第一章2 『囚われの先』
「――ちょっと待て。全く状況が理解できないんだが」
右手首を垂直にし、一旦会話を停止させようとするミナト。展開が早いことについて行けないのだ。
そんな中で、ミナトは空いた左手の人差し指を額に付けると目をつむり、頭の中で整理する。
そして出た結果が――、
「――情報量が多すぎる。今までだって獣とかオリバとか、あと黒い腕生やしまくった日焼けサロンの目隠し女とかいっぱい出くわして、今度は秘密組織的なポジションに遭遇って意味わかんねぇだろ!?」
「目隠しの女性?」
ミナトがつばを吐き散らしながら不満を叫んでいると、目の前の女性は妙なところに引っかかっていた。そしてオリバも同様だ。
「おい、そんな女性いたか?……ああ、お前が殺した女か」
簡潔に遠慮なくミナトの犯した大罪をオリバが告白する。それに対して、ミナトは「おい……」と口惜しいものを感じながらも事実なものなので黙ることしかできなかった。
と言っても実際に殺したという実感はミナトには無いので、それもどうかという話なのだが。
「その女性については少し気になるけど、まずは『心狩り』について聞きたいわ」
話を転換してくれたのは美麗な少女だった。ミナトが殺人を犯したと知ってしまったのに対しても冷静でいられる彼女には尊敬の眼差しを向けざる負えない。
「だが、あいにく『心狩り』なんて微塵も聞いたことがないんだ。協力できなくてすんません」
「ん、そんなあっさりと拒否られるとなると……まあいい仕方ないわね」
ミナトは事実を言ったまでだった。今までテレビが無かったものだから世間話には疎いのだ。
それを言うと少女は困った顔をしながらも受け入れ、ゆっくりと後ろにあった黄金に装飾された白の椅子に腰を掛けた。
「ああ、まずは名乗らないといけないわね。私の名前は――リリエナ。姓はない、と思う。よろしくね」
「僕の名前はアマジキ・ミナト。よろしく」
と、お互いが自己紹介を終えると両者ともに手を差し出し、握手を交わした。
すると、いつの間に出てきたのだろうか。目の前にあった紅茶をリリエナは飲んでいた。
「で、まず最初に。ここは日本の何処なんだ?」
今までの疑問をぶつける絶好の機会だと思い、 ミナトは間髪入れずにリリエナに聞いた。
するとリリエナは持っていたティーカップを「カタッ」と高い音を鳴らしながら置き、口を開いた。
「オリバ、地図を持ってきてくれます?」
「ういーす。てかどうしてお嬢は上司の俺をこき使うのかな?……まあいいや、ほらよ」
「ありがと」
二人の関係性も少し見えてきたところで、オリバは右手に取った地図をリリエナに向かって投げた。
それを軽やかに掴み取ると、すぐさまテーブルの上に広げる。
「これが今いるとこで、『賢神国ニホン』と言うところよ。これは知ってるわよね?それで、さっきいた場所が結構離れてるとこで、ここ。ここの『獣魔王国ガイラル』と言うところなの」
「ん、ん?」
急な国名紹介に、ミナトは思考を停止させてしまった。
当然であろう。孤児だといえど、国名や世界のことなら多少は知っている。その中に今聞いた国など存在しないのはミナトにも分かっていた。
「つまり、こういうのって何ていうんだっけ」
ボロ飲食店のバイト先で働いていたとき、客がボソッと口にしていた単語を思い出そうとする。
「う〜ん」と唸り声を上げながら思考を続ける。
そして遂に声も消え、晴れた顔をしながら声を発した――、
「――異世界召喚だ……僕、異世界召喚ってやつしちゃってる!?」
「はい?」
「ミナト、遂に壊れたか。空腹だったもんな」
驚愕の声が部屋に響くと、それぞれ二人は呆れたような、驚いたような顔をしながらこちらを伺ってきた。
「な、何?」
ミナトが不審がって訪ねてみると、二人はあっけ欄とした様子のまま、
「「いや急に叫びだして怖いなぁ〜と思って」」
なんてことを言われてしまった。これに対してはミナトも心外という表情を浮かべるものの、相手にされることはなかった。
「え、異世界召喚って知らないの?」
「知らないです、そのイセカイってところ?なんて」
ミナトは二人の様子が気になって聞くと、やはり二人も知らないようだった。
むしろこの異世界でこの単語を知っている方が珍しいのかもしれない。
