16.のどかな商談
ミアゴーラ・グラジーニャから飛び領地へと戻るその帰路、グロウゴラッドの駅で。飛び領地邸からの迎えの馬車に乗って、荷物が運び出されるのを待つ。
と、今回の商談で手に入れた鉱石やガス製品に、いつもの農作物や香料を初めとした商品たち。……それに混じって、かなり奇妙な「荷物」が、人にひかれて、四本足でのっそのっそと歩いている。
「……アレ、何?」
「さあ。私たちに心当たりが無いのなら、答えは一つだと思いますが」
「……そうね。私たちも意外な『荷物』を持って帰ってきたし、言うのは筋違いかしら」
馬車の中、外の「荷物」を眺めながら、スヴェトラーナと話す。……私たちも、自分たちだけで新しい商談をとりまとめて予定にない荷物を運んできたのだから、エフィムが自分だけで商談をまとめることもあるだろうと、そんなことを思いながら。
その、「もぉ〜」と鳴く、以前どこかでみたことがある「荷物」を眺めながら。
◇
そうして、飛び領地邸に戻ってきて。さっそく、出迎えてくれたエフィムに話しかける。
「おかえり。何か意外なものを運んできたみたいだね」
「そちらこそ。……どうして牛を買ったりしたのですか?」
「そりゃあもちろん、組織に手に入らないかと言われたからだけど」
そんな言葉を交わしてから、それぞれの部屋に戻って旅装を解いて。人心地ついて、再びいつもの玄関ロビーに集まって、報告会という名の情報交換を始める。
「組織から、グロウゴラッドで牛を飼うことはできないかと相談されてね。最初は無謀だと思ったんだけど、色々話を聞いてみたら案外いけるんじゃないかと思ってね。試しに数頭飼ってみようと、そんな話になったんだ」
最初はエフィムから。順調に商売を拡大していく組織だけど、それに伴う農地拡大や香草ゴルディニスの増産も順調に進んでいるらしい。で、餌になりそうな草や穀物の藁にも余裕ができてきた。色々と落ち着いてきたところで、新しい試みとして、家畜の種類を増やしてみようと、そんな話みたい。
「で、牛を名指し、ですか。……なんで牛なのでしょう?」
「さあ。理由は特に聞かなかったけど……」
話はわかりました。けど、なんで牛なのでしょうというヴェトラーナの疑問に、組織からそう注文があったからとエフィム。ただ、その理由まではとエフィムが言いかけたところで、プリィがそっと言葉をはさむ。
「昔を取り戻したい、ということだと思います」
そんな言葉で始まるプリィの説明。ずいぶん昔、ここに冬の王国があった頃は、牛も飼われていたらしい。が、大河が凍り、大地が雪で埋もれて農地を失い、餌となる草が手に入れられなくなる。その後、再び農地を作り食料生産を始めるが、以前のように家畜の餌となる藁を手に入れることが叶わず、家畜は数を減らしていき、牛は完全に絶滅する。
そうして時間が経って。食料を始めとした「生きるための資源」の奪い合いが暴力組織を育て、土地を巡る抗争に明け暮れながらも、終わらない冬に少しずつ対応して、生産量を増やしていき、ようやく人口を賄うのに十分な量の食料を生産するに至る。
「で、過去に育てられてた牛をもう一度と、そんな話だと思います」
プリィの話に、エフィムが「なるほど」と頷く。
「僕は街の事情にそこまで詳しくないけど、組織が街の豊かさのためにお金を使おうとしているのはいつも感じるよ。ただ、大量にとれる『香草ゴルディニス』を使って育てられるか試したいとも言っていたからね。ゴルディニスの有効活用も狙ってるんじゃないかな。何せ、牛を育てるには大量の草が必要だからね」
頷きながらのエフィムの説明に、感心したのか、なるほど〜と少し地が出たプリィの言葉。……プリィが知っている組織は多分、私が知っている組織よりも暴力組織寄り。そんな組織が、食料を生むことでその存在意義を示そうとしていることに、色々と思うこともあるのだろうと思う。
◇
次は私たち、ミアゴーラ・グラジーニャでの商談の報告。まずは資源鉱石の商談……は、一言で言えば予定通り。何せ、相手は帝国管理下にある商会で、決められた手順で決められた手続きを取れば、予定通りの結果になるのがあたり前。……というわけで、型通りの報告を終える。
