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??謬の物語  作者: 筆折れ餓鬼太郎
第一部 エルロンワルツ
2/6

1-1-2

 好奇心旺盛な一人娘のヒヨリは、朝に弱い。

 そのためにヒヨリが居ると騒がしくなる居間は、朝の間は静かな空間になる。聞こえるのは妻のフレアが朝食を用意する音と、私が本のページをめくる音だけだ。

 今日は少し早く起きた妻がハーブティーを淹れてくれた。目を少し休めるために、ページをめくる手を止めて木のティーカップに手を伸ばした。


 いつもならもう少しで朝食が完成し、その後でフレアがヒヨリをベットから引きずり起こす。寝ぼけ眼を擦る愛娘は寝ぐせでぼさぼさの頭の侭にテーブルに着き、三人そろってから静かに朝食を始めるのがいつもの光景だ。

 ティーカップを口に運びながら、居間の端の台所で料理をする妻を見る。まだ朝食の完成には少し時間がかかりそうだった。




――ダァン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 突然、普段通りの心地いい静寂が包んでいた居間に、けたたましいドアの音が鳴り響いた。


 タモンはそれに驚き、口に運ぶ途中だったお茶をカップから少し溢した。すぐに膝の上に広げていた本を慌てて遠ざける。頁に褐色の洪水が広がるはなんとかを防げた。

 落ち着いてからサイドテーブルに本とティーカップを置き、音のしたドアの方を見た。


 騒音の原因は、いつもなら絶対に自分から起きない一人娘、ヒヨリだった。彼女は私の方を見て自身の短慮を察したのか、少し顔を顰めた。


「ありゃ、ゴメンナサイ。驚かせちゃった?」

「いや、問題ないよ。本も無事だ。でもどうしたんだ?ヒヨリが珍しく自分から起きるなんて」

「それがね、お父さん……私に聖痕が現れたんだ」

「……本当か?」


 私は思わず立ち上がった。初めてヒヨリが言葉を話した日と、初めてヒヨリが一人歩きした日以来の感動だ。何故なら鳥の民にとって、聖痕が現れることは一人歩きが出来るようになったことに近い意味を持つ。 

 私は愛娘の成長に感動し、自然と目尻に涙が浮かんだ。


「うん、魔力を流すとあったかくなる感じがするし、多分本当だと思う」

「ヒヨリ、よかったな!今晩はお祝いだ!」

「ねぇヒヨリ、早速だけど聖痕みせてくれるない?」


 いつの間にか料理を中断していた妻が、愛娘のもとに歩み寄って話しかけた。彼女も喜びを噛みしめているのか、その声も普段より明るくなっていた。


「わかった、お母さん」

「じゃ、じゃあ、お父さんにも……」

「お父さんは後でね」


 娘は私の言葉を遮る様にきっぱりと答えた。私は思わず項垂れた。最近娘が冷たい気がする。このくらいの年になるとよくある事らしいが、辛いものは辛い。

 しかしそんな私の様子をヒヨリは気に留めることもなく、私には一瞥もせずに妻に背を向けると、服の胸元を持ちあげてうなじを露出させた。

 私はフレアの背中越しにその様子を見ていたが、椅子に腰かけたままでは良く見えなかった。諦めて読書に戻ろうと、サイドテーブルに置いた本に手を伸ばした。

 しかし、その手はすぐに妻の声で中断されることになる。



「……これは、どういうこと?」


 先程まで期待に膨らんでいた妻の声が、一転して暗くなった。

 開きかけていた本を閉じて、私も二人の下へ向かう。


「フレア、どうした?」

「ヒヨリの聖痕が……」


 ショックのあまり言葉が無いと言わんばかりだった。

 すぐ背後までやってきた私は、硬直したままの妻の背中に声を掛ける。


「私にも見せてくれないか?」

「ええ、そうね」


 妻が一歩右にずれ、彼女が退いた場所に私はが入れ替わる様に立った。そのまま腰を折り、ヒヨリのうなじに顔を近づけて目を細める。

 