ミナトはそんな考えを頭の隅に浮かべていた。
「まあいいや。それよりちょっと気になったんだけど、『心狩り』って何?」
先程から度々出てくる単語に、遂にミナトは探りを入れた。
すると、リリエナは一つ咳払いをしてから話し始めた。
「まず、『心狩り』なんだけど、これは犯人の手口から名づいたものなの」
「え、てことはつまり……」
「そうよ。犯人は――被害者の心臓を抜き取るの」
「―――」
最悪だ、とミナトは思った。
ただでさえ人殺しが最悪だと言うのに、それに加え死体から心臓を抜き取るなんて悪趣味もいいところだ。
ミナトの怒りは最骨頂に達した時、右肩を誰かに叩かれた。
「怒りに震えてるとこ悪ぃがお前も人殺してるからな」
「……ぁ」
オリバが鋭い視線で正論を言ってくるものだから、ミナトは小さく声を漏らした。
その様子を冷たい視線で見つめてくるリリエナをミナトは気づいてはいなかったが。
「で、目撃情報によると『心狩り』はガイラルに居ると聞いたの。それで不審な格好をした君を怪しく思ってここまで連れてきたのよ」
ミナトがオリカルの本部に連れてこられるのにここまでの背景が蠢いていると知り、ミナトも只事ではないのだと察し始めた。
「ひ……被害者の件数は?」
「――」
おどおどとした態度のまま引きつった笑みを浮かべ、ミナトはリリエナに聞いた。
しかし先に口を開いたのはリリエナではなくオリバだった。
「お嬢は口にしたくないだろうし、俺が代わりに答えるとするか」
「おう……」
平穏とは到底言い難い雰囲気になり、ミナトの頬はますます強張っていく。
「被害者は計200万人。『終焉の都市ジェルド』っていう場所がつい昨年に壊滅したんだ」
「200……」
想像のつかない犠牲者の数にミナトは口を大きく開け、正常に働かない脳は「昨年と言えばバイトの同期が辞めた年だな」と、関係のないことばかりが頭の中に浮かんで来ていた。
「それでニホンは最大都市として対策部を作ることになり、オリカルが設立されたのでした」
話は以上と言わんばかりの言い回し。物語の結末はどのようになっていくのか。
ミナトは既に大規模すぎる事件の詳細に主観的な視点を持てず、客観的に他人事のように考えていた。
「で、僕はこれから何をすればいいのでしょうか?」
残り残って最後の質問に入るミナト。
逮捕、オリバは確かにミナトに言った。それならば次に起こるアクションは刑務所に打ち込まれるのが妥当だとミナトは思う。
「まあ、取り敢えず屋敷に連れてってやるよ。お前の部屋もあると思うぜ」
「……へ?」
先程から永遠と呆けているミナトは、今度は首を前に傾け、つんのめりそうになっていた。
――――――――――――――――
「で、デケェ森だ……」
眼の前に広がる大森林を一目見ると、ミナトは小さくそうこぼした。
「あぁ、これは『アーデット樹林』って言って燃え落ちることのない森と言われてるんだ」
「え、全く燃えてないけど……」
オリバが大袈裟にも燃え落ちない森と称する森林なのだから、さぞかし凄いものだろうと思ったのだが、実際の森林は微塵も炎に覆われていなかったのだ。
その説明をしてもらおうと思ったが、森林に対する驚きを後ろにある屋敷に奪われた。
「こ、これがお屋敷ねぇ」
目の前に威風堂々と建てられているのは、白の広い壁、3棟もの数の広大な敷地。
もはや城のようなところだった。そして一番の存在感を放つのが前にある銀色の鉄格子だった。
近くで確認しなければ見えないような、何か紫の空間を保っている鉄格子は、何かの結界なのだろうか。
ミナトは鉄格子を睨みつけながら思案を重ねていった。
「何してんだ?馬鹿なのか?」
そんな辛辣な評価を下す男の声が後ろから聞こえてきた。
その声にムスッとミナトが表情を曇らせると、オリバは何もなかったかのように屋敷の中に入っていった。
「何だあいつ」
吐き捨てるように言うと、ミナトも軽やかに歩くオリバの背中を追っていくのだった。
「てか僕ってこの屋敷で働けばいいのか?」
唐突、とミナトはオリバに質問を繰り出した。それに対し彼は眉一つ動かさずに答える。
「お前はここで使用人として働いてもらう。監視のためでもあるからな」
「まじか……」
