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神託少女は今日もテキトーを言う  作者: 絹田屋


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エピローグ2 いつか来る少女の終わり 後編


 その日、陛下はいつもより少しだけ早くいらした。


 いつものお茶の時間。いつもの部屋。いつもの椅子。エルが淹れたお茶が、二つの杯に注がれていた。


 ただ、一つだけ違ったのは、陛下がエルに「席を外してくれ」と仰ったことだった。


 エルが静かに退出した。扉が閉まった。

 わたしと陛下、二人だけになった。


(……珍しいな。エルを外すなんて。何だろう。何か重要な話かしら)


 陛下がお茶を一口飲んだ。わたしも飲んだ。


 しばらく、二人で黙っていた。いつもの沈黙だった。陛下との沈黙は、重くない。ただ、静かなだけだ。


「アカリ殿」

「はい」


 陛下が杯を置いた。わたしを見た。


「少し、話がしたい」


(話。うん。だからエルを外したのね)

「どうぞ」


 陛下が杯を置いた。わたしを見た。


 いつもの穏やかな目だった。でも、少しだけ——ほんの少しだけ、揺れていた。陛下の目が揺れるのを見るのは、初めてだった。


「わたしの名を、知っているか」


(……え?)

「陛下の……お名前?」


 陛下が頷いた。


「この国では、王座に就いた者は名を伏せる。知っているだろう。王は国そのものであり、個人の名を持たない、という慣わしだ」

「ええ。知っています」


 前にエルに聞いた。この国の王は即位と同時に名を捨てる。「陛下」としか呼ばれない。それが古来の決まりだと。


「しかし、幼い頃の名はある。即位前の名だ。誰も呼ばなくなっただけで、消えたわけではない」


 陛下がお茶を一口飲んだ。


「アカリ殿が宮廷に来たのは、十二歳の時だったな」

「ええ」


 陛下が窓の方に目を向けた。


「わたしは、十六歳だった」

(そうだったんだ。四つ上。今のわたしが十九だから、陛下は二十三歳か)


「十六歳のわたしは、黒い髪の子供が来ると聞いて、正直なところ困惑していた。神託者というものが何なのか、よくわかっていなかった」


 陛下が少し笑われた。


「初めて会ったとき、お前は部屋の本棚や書庫に夢中だったな。目を輝かせていた。わたしのことは、ほとんど見ていなかった」


 ……覚えてる。あの日、書庫の本を見て興奮してた。陛下のことは「穏やかそうな人だな」くらいしか思ってなかった。正直。申し訳ないけど。


「それから七年。お前はずっと、本を読んで、お茶を飲んで、たまに何か言って。それだけだった」


(それだけだったし。今もそうだし)


「……わたしは、そういうアカリ殿が好きだ」


 陛下が、わたしの目を見た。揺れていた目が、静かになっていた。


「アカリ殿。わたしの幼名は、ルーカスという」

(……ルーカス)

「即位してから、この名を口にした者はいない。母上は亡くなった。父上も。幼い頃に遊んだ従兄弟のヴァルターは、即位の日から『陛下』と呼ぶようになった」


 陛下が——ルーカスが、杯を両手で包んだ。


「この名を、お前に預けたい」

(…………)


「……わたしなりの、アカリ殿への婚姻の申し出だ」


 静かだった。窓の外で鳥が鳴いていた。


(陛下が。ルーカスが。わたしに。結婚を)


 ……驚いている。思ったより驚いている。でも、嫌ではない。嫌ではないのよ。ときめきとか、胸がどきどきするとか、そういうのはない。前世の少女漫画みたいな恋愛感情かと聞かれたら、たぶん違う。


(でも)


 この人の隣にいると、安心する。七年間ずっとそうだった。お茶を飲んで、黙って座って、たまに話して。それだけで十分だった。この人がいる場所は、落ち着く。それはとても、大事なことだ。


 結婚して何が変わるんだろう。お茶の時間が増える? それは嬉しい。異星の神託者として振る舞うとしたら外の人と頻繁に会ったりするかな。まぁ、何とかなる気がする。


 子供のことは……別に嫌じゃない。この人の子供なら、穏やかな子になりそう。わたしの黒髪が遺伝したら、宮廷がまた騒ぐかもしれないけど。


(でも、一つだけ気になることがある)


「陛下」

「ルーカスでいい。今は二人だ」


 ……ルーカス。慣れない。でも、悪くない響き。


「……ルーカス」


 陛下が、ほんの少しだけ、息を呑んだのがわかった。


「わたしが結婚したら、わたしは神託者でなくなる、と宮廷は考えているわよね」

「ああ。神託は清浄の身に宿る力だと言われている」


(清浄の身、ね。まあ、この世界の人たちはそう信じている

。多分無くならないけど……と言うか今時点でそもそも無いからね、預言とか神託とか聞こえるわけないし。でも大事なのはそこじゃなくて……)


「大臣たちは反対したでしょう」

「した」


 短かった。迷いがなかった。


「それを押し切ったの」

「ああ、押し切った」


 ……この人は。この人は、国の神託者を失うかもしれないリスクを承知の上で、わたしに名前を預けると言ったのだ。


(前世の漫画で言えば、王が国宝を手放す覚悟で愛を選ぶやつ。でもこの人の場合、「愛」って言うと少し違う気がする。この人はたぶん、永く共に歩くため、そう差し出してくれてるんだわ)


「神託の力がなくなっても、いいの」

「神託少女でなくなるだけ。異星の神託者としてはあり続けるのだろう? それに、アカリ殿自身が、肩書きで変わるものではないだろう」


 あ。この人、わたしのことをちゃんと見ている。神託者としてではなく、わたしとして。……やっぱり、この人は信頼できる。したくなる。


「……わかったわ」


 杯を置いた。姿勢を正した。


「幾久しく、よろしくお願い申し上げます。ルーカス」


 陛下の——ルーカスの目が、大きくなった。


 それから、笑った。わたしが七年間で見た中で、きっと一番柔らかい笑顔だった。


「……こちらこそ」


 大仰な変化があったわけでは無い。続きのお茶を飲んだ。

 いつもと同じ味だった。



 エルを呼び戻した。エルは何かを察したのか、目が赤かった。扉の向こうで聞いていたのかもしれない。聞いていなくても、わたしたちの顔を見ればわかったのかもしれない。


「エル。お茶のおかわりをお願い」

「……かしこまりました」


 エルの声が震えていた。


(ふふ、エルって結構泣き虫よね。陛下とのお茶のおかわりだからかな)


 窓の外を見た。秋の空だった。


(結婚か。わたし、結婚するのか。前世では考えもしなかったな。オタクは推しに人生を捧げるものだと思ってた。でもまあ、爆裂な推しがいるわけでも無いし、最高の結末では?)


 ……ルーカス、か。いい名前だな。でも人前では呼べない。二人きりの時だけ。秘密の名前。……なんかそれ、ちょっといいな〜。


 お茶をもう一口飲んだ。

 いつもと同じ午後だった。陛下と婚約したこと以外、何も変わらなかった。


 でも、少しだけ——ほんの少しだけ——温かかった。

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