第一章3 『残虐な者たちを』
気持ちのいい陽光が頭の上を走った。そしてそれは徐々に傾き、目に入ったところで目を覚ます。
「はぁぁ」
盛大にあくびをすると、彼は勢いよく窓を開けようとする。横開け式ではないことに気づくと、すぐさま上に持ち上げた。
「今日もいい天気だ!」
奥に見える緑の山々に向って彼は叫んだ。するとその叫び声は大きさを変え、戻ってくる。
「ほぅ、これがやまびこか」
新たな現象の解明により、彼の表情は嬉々として染まる。
そんな楽しそうな彼に何やら朗報が伝わった。
「――ご飯です。ミナトさん」
そう言ったのは、扉の奥に立つ一人の美少女だった。彼女はメイド服に袖を通し、日々この屋敷の世話をしていた。
「はい。ただ今行きます!」
「……はぁ」
肘を曲げておでこの前まで手を持ってくると、敬礼のような姿勢をつくり言った。
その姿を見ると、ルナは小さくため息をこぼしながら立ち去っていった。
「ありゃりゃ」
寝癖のついた後頭部を乱暴にかきながら、言葉の選択を間違えてしまったことを少し悔やんだ。
そして、すぐに切り替えると洗面台に向かう。
「――」
顔を洗い、目やにを取ると、次に寝癖を治す。
「よしよし。髭もだいじょぶじょぶ」
軽口を叩きながら鏡を見て決めポーズを取ると、自室から飛び出した。
「腹、減ったぁ」
ミナトは腕を上げながらどこまでも続いていくような長い長い廊下を歩いていった。
今日の朝食のメニューが彼が夢に見た「ビーフシチュー」だということも知らずに。
――――――――――――――
ミナトがオリカルに呼ばれてからもう三日が経過していた。
ミナトもすっかり使用人としての仕事をこなしていける様になっていて、その順応さには鳩も豆鉄砲を食らってしまった表情をするだろう。
「――頂きます!」
「イ、イタダキマス」
手を合わせて元気に掛け声を上げる。皆はそれに合わせてぎこちなくとも食事の前の挨拶をした。
――朝食の時間である。
ここのところ過ごしてきて分かったことがいくつかあった。
まず一つ目。食事に関しては日本にいた頃とはほぼ変わりがないのである。
それは言い換えれば誰かが日本の料理を伝承していた、と言えば自然だろう。
とはいえ、日本の頃の貧乏食などではなく、高級料理店で見るかのような絶品の数々なのが現状の違いだ。
「んんん!うまいなぁ、一度は夢見たビーフシチューは」
スプーンを、カツカツ音を立てながらシチューを喉に流していく。
その様子を一人のメイド――ルナは冷たい目で伺っていた。
そして二つ目。これは料理とも関係あるが、言語の違いがあまり見られないという点だ。
しかしこれは――あまり、である。
先程もだが、「頂きます」という単語はこの異世界では流行っていないらしく、食事の前は合掌だけすると言う。
「ごちそうさまでした!」
「ミナト、日に日にお前の胃袋がデカくなっているのが目に見えるな」
オリバは膨れたミナトの腹を見て呟いた。それを聞いたミナトは顔を顰めると「うるせぇ」と一言だけ言ってルナにおかわりを要求する。
「大盛りでおねしゃす!」
「わかりました。……チッ!」
「今舌打ちしたの!?」
明らかに冷たく突き放すような態度にミナトは目を見開く。それもそのはず、手伝いもせずに下品な手付きで食事をしているのだから。
使用人ならミナトもルナの手伝いをしろよ、とそう思うかもしれない。
だが、ルナ曰く「腹の音がうるさくて集中できない」とのことで、厨房から追い出されたのがきっかけだった。
しかし、きっかけは何だとしても本当に何もせずに食事をするだけとは思っていなかったルナは以前に増してミナトに対する態度は悪くなっていた。
「――で、リリたそは無言ですか?」
「食事中は喋らない主義なの。というかその呼び方を許可した覚えはないんだけど、まあいいわ…………今のは喋ったのに数えないからね」
「はいはい」
突如出てきたリリエナのあだ名に、彼女は口をとがらせながら、こちらを少し鋭くなった綺麗な瞳で見てきた。
そして可愛いことに、少し赤面しながら喋らない主義を維持した。
何故赤面したのかは問わないが。
「――はい、大盛りの白飯です」
「本当に白飯だけ!?」