そして次、本題とも言えるガス製品の報告。持ち帰ってきた製品を、大型のガス製品から小型の試作品まで、一つ一つエフィムに説明して、これらの製品を組織に見せて組織に売り込むつもりだと、エフィムに説明する。
その説明に、エフィムは少し考えてから頷く。
「そうだね。悪くないと、僕も思う。ただ、もう一押しが必要かもね」
「……そうね。話を持っていくだけでは厳しいかもしれないわね」
エフィムの言葉に、少し考えて頷く。ガスの生産地、ミアゴーラ・グラジーニャは遠い。燃料となるガスが無くなるたびにボンベごと買っていては割高になる。ミアゴーラ・グラジーニャまで運べば充填できるが、空のボンベをミアゴーラ・グラジーニャまで運ぶのも無料じゃない。その費用は、そのまま価格に跳ね返る。そのあたりをどうするのかは、もう少し私たちで詰めておいた方がいいかもしれないと、私も思う。
「でもまあ、一度は製品を組織に見せないと話は進まないか。……その時までに、僕たちで何ができるのか、詰めておこうか」
話をまとめるようなエフィムの言葉に一同が頷いて。そのまま、「もう一押し」について、案を出し始めた。
◇
そうして、いくつかの案を出して。ざっくりとした方針も見えてきたところで。息抜きもかねて、飛び領地邸の厩舎の片隅に増えた新たな住人たちの様子を見に行く。
新たな住人たちの数は四頭、以前帝国で見た白黒まだらの牛と、淡い茶色の牛が雌雄一頭ずつ。白黒まだらの牛はびっくりするほど多くの乳を出す品種で、もう片方の淡い茶色の牛は温厚で力が強くさまざまな労役もこなして、さらに乳も出すという万能選手らしい。ちなみに両方とも温厚で従順と、なんというか、びっくりするほど人間に都合がよくできているらしい。……さらに、どちらも寒さに強いらしい。どうやら、この街の人間にもしっかり都合よくできているみたいね。
で、その四頭の牛には、馬とは違う餌が与えられている。丈は一メートル程もある草で、独特な、酸味と甘さが混じった香りをほんのりと放つ香草。……実物を見るのは初めてだけど、この香草で香りをつけた酒が、どうしてあんな薬のような味になるのか、少し不思議。
「……それにしても、よく食べるわね」
「そりゃあ、草だけであの体を維持しようとすればね」
それに、草だけであれだけの体を維持できるのも価値の一つだからねというエフィムの言葉に、なるほどと頷く。
……と、いうわけで。牛がゴルディニスを食べることをこの目で確認したところで、改めてどう世話をするかを相談をして。
この日から、兵士たちの日課に牛の世話と、裏庭をきれいに除雪して牛たちを散歩させたり乳を絞ったりという仕事が追加となる。兵士たちの中には、リジィを始めとして家畜の世話に詳しい人もけっこういて、数日もすれば、その人たちの中で自然と役割分担も決まる。
……なんというか、エフィムの兵士たち、意外と多才というか多彩というか、いろんなことができる人が多いと思う。
◇
そうして、数日が経過して。牛の乳は兵士たちに好評で、このままここで飼い続けてもいいんじゃないかという話も持ち上がる。同時に、ゴルディニスを家畜の餌として仕入れることはできないかという話もでてきて、組織に話をもちかけてみようと決まる。
ガス製品を組織に売り込むための「もう一押し」もまとまって。そして、組織との話し合い日を迎える。
◇
今回の、組織との話しあいの場所は飛び領地邸。迎えるのはピリヴァヴォーレとあと数人、組織の人に職人さん、あと畜産に詳しい人。鉱石だの牛だのを組織の本邸に持ち込んでもしょうがないということで、ここで話をして、そのまま工房だの牧草地だのにそれぞれ持ち帰ると、そんな段取り。
で、ミアゴーラ・グラジーニャで仕入れた鉱石については、そのまま職人に渡して鉄なり銅なりを作ってみて品質を確認して、全てはそこからということで、あっさり話が終わる。
