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飛び領地邸の仮面夫婦  作者: 市境前12アール
第五章 帝国小旅行
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9.昔馴染みのお屋敷で(5)

 イソルダさんに案内されて、スヴェトラーナやエフィムの過去の話に花を咲かせながら、畑までの道を歩いていたところで。牛を引いて私たちの後ろを歩いていたリジィが声を上げる。


「じゃあ、俺はこっちだから」


 そういって、曲がり角を曲がろうとするリジィ。そんな彼に、ふと疑問に思って聞いてみる。


「そういえばその牛、どうするのかしら?」

「ああ。こいつはちょっと運動がてら、餌を食わせにね」


 そんなリジィの言葉に、周りを見渡す。道の両脇には、青々とした一面の麦畑。後ろの方には、思ったよりも歩いてきたのだろう、そろそろ小さくなったミシチェンコフ家の庶民的なお屋敷。


……この見渡す限り畑しかない風景のどこかに、この牛という動物の餌があるのかしら?


「ああ、休ませてる畑で牧草を育てててね。そこに放してくるのさ」


 と、私が首を傾げているのに気付いたのだろう、イソルダさんが説明をしてくれる。


「同じ畑を使い続けてると土地が痩せていくからね。作物を変えたり休ませたりと、色々してるのさ。で、休ませるついでに牧草を育てて牛を放てば土地が肥える上に運動にもなって一石二鳥ってわけだ。……まあ、最近は肥料も良いのがあるし、無理に休ませなくても良いんだけどね。でもまあ、あんまり休ませないでいるのもゾッとするからさ。だから一応、数年に一度は休ませるようにしてるんだ」


 そう説明をするイソルダさんと、しきりに隣でうなずくプリィ。なにかしら、グロウ・ゴラッドの農業にも通じるところがあるのかしら? そう思ったところで、話が一区切りついたと判断したのだろう、リジィが「じゃ、また後で」と言いながら、曲がり角の先へと牛を引いていく。


「……あんまり変な話をしないでくれよ。後で俺がスヴェトラーナ様に目を付けられるんだから」


 そんなリジィの立ち去り際の言葉に、少し肩をすくめる。プリィや、多分イソルダさんも同じことを思ったのだろう、苦笑を浮かべてつつ、何も言わずにリジィを見送る。


――多分、今までで一番、リジィが色んなことを暴露していると思うのだけどと、そんなことを思いながら。


  ◇


 そうして、リジィがいなくなって。私とプリィとイソルダさん、ニカトルくんとコーシャちゃんが固まって歩きながら、先ほどの話を続ける。


「まあ、スヴェトラーナ様がエフィム様にそんなことを言ってたなんて、アタイは知らなかったんだけどね。でも、気持ちはわかるさ。帝国教会に協力しない貴族様は外国に出ても相当に警戒されるみたいだからねぇ。まともな地位に就いた人は一人もいないって、エフィム様はそう言ってたよ」


 歩きながら話すイソルダさんの言葉。その言葉に、プリィが反応する。


「……一人もいないんですか?」

「らしいね。まあ、アタイもそこまで詳しくは知らないんだけどさ。ただ、あんまり目立つと帝国教会に異端者と指名される。そうなったらもう、ほとんどの国でまともな地位にはつけなくなると、そんな話みたいだね。……といってもまあ、ウチにいる時は監視されてなかったみたいだけどね」


 プリィの質問に、多分エフィム自身から聞いた話なんだろう、少し疑問符をつけながら話すイソルダさん。と、その言葉に頷くような気配を感じる。


……そういえばいたわねと、存在を忘れかけていたスヤァに意識を向ける。


 えっと、このあたりは誰も覗きをしている感覚は無い? 神父様の教会は誰かが遠方から見ていた? 話とかは聞かれていないはず? そんなか細い言葉を受け取る。


「……ここは監視されていないみたいって、スヤァ……私の精霊も言っているわね」

「そういえば、アンタも精霊様の声が聞こえるんだっけ? ……便利なのかそうでないのか、微妙なとこだねぇ」


 私の言葉に、肩をすくめながらそう言葉を返すイソルダさん。……そうね、監視されてることに気付けても、そのせいで監視されるのならどうかとも思うわねと、そんなことを思いながら彼女に頷きを返す。


