構造を覚えられていなかった。
夢中で廊下を走り、開いていた扉へ飛び込んだ。
壁一面に書棚が並ぶ書斎だった。
机に向かっていたアルベルトが顔を上げる。
よりにもよって、最も見つかってはいけない相手である。
エステルが書棚の陰へ逃げようとすると、アルベルトは少し離れた場所へ片膝をついた。
「迷ったのか」
昼間とは違う、驚くほど穏やかな声だった。
彼は追いかけず、手のひらを上にして差し出した。
「無理には触らない。来たければ、こちらへ来い」
猫にまで距離の詰め方を迷う人らしい。
エステルはおそるおそる近づき、自分から彼の手へ前足を載せた。
アルベルトは壊れ物のように抱き上げ、長椅子へ座る。エステルが膝へ乗ると、その身体が固まった。
「そこを選ぶのか」
「にゃ」
「そうか」
昼間の無機質な声とは違う。どこかうれしそうな「そうか」だった。
私には、そんな顔を見せてくださらないのに。
猫に向けられた笑顔がうれしくて、それ以上に少しだけ悔しい。
大きな手が、額から背中へゆっくり滑る。本人としては複雑なのに、猫の身体は正直で、気持ちよさに喉が鳴ってしまった。
「今日、婚約者が新しい髪飾りをつけていた」
突然、自分の話が始まった。
エステルの耳がぴんと立つ。
「銀の花に青い石がついていた。よく似合っていた」
思わず彼を見上げる。
「本当はもっと見ていたかった。だが、見つめれば困らせると思って、目をそらした」
昼間の態度は、無関心ではなかったのか。
アルベルトは小さく息を吐いた。
「似合っていると、本人へ言えばよかった」
「にゃあ」
「私もそう思う」
自分で分かっていたらしい。
「来月、彼女と結婚する」
撫でる手が止まる。
「私は、それを望んでいる。できることなら政略ではなく、彼女自身に選んでほしい」
エステルは動けなくなった。
「結婚したい」
その言葉は、猫にしか聞かれないようにするためか、ひどく小さい。
「だが、彼女が望まないなら強いるつもりはない」
アルベルトは猫の額を指先で撫でた。
「私は、どうしてあの人の前では何も言えないのだろうな」
エステルは前足で彼の胸を叩いた。
「すまん、痛かったか」
違う。言ってくれればよかったのだ。
アルベルトは、ほんの少し笑った。
氷壁公爵の笑顔を、エステルは初めて見た。
「お前は優しいな。あの人も、そうだ」
猫でなければ、耳まで赤くなっていたに違いない。
やがて廊下からミーナの声が聞こえた。エステルが扉を前足で引っかくと、アルベルトは名残惜しそうに床へ下ろしてくれた。
そのあとはミーナに回収され、月光の届かない客室で人間へ戻った。もちろん、勝手に部屋を抜け出したことについては、夜中まで小言を聞かされた。
◇
翌朝、エステルは昨日と同じ髪飾りをつけた。
朝食室へ入ると、アルベルトの視線が銀の花へ向かう。
「今日も、それにするのか」
「お嫌いですか」
「いや」
彼は一度口を閉じた。それから、決意したように続ける。
「似合っている」
それだけでエステルの胸が温かくなった。自分でもちょろいとは思う。
しかしいつもの、問題ない、とはまるで違う。
「ありがとうございます。私も気に入っております」
アルベルトのカップが、かすかに受け皿へ当たった。
冷たいのではない。言葉にすることが、ひどく苦手なだけなのだ。
そう知った途端、彼の小さな行動が見えるようになった。
庭園を歩けばエステルの歩幅へ合わせ、日差しが強くなれば黙って日陰側へ立つ。エステルが月鈴花の前で足を止めると、急かさず隣で待っていた。
「夜に開く花だそうですね」
「ああ。今夜、見るか」
「ぜひ」
アルベルトの口元が、わずかに緩む。
庭園の奥で、若い庭師が鉢を落とした。乾いた音が響き、苗が土の上へ転がる。
「申し訳ございません!」
庭師は顔を青くしてひざまずいた。
アルベルトは転がった苗へ目を向ける。
「根は傷んだか」
「い、いえ。すぐ植え直せば」
「ならば植え直せ。割れた鉢は危険だから片づけろ」
「処罰は」
「苗を救うより先に処罰を考える必要があるのか」
庭師は何度も頭を下げ、作業へ戻った。
アルベルトにとっては当然の判断なのだろう。恩を着せる様子もない。
「お優しいのですね」
エステルが言うと、彼は不思議そうに見た。
「何がだ」
「鉢を割った方を責めませんでした」
「故意ではない。責めても苗は戻らない」
