8.昔馴染みのお屋敷で(4)
「エフィム様もそうだったんだけどね、スヴェトラーナ様も小さい頃から、それはもうしっかりした性格でね。なんていうか、貴族の子供っていうのは違うもんだねぇなんて、その時は思ったもんさ」
二人が子供の頃を思い出しながら、昔を懐かしむように話すイソルダさん。そんな彼女の言葉に、少し離れたところで「はいはい、どうせ俺は出来が悪いですよ」と悪態をつくリジィ。そんな二人の様子に、子供たちと一緒に、和やかに笑う。
そうして、少し場の空気が少し和んだところで。少し真面目な声で、リジィが言葉を続ける。
「でもさ、やっぱり貴族っていうのは、周りの目とかがあるからさ。子供でもそういうのがあって大変だよなって、俺なんかは思うんだけど。だってほら、エフィム様もスヴェトラーナ様も、子供の頃から、普通では考えられないような悩みを抱えてただろう?」
リジィの言葉に、そうだねぇなんて頷くイソルダ。そんな親子二人の様子を見て思う。エフィムの悩みはだいたいわかったけど、スヴェトラーナの悩みはどんなのかしら、と。
きっと同じことを思ったのだろう、プリィが二人に尋ねる。
「スヴェトラーナ様の『悩み』って、何ですか?」
「そりゃあもちろん、レヴィタナ家の長女として生まれてきたことが一番の悩みだろ。――いや、悩みとはちょっと違うのか。でもやっぱり、普通とはちょっと違うと思うよ」
プリィの率直な質問に、リジィが答えて。私たちがレヴィタナ家のことをほとんど知らないことに気付いたのだろう。「えっと、どう言えば良いのかな?」と言いながら、リジィが言葉を探り始めて。
そうして、スヴェトラーナの生まれた「レヴィタナ家」の説明を始める。
◇
「スヴェトラーナ様の実家のレヴィタナ家はさ、今では『中立実務派貴族』として結構有名なんだけどさ。俺らが子供の頃は、ぱっとしない家でさ。しかもなかなか子供が生まれず、レヴィタナ伯が三十近くになってようやく授かったと思ったら女の子だったと、そんな感じの家だったんだ」
そんな言葉で、レヴィタナ家の説明を始めるリジィ。
「……えっと、女性だと家を継ぐことができないとか、そんな話?」
「継げないことは無いんだけど、難しくはなるみたいだよ、色々と」
基本的に爵位を継ぐのは男だけど、他に継承者がいない場合なんかだと女性が爵位を継ぐこともできる。女性が当主だからといって格が落ちたりする訳じゃないし、結婚したとしても、血の繋がりのない旦那に爵位が移ったりすることはないと、そんなことを説明してもらう。
……話を聞いてると、男と女が入れ替わるだけのような感じがするけど、違うのかしら? そう思って、聞いてみる。
「男と女が入れ替わっただけで、あまり変わらないように聞こえるけど」
「そりゃあ、建前はそうなんだろうけどさ。でも、女が当主の家なんて現実にはほとんど無いんだ。どうしたって、嫁を迎えるよりも旦那を迎える方が色々と難しい、そういう話みたいだよ」
建前と現実は違うというリジィの言葉に、まあそうよねと納得をする。……むしろ女でも当主になれるのが、少し新鮮。組織で男と女の役割が入れ替わるなんて絶対にないと言い切れるから。
「当時のレヴィタナ家は帝国の中でもありふれた貴族でしかなかった。でも、その頃にはもう、政治将校たちが推し進める『新しい政策』の有効性は誰の目にも明らかで、それでも半ば惰性で貴族たちは反対していた。ちょっとでも目端の利く人なら、どうやってその派閥から抜け出そうか、色々と考えてたそうでさ。……で、スヴェトラーナ様が生まれたのはそんな家で、エフィム様が生まれたストルイミン家は早くからその派閥から抜け出ることに成功した家なんだ」
その話を聞いて、なんとなく話が見えてくる。
「だから、ストルイミン家はともかく、レヴィタナ家の思惑ははっきりしてたんだ。子供を使ってストルイミン家との距離を縮める。子供同士が仲良くなるのに目くじらは立てにくい。波風立てずに反対派と距離を置くのに、中立派のストルイミン家は丁度いい相手だったんだ」
リジィの話を聞きながら思う。今のリジィの話は親の都合だけど、多分そのことをエフィムやスヴェトラーナはちゃんと理解して、その上で納得して、仲良くしていた気がする。少なくとも今のあの二人は理解しているだろうし、思うところがあるようには見えない。
……なるほど、確かに「子供らしくない何かを抱えていた」というのもわかるわねと、そんな感想を抱く。
と、そう思ったところで、イソルダさんが口をはさむ。
「……というのが、コイツが大人になってから知った、大人の事情の話だね。実際、コイツはあの頃、そんなことわからないまま二人と仲良くしてたに違いないからね」
「しょうがないだろ? ガキの頃からそんなこと、普通は考えないって」
からかうようなイソルダさんの言葉に、メンドくさいなぁと言いたげなリジィの態度。そんな二人の様子に、再び空気が和む。
「そんな訳でさ。スヴェトラーナ様は最初からこう、『私はエフィム様と仲良くなるのですわ』みたいなオーラを身にまとってここに来ててね。で、エフィム様はそれに押されたと、そんな感じだったね。
