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シュレッダー


 毎年春になると里美先輩から絵葉書が届く。私も先輩に葉書を送る。これは私たちが高校生の時に成し遂げた完全犯罪が、まだ誰にも知られていない事をお互いに確認し合う行為でもあるのだ。


 私たちは吹奏楽部の同じ楽器の先輩後輩で、中学校の部活紹介で里美先輩がアルトサックスを吹く姿に一目惚れしたのがキッカケだった。私は中学校でアルトサックスを始めて、里美先輩と同じ高校に頑張って合格して、部活も同じところへ。


 「私のこと好きすぎる」と先輩は笑ったけど、笑い事じゃなくホントにそう。当時は先輩のことばかり考えてたな、と思う。


 今思えば、最初の事件は単純だった。春休みの部活の練習中に、先輩のリードケースが無くなった。リードケースというのは、サックスを吹くときに使う『リード』を収納する小さな箱。『リード』はサックスの演奏には欠かせない物で、口に咥えるパーツに付けてそれを振動させて音を出す。


 楽器を部室に置いたままランニングに行った時があったから、その時かもしれない。

「里美、違う場所に忘れたんじゃないの?」

「うーん。楽器ケースに入れてあったと思うんだけどなぁ。」

「ハッキリしないの?」

「楽器を置いて部室を出た時の記憶が曖昧で。今までだって同じ事してたし。あーあ、お気に入りのが入ってたのに…」


「先輩、ランニング行く前にもう音出し始めてましたか?その時リードケースはどこに?」

「まだ。楽器ケースを出したとこでランニングになったから、リードケースは楽器ケースに入ったままだったの。ほら、みんなで自分のDNA公開したお金持ちの遺産の話してたじゃない?あの時よ。」

「確かに。話に夢中で誰が何してたかあまり覚えていませんね。」

私は里美先輩の周囲にいる人を見渡した。竜樹先輩と目が合う。スッと目を逸らされた。いつも嫌味っぽく里美先輩に絡んでくるのに、今日は何も言ってこない。


 竜樹先輩は里美先輩と同じクラスで、里美先輩にだけ意地が悪いように私には見えていた。

「竜樹せんぱ、」

「合奏始めるぞー。」

部長の声が聞こえて、私の疑問はうやむやになってしまった。


 翌日私は竜樹先輩を呼び出した。『里美先輩の事でお話があります』と竜樹先輩の下駄箱にカードを入れておいた。

「やっぱりお前か。」

帰ろうとする竜樹先輩の背中に話しかけた。


「リードケース、先輩ですよね。ランニングに行かなかった竜樹先輩しかチャンスが有りません。タイムが早くて先に戻った人と、最後に部室を出た人にも聞きましたが、二人とも誰かと一緒で不可能でした。竜樹先輩、昨日部室にいましたよね。なぜランニングに来なかったんですか?部室で一人になった時間がありましたよね?」

「うるさい!里美のためなんだ。俺には関係ない!」

竜樹先輩は走って行ってしまった。


「聞き方失敗したな。里美先輩のためってどういう事?変な展開になったら嫌だなぁ。」

私は嫌な気分のまま練習に戻った。


 次に無くなったのは楽譜だった。

「あんな分厚い物どこで失くすのよ。管理悪いんじゃないの?」

「練習する時間減っちゃうんですけど?」

「はーい、関係ない人は音出ししに行ってー!」

「里美、三年生なんだからしっかりしてよね。」

「絶対ここに入れたって。」

先輩は必死に言ってたけど、確かにあんなに大きな物簡単には無くならないよな。どこかに置き忘れたのかな?


