11.ささやかな旅を終えて
帝都を出発して、途中ミラナたちを乗せた寝台列車は、彼女たちが眠りについた後も、夜の帝国を走り続ける。……そうして、夜も更けて。列車は内地と辺境を隔てる壁のすぐ内側、旧国境の前線要塞都市グラニーツァ・アストロークに到着する。
「まもなくー、グラニーツァ・アストロークー、グラニーツァ・アストロークー、に停車ー、しまーす」
寝静まった列車の中に、ひっそりとした声で流れる案内放送。速度を落とし、やがて停車する列車。開く客車の扉。乗車する客。昼間とは違う、他人をはばかるような、それでも起きるささやかなざわめき。
そのささやかなざわめきに反応したのだろうか、二等寝台で眠っていたミラナの目が、そっと開く。
◇
――ちょうど、どこかの駅についたところみたいね。
寝台の上、止まっているらしい列車に、今何時くらいだろうと気になって、周りを見る。時計が無いのは不便ねなんて考えて、少し笑う。寝室に時計があるようになったのは飛び領地邸に引っ越してから。なのに、もうそれがあたり前になっている。慣れるのは早いわね、と。
部屋の外から聞こえてくる足音に、そっとカーテンを開けて窓の外を見る。そういえばプリィは寝てるのかしらと、ふとそんなことを考える。……と、寝てるようだというスヤァの意思が伝わってくる。
そういえば、スヤァとオットトで意思の伝え方が少し違わねと、そんなことをふと思う。オットトは「話しかけてくる」感じがするんだけど、スヤァは考えていることをそのまま伝えてくるというか、そんな感じがする。この違いはなにかしら? 契約しているかどうかの違い?
……と、そんなことを考えていたところで、私の知るもう一つの精霊が話しかけてくる。
(そんなことないよ。契約してなくても言葉を省略して伝えることはできるし、契約してても言葉で伝える方が好きな精霊もいるよ)
その言葉になるほどと思ったところで。ふと、エフィムも起きているのかしらと、そんな可能性が頭をよぎる。
(……もしかして、エフィムも起きてるのかしら?)
(いや、寝てるよ? ……だからそうだね、今ならエフィムに聞かれずに会話できるよ)
私の質問に、そう答えを返すオットト。基本的には、精霊と契約した人間は精霊に隠れて何かをすることはできないし、精霊も人間に隠れて誰かとこっそり話をすることはできない。だけど、人間は寝たりする。そういう「聞こえてるけど聞こえてない」状態になったときは内緒話ができると、そんなことを説明してもらう。
その説明にうなずきながら、少しだけ疑問に思ったことを聞いてみる。
(……ところで。今の言い方、精霊は人間と違って寝ないように聞こえたんだけど、間違ってないかしら?)
(そうだね。基本的に精霊は「スヤァスヤァ」と寝たりはしないね。……ていうか、精霊にとって意識をなくすのは大事だからね。もっとはっきりわかると思うよ)
……と、そんなことを話していたところで。深夜だからだろう、やや小さな音量で、案内放送が流れる。
「これよりー、帝国領ー、壁外地ー、壁外地にー、入りまーす。降雪時間帯につきー、安全のためー、速度を落としてー、運行しますー」
その放送に、そういえば行きにも同じような放送を聞いたことを思いだす。確かその放送が流れたあと、何というかこう、空気が変わるのを感じたんだっけと、そんなことを思い出したところで。
それと同じような、その時と真逆の変化を、再びその身に感じた。
◇
空気が変わる。それまでのすこしジメッとした空気から、刺すような怒りが混じった冷たい空気へ。きっと精霊と契約したからだろう、行きよりも多くの、空気の中に混じる怒りの感情までもが、はっきりと感じ取れる。
――そして、その感情の中には怒りだけでない、ささやかだけど強い、慈しむような感情が含まれていることも、同時に感じ取る。
(帝国の人間によって捨てられた冬精は、人間たちに対して強く怒ってる。だけど、その冬精を受け入れて、冬精と共に生きる人間もいる。そういう人間を、冬精は好む。――人間たちに怒る冬精に、人間たちを好む冬精。その結果がこの空気。……おもしろいよねぇ。たぶん、こんな空気はここにしか無いんじゃないかなぁ)