エフィム様は初めてここに来た時にはもう、精霊様との契約も済ませててね。その頃から、いつか自分は帝国から出ていくと覚悟してたと思うんだけどさ。そのせいで、ちょっと人と距離を置くようなところがあったんだ。そいつをスヴェトラーナ様が押し切ったと、そんな感じかねぇ」
そうやって、レヴィタナ家の説明から始まった一連の話を、イソルダさんが締めくくった。
◇
「なんか、思ってた話と違います〜」
冗談めかして「あることないこと、期待してたのに〜」と残念がるプリィに、そいつはウチのリジィが済まないことをしたねぇとイソルダさん。「なんか今日、風当たり強くね?」と、混ぜっ返されたリジィは大げさに慨嘆するふりをして笑い合う。
そんな、軽い空気が流れる中で。さっきの話を聞いて疑問に思ったのだろう、コーシャちゃんがイソルダさんを見上げて話しかける。
「すゔぇとらぁなさまとえふぃむさま、なかいいよね?」
少し不安に思ったのだろう、心配そうな声で質問するコーシャちゃん。そんなコーシャちゃんに、優しく、でもはっきりと答えるイソルダさん。
「そうだねぇ。どんな理由があったって、あの二人は仲がいいと思うよ」
その返事に満足したのか、今度は周りの人を一人ずつ見上げるコーシャちゃん。「わたしも、あの二人は仲良しだと思いますよ」「まあ、今更だよな」と返事をするプリィとリジィにうなずいて。こちらを見上げてきたコーシャちゃんに頷きを返す。
「っていうかさ。昔はあの人たちがリジィあんちゃんを起こしてたんだろ? だったら、そんな小せぇことじゃ怒るわけないじゃん」
「いやいや、流石に俺、そこまで寝起き酷くないけど」
「……あんちゃんさぁ、それ、『知らぬは本人ばかりなり』っていうんだぜ」
……最後にニカトルくんが、ちょっとひどいことを言って。リジィの反論も即座に言い返して。どう言い返そうかと考えていたらしいリジィに、イソルダさんがとどめを刺す。
「そういえば昔、スヴェトラーナ様も言ってたねぇ。『あのひとは、起こしても、目をはなしたらすぐ寝てしまうのです。わたしひとりではどうにもできませんわ』って」
……そうね、さすがにこれはちょっと弄りすぎじゃないかしらと、そう思わないでもなかったわね。
◇
「と、いうわけでさ。あの二人、プリラヴォーニャさんの期待するような話にはなりようがないと俺は思うんだけど、どうかな?」
「そうかねぇ。貴族同士の思惑、仲のいい幼馴染、片方は国を出る決心をして、もう片方は家の事情に縛られながらもその家を大事にしている。どうやったも結ばれない二人の関係性、嬢ちゃんの期待するものはかなり詰まってるんじゃないかと思うんだけど、どうかねぇ」
リジィの感想に、イソルダさんのちょっと強引な屁理屈。その言葉に笑いながら無理があるわねと、素直に思う。……イソルダさんも当然わかっているのだろう、自分で肩をすくめる。
「まあ、さすがに無理はあるけどね。でも、兄妹みたいに育ったのも事実なんだ。エフィム様のやろうとしている商売? まあ色々あるんだろうけどさ。なんだかんだで『二度と会うことができない』みたいなことにならなくて、ちょっとホッとしてるよ」
そんなイソルダさんの言葉に大げさねと笑いかけて、彼女は本気でそう思っていると感じて、ふと思う。……私は何か、思い違いをしているのではないかと。
そんな私の考えを裏付けるように、イソルダさんが言う。
「だってエフィム様は、あんたらと一緒に、帝国を相手に商売しようとしてるんだろ? 最初はきっと、そんなことすら否定してたんだ。『外国で、帝国との関係を完全に絶って生きる』つもりだったんだと、そう思うんだよ。……あんな子供がさ、親兄弟や友達を全部捨てて外国で生きていこうだなんて思いつめるのは、やっぱりどうかしてるじゃないか」
その言葉に、一瞬言葉を失う。でも、なんとなくそう思ってしまうのもわかる気がして。……そんな考えがまとまる前に。リジィが何か思い出したかのように言う。
「そういえば、以前、エフィム様に聞いてみたんですよ。『なんでこんな商売を始めようと思ったんですか』って。そしたら、笑いながらこんなことを言ったんですよ。『スヴェトラーナにこっぴどく叱られた』って。えっと、何て言われたって言ってたっけかな。確か……」
◇
そこには、自分がいると周りに迷惑がかかると思う青年がいて。
その青年と、まるで兄妹のように仲がいい少女がいて。
少女は、青年の悩みを知っていて。
悩んでいることに少しの悲しみと、少しの怒りを積み重ねていて。
ある日、少女はその積み重なった感情を言葉にして、青年にぶつける。
「外国で、帝国とのつながりを、私たちとのつながりを完全に断って生きる。エフィム様はそれでいいのかもしれませんが、私は嫌ですわ。それは、ストルイミン家の方々も、お世話になっているミシチェンコフ家の方々も、皆同じです。――貴方が親しく思われてる方はすべて、貴方がいなくなるのを嫌がるはずですわ」
それは、少女にとっては当たり前の話で。
それは、青年にとっては思いもよらなかった話で。
子供の頃から悩み続けていた青年は、言われて初めて、当たり前のことに気がついた、たったそれだけの話。そして、この日から、青年は探し始める。
――親しく思う人を悲しませずに、捨て去ることなく生きる道を。