「もしかして、泥棒?」

「なんで楽譜なんか盗むのよ」

「えー。大事なメモが入っているとか?」

「なんで楽譜の間にわざわざ挟むのよ。」

「それは犯人に聞いてみないと。」

「うーん。あ、瑞葵(みずき)、前一緒に練習した時の譜面、そのまま持ってる?」

「もちろんです。コピーしておきましょうか?」

「流石にコピーは自分でするよ。それに家でも探してみる。今日はこのまま借りるね。ありがと。」


 その日はそのまま何事もなかったかのように練習が続いた。帰りに先輩に誘われて、カレシさんとよく行くという喫茶店に来た。

「実はさ、部活前にもここに来たの。みんなの前では言えなかったんだけど、もしかしたらここに忘れたんじゃないかと思って。カレシに譜面見せたから。」

「カレシさん楽器演奏する人なんですか?」

「バンドやってたって言ってた。」

「なるほど。」

「ちょっとお店の人に聞いてくるね。」

先輩はお店の人に聞きに行った。あの様子だと忘れ物はなかったみたいだ。ふとカウンター席でコーヒーを飲んでいる男性が気になった。なんだろ?


 先輩が戻ってくる後ろで、その男性が先輩が話を聞いた店員さんと目配せをした。え?

「なかったって。どこに置いちゃったんだろ。諦めてコピーするよ。瑞葵、コンビニ付き合って。」

「もちろんです!駅前のコンビニなら二台あるから半分ずつやっちゃいましょう。」

あの男性の事が気になったけど仕方がない。帰り際にチラッと顔だけ見て私はコンビニへ向かった。


 翌日、里美先輩の財布が無くなった。気づいたらバッグのファスナーが開けられたままになっていて、他の物はあるのに財布だけが無かった。バッグは入り口の外に落ちていた。


 その財布は皮を使った手作り品で、私が誕生日プレゼントに贈った物だった。

「瑞葵、ごめん。」

「先輩のせいじゃないですよ。盗った人が悪いんです。部室に居た人いませんか?」

「はい。私居たよ。」

「誰か部員以外で来た人居ましたか?」

「居たよ?いつもの掃除のオジサン。普段通りだったと思うけど、ずっと見てたわけじゃないから。」

「そうですよね。」


「財布、困ったなぁ。」

「お金なら貸しますよ?たくさんは無理だけど。」

「お金は定期入れにも入ってるから大丈夫。それよりも、予約券が入ってたの。それに瑞葵に貰ったお気に入りだったのに。」

「お財布ならまた贈りますよ。予約券って何のですか?」

「ショッピングモールの本屋の予約券。」

「週末一緒に行ってみますか?券がなくてもなんとかなりますよ。きっと。」

「そうだね。ついでに美味しいものも食べよう!」


 翌日、里美先輩が嬉しそうに私の所へ走ってきた。

「瑞葵!聞いて!リードケースが見つかったの!」

「どこでですか?」

「学校の落とし物に届いてたのよ。」

「良かったですね!譜面とお財布もそのうち見つかるんじゃないですか?」


「せっかく戻ってきても、もうリードは気持ち悪くて使えないし、譜面もコピーした後だからもう要らないし。でもお財布は返ってきてほしい!プレゼントだったし。でもちょっと気味は悪いかも。」

「誰が何したか分かりませんもんね。」

「はぁ。考えたくない。気に入ってたのになぁ。いつも愚痴を聞いてくれるカレシと連絡取れなかったから元気でない。寂しい。」

「カレシさん何かあったんですかね?忙しいとか?」

「譜面忘れていくような女は嫌いなのかも。」

「先輩、そんな事ないですよ。お仕事なんじゃないですか?」

「いつもは普通に連絡くるのに?」

「今度二人でパーっと遊びに行きましょうよ。気分転換しましょう?」

「私嫌われちゃったかな。」

「先輩、早く帰ってもう寝ましょう!色々あったから疲れてるんですよ。先輩の事嫌いになるわけないじゃないですか。好きに決まってます。」

なんとか先輩を家に送って、私も帰宅した。


 週末になり、約束通り先輩と二人でショッピングモールに来た。本屋で予約券の事を話したら、名前を確認してくれて、もう一度予約券を発行してもらえた。フードコートでお昼ご飯を食べて、デザートも食べ始めたところで、突然先輩は思い出した。


