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??謬の物語  作者: 筆折れ餓鬼太郎
第一部 エルロンワルツ
4/6

1-1-4

「ヒヨリ、落ち着いた?」


 朝食をとったテーブルに付き、ハーブティーを飲んだ私にお母さん(フレア)が声を掛けた。


「うん。大分気分は良くなった、かな」

「そう。ならよかった。もう少し様子見たいんだけど、お母さんも仕事があるからもう行くね」


 お母さんはそう言って席を立ち、椅子の背もたれに掛けていたコートを羽織る。

 袖を通す傍ら、隣の席に腰掛けていたアカリに向かって口を開く。


「アカリちゃん、悪いんだけど、ヒヨリの事お願いできる?」


 私の向かいの席で同じくお茶を飲んでいたアカリが、カップをテーブルに置いてフレアを向いた。


「わかりました」

「ありがとう。お母さんには私から放しておくから」


 お母さんはアカリの母親と同じく村にある小さな果樹園で仕事をしている。急な依頼を快く引き受けてくれたアカリに対して、私のお母さんは頭を撫でながらそう告げた。

 その後、お母さんは私の方を再び向いた。


「じゃ、暗くなる前には帰れると思うから、それまでは休んでるのよ?」

「はーい」


 お母さんが家を後にした後で、私はアカリに向かって話しかけた。


「アカリ、ありがとう。空飛ぶ練習があるのに、付き合わせちゃってごめんね」

「ぜんぜん大丈夫」

「私はもう平気だから、練習しに行っても大丈夫だよ?」

「いいのいいの。一日くらい休んだって、変わんないよ」

「そう……ありがとう」

「気にしないで」


 アカリはそう言って再びハーブティーを口に含み、ゆっくりと一口飲み込んだ。その視線はカップじゃなく上の方を向いていて、ハーブティーを味わっている訳では無さそうだった。

