8.専属娼婦(4)
パーティ―も終わり、屋敷の正門の前へと移動する。そこで当たり前のように馬車で帰ろうとする彼に、少し疑問を感じる。
「お酒入っているけど、大丈夫?」
言外に「酒を飲んで馬車を操るのはどうなのか」という意味を込めながら、彼に聞く。そのことに気付いたのだろう、じゃあどうするんだと言い返す彼。
「歩いて帰ればいいと思うけど」
私はいつもそうしてきたし、今回もそれと同じようにすればいい。そう思って言ったのだけど、何故か彼だけでなく、組織の若い人にまで反対される。「歩いて帰ろうとするのは姐さんくらいっス」って、ホントかしら。そう思いつつ、彼と組織の若い人が話すのを聞く。
「その『他の人』たちはどうしてるのか」
「多いのは俥っスね。手配するっスか?」
「それなら馬車も構わないと思うが……」
「でもそれじゃあ姐さんが……」
二人の、私の方をうかがう気配。でも、何となく口を挟むのも面倒になって、黙って聞き続ける。「御者を借りれるか?」「馬車を歩かせるくらいなら俥夫でもできると思うっスけど」そんな二人の会話に、そういえば飲み過ぎたかな、最後の方、なに飲んだかしらと、そんなことを思う。
「それでいい」
こちらをチラリと見てから、彼が組織の人にそう返事をする。組織の若い人が勝手口の奥に駆けて行って、もう一人の誰かを連れてくる。……えっと、結局のところ、どうなったのかしら。そう思いながら、彼の後ろについて歩く。行きと同じように馬車の扉を開ける彼。それに甘えて、少しふらつきそうになりながら、よっこいしょと馬車に乗って、座席に座る。彼が扉を閉めるのを待ってから、座席に体重を預ける。小さくて固めのクッションだけど、立っているのと比べれば楽ね。
あれ? 彼も入ってくる? 反対側の扉が開くのを見て、端に寄る。連絡窓にはさっき呼ばれてきたもう一人の誰か。ああなるほどと思う間もなく、隣に彼が座る。
動き始める馬車。隣では襟元を大きく開いて楽な服装をする彼。酔って襟元を開ける、わかるなあなんてぼんやりと。……ああ、座ってるだけで帰れるって、いいなあ。と、まだ今も仕事中。気を緩めてはいけない。
――ああでも、座ってるだけで移動できるのは楽。こんな日があっても良いなあ。姿勢を直しながら、そんなことを考えた。
◇
窓の外を見る。はらはらと雪が舞い始める。静かに歩く馬車に揺れる。……ああ、いい気分。酔ったなあ。酔ってるなあ。揺れに身を任せる。でもだいじょうぶ、まだまだ酔っていない。
肩に体温を感じる。そうだ、さっきもたれたんだ、彼に体重を預けながら思う。そっと見る。大丈夫、嫌がってはいない。少し困ってるだけ。ゆれて、ふれる。体温が伝わる。
よし、少しだけ余計に仕事しちゃおうかなあと気まぐれ、彼の少し慌てた仕草に気付く。懐から何かを取り出そうとしている。宝石箱? 「今まで渡しそびれ……」言いかけた彼の顔に手を添えて、こちらを向かせる。彼の手からそっと宝石箱を奪って、座席の上に。――主導権は私。話も、視線も、逸らすなんて許さない。身を乗り出すように、斜め前から、彼の顔をじっと見る。耳元に顔を近づけて、そっとささやく。
「ありがとう」
でも主導権は渡さない。心の中でそう付け加える。虚を突かれたような表情。隙だらけ。思ってたよりも初心みたい。――そのまま両の手で顔をそっと寄せて、ほんの少しの時間だけ、短く唇を奪う。
……と、今はここまで。ゆっくりと、自分の席に座り直す。
「……その宝石だが」
なおも何か言おうとする彼。そっと宝石箱を開ける。その中には、琥珀色の石と、その石の周りを舞い踊る小さな光。見たことのない不思議な美しさ。つかの間、二人で眺めて、そっと閉じる。
何か言いたそうにしている彼に気付かないふりで、窓の外を眺める。これが何かは後で聞けばいい。今、言葉は無粋。少しだけ心が奪われたあの光景に、そんなことを思う。
……これで、主導権は私のもの。続きは部屋に着いてからと、そんなことをこっそりと考える。
やがて馬車は「私の部屋」の前に停まる。彼と一緒に馬車を降りる。馬車はそのまま、どこか別の場所に。私たちは部屋の中に。一息ついてから、ベッドに並んで座って。――少しして、私の方から、彼にもたれかかって、彼を押し倒した。
◇
……翌朝、彼の隣で目がさめる。昨夜のことを思いだして、ため息一つ。別にダメじゃないとは思うけど、昨日は酔ってたなあと。――うん、昨日は酔ってたなあ。
彼を起こさないように、そっとベッドから出る。シャワーの準備と、並行して、簡単な朝食の準備。パンの入ったバスケットをテーブルの中央に置いて。ティーカップをそれぞれの席に並べて置いて、お湯を沸かし始める。
そうして、一通り準備を整えて。遠くで「朝日の鐘」が鳴り始めるのを聞く。その鐘の音を聞いて、決心する。――全く起きる気配を見せずにグウスカ眠る彼を、ササっと起こそうと。
◇
「地精石。大地の精霊が宿るという、少し特殊な石だな」
「――地精の亡骸」
朝のシャワーを手早く浴びて。朝食をとりながら、件の宝石について、彼の説明を聞く。宝石箱の中で舞い踊る光をたたえる不思議な石。その石を眺めながら説明を聞いて、思わずつぶやく。――地精の亡骸。帝国を近代化させた力の源、転換炉。その施設は、力と共に、その力の残骸も毎日のように生み出しているという。
大地の力の残骸。無念を抱いたまま力を使い果たした地精の亡骸。そんな帝国の闇を象徴するかのような話を思い浮かべた私のつぶやきを、彼はきっぱりと否定する。