「そうだった、瑞葵!聞いて!譜面が封筒で送られてきたの!腹が立ったからシュレッダーで粉々にしてやったわよ。」

「譜面ですか?封筒で届いたって、なんで住所知ってるんですかね?」

「怖いよね!それもあって、中身には触らずに封筒を覗いてみたの。私の譜面だったから封筒ごとシュレッダーに入れたのよ。お父さんの部屋のやつ。」


「あー、あのCDとかDVDとかもバリバリいけるっていうのですよね。先輩いつか使いたいって言ってましたよね。」

「それそれ!それがさ、機械に封筒ごと入れたから気付かなかったんだけど、中に紙じゃないものも入ってたみたいで、急に変な音がして焦っちゃった。」

「変な音?ホチキスくらいならモノともしませんよね?」

「プラスチックが割れるみたいな。バキバキって。」

「確かに先輩の譜面だったんですよね?」

「封筒を覗いた時に一枚しか見てないけど、私の書き込みがあったから自分の譜面だ!って思ったのよね。一枚一枚は見なかったし、間に何か挟まってても分からなかったかも。」


「その封筒誰から送られてきたんですか?」

「知らない人の名前だった。なんかムカつくでしょ?」

「まさか盗んだヤツから?」

「やっぱりそう思うよね?それで今更なによ!コピーしちゃったわよ!ってシュレッダーしてやったのよ。」

「意外と枚数ありましたもんね。」

「そう。意外とあったよね。親にはデートの時に譜面忘れてコピーしたなんて言えなくてさ。」


「証拠隠滅。」

「だってさー、」

「ぶふっ。あははははは。」

突然隣に居た男性が笑った。


 私たちは急な笑い声に驚いて隣の男を見た。

「ごめん、ごめん。あまりの展開に笑っちゃったよ。」

「え。何ですか?話を聞いていたんですか?感じ悪っ。行こう!先輩。」

立ちあがろうとした私たちの前に名刺が差し出された。


「本当にごめん!俺探偵なんだ。説明させて。」

「探偵?」

高桑禄郎(たかくわろくろう)探偵事務所の高桑です。」

「この名前!封筒の差し出し人!」


 私は名刺の会社名をスマホで調べた。

「里美先輩、本当にありますよその事務所。」

「早っ。」

「さすがに調査員の写真はないか。運転免許証見せてもらえますか?」


「はいはい。どうぞ。」

「偽造されてたら分かりませんけど、まあ、信じましょう。」

「え。瑞葵なんか慣れてない?」

「そんな事ないですよ?先輩。」


「じゃあちょっとオジサンにナンパされてくれない?」

「うわー、これがナンパかー。」

「あ、後これ、返しとくね。里美さんの財布。」

「あ、ありがとうございます?」

「盗んだのは俺なんだ。不便をかけてすまなかった。」

「なんのために?」

「それは秘密。仕事上必要だったとしか言えない。」


 高桑さんはチラッと私を見た。私は高桑さんにだけ聞こえるように話しかけた。フードコートでは音楽が流れていて少し賑やかだし、先輩は財布を確認しているから多分気づかない。

