1-1-6
「と、いうわけで!」
テーブルに腰かけた私の前で、アカリが右の人差し指を立てながら切り出した。
「ヒヨリを襲った不可解な“現象”を我々は究明しなくてはならない!」
「そ、そうだね」
アカリの左腕には包帯がまかれ、三角巾で首から吊るしている。
昨日私が墜落したとき、彼女は私がちゃんと飛べなかったばかりに大怪我を負う羽目になった。あの後アカリと私は大急ぎで村に帰り、お母さんに手当てしてもらったのだった。
そのとき私たちはお母さんから敢え無く雷を頂戴することになり、今後は大人の居ないところで勝手に練習しない事と、アカリは傷がきちんと塞がるまでは『翼を授かる魔術』を使わないことを言い渡された。
彼女の左腕の傷は、枝が刺さったまま翼を腕に戻したことによって傷口が広がり、結局何針か縫う羽目になった。包帯の淵からは痛ましい縫い痕が覗いている。
「ごめんね、私が上手く飛べないばっかりに」
「もう、良いって言ってるでしょ?何回目よ、その言葉」
「でも、痕になるかも知れないし」
「良いったら良いの!終わったことなんだから、もうおしまい!分かった!?」
アカリが私に歩み寄り、伏せていた額を立てていた指で押し上げる。私の視界に映ったアカリの空色の瞳には、慈しむようで少し痛ましげな色が混じっている。目元の泣き黒子が少し震えた。
そんなアカリの視線は、私の目ではなくその少し上に注がれている。私の目の前でアカリはゆっくり指を開き、私の額の包帯を優しく撫でた。
「それに、ヒヨリだっておでこに縫い痕が出来ちゃったじゃん。そっちの方が心配だぁよ?」
「アカリが平気なら、私も平気」
茶化すような彼女の言葉に胸が温まった。
思ったままを口にしたら、アカリは少し照れたように私の顔から視線をそらした。
「そう」
「むしろ、私の広いおでこが淋しくなくなって良かったかもね」
「何それ、可笑しなの」
アカリは笑った。釣られて私も笑った。
ひとしきり笑って落ち着いた後、私はふと思ったことを口にした。
「でも、いいのかな。また勝手に魔法のことやって……」
私は叱りつけるお母さんの顔を思い出しながら懸念を口にした。あそこまで怒ったお母さんは見たことがない。できれば二度とごめんだ。
「平気平気、魔術さえ使わなければいいってことだし」
「恐れ知らずな……」
アカリは私をねめつけながら言葉を返した。
「じゃあ、もう飛ぶ練習はしないっていうの?」
「まさか、するよ」
自分に言い聞かせるように言い放った。
「じゃあ、なんとかしないとだよ」
「そうだね。そうしよう」
「とにもかくにも、」
アカリはくるくると回りながら人指し指を立て直し、再び切り出した。彼女の短いスカートがふわりと広がる。
「まずはあの現象を名付けようではないか。そうだな、『木の葉落とし』と言った所かな?どう思うかね?ヒヨリ君」
アカリは私の数歩先で立ち止まり、私を振り返ると、まるで左目のモノクルをクイと持ち上げるようなしぐさをした。ちなみに彼女は眼鏡をしていない。
「何その口調ww村長の真似?」
「っそこじゃぁなくて!」
彼女はスカートの裾を掴んで威嚇する様に引っ張った。
「名前はどうかな?気に入った?」
「どうって言われても……」
あのときの揺れる体と滅茶苦茶に回る視界がフラッシュバックし、心臓がドキッと大きくなった。冷や汗が流れ、少し息苦しくなる。
中々お洒落な名前だが、あんな経験は二度としたくない。夢に見たせいで、昨夜は眠れなかった。
「あんまりおどろおどろしい名前じゃ、良くないよ」
「そう、かもね……うん、『木の葉落とし』でいいと思う」
「良し、決まり!」
アカリは渾身の名づけが認められて、手を腰に当てて胸を張った。
「とはいっても、何が何だかよく分かんなかったからなぁ」