おかわりの要望をしたミナトの元に、手の先から肘まであるだろうか。それ程の高さまで盛った白飯の塔が立っていた。
「あのぉ、シチューのおかわりは……」
「残念ですが、売り切れとなっております」
「ですよねぇ。まあシチューで白米を平らげるのも結構苦行な気もするしな」
相変わらずルナの冷たい態度もすっかりと慣れ、白飯の塔から目を外すとゆっくりと食事するオリバの方を見る。
そして彼だけ美味しそうな「サルバの味噌煮」という鯖の味噌煮のような魚料理を頬張っているのをじっと見る。と――、
「ああ!!クソが!これやるよっ!」
「ありがとう御座います」
これも三日間過ごしてきた中で、デジャブと化しているところだ。
ミナトは食事の時は必ずオリバの懐から料理を横取りするのだ。
「ま、なにはともあれ――いいとこだな」
誰にも気づかれないような小さな声で、ミナトは呟いた。
あの頃とは打って変わって大切な場所を見つけたのだ。ここを手放すことは無いだろうという意味合いを込めた呟きを。
「けど、この白飯の塔は流石に食えないんですが……」
「おかわりを要求して残すなんてことはありませんよね?」
「うう、はい……」
意地の悪いルナはミナトに白飯の塔を押し付け、冷めた表情と思えたが、こっそりと笑みを浮かべたのを見て、一気に白飯を腹の中に流し込んでいくのだった。
――――――――――――――――
「――はい。今からお勉強の時間です!」
茜色の日が差し込む中、あたりも冷えてきていた。そんな中で、部屋にはある人影が二つ浮かぶ。
「リリエナさんが、直々に指導を……?」
今、ミナトの部屋にいる彼女は、長い黒髪を緩くアップさせ、昨日とはまた違うお淑やかな黒のスーツドレスを身に纏っていた。
そして肩からは金色を持している白のショールストールを垂らしていて、昨夜と同じくらいミナトの心を動かしていた。
「そうよ。ミナトが勉強を見て欲しいって言ったんでしょう?今日はルナはお休みだから私が代わりに見てあげます」
「……、」
眉間にシワをを軽く寄せ、こちらを覗いてくる彼女に視線を逸らすミナト。
直視など出来ようもないほどの可愛さを有していたからだ。
「ミーナートー」
「っ……はい!」
「勉強するのにそんな調子じゃ教えられません」
頬を少し膨らませ、ミナトの無言の態度に不満を言う彼女。そして当の本人のミナトは上の空。
何故、こんな状況になったのか。事の発端は、ミナトがルナに対し勉強を頼んだことだ。
ここの世界の常識を知らなければこれから先が思いやられると感じた結果だった。
しかし、
「くぅ、全く駄目だ」
「世間知らずになりたくないなら頑張りなさい」
頭を抱えながら悩んでいるミナトに厳しい一言が浴びせられる。
言語に関しては一切問題の無いこの異世界だが、世間話には全くの無知。このままではリリエナの『心狩り』確保の目標に一躍買うことはできない。
――信じさせてくれると信じられている。
リリエナにそう言われたからミナトは頑張れると踏んで出たのだ。
「けど、意味分かんない単語めっちゃ出てきて全く理解できない。ダセェな僕」
「ははっ」と自らの不甲斐なさを自嘲する。
しかし、リリエナに見られている以上、これ以上の醜態を晒すわけにはいかない。
そう思い意識を改めるミナトだった。
「――で、今いる賢神国ニホンは昔、二人の賢者、と言うには若い年齢だったらしいんだけど、その二人がこの国を蝕んでいた邪神教『教祖』ディアナを撃退したと言われているの」
何とも奥の深いこの地の歴史に触れるとミナトは少しばかり興味を惹かれた。
「へぇ。じゃあこの国を襲う存在は居ないんだ」
そして何気ない一つの質問をした。
――しかしリリエナが答えるよりも前にミナトは気づいてしまった。
「あ、あのさ」
「……ん?」
ある一つの可能性に体の芯を震わせながらも、何とかリリエナに声をかけることができた。
「聞きたいんだけど、何で邪神教をやっつけたのに邪神教犯罪課オリカルって存在があるんだ?」
一つ目の矛盾点を淡々と口にするミナト。真相をいち早く確認したいのだ。
今、この国に何が起きていて、何に怯え、何をしなければいけないのか。
ミナトはそれを知れば、今自分の立場もわかる気がしていた。