「その顔、喫茶店のカウンターに居た人ですね。」

高桑さんは驚いた顔をした。

「すごいな。よく分かったね。」

「特技なんで。あの時店員さんと目配せしましたよね。」

「忘れ物のこと聞かれたら、カレシがサプライズしようとしてるから黙っておいてってお願いしたから。」

「なるほど。」

「君さ、俺の事務所でバイトしない?」

「考えておきます。」


 高桑さんは先輩にも聞こえるように声の大きさを上げた。

「まあ、いいか。そこのカラオケで良い?」

「大丈夫ですよ。先輩行きましょう。きっと最近の色々を教えてもらえますよ。」

先輩の耳にだけ聞こえるように小さな声で言った。

「それに何かあっても私がなんとかしますから。」


 私たちは、駅前へ向かった。カラオケの看板が見える所で立ち止まる。

「俺が受け付けするから、君たちはちょっと離れてて。あ、マスクしてくれる?」

「はーい。先輩、私余分にマスク持ってますよ。」

「ありがと。」


 受付を終えた私たち三人は部屋に入るまでは無言だった。適当に音楽を流してそれぞれ話が聞こえる位置に座った。

「あ、部屋の物は触らないで、飲み物は自分で持ってる?持ってるね。それだけ飲んでて。ごめんね。」

私たちはなんだか急に危ない事をしているような気持ちになってきて、ただ頷いた。


「最初の異変は里美さんのリードケースだよね?」「はい。練習中に無くなったけど、落とし物で返ってきました。さすがに中身は捨てましたけど、ケースは洗ってまた使ってます。」

「災難だったね。あれはリードケースに入っていたリードが目的の盗難だった。犯人は竜樹くん。唆した人が居て、竜樹くんは里美さんのためだと思い込んで盗ってしまった。」


「まさか竜樹先輩が引っ越したのって?」

「調査の中で竜樹くんの窃盗が分かって、俺が竜樹くんと話したんだ。彼はご両親に告白した。ご両親は環境を変えようと転校させて引っ越しをした。どこに行ったかは言わないよ。」


「竜樹先輩のおうち、確か何軒か家を持ってるって言ってましたよね?」

「言ってた!ご両親も行動が早いね。」

「噂が出る前に動く、って事ですかね?素早い。」


「里美さんのリードを盗ませたのは、里美さんが生まれた病院の先生だ。誰とは言わないでおくよ。

目的はDNA検出のため。里美さんはある人の子どもである可能性があった。」


 私と里美先輩は顔を見合わせた。里美先輩は養子だったからだ。今のご両親はとても良い人たちで、顔も先輩と少し似ている。私はうっかり聞いてしまったから知っているけど、殆どの人は知らない事だった。


「そのある人はたくさん女性を愛した人で、たくさん子どもがいる。その人の遺言で、明後日までに本人もしくはその代理人が申告して来て、さらにDNA検査で親子関係が証明できたら遺産の一部が貰える、と広告を出したんだ。君たちも新聞とかTVで見た事ない?故人の遺伝子情報を公開して賛否両論出たニュース。」

高桑さんはペットボトルの水を飲んだ。


「見たことあります。自分には関係ないって思ってましたけど、」

私は里美先輩には関係がある可能性に気付き言い淀んだ。


「本妻のお子さんたちが怒っててね。何人か名乗り出た人たちが居たんだけど、事故に遭ってその後遺産放棄、という流れがあった。」

「怖っ。」


「まあそんななか、里美さんのDNA検査は行われた。」

「えっ。リードから?」

「頬の内側を擦って採取する方法、TVで見た事あるんじゃない?検査に使える内頬の組織が唾液にも含まれていることがあって、DNAが検出できる場合もあるんだ。」

「ダメ元でリードを試したんですかね?」

「そうだと思う。病院の先生は自分が代理で申請して遺産を貰うつもりでいたから、知らせたくなかったみたいでね。」


「無断で代理人になろうとしてたわけですか。」

「私、母から別に両親がいるとは聞いてましたけど、やっぱり捨てられたのかな。」

「事情は色々あるからその判断は早過ぎるかもしれないよ?育てられない事情ってあるからね。大切なのは、今のご両親が里美さんを大切に育てた事実だけだと思うよ?。」

「そうですね。すぐには割り切れませんけど、今の両親には感謝してます。話を止めてしまってごめんなさい。続きをお願いします。」

私はなんとなく先輩の手を握った。先輩も握り返してくれた。


「DNA検査の話だったよね?その検査をしたところは、データ管理が徹底しているところなんだ。検査結果を1枚のCD-ROMに入れたら、PC上のデータは全て消去する。検査結果を依頼者にのみ渡す主義からそうなったみたい。過去に色々あった人が所長でね。」