オットトの、珍しく少し真面目な話に耳を傾けながら、窓の外を眺める。窓の外は、行きと同じような、列車と外とを隔てるようにそびえ立つ壁。その壁の向こうはきっと、真っ暗な夜に雪が降り積もる景色が広がっているのだろう。
そんなことを思いながら、再び眠気が降りてくるまでぼんやりと、列車の揺れに身を任せた。
◇
「なんだか、久しぶりな感じです」
グロウ・ゴラッドの駅で降りて。大あくびをするリジィの横で背伸びをしながら、感慨深げにつぶやくプリィ。その言葉に心の中で頷きながら、辺りを見る。
列車が走り去ったあとの、うっすらと雪がつもるホーム。
人気のない、開けた空間を通り過ぎる冷たい風。
昨晩感じた、空気に混じる感情はそのままに。でも、意識を向けなければなんてことはない、いつもの空気。
そのほんの少しの懐かしさに、少しの時間、その場に佇む。
「そろそろ行こうか」
エフィムの一言で、皆で駅舎へと歩きだす。改札を抜けて、駅員室で駅員と敬礼を交わす。階段を降りて、馬車に乗って、動き始めて、ほっとひと息。
これまで何度も乗ってきた馬車の空気に、ようやくいつもの日常にもどってきたと、そんな実感が湧き上がった。
◇
「レヴィタナ伯って、スヴェトラーナの父親?」
「うん、そうなるね」
馬車の中、飛び領地邸に帰るまでの間。商売のこれからについてエフィムが話しているところで飛び出てきたその名前に、思わず反応する。
エフィムの帝国軍としての役職である物資統制官は軍政官の一種で、物資を売買することでその土地の経済に寄与するのを主任務とした官職。……と言うとものものしいけど、要するにその土地土地の生産物を買い上げたり不足しているものを流通させたりする、そんな商人みたいなことをするのが任務の役職。で、彼が今ここにいるのも、この地に眠る「帝国にとって有益な物資」を見つけて買い付けるためと、そんな建前になっているらしい。
だから彼は、この街で仕入れたゴルディクライヌを帝国政府に売ることもできるし、そうすることで彼や彼の部下たちは給料の形で金銭を得ることもできる。
――でも、商品を帝国政府に納めてしまっては商売を広げることはできないし、そもそもこの街は帝国の統治下にあるわけじゃないからそこまであてにすることもできない。帝国政府にも売れるというのはあくまで保険で、商売自体は官職に頼らず、この街を商売相手として見る人と取引をしていかないといけない。
……で、その「この街を商売相手として見る人」がレヴィタナ伯になると、そんな話。
「……そのレヴィタナ伯も、この街ではなくスヴェトラーナを見て商売していると思うんだけど」
「まあそうだね。――でも、そのレヴィタナ伯が取引する相手は?」
当然の質問に、自信満々に答えを返すエフィム。僕たちはスヴェトナーナの信用を使ってレヴィタナ伯に物を売る。レヴィタナ伯は自身の信用を使って僕たちの知らない人に物を売る。そうして、この街のことも僕たちのことも知らない人がこの街や僕たちのことを知る。そんなことを滔々と語る。
「まずは取引を続ける。堅実な商売をして、僕たちとの商売を魅力に感じる人を作る。そうして交流を広げて、商売の手を広げていく。……実際、ここは帝国に一番近い外国で、帝国から最もかけ離れた外国でもある。互いに無い物を交換しあうのにこれほど好都合な条件は他に無いはずなんだ」
と、そこまで話して。軽く肩をすくめてから苦笑する。
「……と言ってもまあ、組織も僕たちも、相手に何が売れるのかがさっぱりなんだけどね」
まあこればっかりはねと、やや語調を下げるエフィム。急げば急ぐほど賭けになる。いつまでも勝負に出ないのも問題だけど、今は取引が始まったばかりだし、あとしばらくは足元を固めても良いんじゃないかと思ってると、そんなことを話す。
そんな彼に、ふと思ったことを言ってみる。
「組織以外と取引をするのも面白いんじゃないかしら」
「まあそうなんだけどね。それはもう少し先の話じゃないかなぁ」
僕たちがこの街で何かを買おうにも、この街の通貨を持っていない。何かを売るにも、何を売ればいいのかわからない。さらに言えば、僕たちがこの街に何を持ち込もうとしているのか、組織は結構神経質になって見てる。こんな状況なんだから、とりあえず組織を通しておいた方が無難じゃないかなと、そんなことをすらすらと話すエフィム。
……その言葉に頷きながら。実際、彼の言うこともわかるんだけど、ちょっと消極的じゃないかしらと、そんなことを思う。