エフィムが仕入れてきた牛の話については、とりあえずゴルディニスをおいしそうに食べていたけど、今後も問題ないかは要観察と、そう報告をする。牛たちは組織に引き渡した上で、当分の間は牛に詳しい兵士を組織に派遣するという形で合意を取る。……そうそう、ゴルディニスを家畜の餌として買うことはできないかと持ちかけたけど、それは断られた。ゴルディニスを使った酒、ゴルディクライヌは組織の収入源で、特に帝国相手の商売では主力だ。そんな気軽に渡せるわけねぇだろというピリヴァヴォーレの言葉に、それはごもっともと頷くしかなかった。
そして最後。私たちが持ち帰ったガス製品について話す。突然の話に呆れながらも、興味深く説明を聞き、製品に触れるピリヴァヴォーレ。その値段にもう一度呆れて、小型の製品は量産されていないが数が見込めるのなら生産を再開すると聞いてさらに呆れて、そして……
「今後も使い続けるのが見込めるのなら、支払いは俺たちの金でもいいというのは、本気なんだな。……正気とは思えねぇんだが」
飛び領地邸で考えた「組織に買わせるための一押し」に興味を惹かれつつ、ピリヴァヴォーレは呆れた声を上げる。
「ええ。ただ、実際にはレヴィタナ家の資金で購入することになるので、その限りにおいて、ですが」
「……帝国貴族が俺らの金を手に入れて、何の得があるって言うんだ」
「もちろん、後日、商売がさらに広がってここのお金に需要ができた時に、売ってお金に変えて利益を出す予定ですが」
大きな利益が得られるような商売ではないけど、手数料程度は上乗せできる。レヴィタナ家はここの商売に深く関わっているから、ここのお金を持っておくのも悪い選択肢じゃないとはスヴェトラーナの見解で、すでにレヴィタナ伯にも同意はとってある。
……というか、レヴィタナ伯はガスの事業化にかなり乗り気で、他にも色々と動き始めているらしい。
「こちらは急ぎませんので、決断したらいつでも言っていただければと思いますわ」
「……商売が当たるかどうかなんてわかんねぇだろ。ったく、マジでどこまで正気なんだか」
スヴェトラーナの言葉に、呆れたようなピリヴァヴォーレの言葉。――そんなピリヴァヴォーレの態度に、なんとなく、レヴィタナ家の思惑を察しているのかしらと、そんなことを思った。
◇
そうして、一通り話を終えて。帰る間際にピリヴァヴォーレが、これから「牧草地」、ゴルディニスの生い茂った草原に牛たちを連れて行くが見てみるかと声をかけてきて。そう簡単にお目にかかることのできないゴルディニスの生産地に興味を覚えたのだろう、エフィムは一も二もなく頷く。……実際、この街の住民でも実際にゴルディニスを育てているところを見る機会はほとんど無いし、私も正直、興味はある。
と、いうわけで。飛び領地邸の留守はドミートリに任せて、私たち全員でその「ゴルディニスの草原」へと行くことになった。
◇
そうして案内されたのは、街の中心から見て飛び領地邸とは反対側の、街の外にある堤防の上。眼下には広い、雪のない草原。その草原の中を四頭の牛たちがのっそのっそと歩く風景を見下ろしながら、ピリヴァヴォーレが言う。
「このあたりの堤防は、元々二重になっていてな。見ての通り、そのすぐ内側はいい感じの平地になってるって訳だ」
堤防があれば、その内側には河が流れていると、普通はそう思う。人を喰らう河となった氷の大河グラニーツァリカは、たとえ堤防の上でも安全とは言い切れない。なので、わざわざ近づいてこようなんて奴もいないし、その内側に大規模な農地があっても意外と知られることはない。要所要所で組織の荒くれ達が見張りに立っていればなおさらだろう。……まあ、別に隠してる訳でもねぇんだけどなと、肩をすくめながらピリヴァヴォーレが言う。
大昔、冬の王国がこの地を支配していた頃の、治水を兼ねた耕作地の名残りとなる土地。そこに残された水路を使って、大河の水を耕作地に引き入れる。そうして、その土にたっぷりと大河の水を染み込ませてからせき止める。
やがて、大地に染み込んだ大河の水がゴルディニスの草原を作る。その一部を残してゴルディニスを刈り取り農地にする。残したゴルディニスが雪を溶かし、その雪解け水が作物を育てる。