そう言ってミナトはバイト面接に合格ということではないが職に就くこととなった。
勝手に決められた感は些か否定はできないが、牢屋に閉じ込められるよりは随分マシだと自分に言い聞かせた。
「――ていうか親御さんは今どこだ?」
広く長い廊下を歩きながらオリバは聞いてきた。ミナトは一瞬声を詰まらせたものの、答える。
「親はいない。小さい頃に捨てられたんだ」
本人も寂しいという気持ちは一切ないだろうが、内容が内容なのでしっとりとした雰囲気が残った。
オリバも多少は気まずくなってしまっただろう、とミナトが思い小走りで彼の隣に行く。
そして横をチラリと目を泳がせると、
「……」
「なっ……!」
圧倒的冷静さにむしろ苛立ちが募ってしまったミナト。眉一つ動かさないオリバは元々ミナトの両親の所在など興味がないのだと思ってしまった。
「ったく、性格悪ぃな」
「お前は口が悪いんだよ」
「生きてた……」
終始無言が主流なオリバに独り言のようにミナトが呟くと、思いの外反応されてしまった。
そして何となく居心地の悪くなったので、歩く速さを抑え、彼の後ろをついていくように歩くのだった。
「あれ?僕の部屋に案内してくれんじゃなかったの?」
ミナトがそう聞いたのは、目の前に長い茶色のテーブルが置かれているからだった。
オリバは先程ミナトの部屋に案内すると言っていたにも関わらず、着いた先は心地の良い包丁のリズム、香ばしいお肉の匂い香る場所。
――要は食堂だった。
「オリバ、すまん」
「どうした?」
急に俯き、静かになるミナトを見て、オリバは不審そうに聞いた。
すると、ゆっくりと腹を抱えながら顔を上げ――、
「――腹、減ったんだけど」
「胃袋だけは広いんだな」
憎まれ口を叩かれながらも訴えるようにしてオリバの方を見る。
「ぐっ……」
その愛くるしい小動物の瞳に逆らえる者はいない。その最初の犠牲者はオリバだったようだ。
「ほら、食えよ」
「ほぎょわわわわ!」
湯気がむんむんと上へ昇っていく。目の前には肉汁が溢れ、光によって脂身が光っているものが――ステーキがあった。
「いただきます!」とミナトが言うと、ステーキは光の速さであっという間に姿を消してしまった。
「おい、オリバ」
「なんだよ?」
もう一度オリバを見るミナトの目は、まるで愛くるしい小動物の瞳だった。
――――
――
「――ほら、食えよ。最後だからな!」
「よっしゃぁ!オリバのステーキゲット!」
「チッ!」
喜びが顔から溢れ出すミナトとは対象的に、顔を顰め、面白くないように見るオリバ。
彼はあからさまに舌打ちをした後に、「ふっ」とほくそ笑みを浮かべたのだが、その事にミナトは気づかなかった。
「――じゃあ早速だけど業務内容を教えてくれ」
ステーキを特大二枚食い終わってご満腹なミナトは急くようにオリバに聞いた。
「それに関してはこの娘に聞いてくれや」
と、完全に話を丸投げにして、後ろを指さすオリバ。
そして彼の後ろからはある可憐な少女が歩いてきた。
「――お初にお目にかかります。ルナと申します。恐れながらあなたのお世話係に任命されました。どうぞよろしくおねがいします」
丁寧に、淡々とした口調で自己紹介を済ましていくという少女。
身長はミナトよりも低く、百五十センチ半ばくらいで、肩くらいまであるであろう金髪はリリエナと同じポニーテールになっていた。
そして碧眼とも捉えられるエメラルド色の瞳は澄んでいて、ミナトも思わず息を呑んだ。
しかしそれより驚くべき事実は服装にある。
「メイド服、だと?」
黒を基調としたエプロンドレスに、頭の上に乗せたホワイトプリム。メイド服としてオーソドックスなクラシックスタイルに身を包む、金髪碧眼美少女。
その整った容姿を最大限に発揮したのがこの結果だというのなら否定など出来ない。
それ程までに可愛いと言うことだ。
「あの……?」
「ん、ああ!ごめんごめん。君が可愛すぎて震えてたわ」
無言のまま見つめてくるミナトを不気味に思ったルナが怪訝そうに顔を顰めながら聞いてきた。
するとミナトは調子に乗ったように満面の笑みで彼女に言った。それは嘘偽りではなく、単なる事実を。
しかし彼女の反応は想像していたものではなかった。
「――冗談はやめてください」