合理的な答えだった。それでも、恐怖で固まった庭師へ怒声を浴びせないことを、エステルは優しさだと思った。
「閣下のそういうところが好きです」
口にしてから、自分で驚く。
恥ずかしさで、猫になってその場から逃げ出したくなった。
アルベルトは足を止めた。
「今、何と」
「公爵としてのご判断を、尊敬しておりますと」
必死に冷静を装おうとして、少し言い換えてしまった。
「そうか」
彼は前を向いたが、耳が赤い。
エステルは胸の中で思う。
次は猫の姿ではなく、本人へきちんと好きだと言いたい。
◇
夜になっても、エステルはカーテンを開けなかった。
昨夜聞いたのは、アルベルトが人へ言えない秘密だ。本人だと知らなかったとしても、もう一度聞きに行くべきではない。
それでも、彼が猫へ何を話すのか知りたいと思ってしまう。
「今夜は絶対に開けてはいけませんよ」
カーテンを確認したミーナが念を押した。
「分かっているわ」
「公爵の書斎にも行かない」
昨夜、ミーナに回収された場所が場所だけに、反論はできなかった。
「分かっていると言っているでしょう」
ミーナが浴室へ向かったあと、庭から細い鳴き声が聞こえた。
子猫だろうか。
エステルは窓辺へ近づいた。
見るだけ。
だが、カーテンへ伸ばした手を止めたとき、机の上の紙に気づく。
アルベルトへ正体を明かすため、昼間から用意していた手紙だった。
『驚かせて申し訳ありません。私は満月の夜だけ、銀灰色の猫になるのです』
今夜、話すつもりだった。けれど、猫として聞いた甘い言葉を失うことが怖くなり、先延ばしにしている。
エステルは自分を恥じた。
ごめん、ミーナと心の中で小さく唱えた。
手紙を小さく折ってリボンで首へ結び、カーテンを開く。
月光を浴び、再び猫へ変わった。
今度は事故じゃない。
秘密を終わらせるために、エステルは自分の意思で書斎へ向かった。
◇
扉の前まで行くと、中からアルベルトが現れた。手には小さな水皿を持っている。
「来ると思っていたわけではない。念のためだ」
猫にまで言い訳をする。
エステルは笑いたくなったが、出たのは短い鳴き声だった。
書斎の机には、細い銀板と、押し花にされた月鈴花が置かれていた。
「婚約者へ贈り物をしたい」
アルベルトは猫を膝へ乗せると、さっそく真剣に相談を始めた。
「宝石では両家の贈答と変わらない。花は枯れる。何がよいと思う」
エステルは銀板を前足で叩いた。
「栞か」
「にゃ」
「私が作ったものなど、迷惑ではないか」
「にゃん」
その手へ頬を寄せる。
「渡してもよいと思うのか」
大きくうなずいた。
アルベルトは月鈴花を壊さないよう、慎重に銀板へ重ねる。
「婚約者は本を読む。婚約前、王宮の図書室で見かけた」
エステルにも覚えがあった。
「悲しい場面で泣いていた。誰にも見られていないと思っていたようだが」
見られていたらしい。顔が熱くなる。
「あの日から、気になっていた」
アルベルトは懐かしむように目を細めた。
「彼女は読み終えた本を棚へ戻したあと、窓辺で眠っていた子猫へ自分の外套を掛けて帰った。自分は寒そうにしていたのに」
そんなこともあった。春先とはいえ冷え込む日で、帰りの馬車ではミーナに散々叱られた。
「婚約の申し入れをしたのは、その翌月だ」
エステルは目を丸くした。
両家の都合だけで決まったと思っていた婚約を、アルベルト自身が望んでいた。
「だが、申し入れを受けてもらえたからといって、好かれているとは限らない。彼女は家のためなら、自分の希望を後回しにできる人だ」
それは美点ではなく心配事として語られた。
「今日も仕立屋が怯えているのを見て、すぐに場を整えた。自分も不安だったはずなのに」
アルベルトはエステルの頭を撫でる。
「私は、あの人のそういうところが好きだ。だが、その優しさに甘えて結婚の意思まで思い込むのは、卑怯だと思う」
猫の姿で聞いていることが、いよいよ苦しくなった。
アルベルトが好きなのは、従順な公爵夫人ではない。人の緊張へ気づき、そっと手を差し伸べるエステル自身なのだ。
ならば自分も、彼の不器用さに甘えたままではいけない。
エステルは首のリボンへ前足をかけた。
ところが、アルベルトが先に小さな皿を机へ置いた。中には一口大にほぐした白身魚がある。
「料理長には、塩も香辛料も使わないよう頼んだ」
昨夜会っただけの猫のために、わざわざ用意したらしい。
