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飛び領地邸の仮面夫婦  作者: 市境前12アール
第七章 新しい日常、過ぎゆく日常
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閑話 黄と赤の双色宮殿にて、他

 帝都中央管区の中心にそびえ立つ帝国の権力の源、黄と赤のジョルタ・クライスニ・双色宮殿(ヴァリエツ)。最上階に皇帝を擁する、帝国の中枢。


 その皇帝の居室の一つ下、帝国を実質的に支配する政治将校たちの居城、特務総軍参謀官政務室の一角、特務総軍参謀長付武官政務室。帝国の実質的な最高権力者である特務総軍参謀官ヴィスラフ・パレーエフの執務室。


 その、選ばれた人間しか入ることのできない場所で、特務武官ロマーノヴィチは、自身の書いた資料――帝国軍帝領政務部物資統制官エフィム・ストルイミンの、帝国内における直近の動静を記した報告書――を、目の前に座る最高権力者が無言のまま読み進めるのを、直立不動のまま、静かに待ち続けていた。


  ◇


「本来の任務からは逸脱しているが、問題になるほどの規模でもない。……想定通りか」


 特務武官ロマーノヴィチの報告に目を通し終えて、特務総軍参謀官ヴィスラフ・パレーエフは頷く。物資統制官エフィムの辺境における「公式的な任務」はあいまいで、一見すると公私混同のように見える。……が、その「本来の任務」、壁の外の勢力と非公式に接触し、帝国にとって都合のいい勢力との関係を維持し、都合の悪い勢力の発生を抑えて力を削ぐ。


 こういった「裏表のある任務」に関しては、民間出身の、全てを法で縛ることで秩序を守ることに慣れている政治将校は不得手だ。故に、「柔軟な対応」を取ることが得意な貴族どもに任せ、代わりにちょっとした役得を認めているのが現状だ。


 エフィムがその任についてから、彼の手によって、帝国と辺境との関係は大きく変わる兆しを見せている。一つの勢力を積極的に育て上げるような彼の行動。それは、外部からパワーバランスを調整することで情勢を調整する「本来の任務の形」から逸脱はしているが、これまでとは違う形で任務を達成しているとも言える。だが……


「は。想定通りであります。今のところは、ですが……」

「時間の問題である、と」


 特務武官ロマーノヴィチの言葉に、特務総軍参謀官ヴィスラフは頷く。確かに彼の者の行動は、今は問題ではない。だが、彼の任務がこのまま上手く進めば、何れ別の問題を引き起こすことになるのは明白。


「は。あまりに大きい権益を貴族共にくれてやる訳にはいかぬかと」


 ロマーノヴィチの言葉に、再び特務総軍参謀官ヴィスラフは頷く。エフィムによって生み出されようとしている利権。それは、任務の副産物とするには大きくなりすぎる危険をはらむ。我が国は、もはや血によって選ばれた皇帝と貴族が治める国ではない。

 国民より優秀な者を試験によって選出し、選ばれし者が上に立って大衆を導き治める、新しい形の国。旧態然とした貴族は、存在すら望ましくない。過度期ゆえ、混乱を避けるために残しているだけだ。


――故に、貴族共にはこれ以上与えぬ。この任務も権益も、時が来れば貴族共の手から取り上げる。それは、我が政治将校たちの共通認識だ。そんな考えが二人の頭をよぎる。


 と、特務総軍参謀官ヴィスラフ・パレーエフは、手にした資料を机の上にポスンと置く。


「まあ、その話は『その時』で良いだろう。報告はこれだけか」

「は。それでは、失礼します」


 その動作と言葉から、退出の意を汲み取ったロマーノヴィチ。最後に敬礼をし、踵を返す。


 そうして、彼が部屋を出る寸前。特務総軍参謀官ヴィスラフは、ロマーノヴィチを呼び止める。


「同志ロマーノヴィチ」


 特務総軍参謀官ヴィスラフ・パレーエフの言葉に、特務武官ロマーノヴィチは足を止める。


「貴君の、私心なき働きを、今後も期待する」

「……は。もちろんであります」


 続く特務総軍参謀官ヴィスラフ・パレーエフの言葉に、ロマーノヴィチはほんの少しだけ間をおいて、短く返答。そのまま部屋を出る。そんな彼の後ろ姿を見ながら、特務総軍参謀官ヴィスラフ・パレーエフは考える。