「そうなの?私からは、ヒヨリが落ち葉みたいにくるくる回りながら落ちてるのが見えたけど」
アカリは首を傾げながら私に尋ねた。心を落ち着かせながら、あの時のことを思い出す。
私よりアカリの方が、飛行練習は早く始めていた。私にわからない事でも、アカリなら知っているかもしれない。
「え、えっと、左の羽だけが上に持ち上げられ続けてる感じだった。大人たちから何か聞いてない?」
「うーん、正直わかんない」
「そっかぁ。私もいろいろ考えたけど、分かんなくて……」
アカリと私は少し黙り込んで考えを巡らせた。少しした後、先に口を開いたのはアカリだった。
「旋回するときは、必ず『空気を操る魔術』で翼を支えるように言われたけど」
「そうなの?」
「うん。翼を動かせなくなる分、魔術で支えるんだ」
「へぇ。でも私は『空気を操る魔術』が使えないし、そのことは聞いてても仕方ないかなぁ」
アカリは答えを探すように視線を動かしている。そんな彼女を眺めながら、私もあの後のことを思い出した。
「実は降りた後、こっそり『翼を得る魔術』を使ったんだよね」
「恐れ知らずなのはどっちだよ……それで?」
アカリはジト目で私のことを見ながら、続きを促した。
「私の翼は左右とも問題なかった」
「そっか。はっきりとは見えなかったけど、落ちてる間は『翼を得る魔術』を切らしてないんだよね?」
「うん」
「なら、右手だけ人の腕に戻っちゃった?」
「それは無い、と思う。『翼を得る魔術』は左右同時で、片方だけなんて出来ないでしょ?」
「そうだよね。ヒヨリだけ特別、なんてことも無いだろうし……無いよね?」
「何回かやってみたけど、できなかったよ?」
「なら、『翼を得る魔術』のせいじゃ無いってことか」
アカリは頬に人差し指を当てて少し考え込んだ後、再び口を開いた。
「あの時ヒヨリは十分早さが出てたから、私は問題ないと思ったのにな」
「大人たちが飛んでるのは何回も見てたし、私もいけると思ったんだよね」
「実際、すごい速さで飛んでたよね?まさかあっという間に置いて行かれるとは思わなかったよ」
「そんなに速かったの?」
「うん。そんなに速くしなくても、と思うくらい」
「そうだったんだ」
「あ、もしかして夢中になってた?」
突然アカリの口調が揶揄うような響きになった。アカリの顔を見れば、少しニヤニヤするような表情が浮かんでいる。
「う、うるさいな。まさかあんなにすんなり飛べるとは思わなかったんだよ」
「ま、私も初めての時は結構緊張したけど」
「なに?意地悪?」
「べつにー?」
私は腑に落ちない感じで顔を背けた。
「でもさ、疲れないの?あんなに速く飛んで」
「え。結構疲れたけど、そういうもんじゃない?」
「違うと思う。疲れないように、体力と『空気を操る魔術』を併用して飛ぶんだよ?」
「うそ……私の飛び方、消耗ひどすぎ?」
「あ、なんかごめん」
私たちの間を、気まずい沈黙が支配した。その沈黙を取り払う様に咳払いしつつ、私は口を開いた。
「とにかく、『なるべく疲れない飛び方』と『木の葉落とし現象』の解決が要るってことだよね」
「そうだね。一緒に大人たちに色々聞いてみようか」
アカリは明るい声でそう提案した。
「何から何まで付き合わせちゃって、ごめんね」
「だーかーらー、あーやーまーるーなー!!」
「……うん。ありがとう」
「気にしないで。魔力も体力も節約して飛べるなら、私にも何か勉強になるはずだしね!」
「ホント好きだね、飛ぶの」
「私だって、鳥の民の乙女だしぃ。そういうヒヨリも、昨日の今日で良くめげないよね?」
アカリが居るから。とは、恥ずかしくて言えなかった。
「私だって、鳥の民の乙女だしぃ」
アカリが笑った。私も笑った。




