4話 嗤う影
気付けば、200kg近くあるはずの鹿は3分の1程が消えて無くなった。
取り出した内臓はかなりの重量はあったが、あっても50kg程だろう。
この内臓の重さを差し引いたとしても、二人で50kgもの肉を食ったことになる。
俺も日本にいた時よりは食うようになったが……それでも2kg程だろう。おかげで今、俺のお腹はぷっくり膨れている。
でも、残りの48kgの大量の肉は……。
「……メッチャ食ったな」
「お、お腹が減っていたからしょうがないじゃない!」
イザベルは顔を真っ赤にして反論する。
『でもシルバ? これ普通じゃないよな?』
『私もマスターと同意見です。それに、多量の肉を摂取したにもかかわらず、彼女は鎧を脱いだりということをしていません』
やっぱ普通じゃない。
フードファイターだって食えるか分からん量だし、鎧も着たままなのはおかしいな。いくら男用とはいえ、あんだけ食えば相当腹部は膨らんで圧迫される筈だ。でも、そういった素振りは一切見せないし、鎧を脱ぐことすらしない。
「いや。おかしいだろ? だって下手すりゃお前の体重とと同じくらいの量食ってんじゃねーか? 少なくとも体重の半分以上は間違いなく食ってるだろ」
そんな俺の追求に誤魔化すことを諦めたのか、イザベルは「ハァ」と大きくため息をつく。
「私、昔から異常な量の食事を摂っているの。毎日毎日膨大な量よ。両親も心配して色々調べてくれたのだけれど、結局原因不明の特殊体質らしいわ。心配は無用よ。もうこの体質とも何年も付き合ってきたから」
「そうなのか。まあ、そういう事ならいいか」
異世界ってのは面白い。
日本にいたら絶対に有り得ないんだろうけど、ここは異世界だ。向こうにいた時の価値観では推しはかることのできないことなんてのはこれからも起こりうる事だろうし、これもその一つなのかも知れない。
「んじゃ、腹が一杯になった所で……お前これからどうしたい? 確か、ベルゲニア王国に行きたいんだっけ?」
「ええ、その通りよ。私は何としても、何があっても行かなければならないの」
先程まで泣いて肉を食べていたときの表情からは想像が出来ないほど、彼女の声、力強い目からは確固たる意志を持っていると、俺は感じた。
「あなたはこの森を知り尽くしていると考えてもいいのかしら?」
うーん。知り尽くしているって程じゃない気もする。
六ヶ月サバイバル生活してるとは言っても、いかんせんこの森は広すぎて一部の場所でしか生活していないってのが現状だしなぁ。
「……一番この森の事をよく分かってるのは俺の師匠だと思うが、それ以外の人間だったら詳しい方だとは思う」
そもそもこの森に俺と師匠以外の人間はいないと思うからな。
「そう。なら依頼したい事があるの」
「依頼?」
「私を助けて欲しいの」
「助ける? 具体的には何をすれば良いんだ?」
「私をあなたの師匠の元まで連れて行って欲しいの。それまでの食糧の確保と道案内、そして護衛を依頼したいわ」
なるほどな。道案内と護衛ね。
「あなたの師匠は転移魔法の使い手なのでしょう? 私をベルゲニア王国に転移させてもらえないか交渉したいの」
依頼してくれるってことは、大分信用はしてもらえてるのはいいことなんだろうが…。
ただなぁ……。
「どうやらあまり乗り気ではないようね」
うげ。顔に出ちゃってたか?
「もちろんタダとは言わないわ。報酬もしっかり支払うわ」
そう言われてもなぁ。俺が心配してるのはそこじゃない。
「申し訳ないんだが、師匠どこにいるかよくわかんないんだよ。この森にいるってのは分かるんだけど」
サバイバル生活を始めてから、試験の日を除いて俺は一度も師匠の顔を見たことは無い。
……ぶちゃけ分かってないのは居場所だけじゃない。
未だにあの人の事自体、良く分かっていないってのが現状だ。
「……そう」
イザベルの歯が軋む音が聞こえる。
『マスター、明後日には試験があるはずです。その時ならば、普段は所在の掴めないノア様と会うことが出来るのでは?』
『たしかにそうじゃん!』
色々なことが起こってすっかり忘れてた。
これで場所は特定できる。
「やっぱり場所分かった」
「ほ、本当!」
イザベルの顔がグイッと俺の鼻の先まで近づく。
やっばい。めっちゃいい匂いする……。
「まあ、居場所が分かったというか、現れる場所が分かったって言い方が正しいな。明後日に現れるはずだ。……あと近い」
「ご、ごめんなさい! つい興奮してしまって」
少し顔を赤くしながらそっぽを向くイザベルを見ながら、俺はふと疑問に思う。
なぜそこまでベルゲニア王国に行きたいんだろうか?