 特務武官ロマーノヴィチ。学識に優れ向上心にあふれる、若きエリート。だが、平民を見下し、貴族階級に対して対抗意識を持ち、身分を鼻にかける傾向が見え隠れする男。それに加え、最近では壁の外の辺境民を殊更に蔑視している様子も見受けられる。


……今回の報告でも、エフィム・ストルイミンが連れまわしているという辺境の人間が存在感を示したことが癇に障ったことを、隠すことができていなかった。愚かにも。


 辺境の街、グロウ・ゴラッド。推定では十万を超える、正確な人口は不明な都市。産業も文化も、武力すら不明。だが、それだけの人口を抱え、冬に閉ざされながら、人が生活し、交易を行うだけの力がある都市。


 そんな独立都市との、今は取るにたらない、ほんのささやかな交易権。だが、もしそれが、本当に大きく成長するのなら。貴族どもにめこぼしするには大きすぎる利権が、ストルイミン家とそれに協力するレヴィタナ家の手に渡ることになる。……このまま、何事もなければ。


 特務武官ロマーノヴィチという差別心を制御しきれない男は、それを放置しない。下民を見下し異民を見下し貴族に対抗心を抱き、他者を踏み台にして上を目指す、ある種典型的なあの男は、その時には、きっと何かをするだろう。自分の手柄となる何かを。


 それが上手くいけばいい。それは我が国の、我が同士たちの力となる。

 上手くいかなくてもいい。その時は彼を処断し混乱を治め、我らが治めればいい。どちらも、我らにとって損はない。


 必要なのは一定以上の規模の騒乱だ。それさえあれば、他は問題ない。血に依らず人材を確保する我らにとって、人材は無限の資源。どう処罰されようが、それが我らの益になるのなら、彼も本望だろう。特務総軍参謀官ヴィスラフ・パレーエフは淡々と、そんなことを考える。


 そうして彼は、次の仕事へと思考を切り替える。無限に続く仕事を淡々と処理していった。


  ◇


「こんな楽器が、この屋敷にあったのね」

「ええ。そういえば、見せたことはありませんでしたわね」


 ストルイミン家の祝宴を終え、エフィム、スヴェトラーナと飛び領地邸に戻ってきて。私がどの位、「帝国の社交的な踊り」を踊れるのかを確認するために、スヴェトラーナが管理する広間に集まる。


 そこで、黒い大きな鍵盤楽器を見て驚く。この楽器をスヴェトラーナが演奏できると聞き、実際に軽く演奏したのを見て聴いて、その演奏に感心する。


「凄いわね」

「この位は教養ですわ」


 私の言葉を、軽い苦笑とともに、スヴェトラーナは軽く受け止める。教養というが、この演奏が一朝のものでないことはわかる。……人に聴かせるためではない、自身が楽しむための演奏のように感じるけど、それ故の、静かな曲なのに踊りたくなるような小気味よさがある。


「で、社交(こっち)の踊りは会得できそうかしら?」

「あのときは見様見真似だったけど、少し練習すれば踊れるようになると思う」


 演奏しながらのスヴェトラーナの質問。その質問に答えてから、エフィムの手を取り、軽く踊り始める。軽く揺れて歩く、帝国貴族たちの嗜む踊り。それを見よう見まねで踊りながら、スヴェトラーナの視線を感じて、その好意的な感情にむずがゆさを感じる。


「さすがだよね。この前もだけど、とても初めてとは思えないよね」

「そう? 誰でもできるんじゃないかしら? ……精霊はずるいわね」


 エフィムとステップをあわせながら、言葉を交わす。……実は、スヤァを通してエフィムのステップのイメージが伝わってきている。私はそれに合わせて、身体を動かせばいいだけ。きっと私の動きもエフィムに伝わっているのだろう。これがなければ、何度もエフィムの足を踏んでいたと思う。……これで賞賛されることはやっぱりずるいわね。


