3.始動の日
午前九時、兵士たちが朝の雪かきを終える頃。普段は飛び領地邸の中へと戻る兵士たちが、その日は中庭へと集合する。やがて、飛び領地邸からエフィムが出てくるのを確認して、規則正しく整列する兵士たち。その彼らに正対するように立つエフィム。やや離れたところに立つスヴェトラーナやリジィ。――その横にプリィと並んで、整列する兵士たちに視線を向ける。
……やがて、ほんの少しのざわめきもおちついて。全員が静かになったところで、エフィムが兵士たちに話し始める。
「今日、帝国からポリャスティ・トゥシフ二百五十箱――スタンシア・ゴルディクライヌの元になる蒸留酒――が搬入されてくる。奇しくも、この飛び領地邸の拡張工事も今日から始まる」
先日、帝都で利用手続きをした貨物車両。その貨物車両に乗って、本格的な商売の第一弾、ポリャスティ・トゥシフ二百五十箱が帝国から届く。と同時に、ドミートリが進めていた、倉庫建築を始めとした飛び領地邸の拡張工事も今日から始まる。
この「二つの始まり」が一緒になったのは偶然。だけど、「今日から本格始動する」みたいな雰囲気が自然と生まれて。……で、気を引き締めるのにちょうどいい、朝礼でもしようかという話になって、今に至る。
「駅での搬送と工事で二手に分かれて仕事をしてもらう。兵士らしからぬ仕事になるが、当分は警備の仕事よりも優先してほしい。――ここにきて、ようやく軌道に乗ってきた仕事だ。皆、よろしく頼む」
「は!」
この前のレヴィタナ伯と比べるとおとなしめなエフィムの号令。その号令に、この前と同じように兵士たち。……どちらかというと、今日の方が兵士たちからやる気が感じられるのは気のせいか。
――この時から、飛び領地邸は、あわただしく動き始める。
◇
飛び領地邸の敷地の中、ついこないだまで空き地だった場所。拡張工事のために呼ばれた組織の下っ端たちの声が響く。
「よぉし、野郎ども! 仮設の資材置き場は今日中だとよ! 遅れを取るな!」
「……ったく、出入りじゃねぇっつうの」
「言うな言うな。身体を動かすだけマシだって」
少し遠いところから声を張り上げている、全体を監督しているであろう男の声に、思い思いに好き勝手なことを言いながらも荷を運ぶ、いかにもな外見をした組織の若い衆。ドミートリが主体となって進める飛び領地邸の拡張工事に駆り出された彼らを見て、スヴェトラーナと一緒に来た兵士たち――これから彼らと一緒に作業をすることになるであろう兵士たち――が、ややたじろぐ。
「――大丈夫、なのでしょうね」
「……この地の建築は、彼らの方が詳しいはずですので」
兵士たちのたじろぎに反応するようなスヴェトラーナの声に、彼女の横に立つ兵士が微妙にずらした回答をする。……今目の前で働いている男たちは、年齢も服装もバラバラ、なのに共通したケバケバしさと派手派手しさがあって、見るからに柄も悪く、ついでに人相も悪い。兵士たちがたじろぐのもわかると、そんなことを思う。
……が、そんなスヴェトラーナたちに、平然とプリィが答える。
「大丈夫ですよ。見た感じ、ちゃんと『向いてる人』が来てるみたいですから」
その言葉に、疑わしげな表情を浮かべるスヴェトラーナと数人の兵士たち。……と、少し離れたところで、こちらに気づいたのだろう、ドミートリが駆け寄ってくるのを見つける。
「お疲れさまです。と、早速ですが、向こうで声を張り上げているおっさ……彼が建築班の監督者なので、そちらに行ってもらっていいですか」
兵士たちに手早く要件を伝えるドミートリ。スヴェトラーナの前だからだろう、丁寧な言葉遣いをするアイツに、ふと思ったことを尋ねる。
「ドミートリ、いくらなんでも建築は専門外よね。ここにいても意味ないんじゃないかしら?」