「とにかく、エフィム様が国を出て、全ての繋がりを断って生きようとしたのもね、子供っぽい思い込みばかりじゃないって話さ。今だって、エフィム様は監視の目を気にしている。……でなきゃ、ストルイミン家の人間を差し置いて、ウチのリジィを近くに置いたりしないだろうしさ」


 続けて話すイソルダさん。その言葉に疑問を感じたのだろう、プリィが質問する。


「……リジィさんはいいんですか?」

「そりゃあ、あの子ももう大人だからね。アタイが口出す話じゃない。……それに、仮になにかあったとしても、こっそり戻ってきてウチで農作業に勤しむくらいはできるだろうしさ」


 プリィの質問にさらっと答えるイソルダさん。……えっと、つまり、貴族じゃなければ大丈夫ということかしら? そう思ったところで、その考えを肯定するかのように、イソルダさんが言葉を継ぐ。


「まあ、そういう意味では、何かあったときに一番困るのはスヴェトラーナ様のはずだけどね。あの方はれっきとした貴族で、しかも女とはいえ家の継承に関わる立場のお人だ。最初から外国で生きるつもりだったエフィム様や、最悪ウチで畑を耕してればいいリジィとは立場は違うんじゃないかねぇ。……まあ、いつその『異端者』とやらにされても大丈夫なように、考えてはいるとは思うけどね」


 そこまで言って、一旦言葉を区切るイソルダさん。その話を聞いて思う。――今まであの二人のことを、なんというか、ごく普通に「一組」として考えていたのだけど、実はそうではない気がする、と。


 そんな私の考えを裏付けるように、イソルダさんは言葉を続けた。


「それに、スヴェトラーナ様はいつまでも帝国の外……壁の外にいるわけにも行かないはずだしねぇ。スヴェトラーナ様が壁の外にいられるの、あと一、二年が限度じゃないのかねぇ」


 それは、これまで聞いた話を思えば当たり前の話で。同時に、少なくとももっと先の話だと、そう心のどこかで思い込んでいた話だった。


  ◇


 ミラナたちがミシチェンコフ家でスヴェトラーナの昔の話に花を咲かせている頃。グロウ・ゴラッドの郊外に建つ飛び領地邸では、留守を預かるスヴェトラーナが侍女のホーミスと共に、自身の執務室で、エフィムの部下に応対していた。


「どうでしょうか?」

「……思ったより、悪くないですわね」


 昨日、エフィムの部下に依頼した封蝋に使う印章の図案。雪の結晶の中に浮かぶ帝国風の邸宅と馬車が配されたその図案の思いがけない出来の良さに、スヴェトラーナは意外そうな声を上げる。


「は。……実は一人、画家志望だった者がおりまして」


 スヴェトラーナの質問に、エフィムの部下が答える。――その図案を描いたのは、生まれ育った故郷とは別の場所に行きたい、たったそれだけの理由でエフィム様の「壁の外との通商任務」についてきた男でして。そいつは思いかけずこの雪の街に赴任したことを喜んでいるような男で、今でも暇を見ては屋敷の外に出て嬉々として絵筆を動かしているような変人なのですと。

 その言葉に、スヴェトラーナがクスリと笑う。エフィムの部下には、そういう、どこか個性的な人間が多い。きっと故郷から離れたい者や家に縛られない者を集めた結果なのだろうが、なかなかに面白い人間が集まってますわねと、見ていて思う。


……その中にリジィが入っているのはどうかしてると思いつつも、彼もまあ、そこまで家に固執するタイプじゃないですしねと、心の中で少し笑う。あれはあれで個性的ではあるし、エフィム様に通じるところもあると。


 と、そんなことを考えながら、スヴェトラーナは、机の上に並べられた図案を指して、軽く指示を出す。


「そうね。……これと、これと、このあたりが良いですわね。あとはあの方々たちが戻ってきてから決めましょう」

「は」


 スヴェトラーナの言葉に、机の上の書類をまとめてから退出する部下。そうして、執務室にホーミスと二人になる。


 特に指示されるでもなく、無言でハーブティを淹れ始めるホーミス。やがて机の上に置かれたハーブティーに「ありがとう」と言って、そっと口を付けるスヴェトラーナ。先ほどまでとは少し違う、ゆったりとした時間が流れ始める。