「少し違う」
彼は説明する。地精石というのは、地精の亡骸だけを指していう言葉ではない。地精の感情を宿す全ての石を指して言う言葉だと。
転換炉で生み出された、怨嗟に満ちた「地精の亡骸」は、その持ち主に災いをもたらす。だけど、その怨嗟もやがて抜けて、無害な「地精の遺石」になる。そして、安らぎを得た遺石は、持ち主に幸運をもたらす「地精の宿石」となる、と。
――そして、彼に贈られたこの宝石は「地精の遺石」のはず、らしい。
「地精の遺石は、精霊と意思を重ねられる聖職者によって安らぎを与えられ、宿石となる。この聖職者というのは生まれついての才能で、壁の向こうにもそこまでいる訳じゃない。だから、遺石と比べると宿石は数が少なく、それなりの価格で取引されている」
だから、もしその聖職者の才能のある人が壁の外に居て、遺石を安らぎを与えて宿石にできるとしたら? それは結構な稼ぎになるだろうと、そう私に説明をする彼。
呆れたことに彼は、そんな商売の話を、あの馬車の中でするつもりだったらしい。……そりゃあ、私も御者のことを忘れてあんなことをしたけど。そんな私が言えたことじゃないかもしれないけど。やっぱりそれもどうかしてると思う。
「これ、光らなかったら、ただの綺麗な石ね」
「宝石なんて、どのみちただの綺麗な石だろう」
……本当、彼もいろいろとどうかしてる。今この宝石が光を踊らせていなかったらどうなっていたか。そう考えると、この踊る光は色々と奇跡よねと、そんなことを思う。
◇
やがて、「朝の鐘」の頃になって。再び迎えに来た馬車に乗った彼を、手を振って見送る。……デュチリ・ダチャまで送ろうかという彼の申し出は丁重に、適当な理由をつけてお断りをした。とりあえず今は、あの御者の操る馬車には乗りたくない。――本当、昨日は酔ってたなあ。
最後に部屋を片付けて、戸締りをする。来た時と同じ服装と荷物と、一つだけ増えた宝石箱とその中の、ネックレスに加工された宝石を携えて、デュチリ・ダチャへと歩く。道すがら、マムに宝石のことをどう話そうかと考えながら。
◇
こうしてミラナの日常はまた一つ、普段通りのことと普段とは違うことを積み重ねながら、過ぎていく。――帝国から来た「客人」と運命が交錯する、その日まで。
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飛び領地邸の仮面夫婦
第一章 娼館[デュチリ・ダチャ] 了
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――部屋を出てから十数分後。ミラナはデュチリ・ダチャの正面玄関の前で、普段とは違う光景を目にする。
彼が手配したのよりも大型の、威圧感のある馬車。十人ほどの銃を捧げた屈強な男たちが、馬車の両側に並ぶ。腕っぷし自慢な組織の若者たちが醸し出すのとはまた違った形の威圧的な光景に、思わず足を止める。
馬車に掲げられた旗。あれは確か帝国の旗。過去に読んだ本の知識を思いだす。統一された制服に統一された銃。ああ、あれはきっと帝国の軍人だろう。異質な光景に衝撃を受けたことを自覚しながら、そんなことを考える。
……ここで立っててもしょうがない。とりあえずデュチリ・ダチャに入ろうと、裏口の方へと向かう。
裏口からラウンジに出る。先の軍人と同じ服を着た男二人を引き連れた女性が、マムとロビーでやりあってるのを見る。――そして、その光景を、あのカウンターメイドの娘が身を隠しながらも聞き耳を立てているのを目撃して、少しなごむ。
「(なにか凄いことになってる?)」
「(そりゃあもう。……えっと、ミラナさんですよね)」
カウンターメイドの娘に小声で話しかける。私のことを、多分名前だけ知ったのだろう、そう返事をするカウンターメイドの娘に、ここまでの経緯を聞く。……といっても、経緯は見ての通り。いきなりあの馬車がデュチリ・ダチャの正門の前に停まって、あの女性が護衛を引き連れて入ってきた。で、ロビーで私を呼び出そうとしたところでマムが出てきて追い返そうとしていると、そんな話。
「どっちにしろ、アンタを取り次ぐ訳にはいかないね。もう少し、筋を通してから来な」
と、そんなことを話している間に、向こうは大体話がまとまったのだろう。マムのきっぱりとした拒絶に、その女性は了解を示す。
「わかりました。筋とやらを整えてから出直させてもらいますわ。――では、改めて名乗りを。わたくしは帝国軍帝領政務部物資統制官エフィムの副官、レヴィタナ家のスヴェトラーナと申します。以後お見知りおきを」
最後にそんな言葉を残して、一礼してから踵を返す女性。その女性の立ち振る舞いに、不覚にも見惚れる。
――それは、私が今まで磨いてきた立ち振る舞いとはまた違う、規律と優雅さが混じりあった、美しく洗練された所作だった。
※ 俥:人力車のような、人の力で動かす車。
これにて第一章は終了です。幕間話をはさんだあとに第二章に突入します。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。ここまで読んでいただいたことが、何よりの励みになります。この作品を読み進め、楽しんでいただけるのであれば、作者としてこれに勝る喜びはありません。
もしよろしければ、これからも、どうぞよろしくお願いします。