9.ストルイミン家の小祝宴(1)
神父様が飛び領地邸を訪れてから半月ほど経過して。今度は私たちが帝国に足を運ぶ。行き先は帝都郊外にあるという、エフィムの実家であるストルイミン家の別宅。私たちの商売も軌道に乗り始めたということで、ストルイミン家に近しい人たちを集めて、ささやかな祝宴を開くという話らしい。
「まあ、祝宴というのは建前ですわね。エフィム様があまりに実家と疎遠になさるので、一度は顔を見せろと、そういうことですわ」
帝都に向かう列車の中、優雅に茶を嗜みながら言うスヴェトラーナに、はははと笑うエフィム。普段はエフィムかスヴェトラーナのどちらかが飛び領地邸に残るのだけれど、今回はめずらしく、両者揃っての移動。結果、エフィム、スヴェトラーナ、私、ホーミス、リジィ、プリィに護衛の兵士二人の計八人の旅で、例のレヴィタナ家の紋章を掲げた貴族専用車両を使っての移動と相成った。
「別に、仲が悪いわけじゃないんだけどね」
「そうですわね。ただ、積極的に距離を縮めようともしないだけですわ」
言い訳のようなエフィムの言葉に、ティーカップを手にしたまま即座に言い返すスヴェトラーナ。その言葉に、エフィムは少しばつが悪そうに笑う。
……なんとなくだけど、エフィムは実家であるストルイミン家と距離をおいているのは感じられるし、きっとストルイミン家の方もそれに任せていると、そんな感じなのだと思う。
「と、そろそろ要塞都市――グラニーツァ・アストローク――ですわね」
と、スヴェトラーナのそんな言葉と共に、空気が変わる。……これまで帝国と往復するたびにスヤァを通して感じてきた、冬精と地精とが入れ替わる気配。そこに、今までと違う、不快なほどな暑さの感覚がまじる。そんな私の戸惑いを感じたのか、オットトが話しかけてくる。
(そりゃ、もう夏だからね。空気も春とは違うよ)
そのオットトの言葉を、「帝国の夏」を知らない私は、なるほど、そんなものなのねと、そのときは軽く受け取っていた。
◇
それから、時間が経つにつれて。列車の中の空気が変わって、暑く、不快な空気に変わっていく。途中、プリィが準備してくれていた、まるで寝間着のような薄手の服に着替えたのだけど、それでもなお暑い。……よく見ると、プリィの使用人服も、普段とは違う薄手のつくり。当然のように「知っていましたので」とすました顔で答えるプリィに、そういえばこの娘も元々は組織の幹部の娘だし、この「夏」のことを知っていてもおかしくはないわねと思い至る。
それでも、夕方を過ぎて夜になる頃には、この不快な暑さも和らいで。慣れもあって、列車を降りるまで、そこまで不快な気分にもならずに過ごすことができた。
本格的に「夏」を思い知ったのは、帝都の直前の駅で列車から降りて、駅のホームに立った時。列車の中がまだ涼しくて、快適だったことを思い知る。肌を焼く日差しに地面からも上がってくる熱気に、体力が奪われていくような感覚を覚える。
そのまま駅を出て、待っていた馬車に乗る。ああ、日差しを遮る屋根がありがたいとホッとしていると、ほどなくストルイミン家の別邸に到着する。――そこには、別邸というには立派な建物。
「代々伝わる立派な家名に、それにふさわしい邸宅。そこで開かれる社交会。ここに呼ばれる人たちは、ストルイミン家を通して様々なものと出会い、人脈を築き、利益を得る。そうやってストルイミン家は人々に敬われ、存在感を示し、権勢を保つ。古き良き貴族政治ってやつさ。……まあ、ストルイミン家はそこまで大きな家じゃないけどね」
正面の庭からその邸宅を見ながら、やや皮肉がこもったエフィムの言葉。円形の石造りの池には、これまでも時おり見てきた「噴水」という名の流れ続ける水。綺麗に整えられた石畳の道の周りには、これまた綺麗に整えられた芝生が広がる。
