閑話 黒猫ミーニャの世界(2)
ミーニャがマムたちに拾われて(拾わせて?)から数日後。マムが辺境へと帰る前日、彼女に一通の手紙が届く。……教会の郵便受けの中に入っていたその手紙を最初に見たのは当然のようにフェディリーノ神父で、当然のように彼はマムに「なぜマム宛の手紙がこの教会に届くのか」と問いかける。が、そんな神父の問いに答えずにマムは手紙を読みふける。やがて手紙を読み終えたマムは、神父に問いかける。
「ちょっと聞きたいんだけどね。『バニラエッセンス』とやらは、このあたりで手に入れることはできるんかい?」
「……ドウシテ、そんなことを聞きマスカ?」
そもそも「バニラエッセンス」なんてものを知らないであろうマムの唐突な問いかけに答えず、質問を返す神父。その質問にさも「細かいことを気にするんだね」と言わんばかりの態度を取りながらも、マムは神父に説明をする。
――マムの経営する店の女たちがエフィムの部下たちと定期的に「交流会」を行っていること、二、三日前にその交流会が行われたこと、その交流会でエフィムたちから「バニラアイス」なる手土産が振る舞われたこと、そのバニラアイスはウチの女たちや店の人間に好評だったこと、そのバニラアイスを作るには「バニラエッセンス」なる香料が必要となること、そういったことを手際よく説明された神父は、その説明で深くなった疑問点を、さらに質問をする。
「……どうやってその情報を、この速さでココまで届けたデスカ」
「さあてね。そいつは企業秘密だね」
神父のもっともな疑問に、堂々とはぐらかすマム。その態度に話すつもりはないらしいと悟った神父はあっさり追求をあきらめる。
「ワカりました。駅のチカクに取り扱ってる店がアリます。紹介状を書いておきマス」
バニラエッセンス、本来は「バニラ」という南方で生産される植物を原料とする香料で、栽培が難しく高価だったが、近年、植物のバニラを使わない「合成バニリン」が開発され、帝国内で製造可能となったこと、その製造や商品化には帝国貴族が関わっていること、そういったことを神父はマムに説明する。
「ふうん。要するに『貴族様の看板商品』ってわけだ」
「ソウデスネ。同じ南方のシコウヒンでも、カカオやコーヒーは帝国ではツクれません。ガイコクから運んでくるダケではサンギョウになりまセン。キゾクサマにはウマくない、オモイマス」
マムの、やや皮肉っぽい言い回し。だが、貴族云々には特に思うこともないのだろう、マムの皮肉にあっさりと同意するフェディリーノ神父。
……と、そんな二人が会話しているところを、部屋の片隅で、見つめるようにじっと座る黒猫ミーニャ。やがて二人の話が終わると、興味なさそうにあくびをして、いつも陣取っている家具の上、「部屋の中で一番高い場所」へと飛ぶように移動する。
そんなミーニャの軽やかな動きに触発されたか、遊んでとばかりに「み〜」となく子猫リーニャ。その鳴き声に床の方を見下ろして、だけど無視してその場に丸まるミーニャ。そんなミーニャの様子に、早々にあきらめて白猫スーニャへとちょっかいをかけ始めるミーニャに、面倒なのか性格なのか、のんびりとした動きで相手をするスーニャ。そんな三匹の様子を、今度はマムがチラ見をして表情を緩ませる。
部屋の隅には、これまでマムが買い込んだ様々な品。結構な量の品物が、同行しているトレーダが全て運ぶからだろう、大きな背負い鞄ひとつにまとめられている。
その隣にある大きめの、空の肩掛け鞄。その鞄の中に、やる気のない遊びスーニャの遊びに飽きたのか、子猫リーニャが中に入って身体を丸めるのを見て、「気が早いね」とマムが吹き出したように笑う。
――そんな感じで、猫と人間が互いに気にしながらも不干渉のまま、マムが教会に滞在する最後の日も、静かに暮れていった。
