茅ヶ崎巧実は孤独に過ごしたい
監獄島・クロフル島。一度収容されたら二度と出ることはできない、悪人最後の場所。こんな地獄のような世界に、茅ヶ崎拓実は収容された。
囚人番号273こと茅ヶ崎拓実17歳、高校にて男子三名を氷漬けにしたとして無期懲役、島流しを言い渡された哀れな元高校生。
しかし一体何故遺体が氷漬けなのかは、彼のみが知っている。
そして彼のことは今朝の朝刊、監獄内の物にもしっかりと記載されていた。
*
「おいおい、あれが噂の氷結男か?」
「怒らせたら凍らされちまうんだろ?」
周囲は皆、新聞の写真と本人を重ね合わせて震えていた。
ボサボサの黒髪、鋭く尖った目つき、背中から溢れ出る死のオーラ。
まさに、地獄の園に死神が降り立ったような、そんな緊張感が場を震わせていた。
「おうおうおう、お前が茅ヶ崎拓実だな? 三人氷漬けなんて、どうやったってんだ?」
そんな死神に、監獄のボスと思しき膨よかな男が近付く。
しかし拓実は彼の質問にうんともすんとも言わず、近くにあった野球ボールを手に取っては、空中に投げて遊び始めた。
すると男は拓実のボールを取り上げ、再び訊いた。
「お前、できんだろ? 何か凍らせてみろよ」
「いいですけど、出来るだけ小さいものでお願いします」
「知るか。そうだなぁ、あ! コイツを凍らせてみろよ」
男は言うと、手に持っていたボールを拓実に渡す。
拓実はそれを持つと、その場で数秒固まる。
するとボールから白い煙が出てきたが、特に変わった様子はなかった。
白けた男は拓実を鼻で笑い、再びボールを取り、
「へっ、やっぱりガセか。夢は寝てから見てもらおうか!」
そう言いながら、男はボールを拓実に向かって投げる。
しかし、ボールは男の手から離れず、握ったままの手をキープしていた。
「言い忘れてましたが、手に引っ付きますよ?」
「この野郎! もっと早く言えよ!」
「ごめんなさい。では――」
続けて拓実はさっきのことを早口で繰り返した。
「違うそうじゃない! ああくそっ! 覚えてろよ!」
男はギャーギャーと騒ぎながら、どこか遠くへ走り去っていく。
(これで静かに本が読める)
拓実は心の中で呟きながら、持参した小説を開く。
しかし拓実の思いとは裏腹に、余計に騒がしいものが増えてしまった。
「兄貴! すごいです!」
「あのボスを倒すなんて!」
なんと拓実の前に、先の男の被害者達が集まってきた。
彼らは不思議な力で男を討伐したことに賞賛を送っている。その量は凄まじく、小説に集中できないほど。
煩わしく感じて場所を移すが、親についてくる小鴨のように他の囚人達が付いてくる。
「何なんだお前ら、俺を一人にさせてくれよ」
「そんな殺生な。今日からあなたがここのボスですさかい! 皆、胴上げするで!」
関西弁の男に乗った囚人達はおおお! と声を挙げ、拓実を持ち上げた。
そして、わっしょい! の掛け声に合わせて、拓実の体が飛び上がる。
それは数時間も続き、収容初日にして拓実はこの監獄のボスになった。
しかし当の本人は全く嬉しくなかった。何故なら――
(俺は、独りの獄中生活がしたいだけなのに)
*
それからどしたの。拓実は部下となった先輩囚達に可愛がられながら、刑務作業に当たっていた。
「どういう意味があるのか、穴を掘って埋めるだけですたい」
「なるほど、それは大変ですね」
周りがただひたすらに掘って埋めてを繰り返す中、拓実はそれをやろうとはしなかった。
逆に何故か、スコップを分解しては組み立てるという穴掘りより意味不明な事を始める。
するとそこに、看守がやって来た。
「おい新入り! 何サボってやがる!」
「サボってません、ただ分解しているだけです」
「ふざけやがって! そんな無意味なことはやめて仕事をしろ!」