「あ、ごめん」
キッと睨まれながら拒絶を言い渡された。
そしてミナトは少し歪んだ美少女のご尊顔に気圧され困惑顔のまま謝罪を口にした。
「それでは、最初に掃除から説明しましょう。こちらに来てください」
多少は気まずい空気が残ったが、仕事内容がわからない以上ルナについていくしかなかった。
「……」
「……」
沈黙が場を包む。ようやくミナトも引きつった笑みを浮かべ始めたところで目的地に到着した。
「ここは倉庫です。まずこの棚からお願いします。貴重品があるので丁寧に掃除してください」
話が早く、説明を省かれ早くも実践。片手にした雑巾を水に濡らし、二度、三度雑巾を絞った。
そして棚の上に積もったホコリの数々を湿らせた雑巾によって拭い去る。
「ん、拭き方はいいですが、ここにまだホコリがありますよ」
「何か嫌な姑みたいな発言……」
指摘を受け流し、サラッと嫌味も言うミナト。
しかしよく見るとホコリがまだ積もっていたので、黙って拭くことにしたようだった。
――――――――――――――――
「――ふぅ、終わったぁ!」
盛大に伸びをし、後ろのベットに倒れかかった。そのまま自室にいるミナトは疲れを口から吐き出した。
倉庫の掃除をした後は、廊下吹きに花瓶の水交換、外の園木の手入れ、書庫の整理。
その他にも食事の用意をしていた。
料理はバイトでしていて得意だったので「中々やりますね」とルナからも称賛を頂いたものだ。
「しかしこれを毎日かぁ」
厳しいメイドの仕事を体感して、ミナトは軽く心が折れていた。
そんな時、目の端に映っていた扉が開いた。
「――ミナト、お疲れ。初日はどうだった?」
「お……」
そこに現れたのは黒いドレスに身を包む大人顔負けの美貌を持つ少女だった。
袖や裾には軽い生地がついていて、ミナトは視線を泳がした。
「――」
何故なら女性経験の少ない、否、全くないミナトからすれば、胸元のゆるいドレスは目に毒だったからだ。
「って聞いてる?」
「――っ、おお?何でしょうか?」
頭の中が真っ白になったミナトはリリエナの問いかけに気づかなかった。
すぐに意識を確立させ、問い返すと、彼女はため息をつき、もう一度話し出す。
「正直、私はミナトを信用してないの」
「……え?」
唐突に告げられる拒否宣言に、ミナトの体は石のように固まった。視界が渦を巻くようにして暗くなる。これがいわゆる『絶望』なのだろうか。
人の心とは単純だ。少し優しくされればすぐに態度を切り替える。
そして今回はミナトだった。人との関わり合いをバイトでしか消化できない日々に、虚無感を抱いていた。それを満たしてくれたのは他でもない目の前の――リリエナという女性だ。
そして今度はその女性にすら好かれていないことを知る。
これを絶望と呼ばずになんと呼ぶのだろうか。
しかし――、
「ごめんなさい。少し語弊があったわ」
救いの手が、光が、徐々にミナトの視界に映り始める。
「私はミナトを信用していない……けど、ミナトが本当に善人なら、私たちのことを信用させてくれるって信じてる」
「あ……」
「ありがとう」とそう言おうとした。しかし、それは何か違うなと思ったミナトは口を閉じた。
しかも、何度も「信じる」を連呼するリリエナの態度は、何度も裏切り続けられたミナトの心に響かないはずがなかった。
そして再び口を開く――、
「――任せろ!」
胸をトンと、一つ叩いてミナトは胸を張る。
そう、まだ始まったばかりなのだ。何もかも失い、持っていない少年の――ミナトの物語は、一にすらなっていない。
序章の序盤のスタートに、ミナトはひっそりと胸を高鳴らせていたのだった。
――――――――――――――――
「――はぁぁ眠い」
と、そんなかっこいい事を言い放った後に、この体たらくなミナトを見て、少し失笑するリリエナ。すると、彼女も一つ小さな欠伸をする。
「それじゃあおやすみなさい」
小鳥のさえずりのような心地よい聞き心地に耳を傾けながら、ベットの上に移動したミナトは目を瞑った。
「うん、お休みリリエナ」
「じゃ、また明日」
最後に二人は、明日に繋げる挨拶を口にして、リリエナは部屋を出て、ミナトは意識を眠らせる。
そして、使用人初日の疲れからか、一瞬にしてミナトは眠りについた。