後で確認しないと。
「それで? あなたの師匠は明後日どこに現れるの?」
「ああ。あれ見えるか?」
俺は西の方向を指差す。
それは遠く離れたここの場所からでも見ることが出来るほど巨大だ。
そして、神々しさすら感じさせる。
この森の中心に位置する、この森の象徴的な大木だ。
「……大きい。あんな山のような木が存在するのね」
「ああ。師匠によると、あの大木はこの森のほぼ全てに場所に根を張っているらしい。あの木のふもとに師匠は現れるはずだ」
「でも、ここからはかなり距離があると思うのだけれど、間に合うのかしら? すぐに出発するの?」
太陽の位置を確認するか。
太陽は低く下がり、森の木に横殴りの光を当てていた。
雪はオレンジ色の光を反射している。
これじゃあ、もうすぐ日が沈むな。
「いや。もうすぐ日が沈む時間だ。今日はここで朝まで休む。出発は明日の早朝だ。とりあえずこれにくるまって寝てくれ」
俺は剥いで干しておいたフユシカの毛皮をイザベルに渡す。
フユシカがもともと巨体であるため、イザベルの体に対しては十分すぎるほどの大きさだ。
「これ借りていいかしら? あなたはどうするの?」
「俺の事は気にしないでくれ。座ったままでも眠れる」
睡眠は生きる上で必ず必要なものであるが、俺は劣悪な環境で行ってきた長いサバイバル生活のなかで、いかなる状況でも睡眠が出来るようになっていた。寄りかかるものがあれば立ってても眠れる。
日本にいたころからは考えられないけどね。
俺の返事を聞いたイザベルは「そう」とだけ呟くと、青色に光る鎧を脱ぎ始めた。
男用のゴツゴツとした鎧の中から現れたのは、ほっそりとした体だ。
体の線はかなり細く、胸は……うん。まな板。
「それじゃあ、おやすみなさい」
もう俺に対する警戒を解いてくれたのか、イザベルは雪の上に脱いだ鎧を置き、その隣にフユシカの毛皮を敷き、そこにくるまるようにして横になった。
心身ともに疲れていたんだろう。イザベルはあっという間に、小さな寝息を立て始めた。
「……マスター。彼女が私たちを警戒していた理由は分かりますか?」
眠るイザベルを気遣ってか、小さな音量の機会音声が聞こえる。
「ああ。勿論、俺が血塗れでナイフ持ってたのも原因だろうが、それだけじゃないだろ。
俺を見たとき、あなたも追手なんでしょ! って言ってたしな」
「おそらく、彼女は何者かに追われて川に突き落とされた、または自ら逃走する為に川に飛び込んだと考えられます。つまり……」
「……追手はまだ生きてるってことだよなぁ」
だからこそ、彼女は道案内だけでなく護衛も依頼したんだろう。
追手の人数、装備、使う魔法等々。ここら辺も明日移動しながら、イザベルに確認しなきゃいけない。
「すまん。今晩ずっと探索かけられるか?」
「範囲と対象の設定はどうしますか?」
「半径10km、対象は人間で頼む」
「朝までとなると、かなりの血液を消費しますが大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫だ」
今日も結構肉を食べたし、明日の朝また肉を食えば多分支障はないはずだ。
「もし見つけたらすぐ起こしてくれ。あと、明日はあいつ呼ぶわ」
「了解しました。では、おやすみなさい、マスター」
「おう。おやすみ。シルバ」
座りながら腕を組み、目をつぶる。
俺はあっという間に夢の世界にいざなわれた。
* * * * * *
勇司とイザベルが深い眠りについた頃。
既に帳がおりたこの森の一角で、何十人もの鎧を着た人間が折り重なった山がほんのり照らされるように、焚火が燃える。
数多くのうめき声のようなものが人の山から焚火の周辺に怪しく伝播している。
焚火の前には全身を真っ黒な装備で包んだ男が一人座っていた。
手には乾燥させた肉らしきものが握られており、かなり硬いのか、先ほどから夢中になって齧っている。
「全く。護衛は全部倒したはいいものの、肝心の目標に逃げられちまうなんてよ……。不覚だったぜ。生け捕りにすんのに、あんな硬ぇ鎧着てるなんて依頼主の話には無かったんだけどなぁ」
男は、大きくため息をつく。
「しかも川に流された先で、誰かと合流しやがったな?」
驚くべきことに、この男はシルバの半径10㎞にもおよぶ探索の範囲外から勇司とイザベルの位置を把握していたのである。
「たっく。情けをかけて護衛は一人も殺さないでやったのによぉ」
男は凶悪な笑みを浮かべた。
「追いかけるのがめんどくせーくらい逃げられるとよぉ……アンタのことぶっ殺しちまうぜ? 王女様」