美形苦手な悪役令嬢なのに攻略対象(美形)が狙ってくる【コミカライズ】
人間なら、誰しもが裏の顔というものを持っていると思う。
「アナスタシア!」
どこからか聞こえてきた兄の声に読みかけの本に栞を挟み、ぱたんと閉じる。
優雅な所作で振り返ると、黒檀の扉から顔を覗かせる兄の姿に顔をほころばせた。
「まぁギルバードお兄様」
燦々と日の光が差し込む、公爵令嬢アナスタシアの自室。
真っ白な棚には、今朝摘んだばかりの薔薇が生けられ、部屋を彩っている。
そんな部屋の長椅子に腰掛けたアナスタシアは、今日も美しく微笑む。
そして、瞬き一つの間に部屋の隅へ移動した。
「お兄様は今日も見目麗しいですね。ところで、少し距離を取っていただけます?」
「アナスタシアの男性不信は未だに直らないのか」
少し青みがかった黒髪に、薄めの青色の瞳。時に青の宝石とさえ評される彼女には、一つだけ欠点がある。
そう、世間一般的に美形だと言われる男性が、とにかく苦手なのである。
普通の男性なら平気だ。ただこう、何というか、華々しい顔立ちの人を見ると逃走したくなる。
その理由は、アナスタシアの過去にある。
アナスタシアは今まで、何度も何度も転生を繰り返してきた。決まって、乙女ゲームの世界の悪役令嬢にだ。
悪役の貴族令嬢として生きている、これがアナスタシアの裏の顔。
そして、人だけでなく神にまで、自分は嫌われているらしい。
何十回と見目麗しい攻略対象達に裏切られ、断罪されていたら、男性(美形)不信になるのも当然だろう。
「うふふ、違いますわお兄様。わたくしは男性全員が苦手な訳ではありませんのよ」
アナスタシアと瓜二つの容貌の美しい兄ギルバードが、相変わらずの美しい顔できょとんと首を傾げる。
ただでさえいい顔なのに何だその仕草は。
「そうですね、例えるならば太陽ですわ。人々を等しく照らしてくださる太陽でも、直接目にすると毒でしょう。それと同じですの。わたくしは、素朴な花の方が落ち着くのです」
「そうなのか?」
「はい」
青みがかった黒髪を後ろに払って、にこりと微笑む。ギルバードも同じように微笑み返した。
(やめてお兄様破壊力がすごいのよ分かってる?)
もちろん、無自覚な天然たらしの兄が分かっているはずも無い。
歩み寄ってきたギルバードは、ぎゅっとアナスタシアの色白な手を握る。
(お、お、お兄様。距離が、距離が近いです……!)
握られた手に手汗が滲む。後退りするが、ギルバードはそんなことに構わなかった。
「ただ俺は、そこらの男が太陽なら、アナスタシアはそれ以上だと思うんだ。それ以上のアナスタシアが、太陽が眩しいはず無いだろう」
訳すと、俺の妹は美しいのだから同じ美形が怖いわけ無いだろうということだ。
ギルバードが自分の幸せを願ってくれているのは知っている。その為に、何度も縁談を組んでくれているのも。
でも、それでも美形は苦手だ。
「お兄様、わたくしは本当に綺羅びやかな太陽も宝石も、苦手なんですわ。ところでもう少し距離を」
「実の兄も苦手なのか?」
「違います、あの、人は容貌が全てだとは思っておりませんわ。ただ、本当に苦手で」
これ以上近寄らないで欲しい。お願いだから。
徐々に距離を詰めてくる兄を手で制しながら、アナスタシアも壁際へ逃げる。
「そろそろお前にも婚約者をと思っているのだが」
そんな言葉にぴしりと硬直した。相手が素朴な顔立ちならまだしも、婚約者候補として上がっているのは皆美形ばかりだ。
これは使いたくなかったが、最終手段だとぐっと拳を握る。
「……お兄様」
「ん?どうした、アナスタシア」
疑問符を浮かべているギルバードに、しゅんとした表情で肩を落として見せる。
「お恥ずかしながらわたくしは、まだ甘えていたいのですわ。小さい頃から英才教育ばかりで、他のご令嬢方とも交流する機会が無かったわけですし」
「……アナスタシア」
「それなのに家族とも離れてしまうとなると、どうしても寂しくて」
大丈夫だ、あとひと押しだ。
最後に、母に教えてもらっていた必殺技、上目遣いでギルバードを見上げる。
「……ね?お兄様」