◇
翌朝。いつもよりも早い時間。道路と教会の敷地を隔てる門の内側には、かなり大きな背負い鞄を背負ったトレーダと、大きな肩掛け鞄をぶら下げたマム。その二人を、正装に着飾ったフェディリーノ神父が見送りに出る。
「世話になったね」
「イエ、こちらも色々タノシかったデス」
握手を交わしながら、短く言葉を交わすマムと神父。互いにこれが最後と思っていないのだろう、気軽な言葉に、隣のトレーダが少しだけ苦笑する。
「世話になりました」
「ええ、デはマタ」
トレーダとの握手の際に当たり前のようにこぼした「また」という言葉に、今度はマムが苦笑して。そうして、マムは教会を後にし、待たせておいた馬車に乗り込む。
マムが肩からぶら下げた鞄の中で、黒猫ミーニャはあくびをする。傍らには、肩を並べるように子猫のリーニャと白猫スーニャが身体を丸める。狭い空間を嫌がることもせず、すやすやと眠る二匹。そんな二匹に合わせるように、ミーニャも、なんのために準備されたのかわからないふかふかの毛皮の上で丸くなって目を閉じる。
そうして、一行の、帝国からグロウ・ゴラッドへの旅路が始まった。
◇
「ふぅん。こいつが『特急列車』かい。馬車よりも快適そうだね」
「一応『一等客室』だからな」
駅前の、フェディリーノ神父に紹介された店でバニラエッセンスを買い込んでから。駅で、神父に手配してもらった特急列車に乗り込むマムとトレーダ。行きの普通列車とは違う、手狭とはいえ十分にくつろげるだけの個室に感心した声を上げるマムに、いつものようにぶっきらぼうに言葉を返すトレーダ。
「一等っていうと、こいつが一番いい客室ってことかい」
「いや、さらに特等客室や貴族専用の客室があるはずだ。むしろ普通だな」
「なんだい、紛らわしいね」
そんなことを言いながら、二段になった寝台、椅子も兼ねた下段の席に腰掛けるマム。と、会話を楽しむつもりはないのだろう、早々に上段へと登るトレーダ。まあ、その方がお互い気兼ねなくていいかねと、気にした様子もなく、肩にかけた鞄を窓際の、窓の外の風景が見えるところに置く。中には、すやすやと仲良く寝入る猫が三匹。そんな猫たちの様子に、マムは荷物の中から暇つぶしにと本を数冊取り出して、読み始める。
最初に取り出したのは菓子作りの本。その中には、今回の旅で仕入れた「チョコレート」や、その原材料である「ココアパウダー」や「ココアバター」を使った菓子もいくつか紹介されている。それを見て、マムは軽く苦笑いする。まったく、こいつらは今回の目玉の一つだったはずなのに出し抜かれちまったね、と。手紙に書かれていた内容と神父の説明を考えると、その「バニラエッセンス」とやらは、今回買ったどの「商品」よりも安く仕入れることができるのは間違いなさそうだから。
――そんな風に、列車の中で、思い思いにくつろぐ二人と三匹。ときおり「みぃ」という子猫の鳴き声がする以外はとても静かに、列車の中で一日がすぎていった。
◇
翌日の昼、グラニーツァ・アストロークの駅で列車を降りて。街を早々に出た二人は、行きに野宿をした人気のない林の中で、日が沈むのを待つ。
そうして、その日の夜。二人は大量の荷物を抱えながら、無事に壁を超えた。
◇
「久しぶりの雪だね。帝国を出たって実感が湧くもんだよ」
久方ぶりに厚手の外套に袖を通したマムの、感慨深げな声。その声を肩掛け鞄の中で聞きながら、ミーニャは、ふかふかの毛皮にくるまって、リーニャやスーニャと身を寄せ合って暖を取る。――暖かい毛皮にくるまって、身を寄せ合って、暖かいはずなのに。鞄のどこかから入り込んでくる常軌を逸するほどに冷たい空気に、猫たちは震え続ける。