「――邪神教は復活を始めている、これは最近の魔素値を見れば明確よ」
「マソチ?」
邪神教の復活云々の話よりかは新しい単語に視線を逸らすミナト。
少しため息をついたように見えたリリエナも口を開いて説明を始めてくれた。
「魔素値っていうのは……ううん。まず魔素って知ってる?」
「知らないな!」
「そんな威張って言うことじゃないわよ、全く」
リリエナは、ミナトの知識のなさに涙目になりながら、今度は「はあ」とミナトの耳にも入るようにため息をついた。
それに対し少し申し訳無さが募るミナトだが、知らないのだから仕方ないと自分に非は無いのだと、責任逃れを図るのだった。
「魔素っていうのは私達の食事と同じくらい大事なエネルギー源で、体を構成している存在よ。それで取り込まれる魔素は体の心臓付近の『感核』って器官に集められ、それを放出させることで魔法を使えるの」
「魔法……感核……」
余計に意味不明な単語が多数出現し、頭を悩ませるミナト。不揃いな眉毛を寄せ、無理矢理話の整理を始める。
目を瞑って、こめかみに右手の人差指を指しながら熟考する。
「え、とつまり魔素があるから今僕は存在していて、その魔素はそのカンカク?ってやつに取り込まれるってことで合ってる?」
「まあそんなとこかな」
悩んで悩んだ末に出した結論だが、それはあまりにも整理されていなく、微妙なところだった。
しかしリリエナはそれを面倒と思ったのか、魔素についての説明を終了させた。
「で、その魔素の数値を表したのが魔素値ってことだな」
「ぉ、うんそう」
少し驚いた、とばかりに目を微小に開くと、リリエナは、思ったよりかはミナトの知の吸収力が速いことに関心を持った。
「じゃあその魔素値の何処が異常だったんだ?」
驚きに身を固めているリリエナを置いて、ミナトは質問を重ねる。
すると、ピクリと体を震わせた彼女だったがすぐに意識を持ち直すと質問に答えようと口を開く。
「――最近、五回も『悪魔素』を検出しているの。で、悪魔素っていうのは邪神教『幹部』大罪悪魔となる七人の者に与えられる異能、権能のこと」
「つまりそれは災厄ってこと?」
悪魔素、字面から受ける印象では良い感情を抱けないその言葉にミナトは反応する。
「それに邪神教『幹部』って……『教祖』とかもあったし、そもそも『教祖』って撃退したんじゃ……」
「まあまあ。それも含め説明をするから落ち着いて」
小さい恐怖心に火がつき、燃え上がる。そしてつい興奮してしまったミナトは流暢にいくつもの質問を重ねた。
しかしこれにはリリエナも困惑といったところか、引きつった笑みを浮かべていた。
「まずは、『幹部』の方からかな?『幹部』は邪神教の『教祖』の補佐が役目らしくて、さっきも言ったけど七人いるの。それぞれ『怠惰』、『強欲』、『憤怒』、『色欲』、『暴食』、『嫉妬』、『傲慢』」
「七つの大罪、だったか?」
人間の悪しき感情、罪の根源とされる七つの大罪。あまり教育を受けていなかったミナトもこの言葉には心当たりがあった。
しかし、
「その話はそれだけでいいや。『教祖』について教えてほしい」
「興味がないときがわかり易すぎない?」
「だって正直僕には関係ないでしょ?」
「……」
「何で沈黙!?めっちゃ怖くなってきたんだけど!」
淡々と勝手に話を進めていくミナトと、それに追いつけないリリエナ。
そんな中で、リリエナは無関心なミナトに無言という攻撃手段を取った。それがもたらした効果は凄まじいもので、一瞬にしてミナトの表情を青くさせる。
「――関係ないわけ無いでしょう?何のためにミナトを『オリカル』に所属させたと思ってるの?」
「ええ!?僕って『オリカル』に所属してることになってんの?」
衝撃の事実、初耳の事情に声を荒げて確認を図るミナトに、リリエナは両耳に人差し指を刺して外界のあらゆる音を遮断していた。
そして唾を吐き散らかしたミナトは、落ち着くと、再び視点をリリエナに戻す。
すると、彼女も気を取り直して説明を再開させた。
「じゃあ所属してるの有無を確かめる前に極刑と化け物退治ならどっちがいい?」
極刑といえば死刑という刑罰が該当する。化物と戦うのと対比しても、答えは既に決まっていた。