「………………」
ギルバードが、逆に硬直した。割とシスコンな彼が、妹にここまでお願いされて断れる訳が無い。
「…………そう、か。お前も寂しかったんだなアナスタシア」
「お兄様。それなら」
「あぁ、婚約者の話はもう少し先延ばしにしよう」
「ありがとうございます!」
頭を撫でられたが、婚約の話を先延ばしにすることに成功したのでまぁよしとする。
顔を輝かせたが、はっとすると悲しげに微笑んだ。申し訳無いが少し安心したような笑顔を一生懸命取り繕う。
「だが、今お前に求婚してくださっている令息の気持ちは無下に出来ないだろう」
「…………」
「それに相手は公爵令息だし悪くない話だと思うんだ」
「…………こうしゃくれいそく」
公爵家などという高い地位の者は、大体攻略対象だ。
そしてその公爵家の人間が、アナスタシアに求婚している。それも数年程前から。
「それにルーカスは俺の幼馴染だし……アナスタシア?」
「あ、そ、そう、ですわね」
ルーカス・ユーグレイ。三大公爵家の一人にして、有力なアナスタシアの婚約者候補。
頭を抱えたくなってしまった。あの人はまだ諦めていなかったのか。
(もういいでしょう?!あんなにお茶会も断ってるのに!)
文武両道、容姿端麗。非の打ち所がないと令嬢達に騒がれているが、だからこそ苦手だ。
そんなに完璧な要素を備えているなんて攻略対象に決まっている。
「あぁそうだ、ルーカスが昨日アナスタシアを迎えに行くと言っていたぞ」
「え?」
「そろそろ来る頃なんじゃないか」
「え?」
冷や汗が背中を伝った。迎えに来るって、まさか学園にまで一緒に行かなければならないのか。
ひゅっと喉が鳴った。今まで会わないよう逃げていたのに、努力が水の泡だ。
おろおろと行ったり来たりした後、腹をくくって姿鏡の前に移動する。
もう制服には着替えている。チェックのスカートに赤いネクタイの、可愛らしい制服だ。
髪型も問題ない。丁寧に櫛で梳かしてハーフアップにしているし、誰に見られても大丈夫。
ほっと一安心した時、黒檀の扉からノックする音が聞こえてくる。
「お嬢様、ユーグレイ様がいらっしゃいました」
分かってはいたが、緊張して口を閉じる。
一拍置いてから、扉の向こう側の侍女に返事をする。
「……ええ、今行くわ」
「じゃあ、いってらっしゃい。アナスタシア」
「行ってきます」
本当に嫌だが、にこりと笑顔を貼り付けて部屋を出る。
公爵領はとにかく広い。廊下の窓から見える庭も、壁の美術品も公爵家の財力を表している。
案内してくれる侍女について行きながら遠い目になった。
「……頑張ってくださいませ」
「ありがとう……」
美形苦手なアナスタシアのことをよく理解している侍女が、労るような目を向けてくる。ありがとう。
そうこうしている内に、正面玄関までたどり着いてしまった。ふぅと深呼吸して、扉を開けてもらう。
日の光が扉の隙間から漏れて、ついに開いた。
「……お、お待たせしました。ルーカス様」
「いや、それほど待ってはいない。それにルーカスでいい」
艷やかな黒髪に、神秘的な紫色の瞳。通った鼻筋も薄い唇も体躯も全てが整っている。今日も相変わらず美形だ。
「まさか、ユーグレイ公爵家の御方をそんなに気安く呼ぶなど」
「今の僕は一学生だ。遠慮してもらわなくていい」
「そう、ですね……」
いい待遇を受けるのが当たり前という環境で育ってきたはずなのに、かといって図に乗らない。
本来なら好感を得られるはずの性格だけれど、アナスタシアは知っている。
こういう人に限って、正義の為だとか勝手な理由をつけて断罪しようとしてくる。
優しい女神のようなヒロインとの恋愛に酔い、正論をぶつける悪役を徹底的に排除しようとするのだ。悪役令嬢視点で見ると乙女ゲームって恐ろしい。
(私、そこまで悪いことしてなくても、濡れ衣を着せられて国外追放になったもの。愛って怖い)
だからもう、攻略対象の言うことは信じない。
「アナスタシア、手を」
それなのにどうしてルーカスはこんなに紳士なのか。
(普通の御令嬢だったら惚れちゃうわよ?天然なの?お兄様と同じなの?)