「誰でも、は無理じゃないかな。わかっても、普通はその通りにステップを踏めないよ」


 エフィムの言葉にそうかしらと思いながら、身体を動かし続けて。やがて、一曲を踊り終える。


 しばしの休憩。そこで、エフィムやスヴェトラーナと言葉を交わして。帝国にとっての踊りや楽器といった「教養」について、少し話をする。……その内容に、眉をひそめる。


「つまり、人に見下されないために踊りを覚えると。……少し嫌ね」


 帝国貴族というのは、他者がどれだけ素晴らしい特技を持っていても、「貴族の教養」を身につけていなければ、それを高く評価することはない。

 私の舞いも、帝国貴族たちに披露するつもりなら、まずは「社交のありふれた踊り」を身につけていることを示さないといけない。……もちろん、それ無しで高く評価する人もいるけど、それは個人の域を出ないと、そういうものらしい。――そして、「貴族の教養」というのは、みっちりと練習すれば素人でも二月か三月で形になる、その程度のものだとも。


……何というか、相当に嫌な感じがする。この街を支配する「組織」は粗野で乱暴で、決して人のいい支配者ではない。が、こういう嫌な感じはしない。


 と、そんなことを考えていた私に、エフィムは言う。


「まあでも、人を見下すために踊りを覚えるよりは良いんじゃないかな」


……たまにエフィム、帝国貴族に対してものすごい毒を込めた言い方をするわねと、そんなことを思いつつ、なおも続くエフィムの話に耳を傾ける。


「貴族の言う教養というのは、つまるところそんなものさ。たった数ヶ月で身につけることができる程度の『教養』で、我々は他とは違うと、自分たちに都合のいい価値観を広げて人の上に立つ。そんな、自分たちに都合のいいものでしかない。そしてそれは、今帝国を実質的に治めている政治将校も同じ。自分たちと、少しだけ民に都合のいい価値観を新しい常識として国内に広めて、人の上に立っている。……どれだけ素晴らしい踊りも、そんな彼らの価値観を認めて同じ土俵に立たないと、下賤な踊り子扱いされて軽んじられる」


……今日のエフィム、ちょっと毒が強すぎじゃないかしら? そう思いながら、一言、正直な感想を口にする。


「私の思う教養とは大違い。嫌な話ね」

「そうですわね。でも、どこにでもある話ではないかしら?」

「……そうね。どこにでもある話ね」


 スヴェトラーナの言葉に思う。私たちがよく接している人たちは、壁を超えた交易に前向きな、いわば友好的な人たち。そういう人たちに囲まれていると忘れそうになる。辺境の人たちだって、帝国人をよく思っていない人も多い。当然帝国人にもそういう人は多いはず。


……そして、同じ辺境の街の人だって一枚岩じゃない。きっと帝国もそう。スヴェトラーナの言う通り、よくある話なのだと思う。


 と、どこか暗くなりかけた空気を感じたのか、それを吹き飛ばすように、スヴェトラーナが明るい声で話しかけてくる。


「そういえば、この前のあなたの『舞い』は見事でしたが、楽器は?」

「そうね、リュートなら少々。でも、そこまで得意じゃないわ」


 一応私も、他の人が舞う時の伴奏として、最低限の演奏はできる。でも、こっちは舞いほど得意じゃない、本当に嗜み程度のものだけど……


「舞いもですけど、楽器も珍しいものを嗜んでますわね」

「そう? むしろ帝国の方が珍しく見えるわ。このピアノ?、一つの楽器にいったいどれだけのお金をかけているのかしら? この『輪舞曲』という曲も面白い。今度弾いてみたいわね」

「そうですわね。その時はぜひとも呼んでいただきたいですわ」


 そもそも、音楽や舞いのあり方すら違う。この前の交流会のような、複数の人が絶え間なく、常に音楽を流し続けて、好きな時に舞うなんて、この街では考えられない。


 と、再び演奏を始めるスヴェトラーナ。それに合わせて、もう一度、エフィムと踊り始める。……やっぱり精霊はずるいと思う。


……と、ふと悪戯心で、大きくエフィムを振り回してみる。


 当然のように対応するエフィム。そのままの勢いで、今度は私がくるりと引き寄せられ、右手から左手へとつなぐ手を替えて、さらに離れて引き寄せられる。大きく移動する部屋の中の風景。今度はプリィの浮かべた表情に、やっぱり精霊はずるいかもと思いながらも、素直に思う。


――これはこれで楽しいかもしれないわね、と。

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