そうして、土地がやせるまで作物を育てたら、再び大河の水をひきいれて土地を休ませる。ゴルディニスが生える頃には、再び作物が育つ土地へと回復している。
「何故か、ちょっとありえないほどに回復するらしいけどな」
「……大河の水だから、かな。冬精は休息の象徴だからね。普通よりも土地は休まるんだと思う」
「なるほど、そいつは面白ぇな」
ピリヴァヴォーレとエフィムの会話を聞きながら、眼下に広がる草原を見る。短く刈り込まれたゴルディニスの草原と、まだ刈られていない、身の丈ほどの高さの草で覆われた草原。馬車に乗ってその草原を刈り込む人たち。
その風景を見て、今度はスヴェトラーナがピリヴァヴォーレに質問する。
「何で皆、馬車で中に入ってるのですか?」
「まだ冬精が残ってるから、だな。消えかかってるとはいえ、冬精は冬精だ。何も対策せずに入ったら命はねぇよ。――だからテメェらもあの原っぱには近づくなよ。喰われても文句は言わねぇからな」
「……それはまた、ずいぶん物騒な草原ですわね」
「物騒なのは人間限定だけどな」
消えかけとはいえ、人を襲う冬精がたっぷり染み込んだ土地。人間が歩いて入れば、いずれ冬精に襲われる。氷の大河ほどの力は無くとも、指や腕を食いちぎるくらいには凶暴で、何の備えも無ければ間違いなく殺されると、そういう話らしい。
冬精が襲いかかるのは人間だけで、動物には襲いかからない。現に、馬車を引く馬も私たちが連れてきた牛も、何ごともなく歩いている。そして、消えかけの冬精には、柔らかい人体を喰いちぎれても、鉄で身を守った人間を喰うことはできない。だから、隙間なく鉄板を貼り付けた特製の馬車でなら入ることはできるし、鉄製の小手や腕鎧をまとえば腕を出して作業もできる。全身鎧で身を守れば、身を乗り出して作業することもできる。
――かつて、この地にあった冬の王国は、一年の半分が雪で埋もれるという寒冷地にありながら、広い大地と豊かな水に支えられた食料生産国だった。
国境の大河が冬精に支配され、辺境の冬が明けなくなって、最初に消えたのは土と草だった。毎夜降り積もる雪は地面を隠し、冬が終わっても降り続ける雪は溶けずに残り、一度隠れた地面はそう簡単に掘り起こすことも叶わない。それは当然、農業を初めとした食料生産に大打撃を与える。国内は混乱を極め、王家の権威は地に落ち、またたく間に国は崩壊した。
……そうして、かろうじて最初の一年を乗り越えた人々は、冬精に支配された人を喰らう国境の大河のほとりに、今まで見たこともない背の高い草が青々と生えた、雪が積もらない草地ができていることを発見する。
それは、雪に埋もれた辺境の地の食料生産の新たな出発点。わずかながらの耕作地を得た辺境の人々は、そこで穀物を始めとする食料を作りはじめ、奪い合い争いながらも、その土地のことを解き明かしていく。国境の大河に流れる「人を喰らう水」が草地の草を育て、その草が、その土に染み込んだ「人を喰らう水」を、無害なただの水に変えることを突き止めた人々は、その草地に生えた草に「香草ゴルディニス」という名を付ける。
そして、人を喰らう大河の水をも利用して農地を広げ、食料の生産量も増やし、その水を使う技術を発展、洗練させる。その生産力を豊かさのために振り分け、争いが収束の気配を見せるほどとなったのは、つい最近のことだった。
「実は、グラニーツァリカの氷の下には、結構な量の魚が泳いでてな。河の水を農地に引き入れるときに結構な量がとれるんだが、その魚の中にも冬精が住みついてるみてぇでな。こんな小さな魚のくせに人間一人を丸ごと喰らう上に、焼いて食うと冬精が腹を食い破って出てくるんだぜ。おかげでもっぱら家畜の餌だ。なぁおい、無茶苦茶な話だと思わねぇか?」
「……そんな水で育てた香草を使って酒を作っていたのですか?」
「ああ。それだけで安酒が美味い酒になる。悪くねぇだろ?」
スヴェトラーナの質問に、しれっと答えるピリヴァヴォーレ。その言葉に何か言いたげなスヴェトラーナをよそに、思う。
――ゴルディクライヌは美味い酒というよりは、「ぎりぎり飲める安酒じゃないかしら」と。