「そろそろ帝都に着かれた頃でしょうか?」


 スヴェトラーナがリラックスするのを見てとったのか、世間話をするように、気軽な口調で話しかけてくるホーミス。そんな彼女に「そうですわね」と答えて、スヴェトラーナはハーブティーを一口、そっと口に含む。


「きっと、うんざりしている頃ですわね」


 ミシチェンコフ家はともかく、帝都に行けば、間違いなく監視が付くはず。そうなれば、間違いなくうんざりするだろう。エフィムのことを思い出して、スヴェトラーナはクスリと笑う。


「きっとそうなのでしょうね。……私にはわかりませんが」


 スヴェトラーナの言葉に、ホーミスは静かに答える。いつものように、ともすれば冷たいと感じるホーミスの雰囲気にふと、彼女たちにはエフィム様やリジィはどう映っているのかしらと、そんなことを考える。


 私とエフィム様が親しくなることで、ストルイミン家とレヴィタナ家の距離は縮まった。ストルイミン伯とレヴィタナ伯は共に新しい知己を得て、交流も深めた。……だけど、その輪の中にミシチェンコフ家の付き合いは入っていない。ホーミスを初めとするストルイミン家の人間も、きっとストルイミン家の人間のほとんども、私たちがミシチェンコフ家で過ごした時間のことを知らないのだ。


「本当にうんざりしていたのですよ。帝国から出て行きたいと思う位には」


 言いながら、思う。精霊の声が聞こえる貴族は全て国外に出てるなんてことはない。政治将校たちが気にしているのは自分たちに反対しないかどうかだけで、それがわかる程度に帝国教会に協力すればいい。人の上に立ちたいと願うのなら話は別だが、貴族の三男程度の身分で過ごすつもりなら、そういう選択も取れるはずなのだ。


……それはきっと、精霊の声が聞こえる人間にはよほど業腹なことなのだろう。だけど、だからといって、身分も立場も捨てて帝国から出ていく人間なんてのは少数派。多くの人は、そうやって妥協しながら生きているのだから。


 今のこの商売だって、もし仮に上手くいかなくても、どうとでもなるのだ。最悪、帝国に戻って帝国教会に協力すれば、それだけで、他の人と同じように生きることはできる。


……と、そこまで考えたところで、スヴェトラーナはミラナのことを思い出して苦笑する。こんなことを考えたら彼女に叱られるわねと。なにせ彼女は、エフィムに付き合って人生設計を作り変えてしまったのだから。


 いつでも帝国に戻ってやり直せる。そんなことは、エフィムだって気付いているはず。だから、あの時ミラナが自分自身に1000ヴィズダストゥという値を付けたときに、ためらった。その金額は、彼女が娼婦であることをやめるのに必要な金額だと、心のどこかでわかったから。


――本当、あの方は、誰かに背中を押されないとダメですわね。そんなことを思いながら、スヴェトラーナはハーブティで口を湿らせる。


「ここでなら、うんざりせずに過ごせますかね」

「……そうですわね。でも、結局のところ、あの方は自分の腕を試したいのだと、私は思いますわ。貴族だから、精霊と話ができるからと監視されて、同じ理由で尊敬され、従われる。そういうのを心底嫌っているのですわ」


 スヴェトラーナは思う。エフィム様はきっと、貴族を捨てて平民になって、だけど凡人ではない何かになりたがってるのだと。……なんというか、男の人にはそういうところがあるけど、エフィム様はそれが強いと、スヴェトラーナはそんなことを思う。


 まあ、ここまで来たからにはさすがのエフィム様も迷わないだろう、そう思いつつ、口の中に残るハーブティの風味を楽しむ。


――そうですわね。帝国に戻っても気軽にこの(ハーブティ)が飲めるようになる、そのくらいのことはしてもらわないと困りますわと、そんなことを思いながら、スヴェトラーナは目の前のティーカップに手を伸ばした。


  ◇


 執務室の自席で、仕事の合間の茶を楽しむスヴェトラーナを見て、ホーミスは思う。スヴェトラーナ様は手厳しいことを言って、きっと本人もその通りのことを思いながら、でもレヴィタナ家まで動かして彼に協力している。どう考えても、一番甘いのは彼女だろう。なのに、どうして本人はそのことを意識していないのだろうかと。


……まったく、本当に、どうしてこの方には自覚が無いのだろう、そう思いつつ、ホーミスはそっと肩をすくめた。

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