「いえ、彼らはほっとくと一時間もしない内に『今日はよく働いた』とか言って勝手に帰るタイプの人間です。きっちり見張らないといけません。――おいテメエら、フリだけじゃなくしっかり働け! でないとアガリもねぇからな!」
ドミートリのハッパをかける声。とたんに「ちっ」と舌打ちする若い衆たち。その様子に、心の中で「なるほど」とつぶやく。
「少し、工事を見させてもらっていいかしら」
「はい。その方がこちらも助かります。――おう、スポンサーが見てるぞ! キビキビ働け! ついでに椅子持って来い!」
スヴェトラーナと話をして、再び若い衆たちに向けて声を張り上げるドミートリ。その相手によってころころと変えている口調にやや苦笑いしつつ、何も言わずに作業風景を眺めるスヴェトラーナ。そんな彼女たちと共に、私たちも現場の風景を眺め始める。
◇
……少しの間、無言で作業風景を見続けていたところで。スヴェトラーナが、ぽつりと話す。
「彼らは、エフィム様についていくと決めてここまできた人たちなのですよ」
彼女の声を聞きながら、遠くで動くその兵士たちを見る。いかにも訓練された、規律正しい動きを見せながらも、どこか線の細さを感じる彼ら。エフィムと同じく、元々は軍人というよりは文官のような立ち位置の兵士たち。
貴族には、ある程度、自分の部下を選ぶ裁量が認められている。エフィムはその権限を利用して、軍で知り合った人を自分自身の部下として採用しているらしい。
「エフィム様は、常々、部下や周りの人に伝えていることがありまして」
一つ、自分はいつか、帝国の外に活躍の場を求めること。
一つ、自分はいつか、帝国の中で貴族で有り続けたいとは思わないこと。
一つ、自分についてくれば、最悪、帝国に戻れなくなる可能性があること。
「普通は、自分の家に繋がりのある人で固めるのですけどね。エフィム様は、任務に就くたびにそんなことを言って、それでも良いという人たちで周りを固めたのです。結果、ここの兵士たちは偏っています。いつ故郷に戻れなくなっても後悔しないような、独り身で、家を継がない立場の人間。新天地を求める人、しがらみを嫌う人、帝国にはない刺激を求める人、そんな若い人たちばかりですわ」
スヴェトラーナの言葉に、作業している兵士たちを見る。エフィム自身、軍人と言いつつも荒事とはほど遠い。その部下の彼らがあまり軍人らしくないのも、これまでは不自然だとは感じなかった。が、話を聞いて、ふと思う。彼らは単にエフィムの部下だからここにいるのではない、彼らにもきっと、それぞれに何か新天地を求める理由があるのだろうと。
……と、そんなことを思いつつも。そんな感慨を表に出さずに、世間話を振る。
「だから、マムの『懇親会』なんて企てに、まんまとしてやられたのね」
「そうですわね。それも理由の一つだとは思いますわ」
なにせ新天地を求める若い独身男性の集まりですからね。その気がなくても、若くてきれいな女性には弱いでしょうねと、そんなことをしばらく話しあった。
◇
「じゃあ、私たちは一足先に屋敷に戻るわ」
少し時間が経ったところで、そう断って、プリィと共に屋敷に向かう。立ち去る際、スヴェトラーナとドミートリの会話が聞こえてくる。「ここの人たちも動けるようになれば、監視はいらなくなるんですけどね」「そう、じゃあ早く仕事を覚えるよう何か手を打とうかしら」、そんな彼らの会話を背に、その場を離れる。
◇
「……といった感じだったわ。先は長そうね」
「はは。あの人たちらしいね。まあ、組織も変な人をよこしてはこないだろうし、大丈夫じゃないかな」
屋敷の中で準備を進めるエフィムの元に行き、現場の様子を報告する。それを聞いたエフィムは、いかにも組織の人たちらしいと笑う。その様子に、そういえば彼は、私がここに来る直前まで組織の『屋敷』に招待されていたという話を思い出す。