差し出された手を取って、馬車に乗り込む。どきどきする心臓を押さえて息を吐いた。
「多少揺れるかもしれないから気分が悪くなったら言ってくれ」
「お気遣いありがとうございます」
肌触りのいい馬車の長椅子に腰掛けて、きちんと足を揃える。
ふと、花の甘い香りが鼻をかすめた。窓の外を見てみると、道の脇に小さな花が咲き誇っている。
(あぁ、何かいい匂いがすると思ったらあれね?)
小さくて可愛らしい。水滴が滑り落ちる薄桃色の花を、微笑みながら見つめる。
「…………」
後ろからの視線に気がついて、そっと振り返った。
「どうかされました?ルーカスさ」
「ルーカスと呼んで欲しい」
「……」
先程の言葉を忘れて様付けしてしまいそうになったアナスタシアに、ルーカスが真剣な表情で告げる。
「……ルーカス」
「ん?」
慣れないまま名前を呼んでみると、嬉しそうに笑いかけられた。
どきんと心臓が跳ねて、じわりと頬に熱がのぼる。
そんな胸の高鳴りを隠して、心の中で首を振った。
(違うわ、アナスタシア。攻略対象は皆、平気でヒロインに寝返るのよ……!)
そうだ、攻略対象達のヒロインに対する愛を侮っていてはいけない。
アナスタシアの大好物の卵のサンドイッチを、「ヒロインの食事を馬鹿にした!」と言いがかりをつけられ駄目にされたこともあった。
デザートに冷たいアイスクリームを食べていたら、「ヒロインの前でわざと食べて見せびらかした!」ととんでもないことを言われ捨てられたこともあった。
(……ってあら?ほとんど食事関係のような気がするわ。わたし食い意地が張っているのかしら?)
でもやっぱり、お腹が空いている時にあれをやられると殺意が湧く。
あんな酷い行いだって、平気で出来る人達だ。信用できない。
「……そうだ、次の月に王都の喫茶店にでも」
「考えてみますね」
「あぁ」
悲しそうな顔を向けられて、罪悪感で胸が痛くなった。
(……ごめんなさい、でもやっぱり美形な攻略対象は信じれないの)
スカートの上でぎゅっと手を握る。俯いていると、ルーカスが何か探り始めた。
「……?ルーカス」
「今日これを渡そうと思って」
差し出されたのは、可愛らしい包装がしてあるお菓子の箱だった。
薄桃色の光沢のあるリボンがかけられていて、透明な面からは苺ジャムが乗ったクッキーが見える。
ぱちぱちと瞬いて、促されるままに箱を受け取った。
「……可愛い……」
「よかった」
自然と、そんな言葉が漏れていた。だって本当に可愛い。
安心したようにルーカスが微笑む。
そういえば、この間お茶会に行けなかった時も、可愛らしい茶菓子を送ってくれた。
「この間のお菓子も、どこのお店の物ですか?」
「……」
そう尋ねたら、きょとんとされた。あれ、と思って、アナスタシアも首を傾げる。
「……その、買ったものでは無くて手作りなんだが」
「え?」
驚いて、もう一度手の中のお菓子を見つめた。普通にお店で売られている物と同じほど完璧な形だ。
包装だってこんなに可愛い。リボンの結び方も完璧だ。
「姉に教わりながら、作っていて」
「……」
「その、嫌だった、だろうか」
恥じらうように頬を染めているルーカスが可愛い。
(……あれ、見間違いなのかしら……?)