高桑さんは肩をすくめて見せた。


「そしてそのデータを受け取った俺の後輩は、その日デートの時に里美さんが忘れて行った譜面とCD-ROMを封筒に入れて、里美さんの家に送った。」

「まさかその後輩って私のカレシ?」

「そ。神崎寛人(かんざきひろと)。今はちょっと離れたところに居るけど、ちゃんと無事だから心配しないで。」

里美先輩はホッと息をつく。


「で、寛人が受けた依頼は勝手に代理人になろうとした病院の先生からのもので、リードケースを預かって検査機関に依頼した。その段階で、他の子どもたちがどうなったか情報が入ってきた。遺伝子が合致しなかったと言われたり、合致しても事故にあったり怪我をしたりで、結局遺産放棄。無事に遺産を受け取った人は一人もいなかった。」


「いつその依頼が里美先輩の事だと分かったんですか?」

「DNA検査を依頼した後だった。里美さんから愚痴を聞いた寛人はそれはもう驚いたそうだ。大切な里美さんがこの騒動に巻き込まれてるって。」


 里美先輩は耳まで赤くなった。可愛い。

「で、寛人は検査機関に行ってリードケースを確認した。試料検出済みだったリードケースは返却されて、寛人は学校の落とし物に紛れさせた。直接返すわけにもいかず、安全に届く場所って考えたみたい。方法は言わないでおくね。」


「先輩のカレシさん何者?」

里美先輩は困ったような顔で私を見た。

「話戻るけど、私、喫茶店に譜面忘れてたのがショックだったんだけど。」

「あー、あのみんなに色々言われた時のですよね。」

「ギリギリまでカレシといたから焦ったのかも。ショック。喫茶店で聞いた時に忘れてないって言われたの、カレシが持って行ったからだったんだね。」


「あはははは。DNA云々よりそっち?まあ、現実味ないよね?」

「DNAも気になってますよ。もちろん。」

里美先輩は慌てて言った。


「合致した人たち、怪我をしたって言ってませんでした?」

私は変な汗が額に浮かんだ。

「そう。それで寛人は慌てた。学校に里美さんの無事を確認しにも行った。でもまだ名乗り出た状態じゃないし、そもそも本当に子どもなのか確定していない。だって結果を見てないからね。実は、検査員も結果は見ないんだよ。徹底した人でね。俺たちも本当に信頼してる。変わり者だけど。」


「見ないで検査ってどうするんですか?」

「全部番号で処理してる。1番と2番が親子と判明したとするでしょ?そしたら結果をCD-ROMに焼き、盤面に1と2って書く。事務の人は1と2が誰からの依頼か分かるから、封筒に入れて依頼者に渡す。依頼者は静脈を登録していて、その人しか受け取れないようになっている。徹底してるでしょ?口の軽い検査員がやらかして大変だったから、そうなったみたいなんだよ?」


「あ!あのプラスチック音!」

「そう。君たちがさっき言ってた話で俺が笑った理由はそれ。」

「なぜ彼は楽譜の間に?」

「寛人は君が忘れて行った譜面を送ってあげようとしてたけど、ちょうど検査結果が出る日で時間がなかった。仕方なくそのままCD-ROMを受け取りに行った寛人は誰かの尾行に気づいた。慌てた寛人は、その封筒に咄嗟にCD-ROMを入れてポストに入れた。」


「それを先輩が気味悪がって、シュレッダーに…」

「だってシワシワな封筒だったし、名前違ったし。」

「あー、それは気味が悪いかもですね。神崎さんなんで自分の名前を書かなかったんだろ。」


「なんにせよ、寛人が動いたから里美さんはもう安全だ。ここだけの話、病院の先生は脱税の疑いで調査されてて忙しいし、本妻の子どもたちは一連の事件に関して任意で調査されている。期限は明後日まで。もう間に合わないよ。念のためしばらくどこかに避難していてくれるとさらに安心、って事で俺が遣わされた。里美さんのカレシ、人使い荒いんだけど。」