罪悪感で胸はいっぱいなのに、そういうところまで今は愛おしく思えてしまう。
「口に合わなければ、無理に食べなくていい」
どこまでも相手の意思を尊重する。けれど、人間の婚約者には、尊重しすぎて何も言えなくなる。
エステルは一切れだけ食べ、彼の手へ額を押しつけた。
「よかった」
アルベルトの顔が柔らかくなる。
この笑顔を失いたくないと思った。
同時に、猫に向けられた信頼を偽物の姿で受け取り続けたくないとも思った。
今ここで正体を明かす。嫌われても、それだけは自分で選ばなければならない。
アルベルトは銀板を置き、エステルを見た。
「明日、本人へ話そうと思う」
エステルの心臓が跳ねる。
「婚約が政略で始まったとしても、私は彼女を愛している。断られても、その意思を尊重する」
首の手紙が急に重く感じられた。
正体を明かせば、猫に向けられたこの親密さは失われるかもしれない。
それでも、黙って聞き続ける方が彼を裏切る。
エステルは膝から机へ移り、首のリボンを前足でちょいちょいと示した。
「にゃっにゃっ」
「どうした」
アルベルトが折り畳まれた紙を外す。
手紙の最初を読んだ途端、彼の表情が固まった。
「君が・・・エステル?」
「にゃ」
エステルは窓のカーテンへ向かい、もう一度アルベルトを見る。
「閉めればよいのか」
うなずく。
アルベルトが厚いカーテンを引く。月光が完全に遮られた。
エステルは逃げず、彼の前へ座った。
身体が熱を帯びる。銀灰色の前足が人間の指へ戻り、毛皮が消え、視界が高くなる。
やがてエステルは人の姿へ戻った。
用意していた部屋着をミーナが書斎前へ置いてくれていたため、毛布を借りて身にまとい、隣室で着替える。
書斎へ戻ると、アルベルトは手紙を持ったまま立っていた。
「最初の夜からか」
「はい」
「髪飾りの話も聞いていた」
「はい」
「結婚したいと言ったことも」
「聞きました」
アルベルトの顔から血の気が引く。
しかし彼が次に見せたのは、恥ずかしさではなく傷ついた表情だった。
「では、今朝の君の笑顔は、私の本心を知っていたからか」
エステルはすぐに否定できなかった。
「最初は、そうです。愛されていると知って、安心しました」
アルベルトは目を伏せる。
「なら、君の好意は、私が先に答えを教えたから生まれたものかもしれない」
「違います」
「証明できるのか」
エステルは押し黙った。
アルベルトは怒鳴らなかった。手紙を握り潰しもしなかった。ただ静かに机へ置く。
「今夜は戻ってくれ。私も考えたい」
「アルベルト」
「君を責めるつもりはない。だが、今は君の言葉を、都合よく信じてしまいそうだ」
「分かりました」
エステルは扉へ向かいかけ、足を止めた。
「ひとつだけ、今夜のうちにお伝えしてもよろしいですか」
アルベルトは答えなかったが、拒みもしなかった。
「私は、あなたが猫にしか話せない人だと笑うつもりはありません。私も猫の姿でなければ、秘密を明かせませんでしたから」
彼の指が、机の上の手紙へ触れる。
「私たちは、どちらも相手に嫌われるのが怖かったのですね」
「同じにするな。君の秘密には、恐れる理由がある」
「あなたの秘密にもあります。好きだと伝えて、拒まれるのが怖かったのでしょう?」
アルベルトは否定しなかった。
「だから、明日は猫を間に置かずに話します。あなたも、婚約をどうするか一人で決めずに待っていてください」
「約束はできない」
「では、お願いです。朝食が終わるまでは、何の書類にも署名しないでください」
長い沈黙の後、アルベルトは一度だけうなずいた。
エステルは何も言えず、書斎を出た。
夜明けまで、ほとんど眠れなかった。
猫として本心を聞いたから、彼を好きになったのだろうか。
それだけなら、愛された喜びへ応えただけになる。
けれど、思い返すのは甘い言葉だけではなかった。
怯える仕立屋を急かさず待っていたこと。庭園で歩幅を合わせてくれたこと。猫へも無理に触れず、自分から近づくまで待ってくれたこと。不格好でも、自分の手で贈り物を作ろうとしたこと。
アルベルトの優しさは、言葉を知らなくても見ることができた。
結局、周囲と同じように、エステルも彼を冷たい人だと決めつけていたのだ。
私だって、何も聞かなかった。
「嫌われているのですか」と尋ねて傷つくくらいなら、政略結婚なのだと思っている方が楽だった。