「……そういえば、組織の『屋敷』に滞在してたんだっけ」
「ああ。彼ら、なんだかんだで、上の命令には従順だよね」
「……そうでなかったらただのゴロツキよ」
私の質問に、少しだけ過去を懐かしむように答えるエフィム。――多分、組織は彼が信用に足るかを見極めるために、彼を近くに置いていたのだろう。その時間は、組織が彼のことを信用するだけでなく、彼が組織のことを信用するためにも必要な時間だったのだろう、そんなことを思う。
「まあ、帝国の人たちと組織の人たちが一緒になって働くのも始めてじゃないし、すんなり馴染むんじゃないかな」
この飛び領地邸も、帝国の設計者の作った図面を元に、組織からの意見を色々と反映して建てられたそうで、そういう意味では帝国人と組織の人間の共同作業は始めてではない。だから大丈夫じゃないかなとエフィムが笑う。
「まあ、つけ加えられた『この街の設備』、最初はどう使うのかわからなくて苦労したみたいだけど」
「……そうですね。私がここに来るまで使われていなかったものもあったみたいですし」
エフィムの言葉にプリィが反応する。私たちは普段からあたり前のように使っている薪ストーブと一体化した竈の類に馴染みがなく、薪ストーブを燃やしながら隣で薪を燃やしてスープを温めたりして、ここに来たばかりのプリィに「もったいない」と嘆かれてたりしてたみたい。
「薪ストーブをそんな使い方してるなんて、こっちは知らなかったからね」
組織の人も教えてくれなかったかったしね、そういうところに気が回らないのはいかにも組織よねと、そんな他愛もない話をしつつ、駅に行く準備を進める。
◇
そうして、準備を終えて、駅へと出発する。普段はエフィムとスヴェトラーナのどちらかは屋敷に残るのだけど、今回は全員で行くことに。さらに、人手も必要ということで、兵士も八人。結果、エフィム、リジィ、スヴェトラーナ、ホーミス、私、プリィに兵士八人、馬車二台に御者二名、計十八名の大所帯で駅へと行く。
到着した駅のホームで、いつものように列車を待つ。到着した列車の最後尾に、見慣れない、無骨で四角い、客車の半分以下の長さしかない小さい車両が繋がっているのを見る。
「あの車両に、新しいゴルディクライヌの元になる酒が載ってるのね」
「二百五十箱のポリャスティ・トゥシフ。これを組織が加工して、早い物だと一ヶ月でスタンシア・ゴルディクライヌになって、帝国に輸出される。……そこまでくれば、とりあえず商売も一安心かな」
量産はこれから、成功するまではまだ油断ができないよねと話すエフィム。と、そんなことを話している間にも列車が止まり、素早く動き出す兵士たち。二人が先頭の機関車両へ、残りの六人が貨物列車へと。そうしてしばらくして、貨物列車が切り離されたところで、その貨物車両を置いて列車が走り出す。
「あとはあの貨物車両を停車場まで運んで、中の商品を運び出す。で、商品を詰め込んで、数日後に今度は帝都行きの列車に連結して荷物を運ぶ」
この駅の停留所に、列車を一時的に保管できる場所があって、そこに除雪車やその除雪車を引く小型の機関車が置かれている。そこに貨物車両を入れて、あとはゆっくり荷物を出し入れする。そうすれば、どれだけ荷物が増えても停車する時間はほんの一時でいい。
「まあ、あとは」
◇
そうして駅から帰ると、見慣れた飛び領地邸の敷地内に、木造りの小さな小屋が形になり始めている。「小屋というよりは壁付きの屋根ですが」とはドミートリの言。仮の倉庫としてだけでなく、指揮所や建築の資材置き場も兼ねるという話。
「たった一日で建つものなのですね」