「でも家の人が・・・」

「実は里美さんのご両親に事情を話しに寛人が行ってる。許可が取れたらここに来ることになってる。」

「瑞葵は?」

「私は先輩の家に泊めてもらうって連絡すれば大丈夫ですよ。」

「あ、そっか。瑞葵と一緒なら親も安心するかも。」


「信頼されてるんだねぇ。ところで、俺たちは今、完全犯罪を成し遂げようとしている。気づいてた?」

「え?」

「CD-ROM壊しちゃったでしょ?あれ、刑法243条の2、電子計算機損壊等業務妨害罪とか、刑法261条、器物損壊罪。」

「ええ!」

「訴える相手が今それどころじゃないから何も起きないよ。もう証拠もないし。シュレッダーの中身を捨てちゃえば証拠隠滅完了。」


「まさかの完全犯罪・・・」

先輩の目は涙で潤んでいた。

「私、捕まらないんですね?」

「もちろん!全ては君が知る前に終わった。俺は里美さんが心配な寛人の代わりに護衛してただけ。うっかり笑っちゃったから説明することになったけど、結果オーライかな。そろそろ寛人がここに来るから、君たちはご両親に連絡しといたら?このまま行くよ?」


「ええ!無茶な。なんの準備もしてませんよ?」

「行った先で買えば良いよ。大きなストレスを受けた後は非日常が一番。旅行しよう。もう宿も取ってある。」

私たちはそれぞれの実家に旅行の件を連絡した。先輩は本当に許可が出て驚いていた。


 ドアが開いた。一気に緊張が高まる。

「里美!」

突然入ってきた男の人は里美先輩を抱きしめた。

「もう全部終わったから。もう大丈夫だからね。」

「寛人さん、私・・・」


 高桑さんが私の方を見て言った。

「この二人が燃え上がりすぎないようにする義務が我々にはある。まだ高校生だからね。」

私は何も言わずに頷いた。


 私たちは神崎さんの運転で移動した。先輩を溺愛しているカレシさんだ。私の父が母を見るような目で先輩を見る。愛が重そう。私たちは途中のお店で着替えを買い、宿でチェックインを済ませた。


「あのー、すみません。流石にちょっとは二人きりで過ごしたいんですが、出かけてきていいですか?」

神崎さんが私を見た。先輩はカレシさんの思わぬ提案に耳まで赤くなっている。

「先輩が良いならもちろんですよ。」

先輩は小さく頷いた。

「じゃあちょっと行ってきます。」

二人は車で出かけて行った。

 

「じゃあ、私たちは答え合わせをしましょうか。先輩の財布から抜いたもの、返してもらえますよね?」

私はにっこりと笑って、人気のない裏庭へ高桑さんを誘った。


「はいどうぞ。」

「ありがとうございます。」

私は薄型のGPSを受け取った。

「なんでそんな物財布に仕込んでるんだよ。寛人が焦っただろ?」

「ノーコメントで。」

私はGPSを受け取って、自分の財布に入れた。


「高桑さんこそ、先輩のご両親を脅したんじゃないですか?あのご両親、先輩の外泊をそんな簡単に許さないと思いますけど。先輩の生物学上の親を知ってるのかな。そもそも、もしかして赤ちゃんを買ったんですか?」

