ないしょの異文化交流
デュチリ・ダチャにほど近い、程よい大きさのとある飲食店。昼はランチ、夜は早い時間から酒を中心としたメニューが売り上げを支える、やや雑然とした、良く言えばいかにも親しみやすい感じの店。その店の、端の方のテーブルから、元気な女の声が店の奥へと通っていく。
「すいませーん! こっちにスピリッツと果実水と、あと適当な揚げ物をこんもり、くださーい」
「あいよー」
食事の客が席を立ち、入れ替わるように酒の客が席に座る、どっちつかずの時間帯。だけど、その端の方に陣取る客たちは、周りの様子なんか我関せずとばかりに騒ぎながら、ちょっと重めのツマミと酒を胃袋の中へと放り込んでいく。
「はい、おまちどー!」
威勢のいい声と共に色とりどりの液体の入ったピッチャーと酒瓶を机の上にドスンと置いていく店員のおばちゃん。そのまま空になった食器を回収して、忙しそうに店の奥へと戻る。
そんな店のおばちゃんを「ありがとー」と見送って、隣に座る男に声をかける。
「……で、お兄さん、何で割る?」
「そうだなぁ、とりあえず、そっちの黒っぽい赤色のを取ってくれるか?」
酒を割るつもりで聞いた女に対し、やんわりと自分で作ると伝える「お兄さん」。その返事に「はいはい、ブラックベリーね」と言いながら、果実水――水で薄めた果汁――の入ったピッチャーとスピリッツの酒瓶をその「お兄さん」の前に置く。
「……で、今回初参加のお兄さんは、楽しんでますかな」
ほんの僅かな酒に、なみなみと果実水を入れる「お兄さん」に少し笑いながら、肘でうりうりとつつく女。そのおおざっぱなコミュニケーションに少し戸惑いながらも、呼ばれた「お兄さん」はグラスを傾ける。
「ああ、まあ、悪くはないな」
いまいちノリが悪い淡々としたその声。それでも不満や退屈は感じていなさそうな感じの声に、うん、まあ、このお兄さんはそういう人っぽいよねと、そんなことを女は思った。
◇
デュチリ・ダチャほど近い酒場で、場所や人を変えて、定期的に行われるささやかな酒宴。男と女が合わせて十人前後、顔ぶれも一致しないその酒宴に共通するのは、男たちは郊外に建てられた飛び領地邸の兵士で、女たちはデュチリ・ダチャに所属する女たち。――そして、男たちが帝国通貨を女に預け、その女がソルストゥで支払うという、ちょっと回りくどい支払い方をしていることくらいか。
ここは、いつのまにか常態化した、飛び領地邸の兵士たちとデュチリ・ダチャの交流のための酒宴。それは、帝国通貨しか持ち合わせのない飛び領地邸の兵士たちにとっては数少ないお金を使える機会で、デュチリ・ダチャの女たちにとってはちょっと男と飲むだけで小遣い稼ぎができて、まあ金払いが悪くない男と知り合うことができる、そんな思惑が重なり合った飲み会だった。
◇
「しっかし、よく考えるよなぁ。誰が考えるんだ、こういうの?」
「さあ? 誰でも考えるんじゃない?」
かなり薄めの酒を舌の上で転がしてから、隣の女に話しかける「お兄さん」。その言葉にさらっと答えて、あははと少しの間だけ笑う女。そのまま自分のグラスに酒を注いで傾けて、ごくり、ぷはぁとしてからお兄さんに話しかける。
「アテらのボスは帝国通貨が欲しい。お兄さんたちは帝国通貨を持てあましてる。ならお近づきになろう。そうすれば全員幸せ。ほら、なんも難しい話じゃないじゃんよ」
「……本当にそんなに簡単なら、俺らのボスは何をやってるんだって話なんだけどな」
女の言葉にお兄さんが笑いながら、再び手にしたグラスを、今度はぐっと傾ける。こんな風に定期的に酒盛りして、親しくなれそうな相手を見つけて、どこかで会う約束をする。そうして知り合った女に帝国通貨を渡せば、ここの金に変えて支払ってくれる。
相手は娼婦、だけど相手を買うつもりが無いならそれでいい。ただし、街の見物だの食事だのに付きあわせる分の金は払うし、その際の出費も基本はこっちがおごる。……といっても、俺らが持ってるのは帝国通貨だから、結局は女たちが払うことになるのだが。
