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飛び領地邸の仮面夫婦  作者: 市境前12アール
第七章 新しい日常、過ぎゆく日常
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1.新しい日常

 朝、いつものように午前六時――朝日の鐘の時間――に目を覚ます。いつものように支度をして、いつものようにプリィと朝食を取って、プリィと二人の時間を過ごす。そうして、午前八時――朝の鐘の時間――に、彼女と共に、「私たちの執務室」へと移動する。


 ここに引越してきてからこれまで、私たちは「私室」と「従者部屋」の二部屋だけを使ってすごしてきた。けど、アイツ――ドミートリ――が若い衆二人を連れてやってきて、持て余し気味だった他の部屋も、ようやく使われ始める。執事部屋はドミートリが、使用人用の大部屋には若い衆二人が入り、今までほとんど使わなかった給湯室や倉庫も、少しずつ使われ始める。


 そうすると今度は、彼らとの意思疎通も必要になる。で、アイツの提案で、毎朝、執務室に全員が集まって予定を確認しあうという決まりができる。……そういえばアイツ、普通なら俺は若いのの前でふんぞり返ってればいいはずなのにここじゃあ俺だけが「教育」とかいうのにつきあわされる、割にあわねぇなんてこぼしたりもしてたわねと、そんなことを思い出しながら、廊下を歩く。


……と、執務室の扉の前に立っていた若い衆の片方が、よく通る声で挨拶する。


「おはようごぜぇやす、姐さんがた!」

「おはよう。もう少し声を控えてくれると嬉しいわ」

「おはようございます」


 若い衆の、とても若々しい、屋敷中央の玄関ホールにまで通りそうな大きな声に小言を言いつつ、彼に挨拶を返す。同じように挨拶を返して、軽く会釈をするプリィ。


……何というか、彼、組織の流儀で動きたがるのよね。姐さんという呼び方といい、挨拶の時の大声といい。私、そんな「組織にどっぷり浸かった女」に見えるのかしら。そんなことを思いつつ、扉を開けて、部屋の中に入る。


 と、そこには、使用人服をビシッと着こなしながら部屋の奥の立派なテーブルに書類を並べるアイツ――ドミートリ――の後ろ姿。「使用人服」と言ってもドヴォルフが着ている「執事服」のような感じの服で、着ている人間の中身はともかく、見栄えはいい。……実はあの服、デュチリ・ダチャの男性用制服と同じ様式で、マムに手配してもらったらしい。なのに微妙にデュチリ・ダチャの制服とも違いがあるのはマムの細かさだろうか。

 とはいえ、同じくデュチリ・ダチャのメイド服を着ているプリィと、どこか似た趣があるのも事実。


 と、私が部屋に入ってきたことに気付いたのだろう、ドミートリ(アイツ)がこちらに振り返って、かしこまった口調で挨拶をする。


「おはようございます」


 そう言って一礼して。アイツは、その立派な机の横にまわって、大げさな身振りで椅子を勧めてくる。


「ささ、どうぞ、こちらに」


……口調はかしこまっているけど、表情が裏切っているわね。その飄々とした表情に、あの「教育」に閉口しつつもどこか楽しんでるように見えるのは、なんというか、らしいと思う。


「おはよう。……昨日も言ったけど、その席はちょっと落ち着かないわ。こっちで話しましょう」


 からかうような口調で椅子を勧めてきたアイツに、そう返事をして、入り口の、応接用の数人がけの椅子に座る。――あのやたらと立派な木製の机、何というか、少しおちつかない。エフィムやスヴェトラーナの執務室にもあるし、彼らも当然のように使っているのはわかるけど。


 と、その答えを予想していたのだろう、机の上に広げた資料を手早くまとめるアイツ。


「注意してよね。私まで監督責任とか言われて『教育』に呼ばれたくはないわ」

「大丈夫です。そんなヘマはいたしませんので」


 私の言葉に、再びうやうやしい口調で一礼をするドミートリ。その流れるような所作は「教育」の成果だろう。こういう所作をあっさりと身につけてみせるのはコイツの小器用なところ。――それをこんな皮肉に使うところは、いつにもまして小憎たらしいと、そう思いつつ。


 そんなやり取りを見て、少しだけクスリと笑うプリィ。そのまま、私の予定を読み上げる。


「では、まずはミラナ様の予定から。午前中は今のところ予定はありません。昼食はエフィム様、スヴェトラーナ様と共に取る予定です。午後からはエフィム様の執務室で、そのお二方と打ち合わせです」