トレーダが犬笛を吹く。あたりに響く大音量の甲高い音。人間たちはこの音が聞こえないとミーニャが知るのは後のこと。少し時間を置いて聞こえてくる、犬の鳴き声とかすかな匂い。普段のミーニャなら警戒心で満ち溢れるような状況も、今はささいなことと。毛皮の中で、初めて味わう寒さに耐え続ける。
肩掛け鞄の中がそんなことになっているとはつゆ知らず、手早くその場から離れる準備をするトレーダ。その場で組み立てた小さなそりに呼び寄せた四頭の犬を繋いで、荷物を載せて運ばせる。その犬たちに先導させる形でしばらく歩いて、二人はやがて、小さな山小屋へとたどり着く。
ささやかな、でも人間二人と三匹の猫と犬たちが暖をとってくつろぐには十分な広さの山小屋の中。やがて薪ストーブが山小屋の中を温めると、ようやくミーニャたちの震えも止まる。恐る恐る鞄から外に出るミーニャ。ここで初めて、ミーニャは、ここまでそりを引いてきた犬たちを見る。
ミーニャがこれまで見てきた犬とは比べ物にならない、自分の何倍もの大きさの犬たち。部屋の片隅で行儀よく身体を休めながら、興味深そうにこちらの様子を伺う大型犬たちに気付いて、ぞわりと毛を逆立てるミーニャ。だが、その穏やかな様子に警戒を解くと、薪ストーブのすぐ近く、一番暖かいであろう特等席に陣取って身体を丸める。
同じように鞄から出て、同じようにぞわりと毛を逆立てた後に、同じようにミーニャのほど近くで身体を丸めるスーニャに、トコトコと、二匹の間で身体を丸めるリーニャ。「みぃ〜」という鳴き声に、猫たちの安心感が漏れ漂う。
やがて、山小屋の中は、静かな寝息で満たされた。
◇
翌朝。目を覚ましたミーニャが大きなあくびを一つ。部屋の中を見回して、快適さが保たれていることを確認したところで、ふと、ミーニャはリーニャがいないことに気付く。
「猫ってのは寒さに弱いと思ってたんだけどねぇ」
そう言いながら窓の外を見るマム。つられたようにその視線の先を見たミーニャは、ほんの僅かに小屋の扉が空いていることに気付く。その隙間から外に出たミーニャは、これまで見たことの無い光景を見る。
林の中をわずかに切り開いて立てられた山小屋。
その地面に、木々の上に、まんべんなく降り積もる雪。
一面の白に、隠しきれない木々の青々とした緑に、登ったばかりの太陽の光が煌めく。
そんな、どこか幻想的な風景の中を、リーニャがはしゃぎ駆ける。
「みぃ〜」
見るもの、触るもの、全てが珍しいのだろう、駆けては喜び、転がっては目を輝かせるリーニャ。木に登ろうとしてはずり落ち、雪を掘って、舐めて、舞い散る雪に飛びかかったと思えば今度はゆっくり歩いてみたりと、次の行動が予測できず、楽しげで、危なっかしい。
そんなリーニャの様子にミーニャは、まるでため息をつくかのように息をはく。自分の息がほのかに白くなっていることにも気付いた様子も無いままに、恐る恐る前足を踏み出すミーニャ。雪に触れ、その冷たさにすぐに足を引っ込めて、ふたたびを前足を踏み出して、今度は雪を踏みしめる。
始めは恐る恐る、やがて普段どおりに、リーニャの元へと歩き出すミーニャ。そんなミーニャにようやく気付いたのだろう、見上げてくるリーニャ。その首を咥えて持ち上げたミーニャは、そのまま小屋に戻る。
そうして、薪ストーブの前、一番暖かいところに連れもどされたリーニャ。外の方を見ると、既に閉じられた扉。ようやく遊びを邪魔されたと気付いたリーニャは「みぃ!」と一声鳴くと、少し離れたところで眠っていたスーニャの近くに行き、身を寄せるように寝転がる。
そんなリーニャの様子を軽く眺めたあと、薪ストーブの前、一番暖かいところで身体を丸めるミーニャ。そんな猫たちの様子を横目で気にしながら、人間二人と犬たちは、グロウ・ゴラッドへの旅の支度を進めていった。
