身分違いの恋の結末
「私の光は死んだ……もう永遠に、戻らない……」
「お兄様……」
この曇天は、優しかった義姉の死を神すらも嘆いているということだろうか。
今日は、王妃のお葬式だ。
◇
義姉はとても優しい人だった。そして、兄が唯一心許していた人でもある。
兄が座っている玉座は、陰謀で染まっている。
わたしには兄が三人いる。長兄エドワード兄様、次兄ジョージ兄様、三兄リチャード兄様。ジョージ兄様とエドワード兄様が立て続けに亡くなられ、エドワード兄様の小さな王子が跡を継いだ。……けれど彼は、リチャード兄様の陰謀によってロンドン塔へと送られた。
冷酷無慈悲な国王。それがリチャード兄様。そんな兄がただ一人愛していたのが、義姉。
わたしにもかつては夫がいた。だけど兄たちのような熱情を抱くことはできなかった。
「姫様。今すぐロンドンを離れた方がよろしいかと。今やランカスターの一味は飛ぶ鳥を落とす勢いでございます」
「お兄様は……陛下は?」
「陛下は、お亡くなりになられました……」
「ウィリアム……!」
ウィリアム・ケイツビー。お兄様の、最も忠実な部下。褐色の肌を持つ、流れ者の男。幼少時代にその命をお父様に救われ、お兄様の従者になったひと。わたしの、初恋の人。今でも、わたしの心を掴んで離さない人。
「あの方の、最も愛した白薔薇の下で」
「そう。それではお兄様のお身体が、辱められることはないのね」
「……そのようなこと、絶対に許しはしません」
「それを聞いて安心したわ。……イングランド王リチャード三世の妹メアリーが命じます。ウィリアム・ケイツビー、わたしを殺しなさい」
ウィリアムの目がまん丸に開かれた。
終わるのなら、せめてあなたの手で。
「私にそれをお命じになるのですか!」
「敵に辱められる前に殺せと命じているのです」
「辱めさせなどしません。リチャード陛下も、貴女も」
その瞬間、意識はぷつりと途絶えた。
◇
「……さま。メアリーさま!」
「ウィリアム。わたしを、どこに……」
仄かに薫る、潮の匂い。外に飛び出すと、そこに広がるのは大海原。
「イングランドにいてはいつ追っ手が来るかもわかりません」
「王女が国を捨て、無様に逃げるなど……」
わたしが零した涙を、ウィリアムの指が掬いとった。
「王女ではありません。これからは、ただのメアリーとしてお生きください。死んでしまえば、ただ無へと帰するのみ」
「ウィリアム……」
ーお誓い下さい、メアリーさま。御身を大切にすると。もしメアリーさまに何かあれば、このウィリアム、何をしでかすかわかりません。
「私を恨んで楽になれるのなら、どうかお好きに。ですが、御身を損なうことだけは許しません。それがたとえ、貴女の望みだとしても」
「どうしておまえは、そこまでするの? リチャード兄様が亡くなられたいま、おまえは自由よ。どこにでも行けばいい。わたしのことなど見捨てて!」
答えなどわかりきっている。
「私の命は、お父上に拾っていただいたもの。私の人生は、ヨーク家のためのもの。ヨーク家最後の生き残りである貴女をお守りするのは、当然のことです」
そう。ウィリアムがわたしを守るのは、あくまでヨーク家のため。
「ランカスターのヘンリーの妃になったエリザベスだって、ヨーク家の者よ」
「愚問ですね。リチャード陛下が亡くなられたのは、あの男のせいですよ」
知っていた。わたしを守り続けるのは、わたしが敬愛する主君の妹だから。
だから離れたかったのに。この人から、生涯。わたしを愛することは無いこの人から。
「ウィリアム・ケイツビー。わたしを殺して」
わたしを愛さないなら、いっそ殺して。
「天国には、家族がみんないるわ。わたしは彼らに、会いに行くだけ」
「承服できかねます」
「……殺してすら、くれないのね」
それならば、一生に一度の大博打に出よう。
「ならば、わたしを愛しなさい、ウィリアム・ケイツビー」
「メアリーさま?」
「わたしを愛してくれた者は、もうだれもいない。両親も、兄弟も、神の御許に召されてしまった」
ウィリアムの同情心に訴えかけよう。それが口先だけのものでも構わない。
「わたしを愛して、ウィリアム。わたしの寂しさを癒して。それが無理なら、どうか殺して」
◇
時は流れ、数十年後。ある片田舎で、一人の老人が沈鬱な表情で涙を流していた。
「じいさん」
褐色の肌の老人に声を掛けたのは、老人によく似た青年だった。
「雨も降ってきた。そろそろ家に戻ろう。きっとばあさんも、そう望むはずだ」
数日前に葬式を終えたばかりの祖母を思い、青年は涙した。
祖父母は仲の良い夫婦で、特に祖父は祖母にベタ惚れだった。祖父の衝撃は大きいのは仕方ない。
「アーサー、おまえに愛する者ができれば、その想いを素直に伝えなさい」
「は?」
「忠義などという言葉で誤魔化し続けた男の末路が、私だ。あの人は自分を愛せと言いながら、私の愛を最後まで信じてはくれなかった。自業自得だ」
「ちょっ、じいさん。何言ってんだよ?」
「だから、私が神の御許に召し上げられることがあれば、その時は信じてくれ、メアリー」
老人ウィリアムが亡くなったのは、妻メアリーの死から半年も経たない後のことだった。ウィリアムは、最愛の妻の死に、生きる気力全てを失ったのだと、孫アーサーは語った。