 そうして、いつものように、少し前とはまた少し違った一日が始まった。


  ◇


 取引の拡大が決まり、ドミートリがここに来て。それまでどちらかというと牧歌的だったこの屋敷の中に、少しずつ「働く空気」が混じり始める。


 それまで、週に二十五箱分だった取引は、来週からは五十箱へと倍増。さらに、二百五十箱分の「帝国の酒を使ったゴルディクライヌ」の生産も始まる。結果、近い将来、一回の輸送で三百箱分、馬車数台分の商品をやり取りすることになる。それだけの量になると、今までのように、旅客列車の客室の中に商品を入れて輸送するのは厳しくなる。しっかりとした輸送体制を整えないといけない。

 他にも、新しい顧客への挨拶に次の商品開発、グロウ・ゴラッド側の販路の整備や開拓、さらに資金調達と、やらないといけないことが一気に増える。


 で、輸送方法の検討とか手配とか、「インフラ整備」っていうのかしら? その関係をスヴェトラーナが中心に。挨拶まわりや資金調達といった「商売」に関することはエフィムが、それぞれ手分けして担当をすることに決まる。


 そして私は、親睦会や取引拡大に向けた倉庫の手配のような「この街における活動」をエフィムやスヴェトラーナと相談をしながら決める、いわば「この街におけるさまざまな手配」を主に担当するようになったと、そんな感じ。


  ◇


「……と言うわけで、この前の親睦会、結果は上々と言っていいと思います。ただ、招待客や兵士たちの反応については、目が足りないこともあり、あまり細かくは調べ切れませんでした。次回からはもう少し規模を小さくする分、情報も細かくできると思います。あと、次回の親睦会の規模や企画については、まだ検討中の状態です」


 そう報告を取りまとめるドミートリ。「細かくは調べきれていない」と言いつつも、資料には兵士や娼婦たちの反応が結構こと細かにまとめられている。彼の報告を聴きながら、その書類に素早く目を通す。


「倉庫の建築は、とりあえず組織を通して人を募集すれば、さほど問題はないと思います。まあ、今日明日でできる訳でもないので、それまではどこかを借りることになると思いますが。販路云々についてはもう少し時間をください。俺らに会いたいという人間は出はじめてますので、彼らと話をすれば、自然と取引は広がっていくとは思います。彼らがどんな人物か、もう少し調べたら書類にまとめますので、それを見て会うかどうか判断ください。……あと、もう少し人が欲しいですね。雇い入れる許可をいただけると助かります。――俺からは以上っす」


 最後、態度を崩すドミートリ。いかにも「ああ、かたっ苦しかった」といわんばかりのその態度に少し笑いながら「だから教育」「見られてないからいいでしょ」なんて軽口を交換する。


 と、その言葉の応酬が途切れるのを待ってから、プリィがアイツに話しかける。


「午前中、ミラナ様が必要になるようなお仕事はありますか」

「いや、こっちはミラナ抜きで大丈夫、問題ない」

「なら、午前中は乗馬の練習にあてましょう」


 と、そんな感じで、私の午前の予定をあっさり埋めるプリィ。……まあ、これまでも時間が空いたら乗馬の練習を入れてきたし、今まで通りではあるのだけれど。


「……いいのかしら?」


 この忙しくなり始めた状態で、自分だけ乗馬の練習に時間を費やすのはなんとなく気が引ける、そう思って口にした言葉。その言葉に、アイツがめんどくさそうな表情を浮かべる。


「いい加減、馬ぐらいは乗れるようになっておかないと、仕事にも差し支えるのではないでしょうか。……仕事はコッチでまわすから、とっとと行ってこいよ」


 そんなアイツの言葉で、半ば部屋から追い出されるように、朝の意識合わせの時間が終わる。


  ◇


 そうして執務室を出て、昼食までの時間をプリィと二人、乗馬の練習に費やす。最近は、少し走らせては速度を落としての繰り返し。落ち着いて対処するために速度になれておきましょうとはプリィ先生のお言葉で、これをクリアすればもう一人で馬に乗ってもいいとのありがたいお言葉。「あと一息」と気合を入れる。


 昼食はエフィムやスヴェトラーナたちと、いつもの玄関ホール横の客間で。とはいえ、晩餐のように形式ばった食事ではなく、小さなテーブルの中央に並べて置かれた様々なパンや具を各々が自由に選んで食べるという、ざっくばらんな形式。プリィやホーミスたちも交えて、食事を取る。


 とはいえ、話題は世間話とは少し遠い、仕事の話。帝国産の小麦に少しライ麦を混ぜて焼き上げた「やや黒いパン」にチーズを乗せながら、まずはエフィムが現状を報告する。


「とりあえず、組織から追加で仕入れたスタンシア・ゴルディクライヌは無事にレヴィタナ伯に届いたみたいだね。今ごろ、伯がいろんなところに勧めてくれているはずだよ。主だったところには、次に帝国に行ったときに挨拶に行こうかと思う」