「……これは、こんなことが」


 鳥の民の聖痕は、必ず同時に、一対の翼として現れる。そして聖痕の両方の翼のバランスがいい程、使用できる魔術の効果が丁度良くなり、総合的な飛行能力も高くなる。


 ところが、できたばかりの愛娘の聖痕には右側の大きな翼しかなかったのだ。

 だが、極端にバランスが悪いせいで小さすぎて目に見えない、という訳では無さそうだ。左側の翼のある筈の場所には、代わりに炎を散らしたシミのようなものが残っている。いくら聖痕の翼が小さい場合でも、一対の翼以外の模様は通常現れない。


「ねぇ。お父さん、お母さん、どうしたの?私の聖痕に、何があったの」


 私はゆっくりとヒヨリの前に回るとかがみ込み、胸元で拳を握っているのヒヨリの両手ををそっと包みこんだ。

 少し下を向いて言葉を考える。そのあと、事実を伝えるために顔を上げる。不安そうに眉を寄せた娘の顔が見えて、眉間に皺が寄ったのを感じた。


「ヒヨリ、落ち着いて聞いて。ヒヨリの聖痕には、翼が一枚しかないんだ。右側の翼しか」

「それって、どういうこと?」

「ヒヨリは、空を飛べないかもしれない」

「……そんな、アカリと一緒に飛ぼうって約束したのに」


 手の中のヒヨリの拳が更に強く握り込まれた。そういえば、先日幼馴染のアカリちゃんが空を飛んだばかりだった。

 思わず私は両手の中の柔らかくまだ小さい手を少しだけ強く握った。


「あなた、何もそう決まったわけじゃ……」

「しかし、いつかは知ることだ。なら、大きなけがをする前に知っておいた方がいい」


 ショックを受けたヒヨリの様子を見て妻が私を窘めたが、私は妻を見上げて反論した。

 何も知らずに上空に羽ばたいてしまったら、あるいは翼が手に入れられなかったら、娘はもう鳥の民としては生きていけない。

 私は覚悟を決めて、妻に提案する。


「やっぱり、ヒヨリにあのことを話すべきかもしれない」

「……そうね。ついに、話さなきゃいけない時が来たのね。私は構わない」


 妻の意志を確認してから、私は再びヒヨリに顔を向けた。


「ヒヨリ。朝ごはんのあと、少し話がある。時間はあるね?」

「わかった」


 ヒヨリはか細い声で答えた。


「そうと決まればとりあえず、朝ごはんだ。私も手伝うよ」

「あなた、ありがとう」


 そう言って私は立ち上がり、妻もそれに続いた。

 ヒヨリは所在なさげに私と妻の愛でで視線を往復させたが、「私も」といって妻のあとに続いた。









「さて」


 ヒヨリの朝食がひと段落したころを見計らうように、タモンは口に着けていたカップを置き、ヒヨリに向かって口を開いた。


「鳥人族には、双子が居ない。それが何故か知っているか?」

「しらない。でも『キョーチョー』って誰かが言ってたのを聞いたことがあるよ?」

「そうだな。よくない事って意味だ。なぜなら双子の場合、『翼を得る魔術』と『空気を操る魔術』の片方しか得られないんだ」

「そうなの? てことは、鳥みたいに空を自由に飛べないって事?」

「そうだ。不可能ではないが、自由に飛ぶのはかなり難しい」

「でも、ヒヨリは一人っ子だよ?何の関係があるの?」


 タモンは肘を机に置いて両腕の指を組み合わせ、あごを親指に乗せてゆっくりと告げた。


「あぁ。でも、本当は違うんだ」

「え?どういうことなの?」

「ヒヨリは双子だったんだ」

「でも、私には兄弟は居ないって」

「えぇ、もういないわ。生まれたとき、すぐに亡くなったの」


 タモンの隣の席で二人の会話を見ていたフレアが、タモンの代わりに答えた。顔をは伏せられ、口元を抑えながら肩を少し震えさせていた。やがて、彼女の手の間から嗚咽が漏れ始める。