これまで見てきた帝都や帝国の風景とはまた趣の違う風景。通り過ぎる風もどこか涼やかで、刺すような日差しを和らげる。
……「そこまで大きな家じゃない」という言葉は、少ししらじらしい。そう思えるほどに、この別宅からは、ストルイミン家という貴族が持つ「格」が感じられた。
と、そんなことを思いながら邸宅を眺めていた私に、スヴェトラーナが声をかける。
「そして、あの方はそういう『貴族政治』を見て育った方ですわ。……では、いくとしますわ」
そう言って、エフィムと共に歩き出すスヴェトラーナ。それに半歩遅れる形で、私とプリィも歩きだした。
◇
そうして案内されたのは、小ホールと題された大きな部屋。正直、飛び領地邸のどの部屋よりも大きく、立派な作り。広さだけなら、うちの兵士詰所と大体同じくらい? ……そういえば、あそこは本来小ホールになるはずの部屋で、兵士たちに使ってもらった方が合理的だからそうしたとか、前に話していた気がする。
そんな広い「小ホール」には、すでにいくつかテーブルが並べられ、その上にはいくつか料理が並べられる。……これ、デュチリ・ダチャの頃に何度も招かれた、組織流のパーティーに近い感じがするわね。それぞれが自由に動いて自由に好きなものを食べる形式。違いは、中央に広く場所を取ってるところくらい? どこも似たような形になるということかしら?
並べられた料理は、意外なことに、帝国風のものとグロウ・ゴラッド風のものが半分くらいずつ。……正確には飛び領地邸風の、グロウ・ゴラッドと帝国双方の素材を使って、どちらの口にも合うよう挑戦した感じの料理が並んでいる。
……さすがに、グロウ・ゴラッドの「黒いパン」を並べるのはどうなのかしら? これは、帝国の「白いパン」に慣れた口には絶対に合わないと断言できる。神父様みたいに物珍しさで食べる人は少数派なのは、試すまでもなくわかる。
と、小ホールに入ったばかりの私たちに、奥の方から壮年の男性が、歩みよりながら声をかけてくる。
「どうかな? 君たちの商売の助けになるよう、ちょっと挑戦してみたんだけど」
エフィムとよく似た感じの、エフィムよりもひとまわりかふたまわり上であろう、おちついた雰囲気の男性。その男性が、これまたエフィムとよく似た声で、私の方に向き直る。
「そちらのお嬢さんにははじめましてになるね。僕はエダルト。そこのエフィムの兄で、一応ストルイミン家を継ぐ予定の人間さ。どうぞ、お見知りおきを」
その自己紹介から感じる雰囲気に、ああ、確かにこの人はエフィムの兄弟だと納得しながら、「はじめまして、ミラナ・デュチリナです」と、握手と共に自己紹介をした。
◇
「こう落ち着いてるように見えるけどね。これが公務だと、食えない腹黒貴族に早変わりするからね。注意してね」
「おやおや、どの口がそんなことを言うのか。ミスレヴィタナもそう思わないかい?」
私をそっちのけに、親しく話を始める二人。巻き込まれる形になったスヴェトラーナも、少しだけ苦笑してからその輪の中に入る。
「(仲は悪くなさそうですね)」
私にだけ聞こえるように、ささやくように話しかけてくるプリィに軽く頷く。……エフィムの事情は聞いてたし、距離を置く気持ちもわかる。というか、正直他人事なのだけど、こうして訪れるとなると、さすがに気にはなる。
「最近はエフィムと一緒のところを見ていなかったからね、とうとう愛想をつかれたと思ったよ」
「これまでは、飛び領地邸のこともありましたので。ですが、留守を任せられるちょうどいい人がみつかりまして。これからは、こういう機会も増えると思います」
「うんうん、まさかミスに限ってエフィムを見限るなんてことはないと思ってたけどね。でも、尻を叩くのに飽きるということはありうるのかなと、そこは心配でね」
……とまあ、会話を聞く分には完全に杞憂だったけど。