看守は叫びながら拓実に鞭を放つ。
バシン、バシンと撃たれる痛々しい音に、周りは怯えて掘る速度を早める。
しかし次の瞬間、飛び込んできた鞭を掴んだかと思うと、それは陶器のように粉々になってしまった。
「穴を掘って埋めるだけって、何があるんですか?」
「う、運動のためだ! 文句を言うな!」
「じゃあこの時間を運動に割けばいいじゃないですか。何も穴掘りするなんて、それこそ無駄です」
「う、うるさい! これも立派な仕事だ!」
「じゃあ俺のコレも仕事ですよね? でも無意味なんでしょう? だったらこの穴掘りも――」
そこからはまさに、拓実の論破劇が始まった。
穴掘りは無駄でしかない、ただ人を壊すだけで生産性のない行為だと。
そのレベルは某巴里の男のように凄まじいものだった。その結果――
「お前ら! 今日を持ってこの業務は中止! 今すぐ運動しに行け!」
看守が泣きながら叫ぶと、囚人達は飛び上がるほどに感激し、我先にと運動場に駆けていく。
「全く、“看守”の漢字の意味をちゃんと学び直してください」
最後に拓実は皮肉を交えて看守に告げると、ゆっくりとした歩幅で運動場に向かった。
*
「いやあ、やっぱ最高や茅ヶ崎はん」
「兄貴がいればきっとこの地獄も極楽になりますばい」
「よしてくれ。俺はただ独りで、静かな生活が送りたいんだ。それと俺はお前達の神様じゃない」
無事自由時間を得ることに成功した拓実。
しかし部下が離れることはなく、むしろその話術を学ぼうと好奇心旺盛な子供のように釘付けになっていた。
孤独になりたい拓実にとってこの状況はとても最悪なものだった。
何かの事故で能力が暴発でもしたら、その部下を殺しかねないから。
もう二度と、自分の能力で人を犠牲にしたくない。
そう思いながら生きなければならない。
人が多い分、そのプレッシャーも増える。
拓実は心臓が潰れそうな思いに悩まされていた。
がそんな時だった。運動場に尻から火を噴き出す元ボスの男が現れる。
「ぎゃああ! 熱い! 熱いっ!」
滑稽な元ボスの姿を見て、場内に笑いが巻き起こる。
しかしその笑い声は一瞬にして悲鳴に切り替わった。
「おうおうおう! 新入りのドブネズミ相手に手こずるたぁ、看守の野郎も腐っちまったなァ!」
「コイツ、看守か?」
現れたのは、看守だった。
しかし彼は他の看守とは違い、帽子に金色のバッジを付けている。
そして彼の手には、燃え上がる警棒と手錠があった。
「調子に乗ってる新入りはどいつだ? お前か?」
「違います! 俺は――」
「うるせぇっ!」
男は理不尽に無関係の囚人を掴んでは、燃え上がる手錠や警棒で殴り倒す。
このままでは拓実が暴走するより先に、彼の犠牲者が増えてしまう。
拓実は男を止めるつもりで名乗り出た。
「俺が目的ならもうやめろ」
「おぉ、お前が噂の氷野郎か。よくもこのガレット様の可愛い後輩を論破してくれたなァ!」
男、もといガレットが叫ぶと、拓実に炎の手錠をかけた。
両手首が焼け、激痛が走る。
更に続けて、手錠の鎖を紐に括ると拓実ごと振り回した。
拓実は地面に何度も打ち付けられ、鈍い音が響き渡る。
「兄貴!」
「茅ヶ崎さん!」
囚人達は窮地に陥った拓実が心配で声をかける。
だが拓実には届かない。ひたすらにやられ続けるばかり。
「さぁ、くたばりやがれッ!」
一通り叩きつけた所で、ガレットは両手から炎を激らせた。
その炎は運動場一帯が熱気に侵されるほどの高熱。
放てば運動場ごと焼け野原になってしまうほどの威力となるだろう。
囚人達は己の運命を呪いながらも、最後の希望たる拓実に祈った。
「くたばってたまるか! このバカちんがッ!」
とその時だった。突然運動場に雪が降り始めた。