「化け物退治とかはどうでもいいけど、リリエナがいる方が僕の選択する方ってことで、い?」
「っ、じゃ、じゃあ正式に所属ってことでいいね?」
目の前の彼女の顔が赤く染まっているのは夕日のせいなのか、はたまた。
そんな曖昧な感情を残しつつも、リリエナは今の出来事をさっさと切り上げるように話を続ける。
「――もう一度問います。貴方は、ミナトは私達オリカルに力を、心臓を預けられますか?」
「微妙なところだけど、僕に居場所を与えてくれた君達なら僕は死ぬ一歩手前までは全力を尽くせると誓う」
正面から紅の、愛と情熱の色を灯した瞳で見つめてくる一人の少女に向かってミナトは宣言した。「君達に命以外を託す」と。
非力で、何の力になれるかも分からない状況下で、求めてくれた彼女にミナトは報いたい一心で誓ったのだ。
「それじゃあ、最後の疑問点について説明します。『教祖』の生死について」
ミナトは「ゴクリ」と、音を立てて固唾を飲み込む。ただならぬ背景が渦巻いているという予感に、冷や汗が首に伝わる。
「はっきり言うわ。『教祖』ディアナは復活を果たしたの」
「――」
今更驚きはしなかったミナトだが、内心では後々戦うことになると予感し、恐怖に縛られていた。
しかし、恐ろしい事実はまだあった。
「そしてディアナの姿は――目隠しをした女、という目撃情報があるわ」
「――っ、目隠しの、女……」
脳裏に浮かぶのは、あの深淵に染まった瞳だった、腕だった。
恐怖に恐怖し、ミナトは歯を震わし始めた。
体の底から凍えるような恐怖心に、ミナトは立つことさえ困難になる。
「いや、でも確かその女は死んだはずだ……」
「ううん。オリバから聞いたけど、あれは彼女の『抜け殻』よ」
「抜け殻……?」
悪魔のような羽を生やした死体を思い出し、リリエナに伝えると、その希望も切ないほど呆気なく否定される。
「抜け殻と言うのは一言でいうと、その体から魂だけが抜けた存在よ」
「え、つまり死んだってことじゃ……」
「ううん。魂が抜けるというのはその肉体の「死」だけを表すわ。けど魂さえ残ればその存在の消滅にはならないの」
「何だよ、それっ……」
多少なりともディアナ、恐怖の対象が消滅したことを期待していた分、その衝撃は恐ろしいもので色鮮やかな景色が徐々に色褪せるほどだった。
何故ここまでディアナを恐れるのか、ミナトはディアナとの初対面の時の台詞を覚えていた。
「あいつ、僕のことを狙ってたみたいなんだ」
今も鮮明にあの時の状況、風景、音を記憶している。耳から流れてくる甘い声は、それとは裏腹に恐ろしい台詞を放っていたことを。
ディアナが言った「アナタを探すのにどれほどの時間を費やしたと思っているの」という言葉。
これは明らかにミナトを狙ったことを提言している。
「――やっぱりね……。突然動き出す事態に『教祖』の復活。そして唐突に姿を現した異色の人物。全部が全部、偶然と言うのはあまりにも重なりすぎていると思ってたわ」
「何か、大きな陰謀でもあるって話か?」
顎に親指と人差し指を挟み考える素振りを見せるリリエナに、ミナトは挙手をしながら聞いた。
「それは、まだはっきりとは分からない。けど、これから頼りにしてるわ、ミナト」
「お、おう!」
辺りがすっかり暗くなっていることに気づいたリリエナは、そう言ってミナトに手を差し伸べ、話を切り上げた。
そしてその細い手を掴んだミナトは、呆けた面をしていたのだった。
――――――――――――――――
「はあぁ。夕飯もいつも通り美味しかったな」
羽毛の敷詰まった純白の布団に腰を下ろすと、自分の腹を叩きながら満面の笑みでそう呟いた。
そして眠い目を擦ると、次は大きく口を開け欠伸をする。
「そろそろ寝るか……」
そう言って、ミナトは目を閉じた。
――――――
――――
――
「ん、な、んだ?」
真夜中だというのに、どこか騒がしい雰囲気につられてミナトは目を覚ました。
そして目ヤニのついた目を擦って綺麗にすると、今度は自室の扉に近づく。
「何か、変な感じがする」
何が可怪しい訳でもないのに胸騒ぎが止まらない自分にミナトは違和感を覚えていた。
昨日の夜と変わりのない今日の夜、のはずが、何か違和感を覚えるミナトは警戒を緩めることは出来なかった。
そして扉をあ――