 彼女の両手がくるくると木のカップを回す。取っ手が丁度私の方に向いたところで、アカリはまた私を見た。


「でも、どうして魔力が無くなったったのかな」

「多分、なんかの魔術は起動しかかってたはずなんだけど」


 先ほどの感触は、魔術の失敗時の感覚ではなかった。少なくとも私の聖痕は反応していたんだ。


「だよね、じゃないと魔力が無くなって倒れるなんてこと、普通は起きないからね……」


 そういってアカリは視線を手の中のお茶の水面に向ける。


「私、やっぱり飛べないのかな」

「うーん。やってみないと分かんないと思うけど」


 彼女の言葉が引っかかった。


「そういえば、アカリはすんなり飛んでなかったっけ。成功のコツとか、知らない?」

「あー、あれはね」


 アカリは気まずそうにこめかみを指で掻いた。


「あのときは、実はカッコつけるために結構練習した後だったんだよ」

「……そうなの?てっきりいつもみたいに勘でやってるのかと思った」

「あはは、まさか」


 アカリはそう言ってカップに残ったお茶を飲み干した。


「だって、堕ちたら死んじゃうし。流石に私でも練習するって」

「じゃあ、あの時初めて飛んだわけじゃないの?」


 私はポットを手に取り、彼女にお茶のお代わりを注ぎながら尋ねた。


「いや、ちゃんと飛んだのはあの時が初めてだよ」

「すごい度胸だね……」

「いや、沢山練習したから上手く行くって確証はあったんだよ。もう一つ理由はあるけど」

「それって、何?」


 私は思わず身を乗り出して、アカリの言葉を待った。


「乙女の秘密ってことで」


 思わず項垂れた。こういう言い方をするとき、アカリは理屈じゃなく直感で動いている。


「(それに、初めてはヒヨリに見て欲しかったし)」


 アカリが続けて口にした言葉は、私にはよく聞こえなかった。

 それでも、私には聞き逃した言葉に空を飛ぶための秘訣があるんじゃないかと思って、すぐさま顔を上げた。何故か私と目が合った途端にアカリは顔を逸らした。


「なになに?なんて?なにかあるの?」

「なんでもない」

「えー。意地悪しないで、教えてよぉ」


 私はそうせがんだが、アカリは顔をこちらには向けてくれない。どういう訳か少し赤くなった耳だけが、彼女の髪から覗いている。


「意地悪じゃなくて、恥ずかしいの。気にしないで」

「え”?空を飛ぶ練習って、なんか恥ずかしい事しなきゃいけないの?」


 濁った変な声が出た。

 アカリは私の言葉を聞いて、すぐさま顔をこちらに向けた。顔がリンゴみたいに赤くなっている。


「違う違う、そうじゃない、そうじゃなぁい」

「じゃあなに」


 挙動不審な彼女を半目で見定めつつ、私は平坦な声で聴いた。


「と、とにかく、魔法はイメージなのよ」


 お茶を濁すように彼女はカップを呷った。しかし慌てて飲み込んだせいか、彼女は噎せこみはじめた。


「あーあ、なにやってるのよ。大丈夫?」


 今の隅で干していた手拭き布(ハンカチ)を急いで回収し、彼女に手渡した。


「ありがと。大丈夫」

「服は汚れてない?」


 そう言いつつ、私は横から彼女の様子を確認した。お茶はテーブルに少し溢れたが、彼女の服にはかからなかったようだ。


「それは平気」

「そっか」


 私はそのままアカリの向かいの席に戻った。私の背中に向かって彼女が口を零した。


「……これじゃ私が面倒見てもらってるみたいだね」

「ショセツあるね」

「なにそれ」


 アカリは笑った。

 私は席に戻った後、アカリにお茶のお代わりを訊いた。彼女は断った。


「それで、ヒヨリはどうしたいの?」

「どうって?」

「飛ぶか、飛ばないか」


 アカリは試すように私を見た。


「飛ぶよ。絶対」


 私はアカリの目を見返して食い気味に宣言した。目の前で空を飛ぶ姿を見せつけておいて、何を言う。

 彼女は私の目線に少し満足げに目を細めて、口を開いた。


「よし。なら練習、と言いたいところだけど。まだ魔術を使う訳には行かないよね?」


 体内の魔力の様子に意識を向けた。魔力の源から感じる私の魔力の波動は弱々しく、意識してもほとんど魔力が操れない。


「そうだね。魔力自体はあまり回復してない。多分、まだ『翼を授かる魔法』も出せないと思う」


「じゃ、魔術を使わずに今できることをしようか」

「今できることって、イメージトレーニングとか?」


 魔術にイメージが大切なのは百も承知だ。

 実際に今日の為に、私はアカリの初飛行からずっと練習は続けてきた。魔力を巡らせながら体を動かす練習に、頭の中で飛んでる間の魔術の使い方やタイミングと体の動かし方の想定とか。お父さんお母さんにも聞いて、練習自体に抜かりはなかったつもりだ。


「それも良いかもだけど。ヒヨリの場合、体を支える方法をどうにかすしようってこと」

「どうにかって言われても、私が魔術が使えない理由なんてさっぱりなんだよね……」

「どうにかするっていうのは、『空気を操る魔法』を使えるようにするって事と同じじゃないよ?」


 彼女は不敵な笑みを浮かべ、言葉を続ける。


「たとえば、『空気を操る魔法』を使わないで空を飛ぶ方法を考えるとか」


 彼女の言葉に、私は耳を疑った。


「できるの?そんなこと」

「さぁ?でも、鳥は『空気を操る魔法』なんて使わずに空を飛んでるし」

「それは、鳥だからでしょ?」


 当たり前のことを聞くアカリに簡潔に答えた後、私は手に持ったカップを呷って冷えたハーブティーを一息に流し込んだ。

 覗き始めたカップの底の向こうから、アカリが反論した。


「まぁ、そうなんだけど。翼だけで飛べる鳥と、翼だけじゃ飛べない人間の違いを埋めるのが魔術な訳じゃん?」


 私はカップを置き、アカリの目の奥を見つめた。


「そうだね……ってことは、魔術以外の方法でもいいから、その差を埋められればいいってこと?」

「そう、そういうこと!たとえば足も翼にして、第二の翼で支えるとか!」


 アカリは我が意を得たりと言わんばかりに、少し胸を張ってから頷いた。


「飛んでから『空気を操る魔法』のタイミングで足を翼に……うーん……それだと地面に降りるときに……」


 私はアカリの提案を少し想像して独り言を漏らした。


「ごめん。自分で言っといて何だけど、気味悪いね」

「アカリ、いったい何を想像してるの?足を鳥の尾羽みたいにするんじゃないの?」

「あ、そっか。そうだよね。気にしないで」

 

 アカリ、私を何にするつもりだったの?想像の中で私の尊厳破壊されてない?


「でも結局、私の魔力がない今は練習できないかな。なんだか『翼を得る魔法』の範囲を超えてる気がするし。」

「あー、そうだよね。魔術は魔術式の定義範囲を超えると効果が無くなるんだよね」

「なんだか振り出しに戻った気が……」


 私はガッカリして、両手の中のカップを突き出しながらテーブルに突っ伏した。

 私の仕草に勘違いしたのか、アカリがポットからお代わりのお茶を注いだ。手の中のカップがハーブティーで少し暖かくなる。


「いや、そうでもないと思う。ヒヨリの魔術以外でヒヨリに尾羽を生やせばいいんじゃない?」

「……はい?」


 私は思わず顔を上げた。やっぱりアカリの脳内で私が魔物になってる。


「たとえば、足首くらいまであるスカートを着て足を開くとか」

「あ、ごめん。そういうことね」


 私のは邪推だったようで、アカリは思ったより真面目に考えていた。思わず謝罪の言葉が口を突いたが、アカリは首を傾げただけだった。

 ひとまず私は彼女の言葉を想像してみた。歩き難くてたまにしか着ないスカートだけど、確かに両足が開いたときの形は鳥の尾羽に近いかも。

 やがて、はっきりとした空を飛ぶイメージが出来た。


「ありかも」

「だよね?ヒヨリは挑戦する(やる)?」


 アカリのおかげで、道は既に開けた。


「もちろん」


 アカリは歯を見せて笑った。私もつられて笑顔になった。



 この時から、私の空への長い挑戦が始まった。

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