◇
山小屋で簡素な朝食を終えて、彼らは帰路につく。犬ぞりは小屋に準備してあった頑丈な作りのものに代わり、犬たちも二頭増えて六頭に。昼間はそりで移動、猫たちはこれまでと同じように鞄の中。もっともリーニャだけは、「みぃ」と鳴くたびにマムが抱きかかえて、外の景色を眺めたりもしたが。
日が沈むと、山小屋で夜を明かす。最初は恐る恐るだった猫たちも二日目からは慣れたもの。薪ストーブがつくなり、鞄の中から飛び出して、薪ストープの近くで丸くなる三匹。そうして部屋中が暖かくなると、ミーニャは山小屋の中を探るように一周して、リーニャは気ままに動きまわる。そんな二匹を目で追いながら、その場を動こうとしないスーニャと、時の過ごし方は三者三様。
そんな、山小屋とそりの移動を繰り返して。グロウ・ゴラッドにほど近い山小屋でマムは、トレーダや犬たちと別れ、馬車に乗り換える。そんなマムに連れられて、三匹の猫たちは、これから住むことになるデュチリ・ダチャへと到着した。
◇
「おかえりなさいませ」
予め連絡を受けていたのだろう、受付でマムを出迎える従業員。幾人かが、入り口の馬車に荷物を取りに走る。
「こいつらに、適当に肉でも食わせてやってくれ。まあ、食わないなら抜いちまっても構わないけどね」
そんな言葉と共に、肩にかけた鞄を受付のカウンターの上に置くマム。どこか今までと違う空気を感じるのだろう、恐る恐る鞄から出てくるミーニャとスーニャ。
――見通しのいい、広い空間に高い天井。その中心からは、一目で数え切れないほど多くのろうそくが立てられた豪奢なシャンデリア。そして、四本のろうそくが立てられた小さなシャンデリアが、いたるところからぶら下げられる。そのシャンデリアに照らされるのは、異国情緒あふれた意匠。敷物、調度品、制服、ありとあらゆる物が、グロウ・ゴラッドとも帝国とも違う、独特な雰囲気を醸し出す。
その風景は、グロウ・ゴラッドの中にあっても異質な風景。そんなことを知らないはずのミーニャとスーニャも、その異質さを感じ取ったのだろう、二匹そろって、まるで呆然としたかのように動きを止める。これまでマイペースを貫いてきた猫たちのそんな反応に、マムはどこか得意気な様子を見せる。
――そんな二匹の横をすりぬけて、リーニャがカウンターの上から飛び降り、建物の奥へと駆けていく。
「みぃ〜」
それに一瞬遅れて気付いたミーニャ。めずらしく、少し鋭い鳴き声を上げる。
「――みゃあっ!」
その、普段とは違う鋭い鳴き声に立ち止まるリーニャ。振り返って、カウンターの上のミーニャを見上げる。素早くカウンターから飛び降りると、首根っこを咥えて、再びカウンターへと飛び乗るミーニャ。その身軽さに、周りの従業員たちが感心した様子を見せる。
その頃には普段のペースを取り戻したのだろう、周りの様子なんて我関せずと毛づくろいに勤しむリーニャ。結局は一瞬でマイペースさを取り戻した猫たちに、マムは「まったく」と言いたげに首を振る。
「……では、餌を用意してきます」
そう言って奥に下がろうとする従業員に、黙って後をついていくミーニャ。「みぃ〜」と甘えた声を上げるリーニャに、一つあくびをした後についていくスーニャ。その様子に、ふとマムは、先日教会で神父と話したことを思い出す。
「まったく、こいつら、実は言葉が通じてるのかねぇ」
そんなマムの言葉が聞こえたのか、一番後ろを歩いていた白猫のスーニャが振り返って「ナー」と一声。そのまま立ち止まらずに、ミーニャやリーニャと一緒に、従業員の後をしずしずと歩く。
――こうして、この日から、デュチリ・ダチャに、三匹の新しい住人が住み着くことになった。




