9.今後に向けて(2)
やがて訪れた晩餐の時間。今までに何度も行ってきた、席の後ろに使用人を控えさせる、略式とはいえ正式な形式に則った晩餐会。身内しかいない時でも形式を整えた晩餐を行なってきたのも、全ては今日のような帝国からの来客が来た時のため。
……とはいえ、当のレヴィタナ伯が身内のような――実際にスヴェトラーナの身内だけど――態度をとって、しかも執事のドヴォルフが彼の使用人も兼ねているような状態で、これはこれで想定していた「来客」とは違う形だけど。
と、そんなことを思ったところで、同じようなことを思ったのだろう、一応形式に則りながらも、冗談を交えた形でエフィムが挨拶をする。
「伯が相手だと、あまり来客という感じがしないんだけどね。でも、採点はむしろ厳しいから、あまり気をゆるめないように、皆で食事を楽しむことにしよう」
「採点なんてしませんよ。こちらの食材はなかなか良いと聞いてますからね。期待しております」
エフィムの軽口に軽く答えるレヴィタナ伯。軽く笑いがこぼれる中、ドヴォルフが本日のメニューを発表する。
前菜に豚の燻製肉を包んだブリヌイ。主菜の一品目は合い挽き肉とじゃがいもと冬野菜のチーズ詰めパイ。主菜の二品目、肉料理にラム肉のローストに、じゃがいもと香草のクリームスープを添えて。そしてデザートにはバニラアイス。
材料はできるだけ街のものを使いながら、要所要所で小麦のような帝国産の食材を混ぜて、癖が強くなりすぎないように調整した「帝国人向けの街の料理」。その献立の詳しい内容をドヴォルフに尋ねるレヴィタナ伯を見て、これは私たちではなくドヴォルフやホーミスといった「レヴィタナ家から来た飛び領地邸の使用人たち」が厳しく採点されるんじゃないかしら、なんてことをふと思った。
◇
「……と、言うわけで。ゴルディクライヌの取引量を二倍に引き上げると同時に帝国産の酒を使った『ゴルディクライヌ同等品』を生産することで、取引量を一気に十倍以上に引き上げることができると、組織からの提案があったというわけさ」
「最近はゴルディクライヌも、『珍しい味のする地酒』とは別に『冬精の気配が色濃い上質の精霊酒』という話が広がっていましてな。極端な話、冬精さえ宿っていれば酒そのものはどこで醸造されていようが構わない、そういう客が増えてきたのも事実でして」
料理に舌鼓を打ちながら、取引の結果を説明するエフィムとレヴィタナ伯。ここで少し、二人に豆知識を投下する。
「元々、ゴルディクライヌは、大麦や小麦、甜菜の余りを使って作られていた酒。急に増やすのは難しいのでしょうね」
私の発言に、後ろのプリィの頷く気配。まあ、この辺りは組織幹部の娘だった彼女の方が詳しいだろう。
私たちを見ながら、なるほどと頷くレヴィタナ伯。まあ、地酒にしろ精霊酒にしろ、他に無いものを持っている商品だし、何十倍と数が増えても十分に売ることはできるだろうと、こともなげに言う。
「ただ、帝国の酒を原料にした『にせ者ゴルディクライヌ』は、この土地を離れて時間が経つと冬精が抜けるから、冬精の酒精として売るのなら在庫は少ない方がいいだろうと釘を刺されたりもしたけどね。……どうも、帝国のことをそこそこ把握されてる感じがしたね。あと、精霊の気配を感じ取れる人もいるみたいだね」
どうやら組織は、前もって、組織の言う『にせ者ゴルディクライヌ』を帝国内に持ち込んで色々なことを試していたらしい。
「……なにかしら。あまりピリヴァヴォーレらしくない気がするわね」
ふとした疑問を口にする。ピリヴァヴォーレは間違いなく有能なんだけど、同時にいかにも組織の男といった感じの、何というか、細かいところはあえて気を回さないのが大物だとか思っているようなフシがある。……もちろん、チンピラじゃあるまいしそれだけの男じゃないんだけど、そういう細かいところにまで気を配るのは想像できないというか……
「そうだね。その辺りはドミートリさんが握っているみたいな感じだったよ」
と、思考の渦に巻き込まれかけたところで、エフィムの返事が耳に入って、疑問が氷解する。ドミートリ、ああ見えてアイツは、昔からデュチリ・ダチャに出入りして、組織の看板を背負ってマムとやり合ってきたヤツだから。情報の扱いにも慣れてるし、細かい気配りもできるだろう。
――アイツ、飄々としているけど、今まで誰の下にも付かずに、組織の中で独自の立ち位置を築いてきたヤツでもある。……今まで裏方だったアイツを、顔の見える表舞台に引っ張り上げてきた組織に、なりふり構わない本気を見た、そんな気がした。
◇