アルベルトだけが臆病だったのではない。
二人とも、相手へ答えを委ねるふりをして、自分が傷つかない沈黙を選んでいた。
猫になったことが二人を近づけたのなら、最後は人間の姿でその距離を埋めなければならない。
朝、身支度を終えたところへ、老執事のテオが訪れた。
「エステル様。旦那様が婚約解消の書類をご用意されています」
「婚約解消?」
「ご自分の気持ちを知ったことで、エステル様が断れなくなったとお考えです」
胸の奥に、悲しみより先に怒りが湧いた。理不尽なのはわかっている。
アルベルトはまた、自分の答えを聞く前に身を引こうとしている。
エステルは執務室へ急いだ。
机の上には、本当に婚約解消書類が置かれていた。その隣には、少し形のゆがんだ銀の栞がある。
「昨夜のことなら、君が責任を感じる必要はない」
アルベルトはいつものように淡々と言葉を並べ、書類を差し出した。
昨日の動揺はもうない。
「これは君のためだ」
「私のためという言葉で、私から選ぶ権利を奪わないでください」
エステルは書類を受け取り、破らずに二つ折りにして机へ戻した。
「黙って本音を聞いたことは、私が悪かったと思っています。愛されていると知った安心へ、甘えてしまいました」
「ならば」
「でも、謝ることと、婚約を解消することは別です」
アルベルトが黙る。
「猫として聞いた言葉が、きっかけだったことは否定しません。でも、今あなたを選ぶのは、私自身です」
「なぜ、私を選ぶ」
「あなたは、猫が自分から近づくまで待ってくださいました。私の歩幅へ合わせ、私が選んだ衣装を尊重し、私のために自分の手で栞を作ってくださいました」
エステルは銀の栞を手に取る。
「本心を聞いたから見えたのではありません。知ろうとしたから、ようやく見えたのです」
「それでも、この先、後悔するかもしれない」
「そのときは私が自分で決めます。あなた一人で、私の幸せも後悔も決めないでください」
アルベルトの青灰色の目が揺れる。
「ひとつ、お願いがあります」
「何だ」
「昨夜、猫へ話したことを、今度は私へ言ってください」
長い沈黙が落ちた。
アルベルトは何度か口を開きかけ、そのたびに閉じた。
やがて机を回り、エステルの正面へ立つ。
逃げずに、彼女の目を見た。
「君を愛している」
声が少し震えていた。
「政略ではなく、私自身の意思で、君と結婚したい」
猫として聞いたときより、ずっとうれしかった。
今の言葉は、猫へ預けた秘密ではない。拒まれる怖さごと、エステル本人へ差し出されたものだ。
「私も、あなたを愛しています」
エステルは答えた。
「家同士のためではなく、私自身の意思で、あなたと結婚したいです」
アルベルトの肩から力が抜けた。
そのまま椅子へ座り込む。
「大丈夫ですか」
「問題ない」
いつもの答えに、エステルは笑った。
「猫には、もっとたくさんお話しになっていましたのに」
アルベルトが片手で顔を覆う。
「忘れてくれ」
「無理です」
「頼む」
「髪飾りをもっと見ていたかったことも、図書室で泣いていた私を見ていたことも?」
「それ以上言うな」
氷壁公爵の耳が真っ赤になっている。
かわいい。
抱きしめたくなる衝動を抑えて、彼の手へ自分の手を重ねた。
「では、猫へ話したことは口外しません。その代わり、これからは本人へ話してください」
「努力する」
「まずは、今日の私について何かひとつ」
アルベルトの視線が、エステルの顔から銀の髪飾りへ移る。
ふっと口元をゆるめ、目を細めて言った。
「今日も、かわいい」
今度はエステルの顔が熱くなった。
「急に率直すぎませんか」
「君が言えと言ったんだろ」
「加減というものがございます」
「難しいな」
アルベルトが、ごく小さく笑った。
◇
一か月後、二人の婚礼は予定どおり執り行われた。
それから初めて迎えた満月の夜。
銀灰色の猫になったエステルは、隠れることなく書斎へ入り、アルベルトの膝へ乗った。
彼は猫の額を撫でながら言う。
「人間の姿でも、猫の姿でも、君はかわいい」
エステルは前足で彼の口を押さえた。
「なぜ止める」
「にゃあ」
「人間へ戻ってから言え?」
大きくうなずく。
「分かった」
猫にだけ告白できた冷酷公爵は、近ごろ、人間の妻にもずいぶん素直になった。
ただし、猫の時は素直になりすぎるので、そのときは前足で口を塞ぐことにしている。