……つまり、俺たちは相手の女が満足するように金を使い、帝国通貨で女に払う。女はここの金で支払いを済ませて、後であっちの「ボス」に預かった帝国通貨をここの金に両替してもらう。そうして「ボス」は帝国通貨を手に入れ、女は俺たちに奢ってもらった品が手元に残ると、そんな仕組み。
「それはさあ? 扱う商品の違いでしょ。ウチら、お近づきになることで稼いでるんだから。物を売るのとは根本的に違うさー」
女のその言い回しに、今度はこっちが苦笑をする。実際、他の連中に聞いて回ったりしているわけじゃないが、今ここにいる女たちは本当に「お近づきになることで」稼いでいると、そう感じる。……身体を一切売らないという訳ではないのだろうが、積極的に売ろうともしていない、そんな感じか。
実際、見知らぬとはいえ立派な街の片隅で、あんな塀に囲まれた屋敷に閉じこもって、使い道のない給料をため込んで早数ヶ月。少しは外に出て自由に動き回りたいと、自分も思うくらいだ、余計に金がかかってもいいから息抜きしたいと思う奴も多いだろう。
……今、こうして隣で肘だの拳だのをグリグリしてくるこの女だって、見たくれは悪くないし、なんというかいい感じな気安さがある。たまの気晴らしに街を歩いて、案内してもらいながらちょっと奢って多めに払う、そんな関係も悪くないと、自分でも思う。
そんな考えを見抜いたのか、女が勝手にこっちのグラスに酒を注ぎながら、話しかけてくる。
「アテもさ、たまにはこう、ちょっとくらい実入りが悪くても、あんまガツガツしてないのもいいかなーなんて思うこともあるわけでさ。ここに来ている子はそういう子が多いんじゃないかなーっと、と、と、……ほい、かんぱーい!」
ノリで乾杯を求めてきた女に付き合ってグラスをあわせて、いつのまにか間に随分と濃くなってしまった酒に口をつける。
……この感じ、油断してるとかなり浪費させられる、そんな感じがひしひしとする。
「……ガツガツ取る気もするけどな」
「えー、それはアテらじゃなくて、お兄さんが気前よく払ってくれるだけじゃないかなぁ」
こちらの言葉にケラケラと笑う女。俺らは任官するとき、数年間は故郷に帰れないかもしれないと聞かされている。だからだろう、俺らの部隊には独身で若いのが多い。俺たちは一兵卒でしかないが、ここでは本当に金を使わないし、その分、金が有り余っているのも事実。これはもう、相当に稼げそうだなと、そんなことを思った。
◇
……と、ちょっと隣のお兄さんに、強引にお酒を飲んでもらったところで。そろそろ口も軽くなってきたところだろうてと、一つ話を振ってみる。
「で? 今まで参加してこなかったマジメなお兄さんは、今回どうして参加したのかなー?」
アテの言葉に、真剣に考えるお兄さん。おっと、思ったより酔ってないな、そう思ったところで、しっかりとした口調のお兄さんの返事。
「……最近、俺らの所でアンタらの同業者を見かけてな。もしかしたら話が聞けるかなと思ってな」
うん、酔ってないなー。のわりに、あんま嘘っぽい感じも無いのは、なんというか、性格かなー。っと、そんなことを思いつつ、お兄さんの言葉を少し考える。――これ、多分、あの噂にもなった専属の人だよね。
……同業者ってもしかして、アテらがあの人らのことを知ってるって思ってる? だとするとちょっと残念だったかなぁ。
「ああ、あの、世にも珍しい『出世払いの玉の輿様』かぁ。うーん、アレはどうなんだろうね。アテらとはかなり違うからねぇ、よくわかんないわ」
あの人たち、アテらとは接点無いし、わかんないんだよねーと、そんなことを思いつつ、正直に打ち明ける。そんなアテの答えに、そこまで落胆した様子もなく、淡々と聞いてくる。
「違うのか?」
「まあ、天と地ほどにはね。……アテはああいうの、嫌いじゃないけどね。嫌う子は嫌うだろうねぇ」