「ノーコメント。」

「DNA話はどこまで本当なんですか?」


「君が俺の事務所で働いてくれるなら全部教えても良いよ。大好きな先輩の事、全部知りたいんだろう?」

「別に働くのは構いませんよ?改めまして、久木瑞葵(くきみずき)です。これからよろしくお願いします。バイト代ちゃんとくださいね。」

「あら、あっさりだね。もしかして腕にも自信があるのかな?」

「高桑さんくらいならやれます。祖父が師範で、叩き込まれているので。私の事も調べてると思ってました。」

「怖っ。流石にこの短期間ではそこまでは…。なんで楽器吹いてるんだよ。」


「念のため部屋に行きましょうか。」

「そうだね。」

私たちは部屋へ移動した。


「お茶をどうぞ。」

「お、良いね。前途有望なバイト、ゲット。」

「今、先輩は生物学上のお母さんに会いに行っているんですよね?デートだと思って行った先で泣いてないと良いですけど。」

「仕事に付き合ってって寛人は言うと思うよ?」

「なるほど。知らせないで会わせるんですか?先輩は気づくと思いますけど。」

「それは母子のみぞ知るってやつだな。その場の判断次第だ。」


「DNAの件、どこまで本当なんですか?」

「里美さんは孫。里美さんの生みの親、志桜里さんが娘だ。若い頃の子どもだからね。志桜里さんはあの富豪の顔によく似ているんだ。それで病院のアイツも疑いを持った。」

「なぜ志桜里さんのDNAを検査しなかったんですか?」

「近づけなかったんだよ。志桜里さんは特別室に居るから。」

「なぜ、志桜里さんは里美先輩を森島夫妻に売ったんですか?」

「逃げるためだ。」

「何から?」

「富豪の一族。」

「なるほど?」

「病院で動けなくなっていた志桜里さんは里美さんのご両親、森島夫妻に助けられた。事情を説明して、病院ぐるみで手続きして、実子として引き取った。罪の意識を和らげるのか共有するのか分からんが金銭の授受があった。」


「先輩は自分が養子だと知っていましたよ?」

「あれだろ?血液型だろ?」

「ええ。AB型のご両親からO型は生まれませんからね。」

「生物の授業か何かか?」

「そうです。」

「そっか。」


 高桑さんはお茶を一口飲んだ。綺麗な所作だ。

「志桜里さんは余命宣告を受けている。最期に一目会いたいと願った。それだけだ。思いがけず大きな話になったけどな。」

「先輩の出生届を偽装した先生は今は?」

「もう亡くなった。書類も寛人が処理した。」

「他の関係者は?」

「元々医者と助産師だけで出産した。二人とも鬼籍に入った。書類ももうない。」

「完全犯罪?」

「そうだ。」


 私たちはロビーに移動した。お茶をしていると里美先輩と神崎さんが帰ってきた。先輩の目は真っ赤だった。胸元に見慣れないブローチがあった。

「先輩そのブローチ素敵ですね。」


「これ、たまたま居合わせた女の人がくれたの。あのね、私プロポーズされたの!すごく景色が綺麗なところで寛人さんが跪いて、指輪を見せながら「結婚してください」って。かっこよかった。」

「おめでとうございます!先輩!」

「ありがとう。私嬉しくて指輪を見てたら、車椅子に乗った女の人が来たの。おめでとうって言ってくれて、こんな素敵な事なかなかないからお祝いしたいわって、さっとブローチを取ってプレゼントしてくれたの。結婚式にはサムシングオールドが必要でしょう?って」


「あのサムシングフォー、ってやつですか?」

「そう。その女の人のお子さんは居なくて渡せなかったから、こんな素敵なタイミングに居合わせたご縁に貰ってほしいって。」

「素敵な人ですね。」

あれはかなり値打ちのあるものだ。

「断りきれなくていただいたの。」

「ご縁ですから、素直に喜ぶ方が良いかもしれませんよ?先輩、幸せになってくださいね。」

「うん。」

私を見て先輩は綺麗に笑った。


 あれから何年経ったかな。高桑さんは私の上司になり、里美先輩は寛人さんと二人、世界中を飛び回っている。先輩はプロのサックス奏者になり、寛人さんは敏腕マネージャー。今年も先輩から絵葉書が届いた。そこには、サグラダファミリアが描かれていた。


 私は桜の絵葉書を送った。先輩の私書箱宛だからいつ手元に届くかは分からない。

 私たちの完全犯罪は、未だ完全犯罪のままだ。







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