 まあ、もう少し先になると思うけどと言うエフィムに、スヴェトラーナが軽く頷く。帝国側の取引先が増えてきた時点でエフィムが帝国に行くというのは当初からの計画で、挨拶まわりだけでなく、いろんな人から金を借りるためにもエフィム自身が足を運ばないといけないらしい。


 面白いのはその金の借り方で、頭を下げるのではなく、「今なら確実に儲かる事業に投資できますよ」と言ってまわるらしい。……何かしら、うさんくさい言葉はなんて思ったのだけど、こういう時に家名というのが物を言うらしい。ストルイミン家、レヴィタナ家の人間が動いているというのはそれだけで信用されると。


 エフィム、基本的には貴族寄りの考え方だけど、完全に貴族のような考え方をする訳じゃなくて、懐疑的なことも結構口にする。だけど、こういう時には貴族であることをきっちりと利用する。本人曰く「僕も貴族だからね」ということらしいけど、スヴェトラーナに言わせるとそんなことを言ってしまうところは、あまり貴族らしくないらしい。


……レヴィタナ伯の人となりを思い出すとなるほどと思うけど、それだとスヴェトラーナもちょっと違う形で貴族らしくない気がする。どこがとは言えないけど。


 そのスヴェトラーナも貨物車両の手配のために、エフィムに先立って、数日後には帝国へと行く予定。こことの商品のやり取りのために、隣国との旅客列車に小型の貨物車両を連結して運搬する、そのための手続きは帝都でないと受け付けてくれないから足を運ぶと、そんな話。いい加減、帝都までいかないと手続きできないのは何とかならないかしらと、そうスヴェトラーナがぼやく。


 で、最後に私からも、倉庫の建築や次の親睦会のことを報告をして――アイツが言った内容をそのまま伝えて――、昼食の時間を終える。


 ちなみに。その「挨拶周り」や「貨物車両の手続き」には、私も同行する予定。仕事を覚えるのと同時に、グロウ・ゴラッドの人間も交易に携わっていることを示す意味もあるらしい。私たちの取引が、取引先に「植民地貿易」と見られると、後々面倒なことになるからと、二人から説明を受ける。――その「植民地貿易」の内容に、軽く眉をひそめる。帝国人にそんな風に受け取られてると知られたらきっと私たちはこの土地に住めなくなる。そう思わざるをえないような内容だった。


……というわけで、私は当分、スヴェトラーナやエフィムと一緒にここと帝国とを行き来することになる。そのあたりも踏まえて、エフィムの執務室で、詳細を詰める。そうして細かいところを決めながら、さまざまな疑問点等はそれぞれが持ち帰って調べるという形で、その日の打ち合わせを終える。


  ◇


 そうそう、問題になっていたゴルディクライヌの名前は、最終的にスタンシア・ゴルディクライヌ――駅のゴルディクライヌ――という名前に決まる。いろんな場所に運ばれて作られる酒だから「駅」の文字を冠したと、そんな感じ。


 たまたまだとは思うけど、本格的に帝国と商売するために作られた酒に駅という文字がつけられるのは、どこか象徴的な感じがした。


  ◇


 そうして、再び自分の執務室へと戻る。午後四時、街では夕の鐘が鳴り始める頃合い。持ち帰った疑問点をドミートリに伝えて、軽く仕事の調整をして。最後に仕事の進捗を報告しあって、今日一日の仕事を終える。あとは午後六時前、夕日の鐘の時間になれば、「建前としての」働く時間が終わる。


 で、この後は定例の晩餐の時間だけど……


「姉御らも兄貴も休めねぇのに、俺らだけ休めねぇっす」


 その晩餐の時間、プリィは私の後ろに控えていて、ドミートリは件の「教育」のために駆り出される。そんな状態で自分たちだけ休めない、何か仕事をしやすと、ある意味組織の若い衆らしくない生真面目なことを言う二人に、「じゃあ、いつものように兵士たちの食事の準備を手伝ってきてくれるかしら」と仕事をお願いする。


「姉御ら株を上げてくるっス」


 そう言って、食堂の方へと行く若い衆二人。「余計なことはしなくていいわよ」と声をかけつつも、今までプリィが晩餐の後に行っていたような仕事もあの二人が片付けておいてくれたりもして、地味に助かっている。


 そうして、いつものように晩餐の時間を過ごして。プリィが食事を取るのを待って、二人の時間をすごして、消灯して。今日という一日が終わる。


――こうして、ミラナが飛び領地邸へと引っ越しをしてから二ヶ月ほど経った、とある一日が何事もなく終わる。


 それは、何気ない彼女の日常の一日であり、変化し続ける日常の中の一日でもあった。


―――――――――――――――――――――――


   飛び領地邸の仮面夫婦


   第七章 新しい日常、過ぎゆく日常


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