皆の驚きを代表するようなスヴェトラーナの感心した声。その声に「一日で建てなきゃ話にならねぇ、雪で埋もれちまうじゃねぇか」とは組織から来た現場監督。
「結構時間も余りそうだな。まあ、夏だしな」
「……夏とか、関係あるのですか?」
「そんなん、日が長ぇ分、時間も長ぇじゃねぇか」
季節が関係あるのかというスヴェトラーナに、あたり前の返事をする現場監督の人。「そういえば、雪は夜に降るのでしたわね」と、思い出したようなスヴェトラーナの声。時間に余裕があるということなので、建築についてや小屋を使うときの注意点等を聞いてまわる。
私たちだけでなく、一緒に作業していたはずの兵士まで感心している気がして、それはどうなんだろうなんて思いつつ。
◇
そうして、あわただしい一日が終わる。私室でプリィと二人でくつろぎながら、今日という日を振り返って、一つ、小さな決心をする。
「……以前、一緒に泊まった『私の店』だけど。マムに頼んで片付けてもらおうと思うのだけど、どうかしら」
娼婦の頃に少しずつ、娼婦でなくなった日のために準備をしてきた「私の店」。ここにくる直前にプリィと泊まって、それ以降は足を踏み入れていない、娼婦の先を詰めた場所。……こんなことをプリィに聞くのもどうかと思いつつも。誰にも話をせずに決めるのもためらわれて。
「それは、ミラナ様の自由でいいと思います。……ちょっと寂しいですね」
そんな私の質問に、プリィはシンプルに返事をしてから、その『私の店』について色々と。専属娼婦はみんなああいう店を持っているのか、いつあの店を準備したのか、どうしてああいう店にしたのか、本当に色々と。その質問に、少しずつ考えては答えていく。
「マムが言うにはね、『綺麗に借金を返して、自由になって、自由に金を稼いで、自由に生きる。言うのは簡単だけどね、そんな上手くなんていかないんだよ。どうせ最初は失敗するんだ、なら目が届くところで失敗しな』っていうことらしいわ。『借金が返し終わったからって野垂れ死なれたんじゃ後味が悪い』ってね」
こう生きたい、ああ生きたいなんてのは全部妄想。身体を売るのが嫌だ、足を洗いたいなんて言っても食っていけなきゃどうしようもない、だからと言って野垂れ死んでも迷惑、戻ってこられても迷惑だねと。だから、足を洗う前に準備しておきなと、そんな話。
店の種類は人それぞれ。私がああいう店にしたのは、人とのつながりを主体にしたいと思ったから。料理とか服飾とか、自分が得意なことを商売にする人もいたけど、私にはそういうのが無かったし、まだ娼婦でなくなった自分が想像ができなかった。だから、デュチリ・ダチャのように身体を使わず、でもデュチリ・ダチャでしてきたように客との付き合いをお金にしたい、そんなことを思っていた。
「つまり、マムさんみたいなのを目指してたんですか〜、それは夢ですね〜」
プリィの言葉にちょっと慌てる。さすがにアレにはなれないと言い繕うも、そうですか〜、でも多分同じだと思いますし今も同じだと思います〜と、そんな軽いプリィの返事。
……前々から、考えてはいた。「戻る場所」に未練を持っていても仕方がないと。それが今日、スヴェトラーナから兵士たちの話を聞いて、実際に動く兵士たちを見て、思った。処分した方が、無くしてしまった方がすっきりするんじゃないかって。
「どちらにしろ、私にはもう必要のない場所よ」
話し込んで、そろそろ良い時間にもなったところで。そんな言葉で締めくくって話を終える。プリィも部屋に戻って、いつものようにその日を終える。
――そうして、寝付く前に、マム宛の手紙を書く。いつもの定期報告の最後に「私の店を片付けておいてほしい。店の物は適当に売り払ってくれていい」と短く書き添えて。