そうして、少しの間、エフィムとエダルトさんの会話は続く。「今日はエフィムたちの祝賀会なのだから、勝手に入ってこずに案内させてほしかった」「いやぁ、僕たちはこっそり入って、端っこで静かにしているくらいがちょうどいいかなと」「エフィム、君は今日の主役だよ?」と、その会話はとても親しげで、兄弟というよりはまるで年の離れた友人のようだった。
◇
ちなみに。飛び領地邸の留守は、ドヴォルフとドミートリが分担して預かっている。今はまだドヴォルフが手伝っているけど、何れはドミートリ一人で留守を預かれるよう教育する予定と、ドヴォルフは淡々と語っていた。
……その「教育」という言葉に、ドミートリは微妙な表情をしていたのだけれど。
◇
と、そうこうしている間に、人も増えてくる。ざっと数十人くらいになったところで、スヴェトラーナが見知った顔を見つける。
「お父様も来たみたいですわね」
スヴェトラーナの声に、入口の方を見る。と、そこには以前と変わらぬレヴィタナ伯と、以前は見なかった彼の従者の姿。その姿を確認したエフィムとスヴェトラーナが、じゃあちょっと挨拶に行ってくるよと話を切り上げようとする。と、そこに、エダルトさんが声を上げる。
「ああ、悪いが、ミスミラナを少しお借りしてもいいかな? 伯に挨拶するのに、そんなにも人数はいらないだろう?」
第一、ミスを独り占めするのはよくない、ミスに興味のある人はたくさんいるんだと、唐突にそんなことを言うエダルトさん。その言葉にエフィムは、「構わないけど、変なことを吹き込まないようにね」とあっさり引き下がる。
続いて、それでは頑張ってくださいねと言って立ち去るスヴェトラーナに、事前に取り決めでもあったのかしらと、そんな疑問が頭をよぎる。と、その疑問に答えるように、エダルトさんが話しかけてくる。
「いや、別に何かたくらんでる訳じゃないんだ。ただ、エフィム抜きで君に会ってみたいという人が幾人かいてね」
そう言いながら、小ホールの奥の片隅、やや目立たない場所へと案内するように歩くエダルトさん。その片隅には、若く見える、だけど多分エダルトさんと同世代くらいの綺麗な女性が佇んでいて……
「こちら、ミズ・ヴァレーリヤ。エフィムの母親にあたる人だよ」
「はじめまして。ヴァレーリヤよ」
その自己紹介に、少しだけ背筋が伸びる思いをしながら、努めて自然な笑顔を心がけた。
◇
そうして、ヴァレーリヤさんと少しのあいだ、言葉を交わす。……エフィムやスヴェトラーナを含めて、これまで会った帝国貴族の人たちの中で、一番話しが合いそうというか、どこか価値観の近さを感じる。
ヴァレーリヤさんはストルイミン伯との間にエフィム以外にも何人か子供がいるみたい。すこしややこしいんだけど、帝国では、貴族の継承権を持つ子供の母親は夫人と同格で、夫人を名乗る資格があるみたい。だから、ミズ・ヴァレーリヤでなくミセス・ヴァレーリヤ・ストルイミナ――ストルイミン伯爵夫人ヴァレーリヤ――と名乗ることもできるんだけど、ヴァレーリヤさんにそのつもりはないみたい。
「そういうのは、家名を使って世の中を動かしたいとか思う人がすることよ。私にはむかないわ」
私は、ストルイミン家で、子供たちの母親として過ごせればそれでいい、そう笑いながら言うヴァレーリヤさん。
「そう言いながら、結構親父の尻を叩いてたりするんだけどね」
そういうエダルトさんの言葉に、でも物理的にお尻を叩いたりはしてませんよなんて言うヴァレーリヤさん。彼女から、どこかマムや仕事を終えた専属娼婦に通じる強さを感じる。
プリィのことも軽く紹介をして、所作や作法をどうやって身につけたのかとかも聞かれて。時にエフィムの昔話やストルイミン家の出来事を聞いたりして。しばらくの間、ほんの少しの緊張を交えながら、世間話に花を咲かせた。