 そんなフレアの様子をみたタモンが、ヒヨリに向かって口を開いた。


「本当は、双子が生まれたなら直ちに捨てなくてはならないんだ」

「じゃあ、どうしてヒヨリは捨てられていないの?」

「それは……」

「私が、殺さないでって頼んだの。ヒヨリのあとに生まれた子は難産で、もう子供が産めない体になっていたから。それにヒヨリだって、私が必死に生んだ、大切な私の子供なの」


 タモンが答えようとしたのを遮る様に、フレアが嗚咽混じりに言葉を紡ぐ。しかし最後の方は言葉が詰まらない様にするのがやっとといったところで、最後にはまた顔を伏せた。

 それを見ていたタモンは、フレアの言葉を補足する。


「……それと、ヒヨリの場合は『双子で魔術が両方発現しない』という場合に当てはまらないという望みもあったんだ」

「でも、私の翼は一枚だけなんだよね?」

「あぁ、いや。……言葉足らずだったね。ちゃんと言うなら、翼のある筈の場所に“何か別の模様ができかけている”という感じの状態なんだ」


「だったら、いつか私は飛べるようになるの?」

「それは、分からない。なにぶん、元双子でヒヨリの年まで生きられた子はいなかったから。でもだからこそ、いつかは空を飛べるようになる可能性はある」

「そう、じゃあ練習すれば、いつか世界を飛んで回れるんだよね?」


 ヒヨリは努めて明るく言った。幼馴染との約束を、簡単に反故になんてできない。


「っそれは……!」


 タモンはヒヨリの回答に言葉を詰まらせた。


「ダメ!」


 タモンの言葉を遮る様に、フレアが突然顔を上げてヒヨリの言葉を否定した。普段は優しく温厚な母親が珍しく取り乱した態度に、ヒヨリは少し混乱した。


「なんで?」

「ヒヨリ、外の世界の人たちは、私たちのことを人間とは思っていない。おとぎ話の『大崩壊』の首謀者で、悪者なんだ。だから、私たち鳥の民を捕まえると、奴隷として扱うんだ」

「どれいって?」

「手足を鎖で縛って、魔術を使えないようにして、道具のように使われる人のことだ」


 なおもヒヨリは腑に落ちなかった。少し考えてから、更に質問した。


「わたしは悪いことしてないのに?」

「彼らのほとんどには、関係ないのさ」

「ふーん、でも行商人もマークスさんは私たちに優しいよ?」


 ヒヨリは月に数回荷馬車を曳いて村に来る優しいおじさんのことを思い浮かべた。


「あぁ、でも彼は珍しい方の人なんだ。マークスさんも、他の人にこの村に鳥の民が住んでいることは話していない。じゃないと、この村で売るための野菜や小麦すら買い込めなくなるからね」

「そうなんだ……」

「皆が皆、鳥の民を憎んでるわけじゃない。でも、ほとんどの人が憎んでる。私たちが飛ぶ魔術を練習するのは、逃げる為なんだ」

「逃げる?」


 予想外の答えにヒヨリは首を傾げた。


「あぁ。鳥の民を捕まえて、奴隷にする人がいるからね。いわゆる『人狩り』っていう人たちから、逃げなきゃいけない」

「そうなの?でも、みんなそんな話しないよ?」

「それも、マークスさんのおかげなんだ。彼が間に立ってくれるから、僕らは鳥の民だとバレずに生活できるようになった」

「そうなんだ……」


 ヒヨリは俯き、父の言葉をかみしめるようにして考え込んだ。

 少ししてから、父が告げた。


「なんにせよ、ヒヨリがどれだけ魔術を使えるかを知らないとね」

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