「同業者なのに?」
「同業者だからさー。身体を売らなきゃ生きてけない、なのにそれを厭わないなんて、腹の立つ子もいるよ、そりゃ」
「……そんなもんなのか?」
「そんなもんですです」
このお兄さん、いい人というか、いい育ちだなーと思いながら、イマイチ納得できていないお兄さんとそんなやり取りを。いや、いいとこの坊っちゃんとかお偉いさんとか、そういう感じではないんだけどさ。何というか、闇が身近に無いというか、うん、ここのお兄さんたち、そんなみんなそんな感じがするけど、お兄さんは特にそんな感じというか。いい人といい育ち、両方ですな。うん、これはこれでちょっとイラッとする人いそうですなと、そんなことを思う。
「というわけで、知らなくて悪いねー」
「いや、これはこれで興味深かったし、悪くない」
そういって、また自分で、ちょっと強めの酒を作り始めるお兄さん。おっと? ブラックベリーとブルーベリーの果実水を両方入れた? もしかして酔ってる? そんなことを思いつつ、思い浮かんだ言葉を口にする。
「まあ、アテらもいろいろだよ。ガッツリ稼ぎたいと思う子、生きていくために必死な子、好きでやってる子だっている。まあ、ここにいるのは余裕のある子が多いと思うけどね」
口にしてから、ふと思う。あれ? 何でアテ、こんなことを話してるんだっけか、と。
◇
そうして、しばらくの間、サシで飲み続ける二人。そもそも同業者は仲がいいなんて誰が決めたのか、いや、少なくとも兵士は味方とは仲良くないとまずいだろうと、そんなしょうもない話でなぜか盛り上がって。そうかと思えば、なにか真面目なことを男が聞いて、その質問に女がコロコロと喜怒哀楽を切り替えながら答えたり。そうこうしている内に時間も過ぎて。
気がつけば、酒宴も終わりの時間となっていた。
◇
「今日の、あの初参加のお人はどうだった?」
「いやー、お兄さん、ああ見えてかったいわー。遊ぶ気ゼロだねー」
なじみのある子に話しかけられて。時間がきたらあっさりと帰ってしまったお兄さんのことを思い出して、少し笑いながら答える。まったく、あのお兄さん、本当に酒を飲みながら興味のあることを聞いて、それだけで帰っていきおった。どういうことだと小一時間。
「なんか色々聞かれてたみたいだけど」
「あれ、お兄さんの性格ですなー、多分」
続く言葉に答えながら、思う。うん、アレはああいう性格だ。「同業者を見て興味を持った」というのも言葉通りの意味だったし。……でもまあ、あんな感じでちょうどよかったのかもしれんなと、そんなことを思う。
……アテらは、本当にいろいろだ。旦那子供のために少しでも稼ぎたいなんてのもいれば、稼いだ金を全て男に貢ぐ子もいる。本当にどうかと思う、そんな子を何度も見てきてる。
専属の子がどんなんなのか、アテにはわからない。わかるのは、アテらとは違う、逃げ道のない世界で生きてることだけ。……でも、アテらには全然わかんないけど、わかってしまう地獄よりはいいんじゃないかな、とも思う。
アテらのボス、情は深いんだけどねー。でも、ああいうのは嫌うからなー。まあ、本人が好きで地獄につかってるのはどうしようもないんだけどさ。
「それにしても。あの人たち、大丈夫かなぁ。信用しすぎだよね。……コッチは楽だけど」
「……あー。いい人なのか、いい育ちなのか」
「いやぁ。ボスだと『教育がなってない』になるんじゃないかな」
「……言いそー」
なじみな子と会話して。思わず頷いてから、ふと思う。そういえば、あのお兄さん、余計なことは話さなかったなー。……あれ? もしかしてアテ、思ったよりも信用されてない? いや、あのお兄さんはきっと教育がなってたんだ、そう思いつつ、デュチリ・ダチャへの道を歩く。
まあ、今日は思いの外酒も飲んだしちょっと気分もいい。今日は商売はお休みしますかと、そんなことを考えながら。