「あとはそうですな。その『にせ者ゴルディクライヌ』の名前ですな。組織はゴルディクライヌ・ポスタローニ――よそ者ゴルディクライヌ――という名前を提案してきたのですが、そんな名前では売れる物も売れないと断らせてもらいました。早急に違う名前を決める必要がありますな」
「そうだね。ゴルディクライヌ・ツァーリナーツァ――帝国のゴルディクライヌ――でいいんじゃないかとは言ったんだけどね。それは組織が頑として首を縦に振らなくてね」
レヴィタナ伯とエフィムの言葉に、思わず吹き出しそうになる。なるほど、確かにそんな名前は受け入れられないだろう。ただ、下手に上下のある名前にすると、どちらも反発しそうだし、意外と難しそうな気がする。
「と、会談の内容はその位ですかな。ゴルディクライヌで取引が増えた分、輸入も今までと同じような品物を増やす方向で。あと、こちらから買い入れたいと申し入れた物に関しては、少量ならと快諾。その価格設定はかなり正確で、帝国の相場をよく勉強している感じがしましたな」
最後に取りまとめるようなレヴィタナ伯の言葉。その言葉にピンと来て、エフィムに尋ねる。
「マムからの情報?」
「そうだね。僕もそうだと思ってる。……ただ、部分的に情報が反映されていないような感じがしたよ」
「そうですな。……あらかじめ連絡をうけていた『バニラアイス』の件。他にも、件の方が帝国で買い入れたであろう品々。そういったことが話題に上がらなかったのは、少々不自然に感じましたな」
私たちが仕掛けたバニラアイス。それを受けて、マムも独自にバニラエッセンスを仕入れているのは確定している。なのにそれらが一切話題に上がらなかったらしい。
それは多分、マムが意図的に情報を伏せたのだろうと、そうエフィムは判断したらしい。……そうね、私もそんな気がするわ。
◇
そうして、話が一通り終わり。晩餐は主菜の二品目、ラム肉のローストとクリームスープへと差し掛かる。――と、その主菜に合わせて、今は名前が決まっていない「にせ者ゴルディクライヌ」がグラスに注がれる。
……目の前には、数センチの分厚さに切られた、どこまでも肉肉しくて豪快な「ラム肉のロースト」。こんなシンプルで豪快な料理に、よりによって「ゴルディクライヌ」なんて安酒を合わせることもないのにと、そう思いながら、グラスに注がれた酒を一口飲んで、おや?、と首を傾げる。
「……ずいぶんと飲み口が軽いわね」
「『軽い』というよりは『口当たりがいい』かな。こっちも本物も、かなり強い酒だからね」
私の感想に、決して軽くはないというエフィム。……まあ、確かに軽くはないけど。ただ、いかにも安酒といった雑味が無くなって、随分上品な味になっているように感じられる。
「元になった蒸留酒の違いかな。元の酒、ポリャスティ・トゥシフと言うんだけど、蒸留を繰り返して徹底的に雑味を削ぎ落とした酒なんだ。それを元に作っているから、ゴルディクライヌ特有の荒々しさが無くなったんだと思う」
「『雑味を削ぎ落とした』と言えば聞こえがよろしいのですが。実際には『味をつける前提の酒』といった方が正確ですな」
そんな疑問に答えてくれるエフィムとレヴィタナ伯。二人が言うには、ポリャスティ・トゥシフという酒は、蒸留を繰り返すことで元の風味を極限まで消した、何というか「味のない酒」らしい。単体で飲むための酒ではなくて、果汁で割ったりカクテルにしたり、もしくは果物を漬け込んで違う酒にしたりするための酒と、そんな感じみたい。
「正直、純粋な酒としては、元のゴルディクライヌの方が人気が出ると思いますな」
「そうですね。私も先程味見させて頂きましたが、酒を嗜まれる方の中には、この味では物足りないと思う方も出てくると思います」
レヴィタナ伯の言葉に、プリィが控えめに意見を述べる。と、その言葉に軽く首を傾げる。明らかにこちらの方が美味しいと思うのだけど……
「そうですわね。私も、本物よりはこちらの方が好みですわ」
と、私の表情を見たスヴェトラーナが、こちらも控えめに感想を述べる。
……レヴィタナ伯がいるからだろうか、今日の彼女はとても口数が少なくなっているように感じた。
◇
そうして、デザートのバニラアイスまで食べ終える。レヴィタナ伯はスヴェトラーナの客室に泊まるみたい。そういえば彼女、会話だけでなく酒量も軽かった気もするけど……
「もしかしたら彼女、この後、レヴィタナ伯とサシで飲むのかしら」
ふと口にした言葉に、それを聞いたエフィムとプリィが「なにか意外なことを聞いた」という感じの視線を送ってくる。
「スヴェトラーナはね、伯爵令嬢だよ」
エフィムに何だかよくわからないことを言われる。……何かしら? 久しぶりに会う親しい相手と飲み交わすの、そんなにおかしいかしら?