空は雲一つない晴天なのに、雪の結晶がよく見える雪が降り注ぐ。
そして熱気に満ちた運動場が、段々と冷えていく。
「看守と言う字は、看護しつつ守ると書いて看守。囚人をドブネズミと思うような奴に、俺達の命は絶対にやらんっ!」
拓実が叫んだ刹那、彼の両手を拘束していた手錠が砕け散った。
怒りで覚醒した彼からは白い煙が立ち込め、それが死神の形になった。
そして彼の黒目は真っ青に染まる。
「何っ⁉︎ 俺様の手錠は絶対に外れない筈、いや熱くて外すどころじゃあない!」
「鉄は絶対零度で冷やすと簡単に割れる。あのタイタニックが沈んだのも、これが原因だと言われている」
拓実は言いながらゆっくりと近付く。
「洒落くせぇッ! テメェなんか溶かしてくれるッ!」
焦ったガレットは手錠を投げる。しかし拓実に殴られたそれらは急激に冷え、呆気なく砕け散る。更に警棒で近接攻撃をするも、今度は警棒が凍結して砕け散った。
すると、恐怖で震えることしかできなかった囚人達が勇気を振り絞って拓実の名を叫んだ。
「茅ヶ崎の兄貴!」
「兄貴!」
「茅ヶ崎どん!」
「茅ヶ崎ッ!」
場内は冷え切っているのに、胸の奥から来る熱気が囚人達を熱くさせた。
しかし矛盾したその感情が拓実に届いた時、不思議なことが起こった。
なんと拓実の能力が強くなっていった。最初は掌から水蒸気が出る程度だったのが、その水蒸気を凍らせて武器を作れるほど強化された。拓実はこの能力を活かし、死神の鎌を生成した。
(そうか、孤独じゃダメだったんだ。人は支え合ってこそ初めて本領が発揮できる。むしろ俺が、コイツらから学ばないとダメだったんだ)
「お前らの平和のためなら、俺はここで看守をぶっ倒す!」
「フンっ、やれる物ならやって――」
刹那、ガレットの言葉を遮るように拓実が目の前に現れた。そしてさっきのお返しと言わんばかりに、鎌の腹でガレットを突き上げた。
素早きこと風の如く、華麗な動きは花の如く、降り注ぐは雪の如く、鎌が描く円は望月が如く。空中でガレットに乱撃を与える。
そして、拓実は氷の鎌を振り上げて叫んだ。
「風花雪月! 絶対零度!」
同時に鎌を振り下ろし、ガレットと共に地面に墜ちた。その刹那、墜落地点の大気が氷結して氷の塔が立ち昇った。
「嘘だ……俺様が氷に負けるなんて――」
*
それからしばらくして。ガレットは他の看守達に回収され、運動場に再び平穏が訪れた。
まだ寒いままだったが、囚人達は全くそれを気にしていなかった。
「流石やで兄貴! やっぱウチらの大将は兄貴で決まりや!」
「ほら先代はん、何か言ったるばい!」
「あ、えとその……師匠! 俺達を弟子にしてくださいッ!」
新たなボス、もとい茅ヶ崎拓実の仲間になりたいと熱く思う囚人が多く、その寒さが吹き飛んでいたのだ。それは、元ボスの男もだった。
だが拓実は、正直な所彼らの面倒を見るのは嫌だった。暑苦しくて、弟子なんて取ったら静かに過ごせないから。
しかし彼らのお陰でガレットを倒せたのも事実。この呪いが個性に変わるのは、彼らが居てこそ。だから――
「いいけど皆、ちゃんと過去の行いを悔い改めて、真面目に刑務作業頑張るんだぞ?」
と釘を刺す。しかしそれも承知で、囚人達は首を縦に振った。
「はい! 兄貴に逆らったら怖いですからな」
「兄貴のためならおいどん、本気でやったるばい!」
「兄貴!」
「兄貴!」
「「兄貴っ‼︎」」
拓実の一言に囚人達は興奮してしまい、再び胴上げが始まった。力を出し切ってヘトヘトでもお構いなし、わっしょい! の声と共に拓実は飛び上がる。
(ああ、俺の静かな獄中生活が……でも、こんな生活も悪くないか)
心のどこかで彼らを愛おしく思いながら、彼は胴上げの中すやすやと眠った。