そんな私の疑問を読み取ったのか、さらに言葉を継ぐエフィム。
「まあ、どちらにせよ、ここで組織を無視して商売はできないし、組織だって今よりもっと商売を大きくしたいはずだからね。……その割に、思ったよりも動きが鈍いのはちょっと気になるけど。でもまあ、あと少し様子を見て何も動きが無いようなら、こちらからいくつか話を持ちかけるつもりだよ」
そんな彼の言葉に、とりあえず何もしない訳じゃないのね、ならいいかと、そんなことを思う。
――まあ、私が良いとか悪いとか言うようなことでも無いとは思うのだけど。
◇
「……で、レヴィタナ家が商売にどう関わってるのかはわかったけど。あなたの実家はこの商売にどう関わっているのかしら?」
「いや、ストルイミン家はこの商売には関わっていないよ。これは僕の個人的な事業さ」
何気ない質問に、あたり前のように答えるエフィム。……そのあんまりな答えに、それ、いくらなんでもおかしいんじゃないかしらとジト目で見る。
「とはいっても、あの家を建てる資金はストルイミン家から出ているし、僕が列車を駅に止めることができるのも三男坊とはいえ僕がストルイミン家の人間だからだけどね」
続くエフィムの言葉に、どうしてそれで「ストルイミン家は関係ない」ことになるのかと、頭を抱えたくなる。
「……それ、ストルイミン家が商売に協力していることにならないのかしら?」
「ならないね。このくらいは『貴族にありがちな見栄』だから」
続く質問にも即答するエフィム。その態度に、どうやら本気で言っているらしいと理解する。……納得いかないけど。
「まあ、半分は建前だけどね。ストルイミン家ぐらいの貴族になると三男坊でも別宅くらいは持つものだし、そこに通うために便宜を図るくらいはあってもいい。それを否定することは、ストルイミン家が果たしている社会的責任を否定することだと、そんな感じかな。……ここの組織の人たちも、凄く面子を気にするし、周りも顔を立てたりするじゃないか。それと一緒だよ」
続く彼の無理のある論理。その最後の「組織と同じ」という例えに、ようやく、ほんの少しだけ、しっくりとくる。……でもどうかしら? 組織の見栄と貴族の見栄? 本当に同じものだとしたら、貴族というのも大概に頭が悪い、余計なプライドの塊みたいな人たちになってしまうと思うけど。
と、そんなことを考えていたところで、リジィがなんとも言えない表情を浮かべていることに気付く。なにかしらと少し首を傾げて、ようやく彼の考えていることに思い当たる。
「もしかして私、その『貴族の見栄』の一部かしら?」
「それは困るなぁ。ちゃんとこの街の人間として商売に協力してくれないと」
「――だ、そうよ」
言外に「別宅に住まわせている女」みたいなことを含ませてのエフィムとの問答。その内容に、リジィは納得したようなしていないような、微妙な表情を浮かべる。
(いや、彼が気にしてるのは、「どう見られるか」だと思うけど)
そんなオットトの言葉に、心の中で肩をすくめる。――「そう見られる」なんて考えたところでしょうがない。娼館に売られたのも身請けされたのも紛れもない事実で、恥じることじゃない。そう見たい人は見ればいい、そんな人と付き合っていくことなんてできないし、どうにもならない。考えるだけ時間の無駄。
そんなことに気を配るくらいなら、この先、違う事実を積み重ねて、それを見てくれる人と付き合えばいい。そうやって、嫌な見方をする人を隅に追いやってしまえばいいと、強く思う。
(……なるほどね。わかってたけどさ、そういうところは似た者同士だよね。ちょっと過激だけど。――それとも、真逆なのかな。うん、どっちだろう)
オットトの言葉に、ほんの少しだけ「おや?」と感じる。私と彼、どこが似ているのか、正直わからない。だけど、彼と付き合いの長いオットトが言うのなら、きっとどこかが似ていたんだろう。
私と彼、どの辺りが似ていると感じたのだろう? そんなことをふと思った。
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飛び領地邸の仮面夫婦
第五章 帝国小旅行 了
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