◇
そうして翌日、レヴィタナ伯が帝国へと帰国する日。午前六時、朝日の鐘が鳴る時間に目が覚める。もうプリィは起きているかしらと控えめにベルを鳴らすと、少ししてから「おはようございます!」と元気な声。いつもながらの、ここにいる時と外にいる時での雰囲気の違いに、公私の使い分けが上手いわねと感心をする。
そんな彼女に朝食を準備してもらって、二人でなごやかに朝食を摂っていると、窓の外からレヴィタナ伯とここに居る兵士たちの大きな声が聞こえてくる。
「君たちの給料はどこから出ているか知っているね」
「ハッ! それはもちろん、帝国からであります!」
……何事だろうと窓から外を見る。そこから見えたのは、レヴィタナ伯とエフィム、その前に整列した兵士たち。レヴィタナ伯が何かを言い、それに兵士たちが答える形で唱和する、そんな光景が繰り広げられていた。
「君たちがどうして給料をもらえてるかも知っているね」
「ハッ! それはもちろん、伯の働きかけのおかげであります!」
その、なんというか独創的な内容に、思わずプリィと顔を見合わせる。組織にもこう、大勢が整列して大声で挨拶したり何かを唱和する風習はあるらしいと聞いたことはある。でも、それにしたって、これはあまりに即物的じゃないかしら。何よ、「給料」だの「伯の働きかけのおかげ」だのって……
そう思いながら、その光景を見続ける。
「君たちがこれからも給料をもらうために何をするべきか知っているね」
でもまあ、確かにどこかおかしいけど、たまにはこうやって自分の役割を確かめるのも悪くないのかもと、正直自分に言い聞かせるように考えようとしたところで……
「ハッ! それはもちろん、お嬢様の安全をお守りすることです!」
その、一糸乱れぬ統制の取れた兵士たちから出た言葉に、思わずずっこけそうになる。……そこは普通、任務のためとか言うところじゃないかしら。
「(……ひどい公私混同ね)」
「(……組織の幹部も、あそこまで堂々と自分の本音を言わせたりはしないです〜)」
小声でプリィと言葉を交わす。その間にも、このふざけた唱和は続いて……
「君たちがこれからも給料をもらうために何をするべきか知っているね」
「ハッ! それはもちろん、お嬢様の安全をお守りすることです!」
その声に満足そうに頷くレヴィタナ伯。その様子を見ながら、スヴェトラーナも自室でこれを聞いているのだろうかと、そんなことをふと思った。
◇
そうして、その日の内にレヴィタナ伯が帝国へと帰国をして。さらに幾日か経過して。
デュチリ・ダチャにほど近いほど近いとある飲食店が、バニラアイスというそれまで見たこともないようなアイスクリームの販売を始めたと、人々の口にのぼり始めたのはそんな頃だった。
◇
「……やっぱり、黙ってたとしか思えないのだけど」
アイスクリームをスプーンですくって口の中に入れて。口の中でその甘さを一通り楽しんでからつぶやく。バニラだけでなく、チョコレートにコーヒー、アーモンドにヘーゼルナッツと、ここで扱われている様々なものが、この前の組織との商談で一つも上がってこなかったのは、どう考えても不自然。
……そして、こうしてマムの手がかかった店で大々的に売り出したということは、隠す気もないのだろう。
「まあ、すぐにわかるさ。なにせ今日は、そのマムさんから呼ばれてるんだから」
エフィムの言葉に頷く。約三十分後、昼下の鐘の時間。私たちはそのマムに呼ばれて、デュチリ・ダチャで「商談」に赴く。そのついでに、少し早めに出て、この「話題のアイスクリーム屋」を視察しに来たと、そんな流れ。
「……それにしても。一緒に来るのが私で良かったのかしら?」
「いやぁ、この前のアレ、見ただろ? アレをやった直後に、スヴェトラーナとデュチリ・ダチャには行けないよねぇ」
マムとの商談に私でいいのか?、そんなつもりの質問に、少しずれたエフィムの答え。その「アレ」という言葉に、思わず笑う。――確かにアレを見たら、商談だろうがなんだろうが、デュチリ・ダチャに「彼女」を連れてくることはできない。……まあ、給料云々はともかくとして、だけど。
「変な苦労してるわね、彼女」
「いやぁ、それでも自由な方だと思うけどね。伯爵令嬢としては」
エフィムの返事に「本当かしら」と思いつつ。でもまあ、そんなものかも知れないわねと思いつつ。「マムとの商談」という大仕事にむけて、気合を入れ直した。
「みぃ〜」
「えっ、ちょっ、まっ、なに、どこ?、……うそっ!」
ミラナが久しぶりに訪れたデュチリ・ダチャの受付で。カウンターの上から勢いよくジャンプして肩に飛び乗った子猫のリーニャに、なかなか人には見せない戸惑いをあらわにした彼女。そんな一匹と一人を一瞥して、まるでため息をつくように「……みゃぁ」と鳴くミーニャ。その様子に笑いながら、ミーニャをなでようと近づくエフィム。素早く距離を置くミーニャ。
昼下の鐘の下、二匹の猫と二人の人間のささやかなコメディが繰り広げられる未来が待ち受けていることを、その時の二人は、全く予想していなかった。