何だか可愛い。手作りって女子力高くないか。攻略対象って女子力まで高いのか。
「……嫌じゃないです。あの、嬉しくて」
「そうか、良かった」
心底ほっとしたかのように息を吐く仕草とか、何だか可愛く見えてきた。
(……私の目がおかしいの?)
そう思って、目を擦ってみる。だが受ける印象は変わらない。
「あぁ、それと」
また取り出そうと探り始めたルーカスが、アナスタシアの髪に何かをつけた。
きょとんとして、髪に触れる。指先が、柔らかい物に触れた。
自分が映った窓を見て気がつく。髪に、薄桃色の花弁の花が挿してある。
(……え、可愛い)
ふわりと笑っているルーカスが可愛い。正直に言ってそこらのヒロインより可愛い。
もしかして彼は、純情なただの公爵令息なのでは無いだろうか。
だって、今まで出会ってきた攻略対象は、こんなに女子力が高くなかった。
そう思えてきてしまう程に、今までの嫌な思い出が吹き飛ぶほどに、ルーカスが可愛い。
「……………お嫁に来ます?」
「今なんと言っただろうか?すまない、よく聞こえなくて」
「いいえ何でもないです!」
聞こえていなくて良かった。赤い頬を隠して、ふぅと息を吐く。
(……可愛い!ルーカスが、かわ……え?どういうこと……?)
なんだか彼なら、別に美形でも一緒に居られる気がする。
髪の花にもう一度触れて、アナスタシアは生まれてはじめての感情に顔を赤くした。
どうやら、アナスタシアは混乱しているらしい。
ルーカスは耳まで真っ赤にしたアナスタシアの横顔を眺めて、笑いだしたくなるのを堪える。
「…………」
可愛い。こんな簡単に騙されてしまって。
ルーカスはアナスタシアの事が好きだ。いつこんな恋愛感情を抱くようになったのかはよく分からない。
でも、笑いかけてくれた時のことも、一緒に話した時のことも、一言一句全て覚えている。
それなのに、学園で再会した時、アナスタシアは何故かルーカスを怖がっていた。
後に兄のギルバードから聞いた。彼女は、美形だと言われる異性が苦手なのだと。
だから、女子力が高くてかわいい男の振りをすることにした。
姉に教わりお菓子を手作りして、刺繍の練習をして。
今のは、その第一歩だ。こうやって徐々に警戒心を解いていこう。
アナスタシアが完全に警戒しなくなった後は、ゆっくり自分の本性を見せる。
気づかれないように甘やかして、惚れてもらって、兄を味方に引き込み外堀を埋めて。
(俺は絶対に君のことを諦めないよ)
可愛い可愛いアナスタシアを見つめて、少し笑う。
柔らかそうな髪も少し抜けている所も甘い物が好きな所も実は本の虫な所も、全部全部愛おしい。
「あの、ルーカス?」
「よければ、昼食も一緒にどうだろうか。実は最近、弁当作りにも挑戦していて」
「えっ」
上目遣いで見つめれば、アナスタシアは簡単に頷いてくれた。
(あぁ可愛い可愛い。早く婚約者にして妻にしたい。可愛い。好き)
アナスタシア以外の令嬢なんてどうでもいい。こんなに可愛いアナスタシアに惚れない訳が無い。
(嫌だな。他の男にとられるのは。嫉妬で気が狂って殺人の罪を犯してしまいそうだ)
大丈夫だ、大丈夫。順調に騙して早く妻にしよう。そしてどろどろに甘やかして駄目にしよう。
自分がいないと生きていけなくなる程に。
そんな未来の為に、まずはゆっくりゆっくり。バレないように騙さないと。
執着心も独占欲も今は笑顔の裏に隠す。
その後まんまと騙されて、ルーカスに捕まってしまう。そういう未来を、アナスタシアはまだ知らない。